恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

マニアの人すぐ怒る問題 2

★このエントリーは以下の記事の続きとなります。

マニアの人々が常に怒ってる問題
チマチマまとまることが出来なかった私

散歩の延長で多摩川からの用水暗渠から、「目黒通り・新横浜延伸計画」まで辿ってみたんだけど、ネットで調べてみると、こういうことを丹念に調べて書いているヲタが限りなくいて、本当に情報収集に困らない。「ありがたいな」と思う反面、「今の日本でこういう人々を大量に産んでしまった原因はどこにあるのだろう?」と考えさせられてしまうのも事実だ。

東京ぐらしを長年やってきて、唐突に長崎移住したわけだけど、そういえば昔のドラマで「青い鳥」というのがあって逃避行する内容なのだけど、思えば、自分のこの時の西行きも逃避行だったんだろうと今思ってる。では 僕はいったい何から逃げたのか。そう考えて、ふと今回のこの散歩とリンクし、そっか 僕は「こういうこと」から逃げたのだ!と気付いた。

ずっと書いてきたように、僕は幼少の頃から一風変わった趣味をしており(と思いこんでおり)、それらがオトナに認められなかったせいで「こじらせてしまった」のだし、今さら盛り上がっても「もう遅いわ」と冷淡になってしまうわけだが、その理由にはもう一つあって、たぶん元々嫌いではないから「そうやって突っぱねていないと、再び嵌りそうで怖い。」というのがあるんだと思う。

いや、ハマればええんちゃう?と思われるかもですが、だめなのです。そういう自分から足を洗ってから、人生が開けてきて音楽活動に繋がっているのだから、再びそこに戻るというのは「昔に戻る」ということになり、また「冴えないオタ生活になる」ということでもある。自分はそれが怖いのだ、だから敢えて遠ざけているのだ、とも考えられるな、と。
実際、自分の中では、今回の多数のオタブログにしろ、サブカルこじらせおっさんにしろ、ちっとも羨ましくもないし、いいなあとも思わない。批判を承知で書くと「自分にとっての反面教師」に見える。僕はこうやって、彼らと同じように年を取りたくない!という意識がすごく強いのだ、ということに気付いたのですね。

そう考えるとやっぱり私「クリエイティヴ気質」なんですよね。そういえば私、音楽も「ほとんどカバーとかしない」んだよ。だって他人の曲を歌って楽しいか?全然楽しくない。自分の曲を歌うから楽しいんだよ。それと同じなんだわ。「人様の作った過去をなぞってどうするのか」みたいな気持ちが常にあって、しかし「そこに嵌りそうな自分の気質」もちゃんと判っていて、だから「そんなもん要らん、興味がない!」と強い意志で突っぱねることによって今の僕の人生が成り立っているということなんだなと思ったな。
音楽だって一緒よ。他人の歌を歌ってたら楽だわ楽しいわで辞められなくなるわ。それは困るんだよ。だから「絶対にカバーなんかやらない」と決めているんだからな。そういうことなんだなあ。

ご近所だの、サブカル谷根千とかだの、いろいろ歩いて交流もしたけど、結局「なんでちっとも充実感がなかったのか」。今振り返って思うのは、例えば僕がすべきことは、そこら辺を散策することではなくて「実際にそこに住み発信する側になることだ」と思ってたから なんじゃないかと。
寄り添って「いいですねー」ではないんだわ。自分もこれに触発されて、あるいは対抗して(こうじゃねえんだよ!)自分も自分で発信すること。コレが出来ない以上「何も生まれないわけ」だ。それがたぶん「歩いても歩いても満足できなかった理由」ではないかと思った。

自分にとっては、もっとそれ以上の大きなファクター、例えば長崎だったり、先日の奈良や平城京といった「自分のキャパ以上の圧倒されるもの」と出会わなければ開いていかないのだと。それが「近所や千葉とかじゃ足りなさすぎる」んだと。そういうことを思った。


ヲタやマニアの人は常に怒ってるから嫌だと以前もココで書いた*1。彼らが怒ってる理由は、まとめて言えば「自分の思い通りにならないから」だろう。道路も川も古民家も、行政に任せるとどんどん破壊されていく。
音楽も同じだ。そういうマスタリングは要らない、そんな売り方をするな、おまけ握手商法邪悪、みたいに言うのは、それをコントロール出来ないからだ。

