恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

秘密の観月園

釧路の石炭輸送列車が廃止されたことについて色々書いた。 

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幼少の頃から「いつでもあるもの」だと思うと、かなりな鉄の私ですら「別に…」という感情で、なんだかどうでもいいと思ってたフシがあると書いたが、私が興味を持たなかった理由は実はもう一つあって、それはこの路線が「貨物専用線」であることである。
それも過去記事で書いたけど、私は昔から、どうも貨物列車というものに興味がなく、だから全く詳しくもなかったし、多数連なってる黒い貨車の集団も、外国人の顔のごとく「区別がつかない」状態で一絡げに見ていたし、なんなら機関車ですら「ああなんか引っ張ってますよねえ」でしかなかった*1

まあそんなこんなで、故郷を走ってた石炭輸送列車にも「どうせ貨物線やん」と、さほど興味はなかったという話だが、実はこの鉄道、1963年までは「旅客営業」していたのである!

旅客営業していたのなら話は別である!!


私がその事実を知ったのは、なんと「小学4年」のときである。だが当時ですら「旅客営業」時代の痕跡や話題は殆どなかった。国鉄の第1次「廃線ブーム」は1970年くらいで、その頃はメディアなどもあったし、人々のサブカル意識も少しあったから、特集されたり個人撮影の写真などもあるわけだが、いかんせん1963年では古すぎて、記憶も記録もほとんどない状態だったし、貨物としては営業中の路線だったこともあってサブカル意識も乏しく、地元民ではあっても「ああ、乗ったことあるよー」程度の反応しか得られない時代だったのである。

まあそんなわけで「小4少年」の興味も、周りの無反応から「まあ、どうせ貨物線やし」と荒んで潰えてしまったが、そこから数十年…遂に鉄道そのものが廃止となるに至って、やっと「遺産」として捉えることが出来るようになり、そうして私も「そういえば」などと、昔の興味を再び思い出すなどしたわけである。


★「観月園」駅の謎

というわけで前置きが長くなった。
石炭を運んでいた「太平洋石炭販売輸送 臨港線」。旧名を「釧路臨港鉄道」という。前述のように 1963年まで旅客営業もやってて、路線のあちこちに駅があり、そこで人を乗せてた。

当時の時刻表があったので参考にされたし。

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昭和31年ということは1956年ですね。久我美子さんの「挽歌」は58年だから、あの映画のロケのときも、これとほぼ同じような時刻で走ってたのであろう。感慨深い*2

というわけで子供の頃に「昔はお客も乗せてて駅もあった」と聴き、実際にあった駅名とその位置を聴いたとき、個人的に一つだけ「スゴく」興味を惹かれた駅があった。

それは「観月園」駅。

「観月園」とは景勝地的によくあるタイプの、レストラン、遊戯施設、スポーツ施設、宿泊などを兼ね備えた総合娯楽施設だったようで、春採湖が見下ろせる絶景の位置にあった。しかし時代が進み、経営母体なども変わり遂に廃業、現在は当地に「名前だけが残った」状態だった。
現役当時は盛況だったようなので、近所に鉄道が走ってるなら、そら当然、駅もできるでしょう!ということで、臨港鉄道に「観月園駅」もあったと。

で。釧路の地理をわかる人ならわかると思うが、観月園という場所は春採湖の横の「崖の上」。しかし、ご存知のように列車は「崖の下の湖沿い」を走ってるわけ。

この話を聞いたとき、小4の私「どうやって乗ったの???」という疑問が当然わいた。崖の上の施設から崖の下の駅に行く。まあ、崖を降りていったんだろう。そこまではわかる。しかし。そんな事が可能なように見えない土地なんである!*3

その辺の地理や様子などがいったいどうなってるのか。行ったことないからまったくわからない!確かめてみたい!!そう「小4の頃から」ずーーーっと思ってたのであるw

まあそういうことで、遂に廃止された先日。もうどうなっても問題あるまい!と、その謎を解きに、遂に現地に足を運んだわけです!


そいうわけで写真を見てちょうだい。
道路としては「太平洋シーサイドライン」に繋がるバス通り沿い。郊外に向かって左崖下が春採湖なんだけど、崖上から崖下の湖岸に繋がってる道路はひとつしかなく*4、他は「けもの道」を探す以外にないだろうと思い、「この辺かな?」と検討をつけて住宅地のスキマを崖方面に入ってみる。そうして何度目かに見つけたのが、怪しいこの空き地。突き当りになにかあるではありませんか!
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じゃーん。
細い小路と、地元の人が書いたと思われる親切な「かんげつ坂」という手書き看板!
ここだ!ココを降りるのだ!興奮してきたなあ。
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鬱蒼とした草木の中ですが整備はされてて、人が通っている形跡があります。
そこをひたすら降りていく。
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降りきると平地が現れる。いちおう看板があり「太平洋」関係の会社私有地になっています。線路沿いなんだし、駅跡だとすれば当たり前か。

