恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

ラブレターと小樽

 「挽歌」のことを書いたとき「釧路の野蛮な空気と少女小説的な挽歌の雰囲気は合ってない気がする」と言いました。いっそ例えば小樽とかのほうがよいのでは?と。
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たまたまそのあと、小樽を舞台にした映画を見たので、それと共に少しだけ語ってみます。

その映画というのは、岩井俊二監督の出世作「Love Letter」です。
北海道を舞台にした中学生時代の描写が、実に「あるある」だったので、公開当時「よく研究してるなあ」と思ってました。
今回久々に見たのですが、ちょうど「挽歌」について語ったあとでしたので、小樽の風景を見て「そっか!これこそ私の言いたかったことだわ!」と腑に落ちた感がありましたよね。

さっそくキャプ画でご紹介。

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これは小樽の坂ですが、そのまま釧路の出世坂みたいです。
釧路の場合こういった風景は「旧市街」地域にしかありません。

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主人公が住む古い館。

こういう洋館風の古い建物も、かつては釧路(旧市街)にもたくさんあったんです。しかしあまり大切にされていた記憶がありません。
小樽の場合、その成り立ちもそうですが、全体的にどこか「文化の香り」がします。観光地化したのもずいぶん早かったですし、その辺は「門司港レトロ」を思い出します。

釧路の場合、繁華街や街の中心部が、起伏に富んだ山側から、完全に西や北側の平坦な地域に移動してしまい、歴史ある「旧市街」のほうには、若い住民はほとんどいません。同じ市域内でありながら「歴史ある釧路」というものが「あまり身近ではない」のです。

何度も言うように、釧路の産業構造から「野蛮な人が多い」傾向はあったと思います。そういう人々が、歴史などに関してあまり興味を持たなかったというのは、個人的には「さもありなん」という感じがします*1

長崎もそうですが、小樽も坂が多く、狭い敷地で展開した街という印象です。だから逆に「街が広がっていかない」ため、比較的身近に「歴史的史跡」などがあり、それを楽しめるのではないかと思いました*2

その点、釧路の場合は、敷地に困ったら湿原を埋め立ててどんどん住宅地を増殖していけばいいのだから、不便な旧市街に残り続ける人など居なくなるのは当然なのではないか、と思ったりしました。

まあただ、見過ごされがちな事実として「北海道の自然は想像以上に過酷である」ということはあります。本州九州のように「歴史的建造物」を遺すのは「スゴく難しい」です。まず風雪に耐えられないのです。だから常に新しくしていかなければ生きてもいかれないし、朽ち果ててゆく建造物などに構ってる場合じゃないのです。

そんなことを思ったりしました。

最近知り合った現地の若者たちに尋ねると、今の釧路は、昔(私が幼少時代の)ほど野蛮ではないそうです。ちょうど西に伸びていった平坦な住宅地域のように、スッキリ現在風になったのかもしれません。
それはそれでいいと思うのですけど、せっかくの歴史ある地域や、起伏ある風光明媚な旧市街などが打ち捨てられてるのは、実にもったいない気はするなあと改めて思いました。

今「挽歌」のリメイクがあったとして、釧路市内で当時の雰囲気のままロケ出来る場所など残されてないんじゃないか、という気がします。ちょっと寂しいよね。



ところで。
この映画はなんと言っても酒井美紀さんの存在が大きいです。

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主人公の中学時代とオトナになった現在(中山美穂)。
似てるかな?


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そして個人的に最大の山場がこれ。
見るたび鳥肌立つ。

ほんとこの映画は「よく作ったなあ」と毎回思わされます。
個人的には、監督はこれで燃え尽きたのではないか、くらい思ってますw

*1:炭鉱や廃止鉄道などについて研究され始めたのも最近のことだった。東京から移住した研究者が積極的に動き、やっと話題にされるようになりました

*2:ただし長崎の場合、北の方にどんどん住宅地が伸びており、やはり旧市街との差はあります。おくんちなどが行われる「まち」と自分らの長崎は違う、と思ってる新興住宅地方面の市民は少なからず居ます

春採駅〜選炭工場の先端(追記あり)

というわけで前回の記事。

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予告したとおり「鉄」なお話。

子供の頃から日常に「釧路臨港鉄道(旧社名)」があったせいで、鉄ヲタの私でも「ああ、あるよねえ」的に「どうでもよかった」感があったと言いましたが、ひとつだけ気になるものがありました。

それは「先端部」です。

鉄道というのは大阪環状線みたいなループじゃない限り、必ず「始まりと終わり」があります。釧路には「釧路駅」があり、北海道内でもかなり大きめな重要拠点で、すべての方向からの全列車が釧路止まりになる「終着駅」だったのですが、にもかかわらず根室本線の途中にあるため「終着駅」という感じする作りにはなっていません。

みなさんご存知の「阪急梅田駅」みたいな「これこそターミナル駅だ!!」みたいな光景は、自分の身近な場所では全く望めなかったのです。なので、そういうものに子供の頃から憧れていました*1

