恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

加橋かつみは私にとって「アーティスト」だった。

前にココで萩原健一ショーケン)について書いたことがあるのですが。 

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上記の記事で「自分にとっては萩原こそがオリジネイターだし松田優作でも水谷でもなくショーケンなんだ!」と力説していますw

同じように子供の頃の自分にとって「タイガースとは加橋かつみさん」なのであって、世間一般が「きゃージュリー!」などと澤田なんとか氏に嬌声を浴びせてるなか、私は「こんな人のどこがいいのかわからない」と、澤田中心主義の状況をものすごく不満に思っていました。それより、少し後ろに下がって、ハイトーンで聖歌隊みたいにハモっている加橋かつみさんのほうが、100億倍イケメンでカッコよく見えていました。

タイガースを知ったのは、幼少も幼少で記憶すら不確かですが、古い白黒のテレビ画面でした。そこで私は全面で目立つリードヴォーカリストよりも、少し後ろに下がりつつ、顔を上げてハイトーンで歌っている、マッシュルームカットの加橋かつみさんに惹かれたのです。
惹かれたのは姿や声だけではありません。彼の歌っている「主旋律とは違うパート」にとても興味を持ちました。

当時の日本のグループサウンズ音楽には「ハモリ」という概念があまりなくて、だいたいみんなユニゾンで歌ってるか、もしくは三声とかの「うー」とかいう「バックコーラス」ですよね。あくまでヴォーカルを盛り上げるための「裏方としての」コーラスでしかなかった。

しかし加橋かつみさんのコーラスは違ったのです。リードヴォーカルと限りなく近い対等なパートとして歌われていました。ハモリと言うより、それはカウンターです。それが幼少の頃の私の耳を惹き「これはなんだろう。すごいカッコいい!」と。
特にキメの箇所に来ると、一番高いパートでガシッと抑えるのが、加橋かつみの声なのです。これがないと、ただの歌謡曲なんですよね。
それまでバンドと言うと「歌手とバック演奏団」みたいなものと思ってたのが、加橋かつみさんの存在で、子供心にも「なんか真ん中の歌手じゃなくてもカッコイイ人がいるんだなあ」と印象づけられたのでした*1


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それから10年くらいですかね。自分も成長し、そのような幼少の記憶も忘れかけた頃。たまたまテレビでやっていた「日劇エスタンカーニバル」同窓会ライブというのを見ることになります。
さして興味があったわけでもなく、なんとなくテレビでやってたから見ただけだったのですが、タイガースが出てきて歌い始めると、そこに私が幼少の頃見たのと寸分違わない加橋かつみさんが居たのです。「おおおおお!」と幼少の頃の記憶が蘇りました。自分が好きだった、タイガースのハイトーンのカッコいいオニイサンは「加橋かつみ」だったのだ!と、ここで改めて認識することになります。

動画があります(開始時間を花の首飾りに合わせてあります)。
熱狂再び! 最期の 日劇ウェスタンカーニバル


私は加橋かつみさんの存在で「ロックにもハモリやカウンターパートというものがある」と知ることが出来たのです。

もう一つこのときに初めて知ったことがあります。それはあの名曲「花の首飾り」を加橋かつみさんが歌ってたことです!*2
澤田というリードヴォーカルがありながら、ギタリストである加橋かつみがリードを取って歌っている!というのは当時の自分にとって、ものすごく新鮮でした(アルペジオを弾きながら淡々と歌ってます)。そして(レコードとは違う)浮遊感ある不思議なヴォーカルに強く惹きつけられたのです。
これを見て、なんでこの人は今あまり取り上げられてないのだろう?なんで澤田なんとかよりも人気がないのだろう?と、当時の私は、すごく疑問に思いました。不思議なのよね。

澤田さんに特に恨みとかもないのだけど、彼の歌は私にとっては歌謡曲なんですよね。歌い方も声も、そしてビジュアルも、すべてが全く好みじゃありません。人気がある理由がわかりませんw *3

