恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしています。

童貞ホモソーシャル

昔から思ってたんだけど、最近再び「強く」思うようになったのですが、虹ロリの人って「極めて独特の趣味」をされておるのですよね。うまく説明できないのですけど、「推してくるもの」とか「好みの女子の顔」の傾向が「極めて独特」。
他人の「セクシャルな趣味」についてどうこう言わんですけど、その「極めて独特」なセンスは、他所の人にはドン引きされるから「表明はやめといたほうがええちゃうんかなあ」ということがたくさんある。それに本人が気づかず、例えばイベ帰りの電車内でグッズおっぴろげてるからいたたまれないわけです。それは「その行為」だけでなく、開陳している「独特の趣味」についても感じるのである、と。

わたしこれ「音楽についても」最近思ってて、「ある一定の思考のまま留まって一向に変わらない人々」というのがいるんだけど、そういうのも「ああ、そういうのありがちだから次のステージに進めるといいのにねえ…」と思うんだけど、そうはならない。だから残念な気持ちが湧く。

ただね、今になって「供給側」として思うのは、そういう人々が変わらず居るおかげで、それが「枯れない鉱脈」になっており、そこをタゲった商売が成り立っているのだ、ということなんやな。エロにしろ音楽にしろ、他の分野もそうだろうけど、ある一定以上のレベルになって、プロ的な立場になると、その趣味を「極めて独特ですね」とか思いつつも、もうこれは「単純に仕事として」それを再生産し続けることが出来るんやね。

この辺が僕は、この国の人の「心のなかに見ている神がいない」ということの限界なんじゃないかって思ってる*1。戦争もそうだったけど「仕事である」というエクスキューズならなんでも出来てしまうこと。
その辺が例えば「エロの下に集ればなんでも正しい」とか「ホモソーシャルではなんでも肯定される」というようなことに繋がってくる気がする*2

なんというか、音楽の趣味とかエロの嗜好とかって「幼児期の体験」だったり「原体験」だったり「トラウマから」だったりすることが多いと思うのですけど、オトナになってそこを掘っていって「同志の人たち」と出会うと、その人らが相も変わらず「過去のその場所に耽溺したまま」だということに、自分は付いて行けないんですよ。「過去の未成熟な自分」を見るようで、ものすごく「気味が悪い」。なんというか「子供の頃の自分がオトナの顔をしてニタニタしてるような薄気味悪さ」を感じるんです。

自分はそこに居続けることが出来なくて、そういう自分の経験を「展開させていって開いて行ったのが今の創作に繋がってる」と思うんだけど、それが出来ない人たち…というか「それをする気がない人たち」ね、それが「ものすごく不気味に見える」んだと思うのね。それが「密室的に見える」のであり「ホモソの最も悪い部分を反映してる」と感じるようになったということなんやなあ。

例えば先だっての「駅乃みちかスカートの影問題」とかも、オマエ「絶対!」その太ももの影が「エロいと思って好きで見とるやろ!」と思うのに、「そうでない!エロくもない!」などと言い張ることが、僕にとっての「不気味」という感覚なのですよ。素直に「はい。エロくて見てました」「性的な目で見ています」と言えばいいんですよ。なのに「頑なに」それを言わん。それが気持ち悪いんですよ。で、そういう意識を共有しているのが「オタホモソ」なのですね。そこが「子どもの自分がおっさんの顔でニタニタしている気味悪さ」ということに繋がってくるわけです。

なんというか、自分がそういうの「嫌い」ならいいんですよ。一切「見なければ」済む。しかし「なまじ嫌いではない分野」だから、そういう歪が目に入ってきて、すごく気になる ということ。そういう感覚はなんとか「治らん」のか?って思ってて、ものすごく微睡こしいというか、イライラする。そういう感じなんだということですね。


★ココまでの関連

karamandarine.hatenadiary.jp

karamandarine.hatenadiary.jp



★まとめと補足

音楽でも同じことが言えるんだってのは、ここでよく書いてた仏音楽家ファンサイトとのトラブルのことがあるでしょ*3。もっと前ではジャズ系の人と揉めたこともある。最近は鉄モのおっさんと揉めました*4。…揉めてばかりやんw トラブルメイカーかw

で、考えた結果、これらの共通点はどれも僕が「子供の頃」に好きだったり関わったことがあって、その対象を「懐かしい」と思って近付いていったことなんですよ。

僕だって、かつて、その人らと同じように「その対象を好きで楽しんで」。そうして今のようになったわけです。彼らだって「同じ年月(僕と同じように)経ってるんだから同じはず」でしょ?なのに実際は、まるで僕と彼らの「時空が全く違うかのように」感覚が異なっていて、当時のように相手にすることが出来ないわけです。すごく苦痛で。その違和感が何なんだろう??と考えて、なんか「子どもの自分がオトナになってる薄気味悪さ」という答えが出たのですね。

それとエロ話も一緒で、私早熟だったんで、子供の頃から「いろいろ考えてた」んですけど、そこからわたし「今おとなになってる」んだから、好きな萌え対象が一緒だとしても「感覚が同じでいいわけがない」。なのにみんなは変わらない。それがすごく気味が悪い、というようになったわけですね。

