恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」まとめ。まだまだ深く掘っていきマスク。

「どれだけ狂えるか」を競いあうゲーム。


Terrapin - Syd Barrett - YouTube

シドバレット。
ピンクフロイドの元リーダーで精神的に逝ってしまった方。
この表現は例えではなく、リアルにそうなってしまった方です。
実姉が語ったところによるとアスペルガーだと診断されれたとのコト。

なぜいきなりこんな動画を紹介したか、というと、まあ、自分はこうもなれない、というコンプレックスやな。ともかく自分は半端もんなので毎日がつまらないという、ためにならないお話やった。

私、音楽しようと思って東京に出てから、本当に本当にいろんな人と会いました。気が合うヒトもたまに居ましたけど、ほとんどは、散々書いた様に、旧社会的価値観のうざい人々だったりしました。そういう中でも、少しでも良心がありそうな先輩を探して、ナントカ付き合ってきました。そういうことは、そうすることで回避出来ましたが、回避できなかったものがあります。それは、真性で逝ったヒトでした。そもそも芸術関係でナントカ身を建てようと思う人は、どこかマトモでなく、一般的な規範みたいなことが当てはまりません。そのかわりみんな優秀なのですけど。僕もじゅうぶん「自分はおかしい」と思って生きてきましたが、作品の優劣だけじゃなく、「逝ってる具合」で、はるかに僕以上のレベルのヒトばかりで、ついていけなかった。
いや、自然に振舞ってれば、僕もじゅうぶん、その仲間に入れたはずです。でも僕は「自分が普通のヒトに愛されたい」という欲がかなり強くあり、そうすっと、一般人にドン引きされてしまうような、そういう人間性にはなりきれなかったんです。子どもの頃から非リアで、しかし、年上の女子などに愛玩されてた僕は、そこを唯一の生きる希望として過ごしてきました。それを、今も失いたくないのです。僕の活動の主軸は、あくまで「普通のヒトに受け入れてもらえる音楽」であって、何らかの奇形を提示して、それをネタとして味わってもらうものではないんです。
で、この動画のシドバレットのように、狂い切れなかった僕は、こういう「freaks」にすらなれなかった…というコンプレックスがあります。こういう人たちは、一般社会からはみ出してしまった一方、芸術や音楽表現を愛する人々からは、常に愛され続けました。僕は「そうですら」ない、のです。そうで「すら」とか言うと、差別してるみたいなんだが、僕はこういった経験をして、「freaks」にすらヒエラルキーがあると知りました。自分が「どれだけ狂えるか」で競ってる運動会なのです。
その競技ですら勝てなかった僕は、一般社会からははみ出している人、という意識を持ちながらも、しかし「狂った社会」には加えてもらえない、という、どこにも所属させてもらえない、とっても不安定な立場になってしまった。。
僕の中に今あるのは、「全方位的に敗北した」という意識だけです。こんなに自分は変で、普通に混ざれず生きてきたのに、しかし、普通じゃない人たちにも加えてもらえない。。どこにも所属できない。ハブなんです。人生の終了にだんだん近づいてきて、そんな、何にも成りきれず、ただなんとなく生きてしまった…。そんな現実に、いま打ちのめされています。
それはね、どんなにいい曲を書こうとも、それを褒められようとも、まったく帳消しにならない。毎日鏡を見ると、何にもなれなかったハンパな自分が、澱んだボロボロの顔で映ってるのです。

まあ、今でもこの辺の気持ちは複雑で、じゃあ以前のように非常識で非社会的だったらどうなってたか考えてみると、それはまったく今のような充実した創作活動には至ってないと思うのね。僕の場合、以前も書いたけども、一般常識とか人間性とかが良くなってきて、マトモな人間になってくるのと比例して、曲のレベルが上がってきたので、そこは本当に「音楽に救われた」と言えるわけで、そうでなければ、今ごろ、場末の飲み屋で管巻いてるおっさんになってるだけだと思う。

その辺のギャップというか、自分はすごく努力して、マトモな人間になりマトモな創作を出来るようになり、そんで嬉々として業界に縁が出来た、と思ったら、社交としてそこに参加できなかった…というのは、今もすごくわからない。実際僕は、そういうお付き合いをたくさんして、みんなには「おとなしいひとだねえ」とか「マジメなんだね」みたいなことを言われて、いやいやいやいや、全然そんなことない、と思うのだけど、そういう場でふざけるとか、ノリがよく壊れる、みたいなことが出来なかったんだよね。だから結局、ようやく自分に合う世界が見つかったかも、と思って喜んだのもつかの間で、実はぼっちだったということなんだな。それがとてもつらかった。まあそのまま、はいそうなんです、と言って、そのキャラで活きていけばよかったのかもだけど、当時は若いからさ、いや、こんなのは自分じゃない、もっとオレはロックだし!みたいなのがあるわけよ。そうすると、そういう「おとなしいキャラ」でいらせられることが、すごく不本意に感じたんだな。

