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恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」まとめ。まだまだ深く掘っていきマスク。

ショーケンという原風景

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伝説のドラマ「傷だらけの天使」を一挙視聴中(ショーケン萩原健一主演)。

僕が持っている、このドラマのビデオは WOWOW での一挙放送(2002年ころらしい)を録画したものでして、なんとVHSのビデオテープです。久しぶりに「ビデオテープ」を観られる環境になったので、さっそく傷天を引っ張りだして見たわけですね。

以前もどこかで書いたけど、この「傷天」は、他のドラマ、学園モノ(青春モノ)や太陽ほえろ、探偵物語みたいなものと違って、あまり再放送されていません。なので僕としては、大昔に観たっきり、この WOWOW 再放送まで見返すことがまったくなかったんですね。

そうして「何十年ぶりか」で見返した時、このドラマの内容やロケ地などの風景が、僕の原風景になっているということに気づき、たいへん驚く、という経験をしたわけです。そう、子供の頃に見たっきりだったけど、その印象があまりに強かったため、子どもながら、僕の心のなかに刷り込みのようにすべての要素が染み渡り、僕自身を構成する要素の一つに、知らないうちになっていたのです。
他のドラマのように何度も再放送で見る機会があったなら、それを再確認して気づくときもあったのでしょうが、このドラマに関してはそういう機会がなかったため、2002年まで、まったく気づかずにいたというわけですね。

ちなみに当時(2002年)私、多摩川沿いの街に住んでおり、住み始めた時から「初めて住んだ場所なのになぜか懐かしい風景やなあ」とずっと思ってたのですが、実は、こうしたドラマが多摩川周辺でロケされていたことがとても多く、幼少の頃にテレビの中で見慣れてした風景だったから、この街も懐かしく感じたのだ、ということも、これで発見したわけです。夕方のドラマ再放送で散々この時期のドラマ再放送を見ていたから、その中の風景が「原風景」となっており、多摩川沿いに越した時、一度も住んだことがない土地なのに「郷愁」を感じた、というのはそういった理由によるものだ、と。 

もうひとつ重要なこと。これは原風景と言うのかどうかわかりませんがw 私、このドラマ見るたびに思うのですが、僕の女子の好みも、実はココの登場人物がほぼ全員、基本になってるってことがわかるのです。それも2002年に気づいたんやな。まったく普段は意識せず「こういう感じのヒトが好みだなあ」などと漠然と思っていた。そういう嗜好がですね、この再放送の時に、次から次へと出てくるわけです。もうね、誰かが出てくるたびに「え?コレ好きだけど…」「え?こういうのど真ん中だけど…」でも「なんで??」と。何故か僕の好みが、次々と提示されるわけです。ひえ〜となりましたね。 

というわけで、僕の原風景というのか、トラウマというのか、そういったものを再確認した今回の「見返し」だったわけですが、「ほぼ」全話見終わって(好きじゃない回は見てない)、もうひとつ感じたことがあったのです。

それは、やっぱり僕は「水谷豊が好きじゃない」ということでした。これは当時(初期の再放送)もそうだったし、今回改めて見ても同じ感想だったのです。

つまり僕にとっては「やっぱりショーケンやなあ」という感想に尽きる、と。

私そもそも、太陽にほえろにしろ、これにしろ、それ以降のコレ系ドラマにせよ、どれも全てのオリジネイターは萩原健一だと思っており、どうしても彼を贔屓目に評価してしまう傾向があります。そんな僕にとっては、例えば松田優作(よく比較された)も彼のコピーで二番煎じに過ぎないし、水谷に関しては「ウザい媚芸で」萩原の人気を奪った敵(かたき)、とまで思ってるところがあるんやな。その感情は、子供の頃からだったし、見返した今も変わらんかった。それが自分ですごく面白かったです。

水谷、というと今は相棒やけど、当時と今は芸風が違う、と言われるフシもあるけど、僕にとっては同じです。つまり「何かを演じている」というところで。まあ「役者」なんだから演じてナンボであり、それはハマればハマるほど名演技、ということになるんやけど、水谷の場合は僕には「アザトイ」ねん。そしてそれは、傷天のころから変わっとらん。そう今回も確信したのですね。

媚びる、ってなんだろう。自分がこう演じれば受ける、と思って客の要望に「過剰に」応えることじゃないのか。当時も今も(傷天は伝説的ドラマなので今も言及したブログなどがたくさんある)、水谷の演ずる「アキラ」について、かわいい〜だの、主役を食ってるだの、そういうファンの意見がたくさんあります。
僕はそういうの読むたび、あるいは、子供の頃も、リアルで当時そういう意見を周りから聴くたび、なんでやねん!コレの主役は萩原だし、実際カッコええし、水谷なんかあんな媚芸好かん!とずっと思っていました。媚びて可愛がられる水谷に、僕自身も嫉妬していたんだろう(萩原さんもそう思っていたという噂も当時ありました)。

萩原の演技は当時から天然と言われてたけど、その実、計算もあったろうし、それ以前にあんなフリーな演技をする俳優はいなかったから、その芸風をみんなで活かした部分もあったろうと思います。
それに味をしめ、フォロワーの人々は、萩原の芸風を研究し、それをもっと「産業風に活かすべく」計算で作っていったんだろう。それが松田優作だし水谷だったと僕は思っているのですね。
音楽にしろなんにしろ、オリジネイターをこよなく愛する僕は、やっぱり萩原こそ唯一無二なのであって、それ以降のフォロワーは亜流であるし、たとえ今現在の萩原がどれほど不甲斐なかろうとも、彼の拓いた道は決して褪せることはないし永遠に「オリジネイター」としての矜持を持ち続けている、と僕は思っています。
そして、そういった強いポリシー(媚やコピーを憎むというような)を今の僕も、当時と変わらず持ち続けていた、ということを再確認できて、よかったなと。

そんな僕にとって、最終回、綾部社長が「(逃避行に)修だけ連れて行く」と判断したくだりは、本当に救いとなりました。そうでなくっちゃいけない。修(萩原)だけ未来を感じさせるようなエンディングでなくちゃいけない。僕にとっては、それだけで、つまり「やっぱりショーケンだよな」と溜飲を下げられるエンディングだった、というだけでも素晴らしい最終回だったと思えます。

今度はいつ見返す時が来るかねえ。次、見るときはHD版やな。


PS
メイン脚本家の市川森一氏が言っていたように、萩原と水谷は精神的なホモセクシャル的繋がりである、という設定のようなのだが、よくわからないが、僕としては、水谷の「ぶりぶり」や「媚び」は、同性というより女子の方に「かわいいい〜」とアピールしたような気がしてしょうがないのです。そこが、ショーケン派の僕としては納得がいかず、女子に人気の水谷に激しく嫉妬してしまったんだと思うのですよね。つまり僕の方もショーケンにBL的意味で感情移入していたとも言えるのではないでしょうか。

このドラマは影響力が半端無く、後年まで、例えば吉田秋生さんの「カリフォルニア物語」などに取り入れられたりしたようです。僕自身、例えば「ビートルズとはジョン&ポールのBL物語である」と日頃から主張しているわけですけども、そういう僕から観て、この傷天の二人は、あまりそういう関係に見えないのです。どちらかと言うと水谷だけがしつこく、そこに拘っているように見える。そういうところが僕には受け入れ難いところなのかもしれません。