恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

バンカラ進学校の洗礼

ちょっとキャロルのこと調べてて、日本で初めて「ヤンキー」的消費者層を可視化したバンドだったということが書いてあり、そういえば昔ヤンキーなんか見なかったなあと思い出してた。

前も書いたけど、僕は国立小中に通ったので、生徒も「町の名士子息みたいな奴ら」が多かった(うちは名士ではない)。それが一気に高校で校風が変わり、貧困層的な人々と出会うことになり、それが自分にとってカルチャーショックだった。

貧困層は頑張ってた ね。それこそ「ジャスコ300キロ」の実家から単身で下宿してる奴もいたし、そういう奴らは「昼を抜いたり」とか本当に苦労人だった。こういう層の人々には中学までは出会わなかったからね。僕にとっては、そういう人々は「昔の偉人伝の中に出てくる人」で、現実的ではなかったわけ。だからびっくりした、と。

それよりショックだったことは、うちの高校は屈指の進学校だったのに「ヤンキー的な奴ら」が一定数いた事だ*1。もちろん頭はいいわけです。でも「気質がヤンキー」。コレが僕にとって当時一番わけわかんなかった*2

そんな高校生活で、なんか「社会勉強にはすごくなった」けど「楽しくはなかった」なあ。吹奏楽部での扱いの酷さも加わって、自分の気持ちはすっかり荒んでしまった。なんつか僕にとって「自由な校風」とやらが逆に作用してしまったんだろうな。それに男系社会だったし*3、辛い3年間だったなあと。

高校時代の吹奏楽を思い出すと「今でも黒歴史」みたいに思うのは、そこで「人生初めて社会性を要求」され、自分が「それに適応できなかったから」だと思うんだよな。

本来さ、音楽をするというのは、そういう柵(しがらみ。漢字でこう書くのか)からは自由であるはずで、僕も中学から、しょせん吹奏楽とはいえ「そういうことを意識していた」のに、高校ではいきなり、まったく逆であるはずの「社会性」を必須とされ、また同期の連中も、それまでとは打って変わり「それが当然というように」豹変していったことにショックだったからなのだ。そうね、まるで就職した時みたいに。

僕の一期下の後輩(O氏)が、実にそういう社会性に長けてるやつでして、今も思い出すけど、演奏会でOBに演奏を頼んだら、本番がめちゃくちゃだったということがあって、オレは「あちゃーこれどうすんの。。」みたいに思ってたら、その一期下後輩氏が「いや、ノリがよくて却ってやりやすかったからOKですよ。(^_^)」みたいに言ったんだよ。
それはいいとして、それ聴いたOBが「もうーさすがやな、こんな先輩を立ててさあ。」と褒めたあと、僕の方に向き「お前もこういう気遣いできるようになれよ」と来た*4

あの部活に 3年間いて、本当にこういうことは日常茶飯事で、常に「気遣える後輩O最高、しかしお前ダメ」みたいに扱われた。今でも思うけど、あの「リトル社会」はなんなのかと思う。縮図。

まあでも私それでも結局、最後まで折れることはなかった、つか、そういう「心にもないこと」言えないからさw 実力を付けていくしかなかったんだな。

その後もしばらく、このことを考えてたんだけど、その一期下O氏は「本心で」そう考えてたんだろうか?それとも「先輩を立てるために」そういうことを言ったのだろうか。その辺は今も疑問なんだよな。
いい奴なので本心であるようにも思える。しかし、その彼の「同期や後輩に対する態度」を観てみると「全然違う」ので、先輩を立てるために言ってた気もする。

どっちだったにせよ、彼は部活や会社社会というものを滑らかに運営するための「そういう技術を」既に身に着けていたってことなのだ。おそらく、本心も「20パーセントくらい」あったんじゃないかって思うよ。その 20%がありさえすれば、それを「本心として」先輩を傷つけないために言っても、別に「彼にとって嘘を言ってることにはならなかった」のだろうなって思う。
当時の僕は、そこは 100パーセント 思っていないと「嘘を言ってる」って思ってしまうからさ、たぶん言えなかったんだな。

こういう矛盾を抱えて「音楽」という「団体競技」をやってたでしょ。この歪は「ずーっと」僕の人生で尾を引いた。僕が今でも冷酷に「作品の完成度のみで評価する」よう心がけてるのは、そういう過去のことがあるんだなと思う。

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おまけ。
ところで、このこと調べてて、もういっこ別なことに興味を引かれた。それはミッキーカーチスというひとのことだ*5

さすがNプロの人だね。話を読むと「ザ芸能界」みたいな典型で、ともかく商売に徹してるというか、悪く言うとかなりあくどい。この人はガロというグループもプロデュースしたが、こっちも潰してる。キャロルは矢沢が居たからガロほど酷くはなかったが、それでも違約金何千万とか払ったと書いてる。

さて前も書いた気がするが、長崎にこのNプロのOBという人が4年くらいまえUターンして来まして、町のイベントやライブに頻繁に顔を出し、その態度がもう水戸黄門みたいなもんだから、市内音楽関係者がみんな「へへーぃ」みたいにひれ伏してるのね。
OBということはご隠居なので、年齢もカーチスとかと同じくらい(もしくは少し下)かなあ。
そういう価値観でガンガンやるから、こっちは巻き込まれないよう必死でね。彼が Uターンしてきた時は、僕はもう「こっちにリターン」を決めてたから、あまり近づかないよう気をつけてたが、もし今でも自分が街に残ってたら、ものすごく面倒になっただろう。決して悪い人ではない が、そういう旧態然的な「ザ芸能」みたいな価値観と自分のやり方は違うので*6

そういうこともあるので、実は僕はミルク関係に関して、彼との接点を可能なかぎり排除しようと「かなり意識して」コントロールしている。絡むと面倒くさくなる。
そういう世界から「無縁であり」「いちばん遠い存在」であることが、ミルクの唯一の魅力なんだからねと。

*1:普通にヤンキー。酒タバコからシンナーとかまで。これが市内随一進学校の実態。

*2:例えばダウン・タウン・ブギウギ・バンドが、全員大卒なのにヤンキーが売りだったとか、そういう違和感がある。いま思えば本人たちも「ナメられまい」と必死だったんだろう。

*3:当時の男女比率 8対2くらい

*4:その後の演奏を BPM修正して立て直したの私なんだけど

*5:https://t.co/oHmMugli9j

*6:実はこのご隠居さん、もともと東京の同業知人から先に紹介されていたのです。だから最初から僕は他の長崎人より、一歩くらい関係が近かったの。だから面倒なことにならないように距離を置いていたと。