恋する段差ダンサー

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鉄モ系男子の始まりと終わり

実家の鉄モ系を復活させて貨車などを集めたのがきっかけで、当時のことをいろいろ調べ始めたら、当時の「乗務掛(荷扱)さん」のブログに行き当たり、おかげで「長年疑問だったことがスッカリ判明」して、なんだか心が晴れた気分です。

そもそも貨物列車とか、どういうものなのか全然知らなかったのですよね。鉄と言っても子供の頃は「客扱い系」のモノ全般が好きで、貨物とか機関車とかどうでもよかった。だから興味もわかず、車両とかの区別もつかず、貨物と荷物の違いすら知らず、内訳も知らなかった、と。

せっかくなのでここでまとめておきますと。僕が勝手にイメージしてた「黒い小さな貨車がたくさん連結」みたいなものは「ずいぶん昔」なんですね。とっくに無くなってた。知らなかったw

まず当時は、貨物以外に「人間が列車に乗るように荷物を載せて運ぶ」という「荷物車」という扱いがあったのですね(チッキ)。これは「料金扱いも人間と同じ」で、ただ「荷物は勝手に動いてくれない」から「係の人が扱ってた」と。その「荷物」を駅に持っていったり、到着先の駅に取りに行くのは「客が」やりました。それが荷物車。

「荷物」ってのは、今で言う「旅客鉄道」各社のサービスで「貨物がやってたわけではない」ってのは、今回調べて判明したこと*1。これって元々は「手荷物から始まった」ので、いうなれば「飛行機に乗るときの 預け手荷物 と同じ」と考えればいいらしいです。へー。

そういえば昔の米国映画とか見ると「大量に荷物抱えて旅行する紳士」とか居たもんな。ああいうのの「人間だけ居なくなったバージョンが小荷物運送」だったということなんだな。

この「荷物」と「貨物は違う」ということをですね、今一度ここで書いておきたい。

荷物も貨物も「各駅からチマチマ集めていく」ので時間もかかったわけですが、特に「貨車」の場合は、それを一旦ヤードという超絶広大な操車場(汐留とか三郷にも跡地がある)に集めて、行き先ごとに仕分けし「編成し直して」貨物列車にして送った、と。だからどっちも時間がかかったんやね。

荷物の仕分けのほうは大雑把なものだったので、更に細かい駅ごとに分けるのは、列車が発車してから「荷物車の中で職員がやってた」と。「郵便車も同じ」で、大雑把に行き先がまとめられたものを積み込み「細かい仕分けを車内で職員がやってた」と。
そういうのが、各停や急行の「長距離夜行列車にくっついてて」みんな、その中で夜通し作業してたということ。だから「当時は長編成の夜行列車が多かった!」んやね。人間のためでもあるが「主に荷物や郵便のため」だったと*2

貨物の場合は、水産物やら工業製品やら、まとまった数のものを、それぞれ市場とか工場とかにある専用引き込み線(築地にもその跡がある)に置いておき、そこで積み込んで操車場で「まとめて貨物列車に編成して」あちこちに送っていったと。

で、時代が進んで「そういう悠長な時代」もだんだん見合わなくなって、「小回りがきいて早いトラック」に「どんどんシェアを奪われて」いき、あとはなんといっても、当時の国鉄が「労働組合が強くてストライキばかりやってて」荷物が全然つかなくて、どんどん「顧客の信用を失くしていった」らしいのです。で、遂に80年代初頭に荷物関係の扱いが廃止になってしまった…。今でもよくありそうな出来事ですよね。

いま人員不足とか環境問題で「トラックより鉄道を見直せ」みたいな風潮があるけど、これって元々は「鉄道自らが信用を失くしてシェアを奪われてしまった」ということなんだよね。当時は環境問題とかさほど重視されてなかったし「宅配便みたいに翌日届いたりするシステムには敵わない」でしょ。なんだかなあと思ったけど、しょうがなかったのかもしれない。