私そもそも、お酒強いでしょ、そうすると、飲んでも壊れられないの。まわりは、ホント何度も言ったように、酒の席はおかしいから。飲み会なんかに行ったことあるひとは判ると思うけど、先に壊れられると、こっちはそうなれないんだよね、他人が切れてる様子を、すごい冷静に眺めてしまって、全然楽しくないことになってしまう。そういうのの連続で、結局僕は「そういう人々に比べると」普通のヒトだったんだなあ、と。その挫折感が一番大きかったよ。作品力では負けないと、当時も今も思ってるけど、それとは関係ない部分で、すごい挫折感があったんだな。全然関係ないのにね。だからぼくは「こりゃ芸人は無理だわ」と悟ったんだな。

NGSKに行ったとき、あそこは中央とは離れてて全然違う土地だし、だから違う価値観でやっていけるだろう、と思った。最初のうちは、その読みのとおりやれたんだけど、ご存知のように、徐々に中枢に近づくに連れ、エセ業界ぽいヒトが増えてきて、あとは、中央からのリターン組が徐々に増えてきたのね。そうすると、その彼らは、NGSKで東京時代のような「ミニ業界」を構築する(しかも古い価値観の)。そうすっと、僕はまたデジャブですよ、前と同じで、そういうつまらないノリや酒の席に混ざれないの。そんで、ああここでも結局、常識人では生きていけないのかあ。。。的な絶望感が徐々に増えてきて、このままこんな最果ての他所の土地で死にたくない、って思い始めた。だから、戻りたい!と思うようになったんだね。

セクシャルマイノリティサークルの現実

この話はちょうどタイムリやな。と。
微妙に違うけど、僕の身に起こった現象は、これとちょっと近い。社会不適合者の集まりだから、お互いに気安いかと思ったら、その逆だった。というようなことです。そこですら、相撲で言う「まわしの取り合い」的なことがあり、もっと簡単に言えば、よりいっそう「弱肉強食」だったということです。弱肉強食だった場合、気のいいほう、優しいほうが負けになります。マイノリティどうしの主権の取り合いみたいな感じになるのですな。
ただしそれは、現場にもよります。いい人たちが集まってるところは、本当に「いいところ」です。たまたまよい出会いがあって、そこに当れば幸せですが、そうでない場合も多い。そうして撤退していく。そういう例は数え切れないくらいあるでしょう。ショービジネス、あるいは言い換えれば「河原乞食」はそう甘いもんじゃないのです。

僕はそういう経験を散々して、そうじゃない世界でやってみたいと思った、NGSKは新天地だから出来ると思った。実際出来たが、なんらかの「商売」として拡張しようと思った場合、そこには無理が生じ、あえなく撤退した。という感じかと思う。かの地で上手くいったら、新しい価値観、即ち、弱肉強食じゃない、純粋に音楽の好みやクォリティのみで語られる世界を構築できる、などと夢のようなことを思ってたけど、無理でしたなあ。

僕が愛するのは「才能のみ」で、「人」はどうでもいいのです。「いい曲を創るヒト=いいヒト」です。そういう意味での「いいヒト」なのに、既存のシステムに収まれない(僕みたいな)せいで不遇な立場に居るヒトを「救いたい」と思った。でも難しかったなあ、ということですね。

でも、それをやったことは悔いはないの。何故なら、そういう人たちは、純粋に楽曲主義で評価するヒトなど世の中(あるいは、NGSKみたいな田舎)に居ない、と思い込んでたところ、僕みたいな「そういうヒト」も居る、ということを知ることができたの。そして、例え東京でも、良心ある業界の「一部」は、そういう価値観で成り立ってる、ということを知ってもらえただけでも、僕がNGSKでやったこと、提示した価値観は意味があると思ってる。

前に私、歌手は辞めたんだ、と言ったけど、その気持ちは同じです。芸人みたいな歌手というジャンルじゃなく、普通のアーティストw に戻りたいから、こっちに戻ってきたんだと。その意味が、ツキイチを10回くらいやってやっと自分でもわかってきた感じはあるな。

