恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしています。

チマチマまとまることが出来なかった私

関西〜長崎「横断大ツアー」から戻って。
なんか人恋しいというか「積極的に外に出ていくのは大事だな」と思って、とりあえずは毎日のウォーキングがてら、近隣の町や人脈でも開拓しようなどと思って交流を求めてみたのですが、あえなく全て玉砕し、なんつか自分はそういう「チマチマした世界は向かんのだなあ」と改めて思ったところです*1

私以前から、どこに住んでも「近隣の名店やら名所などを開拓」などということをやってみるのだけど、なんつか「地元商店街の中の名店!」とか「東京近郊中都市の名店!」とか言っても、あくまで、その小さな範囲で「ココは歴史ある名店です。」みたいなことなんだなあって、いつも寂しい感じになるのですね。
これに最初に気付いたのは、都落ちして千葉に行ったときです。せっかくプチ地方感ある土地に越したのだから、「地元民的な生活」を楽しんでみようと思って、ちょうど今回みたいに「近隣の名店とされるところ」やら「名品」やらを試してみたのですが、どれもこれも、その土地の規模に完全比例して実にしょぼく、「えーなにこれ」みたいなことばかりだったのね。
特に関東首都圏は、本気になれば 都心に繰り出せば「いいものも店もいくらでもある」わけで、そんな中、あえて「この街の」名物とか存在してる意味ってなんなのか。それは「外に出られない人向けのものでしょ?」やっぱりと。
「ちょっと足を伸ばせばすぐに東京」なところ、それすら出ていけるモチベがないと。そんな人々への「些細ですけどどうぞ」みたいに控えめに主張するのが、そういう「首都圏ベッドタウンの名店」とかいうものではないかと思ったのです。
それを「普通に東京に行けるようなバイタリティがある」ような私らが、そんな箱庭にわざわざ行って「ショボくてつまらないなあ」などというのは、それ自体が間違いなのだなあと思ったのだな。

千葉時代を思い返すと、ちょうど人生の転換期で、それまでの生き方に疲れてもいたし、また何か新しい視点としての「地方都市的幸せ」を見つけて和みたい、みたいなことを当時思ってたんだと思うの。でも結局、地元にそうやって馴染もうとしたけども、どれもショボくて「こんな小さい世界でこれから自分は生きていくのだろうか…」と思ってしまい、一層辛くなった。
そんな千葉時代ね。「長崎より遠い」という千葉w そんな時代の感覚が今回も蘇ってきて、この2週間くらい近所にあちこち顔出しながら「みんな楽しそうでいいな」と思いながら、でも自分は「こんなんで到底楽しめないんです」みたいにどんどん自己嫌悪的になっていって、そうね、やっぱり広い世界に行くしかないのよ。そもそもアンタ「渋谷から電車15分の場所に住んでる」くせに、何を手近で全部済まそうとするのか、猛省しろって自分に思ったな。
首都圏は東京が一人勝ちで、周りの小都市やベッドタウンはこういうことになる。ブラックホールみたいなもので、全部を東京が吸収するから、周りの街は抜け殻みたいになるのよ。そういうところが関西圏とは違うんだなあって、しみじみ思ったなあ。またがんばるかー。

名店名所と書いてるけども、もちろんそれだけでなくて「人間関係とかそういうことも含めて」言ってます。政治的なものもそうでしょ。首都圏近隣の衛星都市みたいのが一番やりにくいだろうし。

例えばどこの地元でも「地域の吹奏楽団」とかあるんだけど、わたし千葉時代にそういう活動はどうかなと思ったこともあったが、たぶん同じ目に遭ったと思うので、そこはやらずに正解だったなと思うし、東京でやっておいてよかったなと思ったな。これは多摩川沿いに越してからも同じです。そういう「狭い場所でチマチマ生きれるようなキャパシティではない」のだと。

さてじゃあ、もっと遠隔地、長崎や故郷はどうなのかというと、これは遠隔であるがゆえ、逆にちゃんと確立した「圏」みたいなものがあり、首都圏の付随都市みたいなものとは違うんだけど、それはそれでまた「利権などがあってめんどうだな」と思ったのと、なまじ遠隔すぎる故、中央からの地方への価値観や文化の到達が遅く、そうするとそれらの到達前に「いまはこういうのが新しいのですよー」などと言ってくる中央からの輩の進出を許してしまう ということになる。
僕もそういう人として移住したのだし、いま故郷でなんかやってる鉄道オタ博物員の人もそうだし、そういう人が付け入る隙(余地とは言わん)があるのが遠隔地方都市だと思う。
ただこれはこないだ、久々にT浪さんと話したのだが、そういう「外からの圧でもない限り変わることができないのが、そういう遠隔地方都市あるある」なので、地元民にとっちゃ正直邪魔なんだが、しかし「救世主として助かる部分もある」という、とっても難しい問題だなと思ったな。
ただ自分にとっての北海道もそうだし、その出身者がUターンしても、よほど中央時代にブレイクした人でない限り、かりんとうの例を見るように、ただダサくされてろくなことにならんので、そういう意味じゃ「僕なんかも故郷に関わらずに済んでよかったのかもしれないよな」と思った。