実は小学生の頃、この鉄道の存在を知ったとき「臨港鉄道」時代の両「終端部」、つまり「城山」駅と「入舟町」駅に行ってみたい!と両親や先生に懇願したことがあります。でも当時は叶いませんでした。

余談ですが、長崎駅は「終端」ですね。この先がないので「終わり」です。JRでは珍しいと思います*2。初めて見たとき「おお。これが終端か…」と感慨がありましたよねw


というわけで、この釧路の石炭列車も「ループ」ではない以上、どこかに始まり(もしくは終わり)があるはずです。

そして、その先端部があるとするならば…。
列車が終わっている春採駅の選炭工場のどこかにあるに違いない!
そう思ったわけです。


★「終端部」捜索

というわけで!
廃止の報を受け「鉄路が朽ち果てる前に行かねば!」と急いで先端探しに出かけました!まずは終着駅(始発駅)である「春採駅」の様子から紹介!


国鉄とは関係ない歴史があり、また石炭列車専用にするために、それに特化した進化を遂げたことから、今となっては国内では珍しい機関車があることで有名でもあります。いくつかの機関車は「輸入」だったはずです*3

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デザインも可愛いです。
ライトが「芋虫の目」みたいですね。
 

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構内の様子。
右上の細長いものは石炭を運んでるベルトコンベア。
選炭工場に繋がっています。
昔はこれも鉄ヲタには有名な「ナロー」の引く鉄道でした。

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選炭工場の正面から。
右上。工場の上に架線が見えます。
ナローの貨車が通っていた跡が当時まだ残っています。


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そしていよいよ!
石炭を詰む貨車が入っていく「選炭工場」真下へ。

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上記の位置から春採駅構内方面を望む。

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線路上から「選炭場」の石炭積み込みエリア。
扉が閉まっています。
ココに貨車が入り、上から石炭が「ズサー」と落ちてきて積み込まれるんだと思う。
(たぶん)

この工場を突き抜けた向こう側に線路の終りがあるはず!?

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突き抜けた反対側に回ってきました。

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まっすぐ後方(撮影背中側)に伸びています。

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工場を見ながら後退していく。
意外に長く続いています。

振り返って終端方面を観てみる。

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終端部と思われる方向に線路が伸びています!
何やら整備用(?)の機材車のようなものが置かれている。

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かなり工場から離れてきました。
だんだん埋もれたり線路が錆びてたり。
整備車両からコッチ側は明らかに使っていない様子。

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また振り返り終端部方面。
遂に線路が草に埋もれてしまいます!

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もう少し終端部へ。
再び地面の間から線路がところどころ出てくる。
しかし終端あたりは混沌としている…。

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このまま埋もれて終了!?

と思って諦めかけてたとき!
突起物が目に入ります!!!

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ああ!!!
これ「線路の終わり!!だっ!!!」

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そうして、もう一度引いて見ると…。

選炭工場下から伸びて来ている線路が。
しっかりココまで続いて車止め!
確かにここで終焉していることが判明!!


いやーすごい。

というわけで。
見事に今回、石炭輸送列車の「先端部」を発見できました。

「ココが終わりだ!!」という主張はありませんでしたが、なし崩し的に「この辺が終わりということで」みたいに終止符を打った感が、なんだか最果ての線路ぽくて哀愁感あってよいです。やっと希望が果たせたなあ。


実は子供の頃の記憶では、もっと先まで貨車の留置線が伸びていました。でも今回、記憶と場所を照らし合わせて見たのだけど、それは別な留置線だったかもしれないし、この線路だったかも知れないし、いまひとつ記憶はハッキリしませんでした。それはそれとして、選炭工場から伸びていた直通の線路は、ココがしっかり終わりでした。

本来であれば、もっと昔に東釧路〜城山方面まで続いていた本線があり、選炭工場に入る線路は春採駅構内からの支線みたいな扱いだったと思うのですが、知人〜春採間を除く路線は全部廃止になってましたから、この支線が事実上の「本線」終端になっているわけです。


★石炭列車。廃止のその後。

石炭列車が廃止になって、「もったいないから観光列車でも走らせたい」などという動きもあるようですが、人があまりいないエリアを通るだけだし、春採湖沿岸を走るのは風光明媚も望めるかもだけど、果たしてそこまでの需要があるかどうか。
もと釧路民としては「ネイティヴ市民にそんな粋な趣味があるわきゃねえw」と思うので、難しいでしょうね。長崎における私がそうされたように、他所からの移住民に頼ってみるしかなさそうです。


★…と思いましたが。

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力及ばず…夢のまた夢。
Farewell。


★2019年9月の追記。
あっという間に線路も剥がされ。
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更地にされています!
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剥がした線路はこのとおり。
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★続き!

