恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

ブラック高校時代を下町で上書きした話。

3年くらい前、ココで高校時代のブラック吹奏楽部の「嫌な嫌な」思い出を「散々散々」書き連ねましたが、上京以降についての吹奏楽活動にはそれほど悪感情はないです。それは(過去記事でもちょっと書きましたが)下町の吹奏楽活動に参加して、高校時代のブラック歴史を上書きできたからです。
むしろ、今考えると「上書きするために」それらに参加してたと言ってもいいんじゃないかと思いましたね。

高校時代の部活に関しては、今でも時々夢に見てはうなされて起きたりします。それくらい黒歴史だったし忌まわしい思い出だった。
いっぱしの批評家気取りの部活連中、そして耐えがたい上級生からのパワハラ、時にはリンチ、女子先輩から可愛がられた私に対するやっかみの嫌がらせ、自分が上手くならないのを努力不足才能不足と認めず、宗教に縋りそれを部活内で布教する連中。ろくなことはなかった。
ただまあ、そういった風に「私以外の人々」がそんなだったおかげで、部活内では逆張りのマイノリティだった私も、やがて後輩から慕われるようになったわけなので、悪くもなかったのかもしれないが、その経験は「決して主流派にはなれない自分」というトラウマとして長年引きずっていく。

下町活動は、この記事「「コロッケ町のぼく」から「多摩川」へ。」で書いたように、ある種の郷愁でもあった。北海道では「絶対に」ありえないゼロメートル地帯や、荒川江戸川といった雄大な都会の川べり、そして江戸弁が気風のいい気さくな仲間。もちろん少しは人間関係のもつれもあったが、だいたいはみんな趣味でやってる活動、揉めてもたかが知れてる。それに人材が豊富なので、人間関係がうまくいかなくても、すぐに別団体が見つかり代替可能だったりするのだった。その気楽さ。

おもしろいのは、そういった人間関係のおかげで開放的になり、技術も上達した自分が、その気風を高校部活の後輩たちに逆輸入したことである。なので、卒業後の私の評価は高校部活の中でどんどん上がっていった。現役時代とは真反対になってしまったのだな*1
それはちょうど現在「昭和な風習」が忌み嫌われて、新しい考え方が支持されてるのと似ている。古いままの人は老害と呼ばれ居場所がなくなっていく。思えば、私は高校卒業後の部活で、それとそっくりな経験を済ませてしまっていた、ということだったのだ。

そして卒業10年くらい経った頃、その後輩の中から私のファンだという女子二人が登場し、故郷でのディナーショーや銀座ライブのときに花束を持ってきてくれるという。ここまでリベンジできたら、もう満足でいいのではないか、と思ったな。

まあしかし、それでも当時の恨みは決して忘れませんからね。
という確認のために、この文を書いておきますw

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*1:前も書いたが、私達の部活は卒業後のOBが多数訪問する伝統があった