自分自身がオタクだった僕としては、「その気持ちは大いに共感できる」とともに、「そういうことを毎日思い続けることが嫌」だから「自分自身でコントロールできるようにした」というのが、自作自演という本業になったわけです。不満なら自分で作れ!が答え。
…いや、他人にはそれ求めてないです。「文句言うなら自分でやれ」とまでは言わない。言わないけど、そういう 文句ばかり言う自分は嫌だから「僕は」自分で作った

行政関係も同じで、本当に「こっちの思い通りにならない」だろうか?オンブズマンだのなんだの、小市民が出来ることはたくさんある。ブログでグチグチ怒ってるより、どんなにか生産的だろうと思う。ともかくそういう「生産性がない」というラビリンスにハマっていく自分が嫌でたまらなく、それしか出来なくなって袋小路に迷い込んだ自分を打開するために「西に逃避行」したということなんじゃないだろうか。そんなことを思った。


さっきネット黎明期のこと思い出してて、当時の人気サイト、SNSじゃなくて最初のうちはBBSと言って「掲示板」ね。当時もツリー型というのはあったけど、だいたい交流方式は、みんな並行して話題が展開していく形なのよ。ディスカッション。
ところが「ブログ時代」がやって来る。そうすると、そこに何かコメントしたいと思うとき、必ず記事にコメしないといけないでしょ。つまりと「親記事」があって、そこにコメする人はツリーみたいというか「親にぶら下がっていく」わけ。そうするとどうなるかというと、コメントのレス方向が全部「親→子」になってしまって、コメ欄どおしのディスカッションにならないの。親の方も、一人ひとりにレスすればいいので、その行為は面倒ではあるけど、展開させていかなくてもいいから気分的には楽なのね。そうして、さながらアイドルの接触みたいになっていく。双方向じゃないの。

つまりこれが、例えば自分が谷根千に行ったときとかに、現地の人々に「いいですねー」などと言っても「全然広がっていかない」感じ、あの感じに似てるなと思ったのよ。つまりご近所とか、そういう場所って「そこで当地の人が発信してる」わけ。そこにこっちが行って「いいですね」と言ったところで「はい、いいですよ。また是非いらしてね」にしかならないの。
で 自分はそういうのでなく「自分自身のほうが発信して、そこに集める側」なのだ。と。そういうことがわかったんだということなんやね。
この近所を散歩して、シャレオツな店を見つけ、そこのマスターと仲良くなったところで、よほどじゃない限り「親(マスター)→客(子)」という立場でしかないのよ。
そういうのは違うんやと。そういう「相手の狭いキャパ に収まる自分じゃなかった」んだと。まあそういうような話だったなって。


最近気づいたことがあって、私、自分の実年齢に比べて、何かと早熟だったわけですが、そうするとどうなるかというと、大人になってそういう趣味の合う人に会うと「全員すでに老齢になってる」ってことなんですよ。
鉄にしろ仏スターにしろ音楽マニアにしろ、当時の自分の趣味に合致する世代がみんなそうなってるから、自分がすごい若輩者なんですよ。今まで起こったこれ関係のトラブルって、そもそもの原因はこういうところにもあるよなと。

自分がサブカル的なオタ趣味に目覚めて活動を始めようと思ったとき、たぶん時期尚早すぎて世代が育ってなく、年齢が上の「情報が足りない世代」しかいなかったんだよね。だから、そういう人々の無理解に囲まれて自分は孤独だったんだろう。自分は常にそういう「世代との戦い」だったんだということやなあ。



★オタクやマニアの人すぐ怒る問題について発展があったのでメモ。

これの土台にあるのは「アラフォー・クライシス」だね。確かに自分の周りで「マニアで常に怒ってる」のは、だいたいこの世代なのですわ。
そういえば日本のサブカルって「この世代が拡大させた」んじゃなかったっけ。もともと社会に不満があり、サブカル趣味というか昭和回顧くらいしか自分を慰める手段もなく、不甲斐ない「自分らより上の世代」に対して怒り心頭な日々だというのは、前述のように「自分自身もそうだったから」すごくよくわかる。これは 趣味に対するものではなく「社会に対する怒り」なのだ、と。
自分も、同世代やらの不甲斐なさに「ちがうだろ」と思って活動してるわけだから、そこの根本は一緒なのだと思うけど、そこは前から言ってるけど「私は誰かの代理で怒ってるわけじゃない」から。そこに第三者が乗っかって貰っても困る、というか「夢を僕に預けてもらってもさあ」っていう。その辺が徐々に重荷になってきたのではないのかな。と思ったな。
まあそれでも僕は僕なんで、誰が乗っかろうと何しようと、今後も同じように好きなことしていきますけどね。


