恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

相手を侮蔑しながら恩恵受けるな。

以下に紹介するのは「10年以上も前に」私が書いたエントリーである。

mrcms.hatenablog.jp
あらすじを説明をすると「私の故郷である漁師町と漁師が大嫌いだったが、大人になりサンマが美味しいと気づいたとき、彼らを毛嫌いするのはおかしいと気づいた」である。

ココ何ヶ月も「フェミニスト表現規制問題」が盛り上がっており、私もブクマで言いたいことを主張してきたが、どうも伝わりきれないので、記事にすることにする。


そもそも「虹ヲタ」と呼ばれる層の人々は「ホモ・ソーシャル」であると私はずっと思っている。男子の中だけで完結しているなら、さほど問題はないとも思っている。
しかし彼らは、何を勘違いしたか、自分たちの趣味嗜好が全日本的に受け入れられるという「歪んだ全能感」でもって世の中を支配しつつある。

この価値観は、元々は「昭和おっさん」が持つミソジニー的な価値観が発端である、と以下の記事で書いた。

karamandarine.hatenadiary.jp

悪いことは踏襲しなくてもいいのに、虹ヲタの人々は、昭和おっさんが愛した「おっぱい車内ポスター」の代わりに、乳袋で世の中をいっぱいにしようと考えてるのである*1


私がこの件で長年言ってるのは、その表現そのものも問題であるが、当事者「虹ヲタ」の人々の「故意的すっとぼけ」こそが「一番の悪である!」ということである。
つまり「性的誇張表現で性的に興奮しているくせに、そんなことありませんと主張していることの気持ち悪さ」を私は一番の問題だと思ってるのである。

乳袋はエロいです、そのとおりですがなにか。と開き直るならまだいいのである。「これの何が悪い?」と、自分らの性的趣味を表現の自由問題にすり替えて「一般化」しようとする論理だから(その思考が)気持ち悪いのである。*2


「不快だから」ではない。「女性への侮蔑表現だから」やめろと言ってる。

つまり。
websekai.iwanami.co.jp
上記記事のブコメで書いたが、表現の自由や規制問題という「それ以前に」まず、その表現そのものが、相手(この場合は女性)へのデリカシーに甚だ欠けているということ。
冒頭で書いたように、例えば私はサンマが好きなのに、それを採る漁師を侮辱すること。あるいは、人種問題もあるだろう。黒人のグルーヴカッコいいなどと言いながら、黒塗りの顔メイクなどすることは現在では許されていない。

別な記事のブクマで書いたことだが、女性侮辱系表現者が「女性のことが嫌い」であると言うなら、まだ一貫性はある*3

しかし彼らの殆どはそうじゃない。実際乳袋で性的欲情しているし、女性相手にセックスして気持ちよくなったり、またあるいはオナネタにしたりしてることであろう。そのように性的対象として「女性」の恩恵に預かってるくせに、それを侮辱したりデリカシーのない表現を行うということが、まったく納得できない。そんなに女性が嫌いなら、あるいは侮辱したいなら、女性が全くいない「男子だけの国」でも作ればいいではないか。しかし彼らはそうしない。デリカシーのない無配慮な表現で彼女らを侮辱しながら、しかし排除はしないのである。何故なら彼女たちが必要だからである。性的対象として、あるいは自分以下の人間と見下す対象として。

イタリア人エントリーでも私が書いているが、乳袋の件で燃え上がってる虹ヲタの人々は、実際は、本当に「男子の国」に居たいのだと思ってる。自分らに最適化したエロ表現だけを愛し、誰にも邪魔されない楽園で一生を過ごしていられる。それならそれでいい。好きにすりゃええやん。その価値観を日本全国に当てはめようと思わないでくれ。それは昭和おっさんのおっぱい電車ポスターと同じなんだと*4

まあ、ココまで書いてもわからないだろうけど。


★関連
「男子はエロのもとに共闘する」

karamandarine.hatenadiary.jp



尖ったサブカルにロリエロが隠されていた話

karamandarine.hatenadiary.jp

*1:過去記事でも書いてるが、ヲタ系人々は脳筋体育会系ホモ・ソーシャルが日本を牛耳ってることには不満なくせに自分たち主体のホモ・ソーシャルがそれに代わるのはいいと思っている、という矛盾がある。なぜ平均値を取ろうとしないのか。結局同じ穴の狢だと思われてもしょうがないだろう

*2:関連エントリー

karamandarine.hatenadiary.jp

*3:嫌韓の人がかの国を嫌ってるように

*4:公の場に出すことによって今回のように「規制しろ!」派の台頭を許し、結果的に全規制されてしまうという「本当の意味での」表現の自由が奪われることに繋がる。墓穴を掘る事になるということ