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更に進むと遂に湖が見えてきます!小道はしっかりソチラに向かっています!
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振り返り、降りてきた山の方を見上げてみる。
こうしてみると崖と湖の間の平地が意外に広く、余裕があることがわかります。
鉄道は湖の淵ギリギリを走ってたわけではないのだね。
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そして遂に線路が現れる!
渡り板みたいなものも設置してあります。
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位置的に、この平地の部分が「観月園」駅だったぽい。
春採方面。
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沼尻方面。
今にも列車が来そうですが2019年6月で廃止されています。
実はこの時点で、米町や千代ノ浦の線路はすでに撤去されていました。なので、ココにまだ残っていたことに感激!
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駅と思われる場所の線路上から。
廃止されてるので、もう列車は来ません。
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同じく線路上から。春採方面。
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ココから観る春採湖はこんな感じ。
駅からでもじゅうぶん風光明媚よね。秘境駅かも。
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渡って駅跡を見る。
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駅跡、湖側から降りてきた崖上方面。
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湖側から駅を見る。渡れる道が出来ています。
こちら手前には湖沿いの遊歩道があります。近年できたらしい。
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ちょっと離れて駅を湖とともに。
カーブ左辺りが駅跡。
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そしてなんと!
観月園駅跡はエゾシカの住処になっていました!!
6頭くらい居たはず。
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というわけで結論としては。

観月園があったとされる場所の奥地の崖に、ほっそい「けもの道」があり、ヤブを抜けて崖を降りていくと「そこが駅」だった。
当時の人はこうして崖を上り下りして列車を使ってたんだねえ。夜の照明とかどうしてたんやろ。

あと、今回はじめて知ったこととして是非とも報告しておきたいこと。

「春採湖と崖の間が意外に広かった」。

これはほんと意外。上でも書いたけど、もっともっと湖ヘリを走ってるんだと、子どもの頃からずっと思ってた。なぜなら、弁天ヶ浜あたりの線路は、海岸ギリギリを走ってるからです。そのイメージがあったのでね。なので、すっごく意外な発見だったなあ。

今は線路沿い(というか湖沿い)に散歩道も出来ています。90年代の「お金があるうちに」こういうのをちゃんと整備しておいてよかったよね。もう今からじゃ無理。そう思った。

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観月園でシカ三昧。

今回、シカでよかったけどね、山道を下ってるとき「クマが出てきたらどうしよう…」と思ったことは事実。幸い釧路でいまのところクマ出没ニュースはなかったけど、実際わからないもんねえ。三毛別の話とか知ってると、こういうときに、ふと後ろを振り返るとクマが…ということは絶対ありうる!と思ったもん。周りがガサゴソ言うたび本当に怖くて、背筋がゾゾッとしながら下っていった。今思うと鳥かシカだったのだろうけど、まあ用心に越したことはないですわ。北海道は命がけで住む土地。ほんと。


というわけで、あまり興味なかった地元鉄の報告。

今回「廃止されたから」探索も可能になったのよ。現役鉄道なら難しかった。
それに関連してだけど、廃止されたので「歴史になった」からというのもある。つまり「アーカイブになった」わけ。
ロックアーティストでもそうでしょ。現役だと老いさらばえていくさまが受け入れられないことも多い。みんな「生きてる実物」には冷たいのよw

だからジミヘンみたいに早めに亡くなっておくと神格化ができる。アーカイブ研究として、第三者が好き勝手言える。そういう「無機物としての対象」になることが、これからのこういう史跡モノの生き残っていく道だと思ったなあ。この鉄道も今回「廃止されたことにより」評価が定まって高まっていくだろうと。そう思います。皮肉なものよねえ。

まあそういうわけなので「評価されたい」ひとは、早めに「隠居」しとくのも有りですよw

な〜んて。


★おまけ
観月園のとなり「見晴台」あたりからのパノラマ展望
写真左下が観月園。右端の方にヒブナ坂がある。
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*1:鉄モ系男子の始まりと終わり

*2: 

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*3:その後上京して知ったが本州にはよくある。京王よみうりランド駅などが典型

*4:ひぶな坂。実はココも一昔前までは「けもの道」に過ぎなかった。現在は興津方面に抜ける重要道路、かつ"現代の観月園"とも言える「六花亭」春採店に行ける、よく知られる道路になった

ラブレターと小樽

 「挽歌」のことを書いたとき「釧路の野蛮な空気と少女小説的な挽歌の雰囲気は合ってない気がする」と言いました。いっそ例えば小樽とかのほうがよいのでは?と。
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たまたまそのあと、小樽を舞台にした映画を見たので、それと共に少しだけ語ってみます。

