恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

「プロ美人」考 〜 その1

当ブログのカテゴリーで「プロ美人」というのがあります。過去記事として平野綾さんのエントリーがあり(→ *1 )、ここの注釈部分で

ホモソーシャルなメディア界に於いてしばしば使用される「美人◯◯師」みたいな表現を指す。そういう表現があるから、そこを利用して自分の容姿をあざとく売り込む女子が登場する、ということ。「ソフト枕営業」みたいなもの

と「プロ美人」という言葉を定義してます。


実はこのカテゴリ、上記注釈にある通り、もともと私のブクマのタグ「プロ美人」のほうが元ネタでした。どんなエントリーが「プロ美人」としてカテゴライズされたか、ざっと見てますと以下のようなエントリーがありました。

xn--z8j7fl09j.com

「プロ美人」という名付けの始まりはこれがきっかけ。しっかり「美人女子大生漫画家」と書かれているうえ、ご飯の紹介なのに、ほとんど本人の「美人な顔」アップがメインの構成で、いったいこれはなんなのか?と新しいジャンル感を嗅ぎ取った私。なお命名としては、もともと「プロ障害者」というスラングがあって、そこからのバリエーションだったのだね。

news.livedoor.com

同じく山科ティナさんの作品。「美人よくある」問題を描きながらも、自らは前述のような「美人」を売りにしたグルメ記事に登場するという、その開き直りが私の心を動かしたようです。ここから「プロ美人」タグが私の中で活き始めていきます。


そして自分の過去のブクマからこの増田が発見されます。

anond.hatelabo.jp

元祖「キラキラ男子」男子だった私は、この増田に「あるある!」と共感できて、ここから前述の「平野綾さん」考に繋がっていったのですね。


★ホモ・ソーシャルにおけるプロ美人

まあこのように「よくあるよねえ…」的な感じで見ているうちはまだよかったのですが、やがて「二次元」感をそのまま三次元に置き換えたような事例が発見され始めます。

 

togetter.com

理系大学に「こんな美人女子大生がいたなんて」という理系男子の夢がそのまま具現化したような。雲行きが怪しくなってきますw


srdk.rakuten.jp

これこそ「プロ」の美人さんというような、ヲタ界をターゲットに「それを」仕事にしている方が登場します。


そして「完全なプロ」の方による、惚れ惚れするような「プロ発言」が行われます。

 鑑のような素晴らしい発言ですね。


★そして遂に。

togetter.com

記憶に新しい「こんな事案が」メディアで取り上げられます。

 

このまま続きを書こうと思いましたが長くなるので、「プロ美人絵師」問題は続きのエントリーにします。お楽しみに!

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ネット炎上家がやってるのは「自傷行為」

b.hatena.ne.jp

以前から存じ上げてた「まんきつ」さんですが、このような記事をアップされました。

ブコメなどを読んでて気づいたのですが。
私が以前書いたこの記事。 

karamandarine.hatenadiary.jp


ここで登場してくるネット識者の方々や炎上芸人といった人々がやってるのも「自傷行為」なんだ!と思えば、「すっごく」納得できます。
はるかぜ氏、芦田宏直氏、ろくでなし子氏、うしじまいい肉氏、はあちゅうさん…などといった人々のやってる「釣り行為」。実は自傷だったのですね。彼らがしなくてはいけないのは「バカ」を釣ってからかうことではなく、自分を認めることなのです。

上記、私の記事内で出てくる梅田望夫氏や岡田育氏などに関しては、微妙かなと思ったのですが、彼らの「浄化体質」や「意識高い」様子から、現状には決して満足しないという矜持が伝わってきます。これも「遠まわしな自傷行為」とも言えるのかもしれません*1
能町さんの「高輪ゲートウェイ」案件は関係なさそうですけど、自らこういう面倒なことを買って出る、というのも、ある種の近いスタイルなのかもしれません。


私は今まで、前述のような「ネット釣り人」に対して「非常に冷たい」扱いをしてたのですが、自傷行為だった…みたいなことになると、少し見方も変わります。

これは以前バズった「新宿ベルク事件」での、マスターや高橋健太郎氏の言動にも当てはまります*2

ずっと私はこういう案件について「承認欲求」という言葉で説明していましたが、そんな陳腐な単語で型に嵌めるのではなく、「自傷である」とすることで、ずいぶん緒が見えてくる気がします。

