恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

梶芽衣子さん@ヨコハマ

長崎時代、最初の1年間だけケーブルテレビを見ていた話は以前も書いた。NECOやファミ劇でオンエアされてた古いドラマを見て「自分の郷愁は多摩川にある!」と気づいた、というやつだね。

そこで見たどれかの映画で、70年前後のヨコハマが出てきて、路面電車などが映っていた。実は自分は昔から「ヨコハマ」というものに興味もなく縁もなく、ごく最近まで「どうでもいい」みたいに思ってたのだが、最近、街の成り立ちや地形など、長崎と共通する部分も多いことに気づき、俄に興味が湧いてきたのだね。

まあそんで「70年前後のヨコハマを確認したい」と思い、10年前のケーブルテレビの記憶から、手持ちの動画で「ヨコハマが舞台」というと、まずこれが思いついたので久々に見てみた。それがこの「野良猫ロック マシン・アニマル」である*1

米軍基地&廃墟マニアの私としては、安岡力也が出てくる前作も好きなのだが(ラスト、立川基地内での銃撃戦がすごい)、今作の「ベトナム脱走兵を逃がす」という題材が「私の愛したウルトラセブン」と共通していて、その辺が惹かれた。逃げる兵隊、好きです(ジェンキン寿司)。
また今までの3作に比べて「あまりシリアスではない」というところも重くなくてよかった気がした。バイクでのチェイスシーンなど、「何かいいことないか子猫チャン」を意識したと思わせるようなところもあって楽しいです。ラストの虚無感も好きだな。

というわけで、このシリーズの圧倒的魅力は梶芽衣子さんにある。…と見た人ほぼ全員が語ってるので、私が特別ここで言うこともないですが、まあそのかわりに「スクショでもどうぞ」といった感じです。


f:id:maicou:20190309134924p:plain
定番となった「ハット」着用。


f:id:maicou:20190309134928p:plain
郷鍈治さんと。
宍戸錠実弟で、妻は「ちあきなおみさん」だった。
郷さん葬儀の時「私も一緒に焼いてくれ〜」と棺にすがりついたのは有名。


f:id:maicou:20190309134932p:plain
和風黒髪ロングヘアーという「完全プロトタイプ」の完成形。


f:id:maicou:20190309134937p:plain

当シリーズもうひとりの主役。藤竜也さん。
今作は割と真面目な役です。


f:id:maicou:20190309134943p:plain
ヨコハマで全員集合。
脱走兵の「チャーリー」が捕まっちゃった。前述の「私の愛したウルトラセブン」でもそうだったが、脱走兵は「とことん情けなく」描かれます。


というわけで最も荒かったと思われる70年前後のヨコハマ。なかなか楽しめたのではないかと思った(しかし、記憶にあった「見たかったシーン」は出てこなかったw)。


★続き

 

karamandarine.hatenadiary.jp

 

*1:野良猫ロックシリーズは全5作。そのときに全部見ているが、個人的に惹かれたのは「長谷部安春」監督の作品。もうひとりの藤田氏版は70年代特有の湿っぽさと汚さがあって自分は無理だった。

因果応報インターネット〜批判で「逆世論」が育っていく話。

岡田育氏の夫である梅田望夫氏が「日本のWEBは残念」と言ったから、日本のネットは残念になり、中川淳一郎氏が「ネットはバカで暇人のもの」と言ったので、日本のネットはバカで暇人のものになった…。

その手の批判めいたことを言う人は、実は「そうなってほしい」と望んでいるから「そう言ってるのではないか」と私は思ってるのです。

なぜなら、実際にそうなったら「残念ではなくて暇でもバカでもない」彼ら本人が得をするから です。自分たちだけが特別で「周りにはバカでいて欲しい」のが彼らなんです。だから批判しながらも、実際は「そうなってほしい」わけ。


なんで今こんなこと急に言ってるのかというと、能町みね子氏が「高輪ゲートウェイ反対署名」を集めてる、というニュースを見たからですね。

はてなブックマーク - 高輪ゲートウェイ撤回署名5万弱


確かに登場当初は「なんやその駅名は!?」みたいな感じでしたが、今やどうでもいいというか、すっかりみんな忘れてると思います。
そんななか、必死に署名活動をしてる、というニュースが出ると「まだやってたんだ」「ちょっとシツコイかも」な世論が形成され「そんなことに逆らってるほうが変」みたいな空気になって「高輪ゲートウェイ」は逆に認められていくのではないか、と思うのです。

私、最近よく安倍バッシングについて「10年前にメディアが下痢などと茶化したせいで今の台頭がある」と言ってるのですけど、コレなんかもまさしく同様で、今の世の中の流れって、叩けば叩くほど、その叩く相手のほうに有利な民意が形成されていく傾向があるのですよ。そういうのって「10年前からの流れ」なのに、頭がいいはずのメディアも野党もわかってないのが、本当に気の毒に思います。