ショーケンはカッコいいですよ。彼はカッコいいじゃないですか。そして加橋かつみさんもカッコいいです。最近この事を考えて、この二人に共通するのは「アーティストぽさ」があるということでした。芸能界じゃないんです。ロック界の人。実際の活動がどうとか、上手い下手とかじゃなくて、本人の気質や佇まい、概念が「ロックアーティスト」として存在してるということなのです。


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最近になって私が幼少の頃、加橋かつみさんに惹かれた理由もわかるようになってきました。

まず彼の特徴なんですけど「ピッチが微妙にシャープしている」んです。複数名いるハモリ隊の中で、トップノートを歌うと、この「少しシャープしてるピッチ」が、逆に「スコーン」と抜けて聴こえるのです。
また不思議なことに、少しシャープしてるにもかかわらず、タイガースに於いては、それが「不協和音」に聞こえません。これは大勢いるコーラス隊とかミュージカルとかじゃダメなんですけど、そのパートが彼一人しかいないのであれば問題ないってことなんですよ。それに「ハモれないほどはズレてない」ところもミソなんですよ。その絶妙さが彼たる所以だと私は思います。


80年代の代表作はこれだと思います。


ひらけ!ポンキッキ ED かもめが空を 加橋かつみ

タケカワユキヒデさんの曲なのですね。やっぱり少しシャープしてるんだけど、そこがなんとも言えない高揚感というか、崇高さを曲に与えてる気がします*4



80年代後半くらいからですかね、ヴォイトレを受けたのか、ビブラートがきつくなってきます。それを「音が狂ってる」「ズレてる」と批判する人が居ます。ビブラートがキツいと「ピッチが揺れすぎて、正しい音程に安定しない」状態になります。これは「ソロ歌手」の特徴なんですよね。演歌歌手的、と言ってもいいかもしれません。他人と一緒に歌う場合には、これは邪魔になります。ゴスペルとかだとなんとかなるくらいな感じかもしれません。それは彼が選んだ方法なので、私はなんとも言えないんですけども、少なくとも80年代までは、そんなではなかった、少しピッチが高いが、それが魅力になってた、と私は言いたいですね。


2013年にタイガースがなんと!ドラムの瞳みのる氏も加えてオリジナルメンバーで再結成します。前年のツアーでは加橋かつみさんが不参加で「完全再結成」にならなかったのよね。
このときに限らず、タイガースファン(=澤田ファン)にとって加橋かつみという人は「肝心なときにいつも水を差す」「邪魔をする」存在に映るようで、何かと嫌われてます。私としては「何いってんだ。加橋さんはいつも正論を言ってるだけじゃないか」と思います。
2013年の再結成も、前年までのようなサポートを入れない、つまり「メンバーのみで全部演奏する」を条件にしたそうです。素晴らしいじゃないの。

その動画がココにあります。


ザ・タイガース 2013 LIVE in 東京ドーム

ヴォーカルの右横に立っている加橋さんに着目してください。こまめにリードギターと、それからトップのハモリパートをずっと歌っていることがわかります。年齢や、先ほど指摘した「過剰なビブラート問題」もあって、正直くるしい部分もありますが、少しくらい不整合でも等身大の自分で常に望む。こういう我の強さが、とかく「歌手のバック」になりがちなGS楽器隊に於いて、強烈な存在感を発揮したのです。
ちなみに澤田氏も往年ほど「外見に」こだわらなくなりましたね。彼もそういう意味ではアーティストに近づいたのかもしれません。

なお「重要な余談」ですが 岸部一徳氏のBassはほんとにカッコいい のですよ*5。そして現役当時から言われてたように瞳みのるさんのドラムもロックで素晴らしいと思います。一徳さん瞳さん、そして加橋さんの3名でGS界屈指のスリーピースユニットと言えるでしょうね。


長々と語ってきましたが、まだまだ日本のポップスが洋楽の完成度とは程遠かった時代、私は洋楽ばかり聴いてましたけども、それでもこうやって数少ない琴線に触れた日本人アーティストに着目していて、それが今の下地の一つになっている、ということでした。


これからも膨大な砂粒の中から、小さい宝を見つけて生きていきましょう。
それがきっと希望になりますから。というお話。


★よい記事。

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*1:私は今でも「ただの歌手」が好みじゃありません。ビートルズがよかったのも全員が楽器を持って歌っていたからです