まあ結局こういう話って、近所に「馴染みの店」が出来るかどうか問題 なんだと思ってて、自分的にはそういうの憧れた部分もあったけど、長崎時代がそうだったように「仕事抜きで」それをやるのは自分は難しかったのだな。顔を売るため営業のため、みたいな理由付けがないと出来なかった。ただ純粋に「飲みに行きたい」みたいな理由なら、近所のしょぼい店なんか行かず、ちゃんと都会の店かチェーン店に行くだろうと。

そういえば思い出したけど、9月の帰郷のとき、久々に土地の名物や名店などをまわってみたのよね(ハイクなどにも写真アップしてた)。そのときやっぱり同じようなことを思ったなあと。小さい町の小汚い飲み屋街を歩いて「やっぱり落ち着くわ~。」とかないんやなと。ただ汚くてしょぼいなと思っただけです。いったん広がった視野は狭まることはないんや。と。
そういえば母は、地元のものを好き好んで食べたりするということを「しない人」だった。前にここで「自分の家では方言をあまり使う習慣がなかった」と言ったけど、たぶん同じようなことだと思う。母も「地元のこんなしょぼいのなんかダメだよ」と思ってるヒトなので、近所付き合いもそうなるし、手持ちのグッズやら服やら、別に高価なものでもないのにみんなに褒められるというのも、そういう地方感のない感覚を意識してたからなんじゃないかなと思ったね。そういう流れを僕も受け継いでる、ということなのではないかしら。
そんな感覚しか持ってないような故郷について、ヨソモノが「地元民が気づいてないイイものがたくさんある」とか喜んで再発見しに来ても「ああそうですか面倒くせえ」と思うだけなのは、まあ、当然だろなと思ったな。

昨今、「変わった場所にデート」とか「廃墟サブカル工場趣味」とか、そういうの「斜め上なこじらせ系」の間で流行ってるけども、そういうの自分の「高校時代〜20代前半の趣味そのもの」だし、それやって尽く玉砕した私は「ただイケ」という言葉を人生で一番痛感してたし。
だから今そういう価値観が許されて、狭いサブカルの世界でも認められてる時代になったのは「本当に本当に」幸せなことだと声を大にして言いたい。

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★昭和レトロ地方物件はサブカル都会人のものか

昭和レトロや廃墟好きには定番ネタ「暗渠」とか「用水路」ジャンルというのがあるんだけど、それに関していつも思い出すのが、長崎の「ご年長の方々」が揃って「暗渠撤廃反対!」「今の町並みをなくすな」と怒ってたことなんだよな(ぜんぶ蓋を外して遊歩道とか親水公園にすることが決まってる)。
前にも話題にしたが「有名プロダクションご隠居」がUターンしてきて、街のご意見番的になってるのですが、早速このこと(町並みの酷さ)についても、激しく疑問を呈してて「観光都市にするなら全部整理して小奇麗にすべき!」と主張し、前述の「イニシエの景色をなくすべきでない」派の地元ご年配と意見対立していた。
ご隠居氏の言うことは、Uターンしたら「そらそう思うのは当然だろな」と思ったよな。自分の故郷がこんな小汚いのは嫌だと。

自分らがそういう部分(昭和サブカル発見)に着目してたのは「90年代中盤〜末のこと」で、いつも言ってるような「90年代のビンテージ復活」にリンクしてる部分でもあるのだけど、当時のそういう風向きに触発されて「さすがにもう残ってないやろな…」と思いつつ廃墟やら廃線やらを辿ってみると、バブル崩壊のお陰で「それらがまだ!残ってる!!!」という自体に遭遇いたしまして「本当に興奮した!」という事があったのですよ。
たぶんこれは僕だけじゃないのです。僕だけじゃなかったから現在、そういうネット時代黎明の「廃墟なサイト」が今も多数残っているのですよ。
本来ならバブルで根こそぎ再開発で消滅してたはずのところ、バブルが崩壊して開発が止まってしまったおかげ で、それらの廃墟やら余ってた土地やら、昭和物件を買い上げて放置してしまった物件が、あちこちに残ってしまったのです。それを発見したのが「90年代末期のサブカル人種」で、それが「ネット時代の幕開けとリンク」してたために、それらの写真などが多数アップされ、伝説的な「軍艦島サイト」とか「東京DEEP案内」のようなものが生まれ、それが今に引き継がれているんでしょうと。