その映画というのは、岩井俊二監督の出世作「Love Letter」です。
北海道を舞台にした中学生時代の描写が、実に「あるある」だったので、公開当時「よく研究してるなあ」と思ってました。
今回久々に見たのですが、ちょうど「挽歌」について語ったあとでしたので、小樽の風景を見て「そっか!これこそ私の言いたかったことだわ!」と腑に落ちた感がありましたよね。

さっそくキャプ画でご紹介。

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これは小樽の坂ですが、そのまま釧路の出世坂みたいです。
釧路の場合こういった風景は「旧市街」地域にしかありません。

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主人公が住む古い館。

こういう洋館風の古い建物も、かつては釧路(旧市街)にもたくさんあったんです。しかしあまり大切にされていた記憶がありません。
小樽の場合、その成り立ちもそうですが、全体的にどこか「文化の香り」がします。観光地化したのもずいぶん早かったですし、その辺は「門司港レトロ」を思い出します。

釧路の場合、繁華街や街の中心部が、起伏に富んだ山側から、完全に西や北側の平坦な地域に移動してしまい、歴史ある「旧市街」のほうには、若い住民はほとんどいません。同じ市域内でありながら「歴史ある釧路」というものが「あまり身近ではない」のです。

何度も言うように、釧路の産業構造から「野蛮な人が多い」傾向はあったと思います。そういう人々が、歴史などに関してあまり興味を持たなかったというのは、個人的には「さもありなん」という感じがします*1

長崎もそうですが、小樽も坂が多く、狭い敷地で展開した街という印象です。だから逆に「街が広がっていかない」ため、比較的身近に「歴史的史跡」などがあり、それを楽しめるのではないかと思いました*2

その点、釧路の場合は、敷地に困ったら湿原を埋め立ててどんどん住宅地を増殖していけばいいのだから、不便な旧市街に残り続ける人など居なくなるのは当然なのではないか、と思ったりしました。

まあただ、見過ごされがちな事実として「北海道の自然は想像以上に過酷である」ということはあります。本州九州のように「歴史的建造物」を遺すのは「スゴく難しい」です。まず風雪に耐えられないのです。だから常に新しくしていかなければ生きてもいかれないし、朽ち果ててゆく建造物などに構ってる場合じゃないのです。

そんなことを思ったりしました。

最近知り合った現地の若者たちに尋ねると、今の釧路は、昔(私が幼少時代の)ほど野蛮ではないそうです。ちょうど西に伸びていった平坦な住宅地域のように、スッキリ現在風になったのかもしれません。
それはそれでいいと思うのですけど、せっかくの歴史ある地域や、起伏ある風光明媚な旧市街などが打ち捨てられてるのは、実にもったいない気はするなあと改めて思いました。

今「挽歌」のリメイクがあったとして、釧路市内で当時の雰囲気のままロケ出来る場所など残されてないんじゃないか、という気がします。ちょっと寂しいよね。



ところで。
この映画はなんと言っても酒井美紀さんの存在が大きいです。

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主人公の中学時代とオトナになった現在(中山美穂)。
似てるかな?


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そして個人的に最大の山場がこれ。
見るたび鳥肌立つ。

ほんとこの映画は「よく作ったなあ」と毎回思わされます。
個人的には、監督はこれで燃え尽きたのではないか、くらい思ってますw

*1:炭鉱や廃止鉄道などについて研究され始めたのも最近のことだった。東京から移住した研究者が積極的に動き、やっと話題にされるようになりました

*2:ただし長崎の場合、北の方にどんどん住宅地が伸びており、やはり旧市街との差はあります。おくんちなどが行われる「まち」と自分らの長崎は違う、と思ってる新興住宅地方面の市民は少なからず居ます

春採駅〜選炭工場の先端(追記あり)

というわけで前回の記事。

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予告したとおり「鉄」なお話。

子供の頃から日常に「釧路臨港鉄道(旧社名)」があったせいで、鉄ヲタの私でも「ああ、あるよねえ」的に「どうでもよかった」感があったと言いましたが、ひとつだけ気になるものがありました。

それは「先端部」です。

鉄道というのは大阪環状線みたいなループじゃない限り、必ず「始まりと終わり」があります。釧路には「釧路駅」があり、北海道内でもかなり大きめな重要拠点で、すべての方向からの全列車が釧路止まりになる「終着駅」だったのですが、にもかかわらず根室本線の途中にあるため「終着駅」という感じする作りにはなっていません。

みなさんご存知の「阪急梅田駅」みたいな「これこそターミナル駅だ!!」みたいな光景は、自分の身近な場所では全く望めなかったのです。なので、そういうものに子供の頃から憧れていました*1

実は小学生の頃、この鉄道の存在を知ったとき「臨港鉄道」時代の両「終端部」、つまり「城山」駅と「入舟町」駅に行ってみたい!と両親や先生に懇願したことがあります。でも当時は叶いませんでした。

余談ですが、長崎駅は「終端」ですね。この先がないので「終わり」です。JRでは珍しいと思います*2。初めて見たとき「おお。これが終端か…」と感慨がありましたよねw


というわけで、この釧路の石炭列車も「ループ」ではない以上、どこかに始まり(もしくは終わり)があるはずです。

そして、その先端部があるとするならば…。
列車が終わっている春採駅の選炭工場のどこかにあるに違いない!
そう思ったわけです。


★「終端部」捜索

というわけで!
廃止の報を受け「鉄路が朽ち果てる前に行かねば!」と急いで先端探しに出かけました!まずは終着駅(始発駅)である「春採駅」の様子から紹介!