なんかね、「自分のほうがえらい」とか言ってるん「じゃない」んですよ。そうでなくて、「共有できないことが辛い」わけです。なんでやの??と*5

最近思うのだけど、この「自分の中の感情と向き合えない」というのは、例えば増田をやたら「ネタ創作」や「埼玉のおっさん認定したがる厨」とか、「嘘松認定したがる厨」と同じものを感じるのよね。
増田や嘘末ぽいものに関して、そのネタに「安易に」心動かされてしまうのが嫌なんじゃないだろうか。「自分はそんな安くないから」と言い張りたい気持ち。

コレ私、むかしから思ってたんだけど、自分の中では例えば「オマエみたいなババアに欲情しねえよ」などというのもそれに当たり、別にオマエなんか好きじゃねえから…と言い張る男子にも似ており、でも「本当はエロく見てたり好きだったりする」という*6
そういえば男子ホモソの中で、よくこういうことがありますの。「こんなもので欲情してしまった自分が情けない」とか言う。それは例えばさっきの、お年を召した女性だったり好みではない女子に対して「性的な意味で興奮してしまった」という時に、そういう「自分に対する嫌悪感の反動」として言ってしまうんやね。
そういう時に本心をポロッと言ってしまうと「へーオマエあんなんでいいの?」みたいにバカにされます。もうほんとそういうのばっかり。疲れるよ?笑。

「創作増田」や「嘘松」について、安く感動したことに自己嫌悪があるのかもしれないけど、私これはよく言ってるけど、音楽もそうだけど、何かに心動かされる、というのは、その対象に感動しているのではなくて、その対象が呼び起こした「自分の中の感情」に感動してるわけなんですよ。つまり全てのものは触媒に過ぎなくて「自分の感情はすべてがデジャブ」で出来ている。

だから、その対象が創作増田であろうとなんだろうと、普通に感動すりゃいいんですよ。優れてるのはその創作じゃない「自分の中の感情」のほうです。それを間違えるから、自分の感情に向き合えなくなる。

好みだろうと年齢が相応じゃなかろうと「エロに反応する自分は正しい」のですよ。「これは生物反応として正しいのだ」と認めてやって、初めて自分をコントロールできる。それが出来ないから「チェーンジ!」などと言ってしまう。そういうことやろ?

そういえば、千葉時代の私の隣人、僕があまりにも「自分の好みや萌ポイントを率直に言うことについて」驚いてたな。それまでそういう人に出会ったことがないらしく、別に変態と言われようがなんだろうが自分の嗜好は表明しても全然問題ないのか!と感動したと言っていた。まあ、言う相手は選びますけどね?

これが引いては音楽にも繋がっていって、つまり自分の嗜好をまったく隠さない創作をやってることについては、これは自分のやり方として確立したものがあると思うけど、その辺の基本はこの頃にあったわけだね。最初はホモソで辛かったが、徐々に、他人に流されないマニアックな人々が周りに集うようになり、それとともに自分が開放されていき、最終的には街のハズレの一軒家という、他人の目がない環境でタガが外れて開花した、ということでしょう。

タガが外れた、というのはつまり、自分の中で「これはもうコントロールできそうだ」と思ったからで、そうでなけりゃ「自分が何やらかすか判らない」と思ってたら怖くて開放できませんね。もう大丈夫やな、と思ったからこそ、一気に開放へ進んだということだからな。


そういえば昔こんな事があった。
私あるアイドル系グラビア月刊誌を購読してたのですよ。そしたらある日、友人が「その本、今月○○の特集でしょ。貸してよ」と言われて貸したのですね。そうしたら、返す時に「ほらよっ」と丸めて投げて返してきて!丸めてるからシワもあり、投げたのを受けたから傷もつき、とヒドいことになったんだよね。

僕はこのことについて、ずっとこのエントリで述べてる「自分の中のエロを処理できない」問題と関係あると思ってて、つまり、そいつは「照れくさかった」んだと思うのよ。自分がとあるグラビア女優に惹かれて友人に借りてまで見たくて、しかしそれが照れくさいから「こんなもん別にどうでもいい」という扱いで意思表示をしたんだと思ったの。
ちなみにそいつは「男子校」でした。「異性をモノとしての消費」でしか考えられない感が、その行為から当時もすごく伝わってきて、その彼は音楽仲間だったのだが「そんなガサツな感性で出来るんでしょうか??」などと思ったの覚えてる。
ちなみにその彼は「ともかく早く結婚して落ち着きたい」が口癖でしたが、そんな性格だったので「尽く失敗」してましたね。今で言う「非モテしぐさ」みたいな人だったんだろうね。

こういう人がね、当時の自分のこういう行為をスッカリ忘れて、FBとかで平気でフレリクしてくるのよ。もうホント考えられない。アンタはただ懐かしいと思ってるだけかも知らんが「ざけんなコッチは忘れてねえんだよ」的なことは「毎回」思う。疎遠になった縁というのは「その理由がちゃんとある」んですよ。だから復縁しようとしてくるな!と思う。

*1:西洋人は自分の中に神の目が存在してるから、とよく言われる

*2:関連→

karamandarine.hatenadiary.jp

*3:フランスとの訣別

*4:勝手に自分がサークルメンバーに加えられてた話

*5:前も書いたけど、こっちで英国ロックバンドマニアの人たちと会ったとき、初めて「そうではない」大人に会ったんですね。もちろんみんな「変わらず乙女()」という感じはあるんやけど、みんなそれぞれしっかり大人になっていて、話しやすく付き合いやすい。ああこういう人たちがちゃんといたんだなあ…と思って本当にホッとした。だから僕は他に関しても、未だ希望は捨ててない。そんな感じだな。

*6:関連 →

karamandarine.hatenadiary.jp