そういう流れがあり、自分も当然ながら「廃墟闇市基地跡廃線商店街谷根千めぐり」みたいなことも済ませてしまってましたし、なんなら「鄙びた一軒家に住んで大変な目に遭う」ということも先んじてしてしまいましたから(千葉時代)、今の自分が「そういう趣味」に比較的冷淡なのも「だってその頃に散々やって卒業してしまいましたもの」ってことなんだと思ったのよな。
だから、現在の「昭和レトロ」ブームとか、前述の「町の長老が古い景観を残せと主張する」事案なんか「既視感アリアリ」で、今さら何を言ってんだ?的に「Uターンご隠居」側の意見になってしまうのも当然だろうと思った。

で、今「新たに」そういうことをゴチャゴチャやってる人々って、そこからの「第2世代」じゃないですか。そうすると「わしらが蒔いた種がこんなに花開いて嬉しい」みたいな気分はありつつも、今じゃなくて「わしらがやってた20年前に、今みたいにもっともっとメジャーになってほしかった!」という気分が多大にありまして、そうすると、今さら郷愁だの廃墟だの廃線だの言われてもさ、「遅かったんだよ!」としか言いようがない*2

まあでもそこは「若い世代に言うのは酷」なんだよね。だって彼らは生まれてないか幼少だったから出来なかったんだもん。でも個人的には、今こうやって取り上げられるなら「なんで当時のメディアもこうできなかったんですか?!」っていう、まあ「逆恨み」みたいなものは今もずっと残ってる。
だから今の僕のこういう感情は、当時の自分が「いくら頑張っても認めてもらえなかった趣味」を、今の若い人たちが簡単に認めてもらえてることへの嫉妬もあるし悔しさもあるし
…というようなことを考えてまでの、ヨソモノ地方都市進出ではないのかなあと、自分のことも鑑みつつ思ったわけです。

こないだ長崎で、毛糸を街中の建築物に巻くというアート系イベントがあって、すんごい不評で炎上しまくった、という事件があったんやけど*3、先日の長崎旅行の際にその顛末をいろいろ聴いたのだけど、ちょうど時期がおくんちで、そういう地元の風習も調べんで、安易にこんなことしてそれで芸術家といえるか!というツッコミがあったらしいのだけど、いやでも、こういうタイプの人は「そういう細かいこと考えずに突っ走っていく人がほとんど」だと思うので、そこまで求めるのは難しいやろと思ったな。

同じように、こういう縁もゆかりもない土地の歴史資産に目をつけて掘りに来た人々も、地元のことなんか考えてない。ただただ「自分自身の知的欲を満たすために」突っ走っていき、そういう勢いが地元民にはないから、みんなも引っ張られていく、みたいなことに過ぎないのよな*4
例えば自分がそういう同じ趣味を持ってたとしても、自分の故郷じゃ、そんな勢いを持って他の人間まで巻き込んでいくようなパワーなんか持てないもん。そこは「ヨソモノの特権」だと思うんだよな。だから、こうやって不快にもなるけど「ああそうですか、キミらにとって、そのヨソモノのほうがモチベ上がるなら、そうすりゃええやん、こっちは知らんがな」って感じだったな。


ということで「自分の故郷が古臭くて小汚くて嫌だ」と思う当地の人およびUターン組 vs 「こんままでよか!」という地元民、みたいな図式の戦いは常にある。そこにヨソモノが加わり「こういう昭和物件は(自分たち的に)価値がある!」などと言いくるめて、行政を騙してその方向に持っていく、というのが、最近の地方都市の文化遺産の流れです(レトロ)。

まあ、どっちがいいとか、わからないよハッキリ言って。前もココで書いたけど、ただ住んでる身にとっちゃ「リトル東京みたいに小奇麗になって欲しい」に決まってるじゃん。
「どこに行っても同じ風景!同じ街!」とか批判するのは「エセ・サブカルニストの価値観」であって、つまりそれは、里山を(たまに息抜きに来る都会人のワシラのために)残しておいてね。ということに等しいのですよね。そこをどう説得できるか、ということにかかってると思うのであります。

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★関連karamandarine.hatenadiary.jp

*1:まあ平城京とは違いますよとw

*2:この項、ツイッター投稿がオリジナル文だった → 省略

*3:長崎市│長崎アートプロジェクト2017「ニット・インベーダーin長崎」開催のお知らせ

*4:シーボルトもそういう人ですね