おもしろい気付きでした。

若村麻由美さん@隅田川セレナーデ

午後のドラマ再放送時間は、引きこもりがちな私にとって「唯一の」和みタイムだった。こういう時間が好きなのは、たぶん幼少の頃から「誰も居ない家(共働きだったので)」で「ぽつねんと一人ドラマを見ていた」という習慣からのものなんだろうと思う。
午後のけだるい空気の中で「ボーッと」再放送ドラマを見てるとき、不思議に心が落ち着いていくような気がした。なんかもう人生これでいいや、みたいな悟りの気分にもなった。
「再放送ドラマ」というからには、もちろんリアルタイムのものではない。いつ何を見ても「そこに郷愁」があった。私はどこでも常に「郷愁」を探し求め続けてた。どこまで遡っても「自分のルーツ」なんかに辿り着けないのに、それでも「本当にあるのか、ないのか」わからない郷愁を私はずっと探し続けてた。そのうち「郷愁」それ自体が「私の郷愁」になった。ミイラ取りがミイラ、みたいな状況になってしまった。

毎日毎日、いろんな再放送ドラマが放送されていた。どこの誰が発注してるのか知らないが、ともかく「無限にある」のではないかと思わされるほど毎日放送されてた。

そんな中で特に印象強く、私の琴線に触れたのが「隅田川セレナーデ」だった。

当時の私、若村麻由美さんが好きで、それとはなしにチェックしてたのよね。だからといって若村ドラマを「待ち伏せ」などはしなかったのだけど、たまに遭遇すると「おおお」と思って、すかさず録画したものである。そうした保存動画を後年見ると、ドラマの内容だけでなく「オンエアされた年月日」そのものも郷愁になってることに気づく。「この頃これ見たなあ」という、自分自身の日記というか記録にもなってるのだな。


レビューは面倒なので、例によってスクショとともに語っていきます。

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鬼スーパー働き者の「常務さん」付きとして配属された若村さん。
常務さんは中条静夫さん。カッコいい。

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鬼常務に仕える秘書。地獄な仕事をこなす。

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この仕事を若村さんに紹介した同じ会社の専務。
実は常務のライバルで、彼女の紹介は罠だった。

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専務から「父と常務が軍楽隊で同期」と知らされる。
父は高松英郎さん。常務と正反対な「ダメ人間」を演じてる。
 
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時代を一番感じるのは、やはりヘアスタイルでしょうか。

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軍楽隊の話題から親しくなり、一緒に食事に行く仲になる。

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スーパー常務が若村さんのおかげで「人間らしく」変化してくる。

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その心のスキを突かれ失脚してしまう(専務の罠)。
「人間の心を取り戻した」中条さん。
久々にサックスを取り出し隅田川の河川敷で吹く。
 
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若村さんが「すてきです」とパチパチ。

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こういう人間らしい心を忘れてたよ。

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キミに感謝する、後悔なんかしてない、と若村さんに話す。

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若村さんが「私は田舎に戻る」と話す。
もしよかったら一緒に?駅で会えますか?

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でも二人は会えなかった。
父が常務さんのことを知らせに来る。

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「常務さん…笑ってた?」
「うん。笑ってた」
「よかった…」


よくよく考えればこれは、父ほどの年齢が離れた壮年男性との不倫物語となるのかもしれない。また「マシンのように働く」人間が、好きな女性の出現によって「人間らしく」なるというストーリーも、ありがちで陳腐のように思える。
でもこのドラマには、そういったものも打ち消すような「哀愁」があり、高度成長期のガムシャラを引きずったオトナに「少し立ち止まってもいいのではないか」と投げかけてるように見える。

本放送オンエアは1990年ということです。バブルの真っ最中で「24時間働けますか」の時代だったけど、みんな頑張りつつ「こんなんでいいんだろうか…」と思ってた人も多いはず。

ともに同期で軍隊経験のある二人。鬼モーレツ常務さん&酒に溺れダメ人間の若村父。どっちの人生が正しいかなんてわからないし、ひょっとしたら「戦争体験」によって壊れたという意味では、二人とも同じだったのかしれない。それは「自分自身を殺すこと」。でも常務の「人間らしい心」を取り戻したのが「戦争時代の楽器演奏の思い出」だったというのも皮肉なのよね*1

不思議な寂しさがあったドラマだった。

*1:自分自身の「ブラック吹部」時代のこと思い出してしまう