*2:ちなみにこの曲がタイガースで一番売れたシングル

*3:判官びいきとか中二病的に捻くれてたわけじゃなく、本当に好みじゃない

*4:実はこの影響で私は「微妙にシャープしてる」ヴォーカルが好きになりました。アイドルの石川秀美さんは筆頭ですね

*5:実は15年も前に私が記事を書いています→

karakawa.cocolog-nifty.com

港町レトロ

 以前、挽歌の世界観は「野蛮な」釧路の空気とは合わなかったのではないか、むしろ小樽とかのほうが向いてたのではないか、と書いた。

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そして「小樽は早くから観光を意識してたので、そういう街づくりがされてるし、門司港レトロなどは典型である」みたいに述べたんだけど、書いたあと「そういう無責任な言いっ放しもどうかな」と思ったので、せっかくだから確認に行ってみた。

実はこの辺、今回はじめて!訪れたエリアである。故郷なのに全然行ってないところばかりなのな。まあしかし18歳までしか居なかったのだから、それはしょうがないのだけどね。

というわけで!
釧路の港エリアにも、こんなレトロ倉庫群があったとさ…という話。
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横浜ほどではないが長崎くらいなら、こういうのある。

いい感じじゃないですか。
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こんな感じ。
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そういえば昔、なにかライブしたりするエリアとして使用されてたという話を聞いたことがあった。今思えば90年代くらいは日本も豊かだったですね。
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「使われてた」ということで現役ではない様子。
写真では見えないが、デカいクモの巣が張ってて入り口を塞いでいた。
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よさげですけどね。
再利用が終わってからもずいぶん時間が経ってる様子。
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というわけで、実は釧路もこういうのが残ってた、と。

今回こうして歩きまわって気づいたのだが、前述の小樽の記事でも書いたとおり、釧路の場合エリアが「だだっ広い」のよ。ともかく広い。一箇所にまとまらず、あちこちに散らばっている。そして繁華街のエリアからも結構歩く。お店もないし、決して「街なか」ではないの。その辺が「手軽な観光地」として再利用できない理由なのではないかと思ったりした。


それからもう一つ。
これら廃倉庫群エリアのすぐ横が埠頭で、釧路川河口あたりに近いのだけど、そちら側に行ってみた光景がこちら。f:id:maicou:20190913131838j:plain


埠頭というか岸壁に大きな漁船が留まっている。f:id:maicou:20190913131611j:plain

つまり、この港は「ばりばり現役で使用中である!」ということなんである。つまりこのエリア一帯が「仕事場」。

現役で使用されている施設エリアを、観光地として整備開放することは難しいだろう。それこそ気の荒い漁師たちから「のんきにウロウロすんな!」と怒られそうである。そういうヤワな街じゃないんである。


ちょうど先日の臨港鉄道の記事で「廃止されたから、やっと評価が始まる」と書いたが*1、逆に釧路港エリアは、少々疲れて時代から取り残されていようとも「まだまだ現役で居よう」と必死に生きてるわけである。
問題点があるとすれば、現役稼働中のエリアと「歴史になってしまったエリア」が隣接して混在してしまっていることなのかも知れない。

歩きつつ、そんなことを思った。

最後にこれ。同じく近隣エリアから。
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世界三大夕日とか言ってるだけあって、やはりこれは綺麗よね。
暗くて汚いものが何も見えなくなるからねw


というわけで故郷散歩おしまい。

先端カサンドラ・クロス

こないだ、石炭輸送列車の線路の端を探し当てた記事を書いた。 

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この鉄道は「春採〜知人」間を走ってたわけだから、いくら馴染みがあるからって、片一方の「春採の先端」だけを確認して悦に入ってるのもどうか、みたいに思ってたわけですよね。

で、まあ。
しょうがないので乗りかかった船ということで、もう片方の終着地「知人駅」の先端を確認してみることにしたわけですw

再三言ってるとおり、私はこの鉄道にさして興味もなかったものですから、実は「知人駅」には一度も行ったことがありません。これだけ有名な施設がありながら、一度もそれを見たことがありません。まあその辺からも、私の「この鉄道に対する熱意」のほどが伺われるわけですw

というわけで!人生初!
しかも「廃止されてからw」行ってみた!

