ブラジルから来た少年という映画がある。大好きな映画なのですが、大雑把な内容を書きますと。ナチスのメンゲレという医者についての映画です。
その関係でメンゲレという人をいろいろ調べていくと、自分の医学的好奇心と野望を果たしたいためナチに入党し、そこで医学関係を仕切ったということです。そこで行われた「彼の医学手術」はもうココに書けないくらい悲惨で…。個人でお調べくださいまし。
でですね、最近「死刑執行された方々」もそうなんですけど、例えばこういう医者とか学者とか「いろんな人々や先輩らと関係しつつ」「キャリアを長く積まないと」自分のやりたいことが出来ない職業の場合、その「過程をショートカット」するために「自分が一人で仕切れる団体に入る」というのはよくあるのです。自分がしたいことを「誰にも邪魔されず」やりたい。
この「途中が面倒なのでショートカットする」というのは、実は音楽とか芸術関係でもよくやることでして、例えば「東京では同業や先輩が上に居るため自分の時代がなかなか来ない*1」「同レベルでひしめき合ってて自分の存在意義がわからない」というような場合、立ち遅れたレベルの地方などに行って、そこで「手早く才能を活かし」トップになって中央に凱旋するということが可能になります。…そうです。私がやったことですそれ。
自分もそうだったように、人それぞれ理由はあるんだと思うけど、やっぱり「自分は特別なんだ。そうありたいんだ」と思い始めると、大勢の中のひとりで「時間やお金もみんなで分け合う」という立ち位置が不満になるんですよ。特に医者とか研究者とか、そういう意識高い系だと「もっともっと好きなことをやりたい」と思うはず。自分もそうだった。だから「お金を出してくれる」地方に行ったのだからね。そういう 自尊心のスキマに「洗脳者」というものも入り込んでくる。
私は移住のときには既に若くはなかったし、低能先生だった父に死ぬほど鍛えられてましたから洗脳はされなかったが、それでも「相手を信じて尽くせるなら、こんな楽なことはないなあ」と思っていた。クリエイターや研究者というものは往々にして、そういう「歪んだ父性」や「庇護」を求めてる部分もあるということなんやな。そこに権力者も付け込む。
こちら側としてはもちろん「出世欲」もあるだろうけど「好きなことしたい」というのもかなり大きく。それが「まともな科学者」だったら幸いだけど、マッド・サイエンティストで「ガスやら作りたい」と思う人だった場合「そういう環境を得たら」それを作ってしまう。そこはもう「良心に任せる以外に防ぐことは難しい」わけで、メンゲレだって どう考えても異常だけど誰も止められなかった んだから、最終的には「本人以外に阻止できない」のよ。
歌とかでも「黒歴史」というのがよくあって、「変な色物みたいな歌」を「変なカッコで歌わされる年頃の女子」がよくいますわ。子供だからわからないと思って「受ければ勝ちなんだから」とか言われて「オトナに騙されて」やらされちゃう。その結果本人も痛い子だと思われてしまい、その反動で「実際に病んで痛く」なっちゃう。そういうのも「クリエイターの良心」に任せる以外に「防ぐ方法」は今のところない。
地方とか特定団体とかに於いて、誰も阻止する者がなかったり、有力者に庇護されてしまった場合に「野心を持った輩が好きなように出来てしまう」ことの恐ろしさ*2。
そういうのが「悪魔の仕業」。ロックでは「悪魔に魂を売った」という言い方をよくするね。
誰だってみんな「天使と悪魔」の部分を持ってる。自分が自由環境を手に入れた場合に「どっちの自分を作動させるのか」。それは「本人の良心のみに委ねられている」という事実は恐ろしい、ということなのだ。
簡単に言うと、これらはどれも「万能感」ということに繋がるのだろうが、今さらそんな陳腐な言葉で括りたくないので、もう少し考察してみる。
自分の90年代を振り返ってみて、どうだったかというと「誰にも縋れなかった」し「信じられる宗教みたいなものもなかった」から、自分でなんとかするしかなかった。
結論から言うと、当時の自分を助けたものは「お金」。ホテルの仕事を始めて、当時の私、食事やシャワーなども施設を使い倒して、生活費というものが殆どかからなかった。家賃と電気代くらい。だから給料をほとんどまるまる機材に使えた。
私は10代の頃から「自分がやりたいことは機材が揃ってないと出来ない!」と言っていたし、師範に弟子入りしたりどこかで下積みとかも出来ない、なぜなら奴らみんな「時代遅れで古いから!」と主張してたんだけど、当然ながら誰も判ってくれなかった。若い頃に誰かの庇護のもとで、自分の希望が叶えられてたら幸せだっただろうと思うこともある
だが、この主張は今振り返ると「若気の至り」だった部分もあって、確かに機材が揃ってないと自分のやりたいことは出来なかったんだけど、しかしホテル時代みたいな環境と「その時の自分の人間性」じゃないと、機材がたとえ揃ってても、若い頃の感覚のままであのレベルの事が出来てたとは思わない。