昨日たまたまタイムラインでみて思い出したのだけど、パンダの着ぐるみで歌ってギター弾く人がいるのね。
いろんな人がツアーしながらNGSKにも立ち寄るのだけど、半年に一回とか必ず来る人がいて、その一人に北島の弟子だったヒトもいたけど、あと有名な人では神業Bassの人とかもだけど、その着ぐるみのひともそうなの。地元の人は、たまに来るサーカスみたいな感じで楽しみにしてる。その人ら「みんな上手い」んだよね、なんだけど、そういう妙なギミックというか、着ぐるみとかでやってないと、よさが伝わらないような、これだけのレベルの人でも着ぐるみでドサ周りなのか、じゃあ自分なんか「ただ歌ってる」だけなのに、まったく望み薄じゃんね。。とか思ったんだよな。
やっぱりね、田舎の人が求めてるのは「普段は見れないサーカス」だからね、ただ上手くて「いやー上手かった感動したわー」じゃダメなのよ、いや、それもありなのだけど、それは達郎くらいのレベルまで行って初めて納得できる。そこまでじゃない人は、例えそこそこ上手くたって、着ぐるみだったり、北島ネタで盛り上げたりする以外に、人気を維持する方法はないんだわ。そういう「芸事」の世界がなんか嫌になったの。

でも、自分の姿を振り返ってみれば、滞在してた7年でずいぶん「らしく」なったなあと思う。それはプロらしくていいコトなのかもしれないけど、僕の中ではそれは「汚れた」という風に捉えた。だから、それを身体から抜きたい、という思いでこっちに戻ってきたんだ、と。その辺はここでも以前書いた心情だったと思います。そうしてまた自分本来の姿に戻ってくる、ということね。

まあでもなかなか手ごたえはなかったなあ。インチキ芸人みたいな立ち振る舞いはなかなか抜けなかった。でも、先月のライブの時に、思い切って昔みたいな構成でやってみたら、あ、これやん??みたいな実感が少しあって、ああなるほどー、NGSK渡航前はこういう感じでやってたなあ、というのを思い出したんだな。先月はよかったよ、だから。今月は来週ですが、そういう感覚をもちっと突き詰めて行きたいという感じやな。さっきも書いたけど、なんか小器用になりたくないねん、その辺にポロっと落ちてる石みたいに存在していたい、つうことやね。

色々考えていくと、オレってはたして本当に音楽好きだったんだろうか?と思う。大阪から東京にわざわざ行って音大まで行って、そこで一番面白かった授業は「一般教養」だったよw そこで2年間色々やって「所謂アカデミックな音楽」探求は、僕の中では終了してしまったのではないかと思う。僕のしたいことは、もっと広がっていくような音楽だった。これ以上、ココを追及してもしょうがねえな、という気持ちはあったな。職人になりたいわけではなかったんだろう。

「色々判った」おかげで自分が目覚めて、それがブラック企業の理念と一緒だった、と以前 ココで 書いたが、ちゃんとした企業ではそれはまずいが、しかし音楽業界などといった職人の世界では、それは大変重要なことである。そこにあるのは絶対的な師弟制度であり、音楽「道」である。
だから、親方が欲する前に、お茶がなくなりそうなら、すかさず注ぎ足しておく、などという気遣いは当然の初歩的レベルな気遣いであり、それができない弟子は破門である。
最近「お~いお茶」というのが話題になってるけど、そういう世界を家庭にまで持ち込んだのが、当時の「おやじ」という、とてつもなく怖い人々だったのである。もちろん、時代的にはそれが普通だったのだ。しかしそういう価値観も、ちょっとずつ消えて行って「表面上」なくなってきたのが最近だと思うけど、しかし前述したような職人の世界では、未だ当然のこととして残ってるんだと思う。ずっと僕が指摘してきたような、いわゆる体育会系のノリや、飲みの席での醜態、下半身関係の下劣な取り扱い方なども、全部そこから来てると思う。僕はそういうのがホントに嫌いだったので、馴染めなかったんだ、と再三書いたけど、それでも、もし僕が、音楽が本当に好きだったら、そういうことは我慢できた(本意ではないが耐えた)のではないだろうか。しかし僕はそれが出来なかった。できなかった=そこまで音楽が好きではなかった。ということになるのではないか、と思ったりしてる。
これも、なんとすきやの社長の言い分に実に似てる。彼はこう言ってるのだ。「何故みんな頑張ってくれないのか。会社が嫌いなんだろうか。。」この発言はホントにすごい。しかし、自分のことに置き換えると、様々な前時代的封建制に耐えられなかった僕は、そこまで音楽は好きではなかったのだろう、何故ならホントにもっと好きなら、そんな「些細なこと」は耐えられたはずだからである!ということになる。

まあそんなことは置いておいても、最近ホントに、僕は「そこまでは」音楽好きというわけではなく、前書いた様に、「オレはこれしかできねええ!」というようなこともない。続ける動機がちょっと弱いのである。

じゃあいったい何が、今の僕のモチベーションになってるか、というと、それは「リベンジ」じゃないか、と最近思ってきてる。いや、前々から、そういうことは薄々思ってるけども、いろんなことが昇華したり、叶ったりで、成就していくなか、最後に残るモノのひとつは、この「リベンジ」ということなんじゃないか。そしてそれが遂に成就した時、最後にもうひとつが残るのだ。僕はその「ラスト ワン」のために続けているのだ。