実はこの日、時間があったので「臨港鉄道」だった時代の起点「入舟駅」跡から辿って歩いてきてたのですよ。なかなか楽しかったよ。この記事的にはどうでもいいと思うので、その廃線跡巡りについては書きません。

ということで、さっそく「知人駅」!

駅への入り口に、こじんまりした駅前商店街ぽい小路がありました。これは「臨港鉄道」ではとても珍しいです。他の駅跡にはこんなの残ってないの。なので、この鉄道にとって「知人駅」は重要な位置づけだったんだなってわかる。
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こんな古い看板も出ています。
ココが駅ですよというアピールがあるのは「臨港鉄道」では珍しい。
なんか「普通の地方私鉄」みたいでびっくりしましたよね。
そんな柄でもないくせにどうした!?みたいに思ったw
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その右、港方面の横道に行くと、有名な貯炭場施設が見えます。
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本来のルートに戻り本線跡を知人駅へ向かう。
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ここが「本来の」駅構内だった。
石炭輸送専用になってから右側の貯炭場ルートしか使われてなかった。
その分岐点が真ん中あたりです。
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その地点から振り返る。
右が本来の「知人駅」構内。
左が最近まで現役だった貯炭場への分岐線。
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貯炭場の線は2本あります。手前の方から行ってみる。
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線路は全部はがされている。
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橋まで近づいてみると。
なんと橋の上だけは線路が残ってる事が判明!
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ココで私。この光景をどこかで見たことを思い出す。
そうだ!これ「カサンドラ・クロス」だ!(映画。ぐぐって)
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引き返し、もう1本の線。海側の方も行ってみる。
そこから内側の橋を見たところ。
ここで積んでた石炭を貨車から一気にズサーッと下ろすのやね。
機関車からの遠隔操作で貨車の底の蓋が開く仕組みになってたようです。
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ということで外側の鉄橋。
ココも線路がまだ残っていた。
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カサンドラ・クロス
流石に怖くて、ココを渡って先端まで行く気にはなれなかったよね。
そもそも真っ昼間で人が居ましたし普通に注意されるでしょう。
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貯炭場の外はすぐに海。
波がザッパーンとなってました。本当に。
ココからベルトコンベアで船に積み込んでたようです。
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まあそういうわけでチキンの私は、コッチの先端までは行きませんでしたの。いや普通に危ないやろ。
なお本来本線だった駅構内の方の線路は、ちゃんと終端部があったようです。でもそれは、その先の臨港駅や入舟駅に繋がってた時代の路線で、太平洋石炭輸送になってからは、そっちは廃線なのだから、現役だったこっちの貯炭場鉄橋のほうが、路線の先端だったと言える気がします。

面白いのは、そもそも一番最初に臨港鉄道が出来たときも、路線は「春採〜知人」間しかなかったということです。その前後の路線は、石炭輸送以外の需要があって、あとから出来たのだね。なので臨港鉄道としては、末期のこの路線が「出来た当初の基本」に戻った形であったとも言えるわけです。へーという感じ。


最後ですが、前回の「観月園」記事で書いたように、崖と春採湖の間がもっとギリギリだと思ってた、という根拠は、この辺の線形にあります*1
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本当に海岸ギリギリを走ってたのよ。
ええ、普通に波とかかかります。すごいよね。

ココは知人を過ぎてすぐのところ。このまま弁天ヶ浜に向かいます。この辺の線路ももうなかった。そこを歩いて米町まで。そうしてバスで帰りました。その先、弥生中学崖下〜千代ノ浦は、また機会があったら歩きます*2

*1:

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*2:ちなみに、久我美子さん「挽歌」で出てくる「丘の上で列車を見送る」シーンは、この「弥生中学校」あたりの崖上から臨港鉄道を見てたような気がします。ぜんぜん札幌行き列車じゃないじゃんw