先端カサンドラ・クロス
こないだ、石炭輸送列車の線路の端を探し当てた記事を書いた。
この鉄道は「春採〜知人」間を走ってたわけだから、いくら馴染みがあるからって、片一方の「春採の先端」だけを確認して悦に入ってるのもどうか、みたいに思ってたわけですよね。
で、まあ。
しょうがないので乗りかかった船ということで、もう片方の終着地「知人駅」の先端を確認してみることにしたわけですw
再三言ってるとおり、私はこの鉄道にさして興味もなかったものですから、実は「知人駅」には一度も行ったことがありません。これだけ有名な施設がありながら、一度もそれを見たことがありません。まあその辺からも、私の「この鉄道に対する熱意」のほどが伺われるわけですw
というわけで!人生初!
しかも「廃止されてからw」行ってみた!
実はこの日、時間があったので「臨港鉄道」だった時代の起点「入舟駅」跡から辿って歩いてきてたのですよ。なかなか楽しかったよ。この記事的にはどうでもいいと思うので、その廃線跡巡りについては書きません。
ということで、さっそく「知人駅」!
駅への入り口に、こじんまりした駅前商店街ぽい小路がありました。これは「臨港鉄道」ではとても珍しいです。他の駅跡にはこんなの残ってないの。なので、この鉄道にとって「知人駅」は重要な位置づけだったんだなってわかる。
こんな古い看板も出ています。
ココが駅ですよというアピールがあるのは「臨港鉄道」では珍しい。
なんか「普通の地方私鉄」みたいでびっくりしましたよね。
そんな柄でもないくせにどうした!?みたいに思ったw
その右、港方面の横道に行くと、有名な貯炭場施設が見えます。
本来のルートに戻り本線跡を知人駅へ向かう。
ここが「本来の」駅構内だった。
石炭輸送専用になってから右側の貯炭場ルートしか使われてなかった。
その分岐点が真ん中あたりです。
その地点から振り返る。
右が本来の「知人駅」構内。
左が最近まで現役だった貯炭場への分岐線。
貯炭場の線は2本あります。手前の方から行ってみる。
線路は全部はがされている。
橋まで近づいてみると。
なんと橋の上だけは線路が残ってる事が判明!
ココで私。この光景をどこかで見たことを思い出す。
そうだ!これ「カサンドラ・クロス」だ!(映画。ぐぐって)
引き返し、もう1本の線。海側の方も行ってみる。
そこから内側の橋を見たところ。
ここで積んでた石炭を貨車から一気にズサーッと下ろすのやね。
機関車からの遠隔操作で貨車の底の蓋が開く仕組みになってたようです。
ということで外側の鉄橋。
ココも線路がまだ残っていた。
カサンドラ・クロス!
流石に怖くて、ココを渡って先端まで行く気にはなれなかったよね。
そもそも真っ昼間で人が居ましたし普通に注意されるでしょう。
貯炭場の外はすぐに海。
波がザッパーンとなってました。本当に。
ココからベルトコンベアで船に積み込んでたようです。
まあそういうわけでチキンの私は、コッチの先端までは行きませんでしたの。いや普通に危ないやろ。
なお本来本線だった駅構内の方の線路は、ちゃんと終端部があったようです。でもそれは、その先の臨港駅や入舟駅に繋がってた時代の路線で、太平洋石炭輸送になってからは、そっちは廃線なのだから、現役だったこっちの貯炭場鉄橋のほうが、路線の先端だったと言える気がします。
面白いのは、そもそも一番最初に臨港鉄道が出来たときも、路線は「春採〜知人」間しかなかったということです。その前後の路線は、石炭輸送以外の需要があって、あとから出来たのだね。なので臨港鉄道としては、末期のこの路線が「出来た当初の基本」に戻った形であったとも言えるわけです。へーという感じ。
最後ですが、前回の「観月園」記事で書いたように、崖と春採湖の間がもっとギリギリだと思ってた、という根拠は、この辺の線形にあります*1。
本当に海岸ギリギリを走ってたのよ。
ええ、普通に波とかかかります。すごいよね。
ココは知人を過ぎてすぐのところ。このまま弁天ヶ浜に向かいます。この辺の線路ももうなかった。そこを歩いて米町まで。そうしてバスで帰りました。その先、弥生中学崖下〜千代ノ浦は、また機会があったら歩きます*2。