恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

福利厚生クリスマス

みなさま。ハピクリ。

前回のエントリーで、私の「キラキラ男子」ぷりを書きました。つらい幼少時代で、楽しいこともなく家庭も居づらく、ホモソ男子からも疎外され、孤独だった、というお話でした。 

karamandarine.hatenadiary.jp

そんな私ですが、前回書いたように、何故かクリスマスには楽しい思いがあるのです。具体的にどうこう、という出来事があったわけではないのですが、クリスマスはどこかワクワクして楽しいものだ、という意識がずっとあったということです。街も綺麗だし、人々もウキウキしてるように見え、そんな華やいだ雰囲気は、今なら「爆発しろ」と思ってもいいくらいの自分の環境ではありましたが、不思議とそういう気分にはなりませんでした。

暗い子供時代だったはずなのに、それは一体なぜだったんだろうか。


私が子供の頃の日本というのは、今以上にみんな、何某かの組織への帰属意識を持ってた時代です。経歴を大事にし、大企業や工場、官庁などの組織に自分が属してることを、時には自慢してたり誇りに思ったこともあったでしょうね。実際そうすることで「得することも多かった」のです。

それは福利厚生という部分です。


私が通ってた「バンカラ進学校」の話は以前 ココで 書きましたが、そんな私の高校時代、おもしろいことがありました。ちょうど冬休み直前の12月終盤くらいでしょうか。私達が部活を終えて帰宅しようとしたとき、先生たちが帰宅する時間にちょうどかち合ったのです。で、その先生たちが何故か、それぞれ手に手に同じような荷物を持って居たのです。よく見るとそれは「デコレーションされた箱」が入った白い袋でした。「あれ何かね?」と私が部員仲間に聴くと「あれはクリスマスケーキじゃね?」と言うのですよ。なんでみんな学校からクリスマスケーキを持って帰るわけ??と私が言うと「アホだな。業者がクリスマス前に職員室に注文取りに来て、まとめ買いできるようになってるの」と*1

それで私は、自分の幼少の頃を思い出したのです。

実はうちの両親は公務員だったのですね。父の酷さや母の不安定さから、とてもじゃないが居心地がよかったとは言えない私の家庭ではありましたが、両親が公務員だったということで「実は救われてた」と今になって思うことはたくさんあります。

そのひとつが福利厚生だったのです。父の勤める役所には催事会場があり、そこにいろんな業者が出入りしており、スーツやら日用品やら娯楽品やらが売られていました。それ以外にもカタログ販売などもあったんじゃないかと思います。もちろんどれも「特価」での販売でした。
非常に暴君でだらしのない父でしたが、そういう父が気まぐれにたまに持って帰る百科事典全集、世界の文学全集、世界の音楽レコード全集、などというものには、子供心にもときめくものがあったと思います。そして、その中の一つが「クリスマス・グッズ」だったというわけです。

前回の「キラキラ男子」記事に貼ったツリーの写真も、実はそういうものの一つだったのかもしれません。あの無粋な父が「クリスマスツリー」などというロマンティックな発想に及ぶはずがない、という気がします。そうすると、たぶん役所でまとめ買いか何かしたのではないだろうか、と思ったわけです。もちろんケーキなどもありましたよね。田舎町のことですしデパートなどで買う余裕もない気がします。そうすると、やはり出入り業者によるカタログ買いだったんじゃないかと想像できるのです。


世の中的には、まだまだ野蛮だった日本であったし*2、うちがそうだったように、他の家庭も貧乏だったり殺伐とした家が多かったかも知れません。そんな風潮の世の中で、個人ではケアしきれないようなソフト部分を、会社や役所といった組織の福利厚生が補っていた、ということは大きかったのではないかなと思うわけです。
たぶん、いくら当時が欧米文化を取り入れて近代化の道を歩んでたとしても、個人個人でその意識を高めていくのは限界がある気がしますね。そんなの田園調布とか成城とか、ごく一部のセレブ一家がやってたに過ぎない文化だったのではないでしょうか。
平民である私たち一般人の「足りない意識」を、組織である会社や役所が福利厚生として補っていた、そしてその恩恵を受けた「私たち子ども世代」が、今このような意識になった、ということなのかも知れません。
当時はまだ高度成長期でしたから、組織がそういうことをするのも「経済的にも」余裕だったんだと思われます。また、力が強かった労働組合などという組織も活躍してたのかも知れません。


80年代から商業的クリスマスが徐々に台頭してくるようになり、90年前後のバブル時代、メディアや業界の仕掛けで「バブルなクリスマス」が当たり前になってくるのですけど、それらが全て過ぎ去り、自己責任論だけが残り「荒れ野」みたいになってしまった今の日本で「クリぼっち」「中止のお知らせ」などと卑下する風潮なのは普通の感情かも知れません。だって誰もケアもしてくれないんだもの*3

そうして個人的に思うのは福祉や社会のケアって大事なんだなと。今でもあちこちの施設で、ボランティアさんがサンタの格好をしたりお菓子を配ったりする「クリスマス催し」みたいなのをやってるでしょうね。そういうのが大事なんだと。そんなことを思いました*4

というわけで。よいクリスマスを!

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*1:その言葉には「いい御身分だね」みたいな含みが感じられた

*2:→ karamandarine.hatenadiary.jp

*3:補足。電通の高橋まつりさんが亡くなったのはクリスマスということでした

*4:それこそが「サンタクロース」なんじゃないかと