国鉄とは関係ない歴史があり、また石炭列車専用にするために、それに特化した進化を遂げたことから、今となっては国内では珍しい機関車があることで有名でもあります。いくつかの機関車は「輸入」だったはずです*3

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デザインも可愛いです。
ライトが「芋虫の目」みたいですね。
 

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構内の様子。
右上の細長いものは石炭を運んでるベルトコンベア。
選炭工場に繋がっています。
昔はこれも鉄ヲタには有名な「ナロー」の引く鉄道でした。

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選炭工場の正面から。
右上。工場の上に架線が見えます。
ナローの貨車が通っていた跡が当時まだ残っています。


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そしていよいよ!
石炭を詰む貨車が入っていく「選炭工場」真下へ。

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上記の位置から春採駅構内方面を望む。

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線路上から「選炭場」の石炭積み込みエリア。
扉が閉まっています。
ココに貨車が入り、上から石炭が「ズサー」と落ちてきて積み込まれるんだと思う。
(たぶん)

この工場を突き抜けた向こう側に線路の終りがあるはず!?

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突き抜けた反対側に回ってきました。

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まっすぐ後方(撮影背中側)に伸びています。

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工場を見ながら後退していく。
意外に長く続いています。

振り返って終端方面を観てみる。

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終端部と思われる方向に線路が伸びています!
何やら整備用(?)の機材車のようなものが置かれている。

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かなり工場から離れてきました。
だんだん埋もれたり線路が錆びてたり。
整備車両からコッチ側は明らかに使っていない様子。

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また振り返り終端部方面。
遂に線路が草に埋もれてしまいます!

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もう少し終端部へ。
再び地面の間から線路がところどころ出てくる。
しかし終端あたりは混沌としている…。

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このまま埋もれて終了!?

と思って諦めかけてたとき!
突起物が目に入ります!!!

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ああ!!!
これ「線路の終わり!!だっ!!!」

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そうして、もう一度引いて見ると…。

選炭工場下から伸びて来ている線路が。
しっかりココまで続いて車止め!
確かにここで終焉していることが判明!!


いやーすごい。

というわけで。
見事に今回、石炭輸送列車の「先端部」を発見できました。

「ココが終わりだ!!」という主張はありませんでしたが、なし崩し的に「この辺が終わりということで」みたいに終止符を打った感が、なんだか最果ての線路ぽくて哀愁感あってよいです。やっと希望が果たせたなあ。


実は子供の頃の記憶では、もっと先まで貨車の留置線が伸びていました。でも今回、記憶と場所を照らし合わせて見たのだけど、それは別な留置線だったかもしれないし、この線路だったかも知れないし、いまひとつ記憶はハッキリしませんでした。それはそれとして、選炭工場から伸びていた直通の線路は、ココがしっかり終わりでした。

本来であれば、もっと昔に東釧路〜城山方面まで続いていた本線があり、選炭工場に入る線路は春採駅構内からの支線みたいな扱いだったと思うのですが、知人〜春採間を除く路線は全部廃止になってましたから、この支線が事実上の「本線」終端になっているわけです。


★石炭列車。廃止のその後。

石炭列車が廃止になって、「もったいないから観光列車でも走らせたい」などという動きもあるようですが、人があまりいないエリアを通るだけだし、春採湖沿岸を走るのは風光明媚も望めるかもだけど、果たしてそこまでの需要があるかどうか。
もと釧路民としては「ネイティヴ市民にそんな粋な趣味があるわきゃねえw」と思うので、難しいでしょうね。長崎における私がそうされたように、他所からの移住民に頼ってみるしかなさそうです。


★…と思いましたが。

www.hokkaido-np.co.jp
力及ばず…夢のまた夢。
Farewell。


★2019年9月の追記。
あっという間に線路も剥がされ。
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更地にされています!
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剥がした線路はこのとおり。
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★続き!

karamandarine.hatenadiary.jp

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*1:似た感じのものとしては、川の源流の始まりや国道の起点とかも好きです

*2:あとは阪和線天王寺くらい

*3:米国ゼネラル・エレクトリック社製のノックダウン生産と判明