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*1:似た感じのものとしては、川の源流の始まりや国道の起点とかも好きです

*2:あとは阪和線天王寺くらい

*3:米国ゼネラル・エレクトリック社製のノックダウン生産と判明

霧と煤煙と喘息の街

★釧路石炭列車終了のお知らせ

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こんなニュースがありました。鉄道ファンや炭鉱ファンには残念なニュースでしょうね。またこのニュースで「まだ日本に炭鉱があったのか」「石炭を運んでた列車があったのか」などと驚かれた人もいるかも知れません。

ここで何度も書いてるように、釧路という街は私の故郷でもあります。そしてこの石炭列車、そして炭鉱の工場は実家の近所にあり、帰郷するたび身近に見ることが出来ました。私も「鉄」ではありますが、幼少時からあまりに見慣れているため、この鉄道に関しては、さして特別感も感慨もなく「ああ。あるよねえ」くらいの感覚でした。春採湖沿いを走る景色は見たいと思いますが、旅客営業はしていないので叶いませんし、有志の同好会などで「石炭列車に乗る会」みたいな催しもやってるようですが、以前ここで*1書いたように「鉄ヲタさん」と縁を切った私に、そんな機会が訪れることもありませんでした。


★「煤煙とロマン」

さて。そんな釧路を舞台にした久我美子さんの映画「挽歌」について、ここで語っています。

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当時の北海道は、日本全国であまり知られていなく「異国ロマン」的に語られることが多かった、というお話でした。この小説や映画をきっかけに「霧とロマンの街」などと言われることも多くなりました。今でも釧路のウリは「霧とロマン」そして「世界三大夕日」だと思われます。

しかし幼少時代を過ごした私にとってはどうでしょうか。個人的な家庭環境や学校生活も相まって「暗く辛く薄ら寒い街」に過ぎませんでした。

そんな私の悪環境に、更に追い打ちをかけたのが街の環境です。私は子供の頃からアレルギー、そして喘息持ちでした。発作になると本当に苦しく、黙ってるだけでも「息も絶え絶え」になり、当然ただ歩くことさえ苦しく、日常の行動が制限されていました。

最初に書いたように釧路には炭鉱があります。炭鉱があるということは、町の人々は「地元の石炭」を積極的に使うということでもあります。厳寒の地、しかも真夏でさえ20度を下回り、今現在でも「8月にストーブをつけた」という話は珍しいことではありません。
こうして年がら年中、石炭を焚いて暖房にしているということは、各家の煙突から年中「煤煙」が出ていることになります。ただでさえ「年中の霧」で大気の環境が悪いなか、石炭を焚いて各家からモクモク煙を出してたんじゃ、そら「空気が悪い」どころの話じゃないわけです。

上記「挽歌の記事」写真でも、坂の上の病院煙突から、モクモク黒煙が上がってるのが見えますね。

他にも挽歌に出てくるシーンで確認できます。

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先程も言いましたとおり、夏でさえ「暑い!」という日が殆どありません。母からの電話でも、8月だというのに「今日は寒くてストーブを付けたよ」と今でも報告があります。そういう街です。

そしてこれは幣舞橋の霧です。
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日中、ほとんど、こういった空気に街が覆われます。

これらの環境が「喘息だった私」にどれだけ悪影響だったか、計り知れないということです。健康上の問題だけではありません。喘息という症状は「ただ黙っていると」顔色や態度は「あまり病気ぽく見えない」ため、質の悪い知人や教師、先輩などから「詐病」をよく疑われ、嘘つき人物扱いされたり虐められたりもします。
私の喘息は、通年性の重いものではなく「秋冬」などに起こる季節性のものでしたので、健康な季節もあり、そこがまた誤解を生むことになったのだと思います。

学校でも、教師に「発作時の怠惰な動き」を注意されたことが何度もありますし、嫌味な体育教師に「学校に来れるくらいなら授業も出られるだろう」などと無理くり体育の授業に参加させられたこともあります。マラソン大会でも常に後尾集団だったことから「不まじめなやつ」レッテルで常にバカにされました。これらの出来事が、子供時代の私に「かなり暗い影」を落としたのは明らかなんですよね。


★炭住再開発地域に引っ越す

私のような喘息の場合、症状が成長とともに改善されてくることがあるのですが、私の場合、10代を通じて治ることがありませんでした。

それには理由があります。運の悪いことに、中学時代に実家が「炭住地域」に引っ越してしまったのです。
「燃料は灯油」が当たり前の時代になっても、炭鉱従事者が多く住む住宅地では、会社から安価で支給される石炭を未だに焚いていたのですね。ですので、釧路市内でも唯一「まだみんな」石炭を暖房として生活してる地域に、事もあろうに私の家が越してしまったのです。

ここからの実家時代は本当にきつかった。しかも家は「坂の上」にありw 帰宅の際は、バス停からその坂を10分のぼっていきます。家につくと、とりあえずソファーにドサッと座り、だいたい30分くらい息を整えないと、次の行動が出来ません。毎春、そして秋冬の私は常にこんな感じでした。

そんな私の実家の近所を走っていた石炭列車が、冒頭で紹介した鉄道だったというわけです。

次回はこの鉄道の紹介をしていきましょう。鉄の人は楽しみにするといいよw


★関連

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★続き

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