国鉄も晩年、ただ指を咥えて観てたわけではない。速達性や信用性を高めるので、いろいろと新しいものを開発した。それが「高速運転でも耐えられるコンテナ」とかになったらしい。
うちの故郷の方では「そんな高速貨物列車なんかない」から、高速用の大きな貨車やコンテナ列車なんか観なかったので知らなかったんだな。僕が「模型でも実物でも」知らなかった種類の貨車は、そういう用途だったんだ。模型を見ながらずーっと「こんなの見たことねえな。なんの貨車なんだろう」と思ってたのですが「そういうこと」だったんやねえ。
しかしそんなリニューアル作戦も長くは続かず、国鉄の荷物は廃止、貨物も大縮小になって「JRになったとき大量に廃車」になった。今残ってるのはコンテナだけだね。

そんなわけで「受け売りの知識」でいろいろ書いてみたが、なんかひょんなことから、子供の頃以来の謎が解けて、すごくスッキリした気分だなw

鉄モの写真、最初にアップしたの春頃でしたっけ。そのとき「適当にやっただけ」なんだけど、そしたら鉄ヲタの人から「その編成は実際にはありえない のでおもしろい」と突っ込まれてw ああ ヲタの人はそういうツッコミする よねえ、と思って、そう言われると「自分もヲタ気質だから放っておけなくなり」いろいろ調べ始めて逆にどんどん詳しくなってしまった。

そんで、いろいろ知らなかった歴史が判ってすごくおもしろかった。という流れだな。

あと、貨物が近代化目指して貨車を高速化新開発したりコンテナ化したのを「なんで当時の自分が知らなかった」のかも判明しました。地元になかったことも大きいのだが、自分が鉄モで遊んでた子供の頃は「それらは最新型」で珍しかったのです。田舎じゃそんなもの走ってないし、実物を見かけなければ興味だって沸かない。

ただ資料によると、うちの故郷から「長距離鮮魚運送冷蔵列車が築地市場まで走ってた!」らしいのです。でも「3日間かかった」らしく、いくら氷詰め運送でもあんまり新鮮な気がしない
なるほど、みんな本場に行って「現地の産物を食べて美味しい美味しい言ってた理由」がわかったな。「東京じゃ 3日後の魚しか食べられなかった」んだもの。


鉄道模型は好きだったけど「ジオラマ系」にハマらなかった理由として「なんでループしてるかな」という疑問があったからだと思う。鉄道とか他の交通機関もそうだけど、そういうものは「何処かに行くために乗る」から存在してるんであって、個人的には「同じところをぐるぐる回ってるのは交通とは言わんやろ」というのが子供の頃からすごくあったんだよね。

だから自分としては、鉄道系のジオラマをするとすれば、それは「直線を主体にした 2点間を結ぶものしかありえないな」ってずっと思ってて、室内ということではそれは無理やろなというところから、徐々に「自分の中で終了していった」のではないかなと思ってるな。

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そんなわけで「機能の一部を実家に戻す計画」はだいたい済んだのであるが、鉄モのディスプレイをしてて気づいたけど、わたし「父がジャマだったせいで出来なかったこと」は、すごくたくさんあるんやなということだった。
いろんなことが禁止されたせいで勉強は捗るかと思ったらその逆だったし、高校の3年間って意味あったんだろうか?みたいに思う。吹部に拘ったのも「ただの逃避」だったんだろうと思うし。結局父は「僕のことが目障り」だっただけだと思ってる。

今になって自分のものを実家に置いたり鉄モのディスプレイをしたりすることは、今や実家に一人になった「母にとってもいいことなのではないか」と最近気づいた。
つまり「僕の気配が実家にある」ことによって、母の「心細さも軽減される」のではないかと思ったのだな。
大阪に来て以降、実家の自分の部屋や居場所はどんどんなくなり、気配さえ消されてたのだが(たぶん父の謀略)、また「僕の気配が戻った」ことはかなり大きなことだなと思ったな。
まあこういうこと出来るのも生きてるうちだからね。ラジオ番組も同じだけど、別に好きでもない、あんなに文句ばかり言ってる故郷や実家に最近関わっているのは「ひとえに母のことがあるから」だと。前も書いたけどね*3

だから私の故郷との繋がりも、それがなくなったらリセットされるのである。

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★関連

karamandarine.hatenadiary.jp

*1:今で言う「JR貨物」がやってたわけではないという意味 

*2:「からまつ」とか「ながさき」とか夜行の長距離各駅停車が80年代初頭までありました。

*3:

karamandarine.hatenadiary.jp