そういえば先日、春風氏のこんな記事が話題になっていました。
ブコメの反応はこんな感じです。

はてなブックマーク - 有名税|春名風花|note


通常の私であれば「クソリプひどい」「ミソジニーほんとクソ」みたいに言うのだが、この人の場合は逆になってくる。当ブログ過去記事や上記ブコメでもちょっと書いたが、ろくでなし子さんとか、あとは「ウシジマいい肉」氏もそうなんだけど、この種の人々は「わざとクソリプ煽るようなことを書いている」という印象を持ってる。
芦田宏直氏とかも同じなんだけど、わざと「バカ」を引き寄せるような発言をし、「釣られた人間を茶化す」という「高尚なお遊び(ストレス解消)」を、昔からずーっと続けている人々なのです。
もちろん発言内容は周到に考えられてるので、その「アオリの内容に矛盾や間違いはない」のですよ。ただ「言い方の問題」で、彼らの言う「バカ」とされる人々が反応しやすい表現でわざと言う わけ。
これはある種の「マッチポンプ」と言ってもいいのではないかと思うのですよね。「はるかぜ先生」「ろくで先生」「ウシジマ氏」などという方々もこれに当てはまるというわけ。彼らはみんな「バカで暇人で残念なネット民」を餌にし、毎日生きている人々なのです。

恐らく、こういう言動って 常に自分が渦中に居ないと「生きてるーって感じ」がしない みたいな、ある意味「病の一つ」なのだろうと思う。はあちゅう先生も似たところあるよね。観察として面白いなとは思うが、ああはなりたくない。


今のツイッターというのは、始まったばかりの10年前と違い、ひろゆきが言ってたとおり「積極的発言ユーザー層」がとても偏っているので、「スルー」力や「さばく」能力がない人には、使うのは難しいツールになってると思う。
私はよくあれを「感情増幅装置」と言ってる。だから自分の中に、ちょっとでも「拘り」や「偏った考えがある」という人は、それを「増幅してしまわないよう離れてたほうが無難」だと思う。

それが、上記「ネット釣り人たち」の「餌にならないため」に自分ができる唯一の自衛法じゃないかなと思った。


★関連karamandarine.hatenadiary.jp

不幸自慢できないコンプレックス

小島慶子氏のADHD話はいろいろ思うことある。

ADHDを公表してみたら、こうなった~普通って、一体なんだろね?(小島慶子) - 個人 - Yahoo!ニュース

うちは親がそうだった疑いがあり、親元を離れて一人になってから10年かけて自分が「普通に」なっていったという感じがする。今現在は自分の仕事が特殊なのもあり「普通」である必要性は薄いのであまり気にしてない。

2018/12/28 05:11

b.hatena.ne.jp


私、昔からよく言ってたのだが、自分は音楽をやるにしては、他のアーティストなどと比べて「目に見えるわかりやすい不幸」がないので、長年それが「コンプレックス」だったと。
特に70年代80年代の日本のアーティストという人々を見ると、尾崎長渕系が流行ってたり、あるいは「成り上がり」といった「矢沢」が評価されてたこともあり、育ちが複雑だったり貧乏だったり親が居なかったり不良だったりなど、「人に自慢しやすい」不幸事がたくさんあることが、音楽をやる一番大きな理由になってるみたいなところがあった。それに影響を受けて「だからオレは音楽をやってる」などと語る輩も周りにゴロゴロ居た。

私には(残念ながら)そういうものがまったくなく(と当時思ってて)、自分自身も「なんでだろう」と思ってたし、何より人に「あなたは両親も揃ってて公務員でもあり、とっても幸せな家庭だったじゃないか」と責められたり嫉妬されるのが本当に辛かった。そんな家庭に育った自分は「音楽などやる資格はないんじゃないか」とすら思ってた。大げさでない。本当に思ってた。だからずっとドラマーをやってた。あれは何も考えずに済むからね。

時代が変わり、90年代以降、DVやいじめ、ネグレクトなどが徐々に話題になり、トラウマなどという言葉がメジャーになってくると、わたしみたいな不全家庭は(両親揃ってても金があっても)問題があり不幸である、ということが徐々に世の中に浸透し、私も「父の横暴さ」などを語ることで「不幸な生い立ちのミュージシャン」の仲間に加えてもらえるようになった。自分もやっと「不幸になれてホッとした」*1


そういえばホテル時代、仕事が面白くてやたらシフトを入れてもらってた。そうして昼夜仕事が続きハードになってきた頃、あ、これで「寝てねえ」「忙しい」自慢ができる!と思って嬉しかったものだ。当時の日本は「24時間戦えますか!」の時代。地獄のミサワではないが「自分がいかに多忙であるか」を自慢しなければ認めてもらえなかったのだ。


そして今度はADHD話である。このブログ過去記事でも散々書いたとおり、自分の子供時代の症状や経験を話すと「私も何らかの発達障害に当たる」と想像はできるものの、正式に診断されたことはないし、他人の症状を聴くと、自分の場合は「私もADHDなんです」と自慢できるほどの重い症状ではない気がしてきて、心がザワザワしてくる。

音楽をやったり、ここでブログなどを書くに当たり、昨今人気の周りの方々と比べても、自分なんかずいぶん「マトモ」な気がして、そんな「普通な自分は」音楽をやったり、ココでブログを書くような資格はないのではないか、というような意識が生まれ、そして昔のように「自分はそれほどでもない」コンプレックスに悩まされるようになってくるのだ。


私の人生はこうして常に「一般的な〜ではない」ということに悩まされ続けた。キラキラ男子の項でも書いたが、私みたいな人は、いつでも周りに「私しか」居なかった。それが本当にきつかった。そしてまたこれからも続くのだ。


★いちいち注釈で引用するのも面倒なので、過去の関連話題を以下にまとめて貼っておきます。

 karamandarine.hatenadiary.jp

 karamandarine.hatenadiary.jp

 karamandarine.hatenadiary.jp

 karamandarine.hatenadiary.jp

*1:90年代はビンテージ復活の時代でもあり、60年代サウンド渋谷系といった「悩みなさそうな音楽」が流行ったことも大きかった