10年くらい前でしたかね、自治体が合併ブームだった頃に、新自治体名で「ファンシーで自称おされなヒラガナ自治体名」がすごく増えて、それ以外にも「市の公共施設」みたいなものの命名にも「ゆめ」だの「みらい」だの命名するようになって、なんだこの「70年代メルヘン脳」は。と思ったのよね。
その時に、自分らと同世代より以上の人々の「どうしようもないお花畑脳」ぷりに気付いたの。その時から僕はずっと「こういうのダメだって!日本は変になるって!」って思ってて、それが10年後に現実化した、というようにも思えたのよ。
今の街中がそんなもんばかりになり、都市計画もなさげで適当ぷりが目立ち、そういう「やらかし」を、直上の世代として見ていた氷河期クライシスの人々は「ホントにこいつらのせいで…」って思ったはずなのね。
そういうのが、サブカルブログとかで「行政はほんとひどい」とか怒ってばかりだったり、サブカル音楽関係のリリースやらアーカイブのされ方に納得行かないで怒ってたりするのよ。

僕は「幸い」「運がよく」「才能もありw」そこから抜け出して発信する側に回れたけど、上で書いたように同世代はすっかり老人なのだから、本来はまったくダメなのよ*2
ファンシー自治体名のときに、おいおい勘弁してくれ、もっとしっかりしてくれって思ってたけど、それはとうとう是正されないまま今になり、あと10年もしないうちにみんな定年だわね。本当に自分はそのことについて、何も打つ手がなかったことに反省しています。
そういう思いを抱えてる僕が「アラフォー・クライシス」の人々から希望を持って見られてるのはわかる。でも僕は、怒りをモチベとして動きたくはないんだ、と。キミらの怒りはよく分かるんだが、怒りでは動きたくはないんだと。そういう思いの10年間だったといえるんだろうなと思った。

そうそう。「#me too」の話題と言うほどでもないんだけど「童貞をいじられて嫌だった」という男子の告白で、童貞だけでなく「血液型とか星座とか、そういういじられ方がほんとに嫌だ」みたいな意見が連なっていたんやけど、そういえば!そういう文化も、ひらがなファンシー自治体名と同じく、バブル世代のものだった!と気付いて、ほんとろくなことしないわ、というか「うちらの先輩や同世代がバカで本当にすいません!」という気持ちしかなくて、なんだったんだろう80年代カルチャー。とか思ってる。
クリスマスイヴ的もりあがりを作ったのもその世代なんだよね。イブにそんなことを思いつつ。ミルフィーユ美味しいです。


★まとめ

よくある批判で、オタクやマニアがそんな「物」ばかり集めてどうするんだ、みたいな、それ言っちゃ終わりじゃんみたいなのがあるんだけど、ちょっとこないだ「そういうことして何になるの?」という基本的な疑問に対して、ある人が「それによって自分が楽しくなる、という素晴らしい利点がある」という秀逸な答えをしてたのだけど、自分もまさにそのとおりだと思うのね。

だからこそ!「いつも不機嫌で怒っている」というのがものすごく気になるわけ。「楽しそうじゃないじゃん!」って思うわけ。まあ怒るのは勝手だけど「それ見てるコッチが辛くなってくる」んだと。

家庭内DVとかモラなハラスメントとかでありがちなのが「身近な人が常に機嫌悪くて場を支配してる」というのがあるんだけど、まさにそうなっていくのですよね。そういうマニアの人を知り合いに持つと「だんだんコッチが振り回される」ようになるわけ。
いつのまにか「ご機嫌伺い」というか、「これなんかいいんじゃないの?」とか「そうねえ、もっとちゃんとすればいいのにねえ」とか、顔色伺ってさ。それがものすごく嫌だったの。

まあでも、その後のココでの展開で、それはウチラが不甲斐ないせいで「アラフォー・クライシス」さんの社会に対する怒りなのだ、ということになったけども、だからといって「それを個人で背負えない」からねえ。やっぱりコッチは「自分を守るためにも距離を置かざるを得なくなって行く」んだよ。

そういう、元「同類」だったはずのマニア間に起こった、悲しい交友関係なお話なのね。

以上となります。

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