つまり、自分が「そういう作品を産める実力と人間的成長が伴った時」に、初めて資金的にも潤ったということなのだな。
これは今でも「どっちが先か」ということは自分でも判断できない。これこそ「歴史にイフはない」的なことで「揃うべき時に揃った」としか言いようがない気がする。
つまり自分が若い頃に「宗教」だの「何かの団体施設」だのに関わって「好き放題出来る環境」が整ったとして、今みたいなことが出来てるかと言われれば、それは難しい気がするということ。いくら天才でもそれは難しいんじゃないか。何故なら「人間性が伴ってない技術は人間に応用しようがない」からだ。メンゲレの話や「あの宗教団体」の事件はそれを証明してる気がする。*3
というわけで、権力者の前に「自分は天才なのに誰も判ってくれない」「自分がやりたいのはこういうことじゃない!」などと主張する、承認欲求と万能感コジらせた「マッドな人物」が現れれば、「お互いの野望が止めどなく増大」して、とんでもないことが起こるのも、そら当然の流れであろうと。
ココからは余談なんですけど最近、例の「ブラック吹奏楽関連」で面白いことがあって。
その時の同期だった「キリスト教の亜流だかなんかわからないプロパガンダの出来損ない宗教歌ライブしながら地方まわってる空手女子」の話は散々ココでも書きましたが(すごい肩書w)、なんと先日、当時の同期男子(つまり私とも同期)を捕まえてコラボするとかいう宣伝が回ってきて、「!!!!」と思って即刻ブロックいたしましたの。その同期男子、半年くらい前に私フェイスブックで発見されてフレリク来たんだけど「今さらいいわ~」と思ってスルーしてたのね。そうしたらいつの間にかそんなことに(今は手作りオカリナやってるらしい)。
そんなことが最近あったので、またまた当時の記憶がいろいろ蘇ったのですが、その男子もそういえば「宗教ぽかった」のよ!
そもそもウチら「気合と根性ブラック部活」だったから、自分もだけど、人それぞれ、いろいろ思いながらやってたわけよね。その中で「脳筋みたいにガー」行くやつもいれば「陰キャみたいに脳内で捏ねくりかえして内面に入ってく」やつもいた。その内面派が彼だったの。ああーそうかー、そうなるわー、捕まったかー。みたいなもんです。
当時の部活について、当時から散々、冷めてるメンバー間では「これって宗教だよな」「もしくは連合赤軍」って言ってたのよ。そうして今こうやって顛末を見ると、やっぱりこないだの「執行された宗教」とも何ら変わんないわけで。ほんと思考の貧困ってアカンのやなあって思ったのだった*4。
もうこれは、今までに何度も何度も書いたし、どんなことにでも当てはまるけど、特に高校時代のアラウンド同期の人々とか、私の感覚じゃ信じられないような「年のとり方をしてる」というか、宗教歌を歌って回るとか、そんなのどう考えても当時のうちらなら「あやしいw」とか思うはず なのに、年取って、それが同期の人なら「頑張ってるから許す」みたいのって違うんじゃないか!って思うんです!!
「その思想に同意してるなら別」なんですけどね。まあ、同意してるのか。…な?知らんけど。
まあ、あらゆる宗教も「内面の考え方」って、どれも「どんな場合にも当てはまるように出来てる」から「心の拠り所として持っている」のはいいとは、自分も思うんだけども、やっぱりそれを「宣伝して歩く」というのは「勧誘被害に間接的に加担している」ということになるわけで、そうすると「その活動は認めつつも敢えて触れない」というのがオトナじゃないかなあと思うんだよなあ。なのに「なんであんな積極的にみんな応援してるのだろう??」と。まあそういう「営業」が当時から上手かったのが空手女子なのですけどね。ムカつくばいw
★追記@8月16日
また世間で吹奏楽が話題になってるな。まあ話は尽きないよね。いい機会だからこれも膿を全部出してしまえばいいと思う*5。
いろいろ自分のブログ読み返すと、当時の年齢が若かったこともあって「空手女子に対するやり場のない感情」が「かなりデカイく引きずった」ことが判る。彼女の場合、当時もそうだが、「今現在の状態が本当に酷い」ということがかなり大きく、そこまで「想定どおりに人生を外れていく」人もそうは居ないみたいに今も思ってる。
まあ本人は「宗教で救われて」ありがたく生きてるんでしょうけど、周りで振り回される方はたまったもんじゃないよ。きっと「宗教団体信者」や「赤軍メンバー」も同じような感じだったのだろう。
「何十年経っても人は変わらないんだ」という「悪いほうの例」として今後も語り継ぎたい。有能な人が道を踏み外すことがないように。
★関連
karamandarine.hatenadiary.jp