恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

20キロの鎧を脱ぎ捨てる

togetter.com
ヲタ夫が亡くなった記事を見て思い出したこと。
私、ヲタの星なんだと言ったけども*1、忘れててココで語ってない事実が一つあったのです。それは自分がヲタ時代の3年間、私の体重が現在より20キロも重かった!!!ということです。
今現在「ヲタ」という人物像を描くと、必ずこういう絵柄になる、みたいな典型的な体型や服装を、当時の私はしていたのです。
…今の私からは想像がつかないでしょう?でも実際にヲタ時代「20キロ肥えて」ヲタ脱却とともに「20キロ減量」されたのです。

20キロの体重の増減って、どういう感じなのか、なかなか分かる人はいないんじゃないでしょうか。体型だけでなく「顔つき」がまず変わりますし、その体型で行動パターンが全く変わりますし、着る服もダサダサのものしか選択肢がなくなりますし。
そして生活習慣というのですかね。毎日…どころか毎分w 「食べ物」のことしか考えられなくなります。エロとか女子とか音楽とか全部どうでもいい。

それから自分自身のそんな姿を鏡などで見て、ほとほと情けなくなり自暴自棄になります。愛のある言動が全くできなくなり、日々「おまえらシネ」みたいに思います。友人知人、彼女さんですら去っていき「ワシのこと好きとか言ってたのに、このザマか、所詮おまえら外見主義」と憎まれ口を叩く。

過食症だった頃を今もときどき思い出す。朝4時くらいにセブンに行き、弁当2つとロールケーキみたいの買って。
僕は昔から食べ物を無駄にできない人だった。作ってる人の姿が浮かんできてしまうのだ。なのでいつも「こういうものは仕事行く人とか夜勤明けの人が美味しい美味しいって食べるものなのに、こんなただただ口に掻っ込んでいくのは弁当工場の人に申し訳ないと思わないのか」って思って泣きながら食べた。


そうして完全に自分が一人になり、どん底になってからの這い上がり。

過酷な減量。ラストスパート時には39度の熱まで出したわ。そうして20キロ減量を果たしたとき、不思議なことにすべての煩悩が消えていった。おそらく自分の中の醜い部分すべてが、その20キロの中に含まれてたのではないだろうか。

その後の私、それ以前を知る知人は口々に「前のアナタのほうが面白かったし勢いがあった。今のあなたはツマラナイただの人」と言ったわ。でも自分は「これでよかったのだ」と思ってたわ。そこからの現在。


★「東京しぐさ」忖度へのストレス

京城東地区に出入りし始めたころ。思えば「これが日本のデフォルトだから馴染まなきゃいけない!習得しないといけない!」と思って必死だった。下町の彼女さんも出来たが、これまた典型的な「下町しぐさ女子」で、私が変なことをすると「そんなの恥ずかしいから辞めて!」と注意する人だった。「これで正しいんだ」と思いながらも、次第に自分の中に無理が生じ、どんどん病んでいった。二人でいるときも道端や地下鉄ホームで奇行するまでになり、そうして過食&20キロ大増量へと進んでく。

何度も言うけど、東京しぐさには馴染まなければ「いけなかった」のだ。じゃないと今みたいな事は出来なかった。でも今思えば、病んだり過食したってことは、その修業はかなりハードだったのではないだろうか。むしろヒノテルな音大教授とやりあってるほうが、まだ自分にとってはイージーモードだった気すらする。
3年が過ぎ、彼女さん含め周りからみんなが去っていった。みんなが「今のあなたなら振られて当然だよ」と言った。つ、冷てえ…。

こう言っちゃなんだけど、当時の私の周りの人々、東京しぐさという「見知らぬ他人に鑑賞せず忖度しながらささやかに暮らす」みたいな価値観で生きてる「にしては変な人」が多く、今振り返っても元カノを筆頭に、みんな「ずいぶん」個性的だった。
この私が言うのだから「そうとう個性的」です。
なのに!
みんな 自分も変なのに「私の変さは責める」のですよ。

コッチに言わせりゃソッチのほうがよほど変!なのに…。だから、どうしても理解できなかった。集団とか和を維持することに必死なあまり、みんなどこか壊れてるんじゃないかと思ったりしたものだ(吹奏楽関係者だからというのもあるけど)。


★プロ「普通の人」

そうして半年かけて20キロ減量。西新宿の海賊版屋も辞め、もういちど「まっとうな人になろう」と再出発を決意する。そうして出会ったのが次の彼女さんだね(途切れないんですかw)。その人は、前カノと真反対の人だった。彼女の誘導によって私は変わっていった。

今の私のイメージは、この再出発後に出来上がったものですね。髪を切り、トレーナーにジーンズみたいな格好からスッキリ清潔なシャツなどに切り替え、ジャケットも着るようになった(その前の彼女がそういうの好きでなく禁止されてたw)。
僕は当時よく言ってたのだけど、その時の彼女さんについて「ブライアン・ウィルソンを社会復帰させたユージンランディ医師」だと説明していた(ググれ)。

減量を果たして、それまでの交友関係から開放されて、自由に新らしい関係を新しい人々と築いていくのは楽しかった。まあその時の彼女さんが、それ以前より 2歳若返ったので、自ずと交友関係も2歳下がり感覚の新しい人々が新鮮に見えたということもある。同じ吹奏楽関係者でありながら、こんなに自由で社会性があるのか、とそれまでの違いに驚いたけどね。

ということで、それ以降だんだんと「東京しぐさからも離脱」できていって、もっと「普遍的な社会常識みたいなこと」を身に着けていくことになり、そうして音楽の質も上がっていったのだな。

当時の私、一気に垢抜けた(というか5年ぶん若返った)だけでなく、クッキー焼いたりとかお弁当毎日持っていったりとか、やり始めたんですよね。それまで音楽ばかりやってたから自分には「社会的常識がない」と思ってたの。だから、そういうことをたくさんやり始めて覚えていった。レノンに憧れてたし、なんなら主夫にでもなるつもりもあったわね。

自分がそういうコト始めた時の周りのバッシングも凄く覚えてる。親しいバンド仲間や吹部の連中から「あんた、本来そういう人でもないくせに、なに普通ぶってるのか」と批判されたし、つまらない人間になった、もう往時の勢いもなくなった、見る影もない、とかさんざん揶揄されましたよね。

私としては、自分がそう言われれば言われるほど「自分が変人枠から外れていく」ことを実感できて嬉しかったよね。もう君らとは違いますから、という意識は凄くあったと思う。


「同郷の人々の反応」も実に興味深かったよ。故郷時代の私は、本当にダメ人間の使えないやつでアホで変人だったわけだけど、そんな不器用だった私が、東京しぐさを身に着けてどんどん当地に馴染んでいくことに、みんな驚いてる様子がありありとあって。貴方のどこにそんな能力が潜んでいたのか?みたいな感じ。

こないだ書いた「旧友がよそよそしくなった話」もそういう理由な気がしてる。特に故郷時代、友人だと思ってた何人かは、ある種の嫉妬みたいなものを感じてたんじゃないかなと思ったりする。これは当時から判ってましたけどね、言わなかったけど*2


こうして私の東京時代は最充実期を迎えるわけです。

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