恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

共依存バイオレンス

興味深い記事を発見した。

ameblo.jp


渥美清氏が(寅さんのイメージとは全く異なる)プライベートを持っていたことは、存命中から、けっこう知られてたと思うんだけど、死後7年経って長男が書いた手記の中で、酷いDVを暴露されたのは、結構驚かれたと思う。当初は自分も「えー、彼もそんな酷い人だったか…」みたいに驚いたものの、「言われてみればそんな感じだなあ」と、さほど違和感もなくすぐに受け入れてしまった。

上のブログ記事、たまたま発見したんだけど、渥美氏がストイックさとパブリックイメージを保つための多大なストレスを「家庭内のDVによって解消してた」っていうことが「依存である」というのは、(僕は)気づかなかった視点だったので、ちょっと新鮮だった。

手記に書かれてたDVの内容は、うちの父の場合とそっくりだったので、たぶんにデジャブだったけど、しかし、何故にそこまで家庭内DVに「拘ったのか」という、その理由については、僕もあまり考えてこなかった。というか、父の気持ちなんか考えたくもなかったので、血筋だろうとか育ちだろうとか嫉妬だろうとか、適当なこと推測してたけども「依存」だったとはね…。

役者みたいな商売でもなんでもない、ただの公務員である父が、一体何についてプレッシャーなどがあったんだろう??と思ったけども、これはよく言われることだけども、家庭内暴力をする人の多くは「外面がいい」という特徴があって、そういえば、父もものすごく外面がよく、というか、穏やかな人と思われてるフシがあり、なるほどなあと思ったものです。渥美清もそうだもんね。

前も書いたが、父は何かのきっかけで切れると、本当に手が負えなくなった。感情のコントロールが、何かの拍子に切れるんやろね。そうすると、劇的にキレて僕の部屋の物をぶち壊したり投げ捨てたり、1時間位怒鳴り散らしたり(こっちはひたすら黙る)、そういうことがあった。それも、普段はそういうことが出来ず、抑えてるからだろうなと思った。

父は酒には強かったが、酔って帰ってきて暴れることもよくあった。これは酔ってキレる、というアルコール依存症特有の感じではなく、そういう状態で帰宅したことを母にナジラれ、大バトルになり、それがこっちに飛び火してくるという感じだった。あるいは出先での嫌な出来事を当たり散らしてる感じでもあった。

父は大酒飲みだったので、それに費やしたお金も半端じゃなく、膨大な借金があった。そのことも私たち家族を苦しめた。

何がいったい不満で、父がそこまでになってるのか、母も僕も全くわからなかった。去年だったかな、実家に行った時にも母と話したのだけど、「なんで彼はあんなだったのか??」と改めて話し合ったっけ。よくわからないが、何もかも嫌だったんだろうな。承認欲求が満たされてないと、ずーっと感じてたんだろう。

彼のそういう不満からくるストレスを、僕と母が支えていたのだとすれば、これは立派な「家庭」依存症だなと思ったな。僕らがサンドバックになることで、彼を生かしていたのだ(ちなみに父の弟は自殺してる。彼には依存先がなかったんだろう)。

渥美清のことは(寅さんは一切見てませんが俳優のスタンスとして)昔から興味があり、いろいろ研究もしたけども*1、ああいった優れた(とされている)芝居も、実はDVが支えてたんだとすれば、まあよくある話ではあるけども「因果なものだなあ」と改めて思ったわけだな。


自分が受けたDVに関していくつか補足しておきますと、「DV」というからには当然、何より先に、ともかく僕のことを、執拗に殴りまくりです。鼓膜が破れるかと思った、というか「破れたら問題が公になるから、かえってそのほうがいい、破れればいいのに」とまで思ってたくらいですよ?

あと飲酒については、不思議に家飲みでは父は常に機嫌がよかったんだな。外飲みで帰宅した時だけ、大暴れしたんだ。何か外であったんだろうな。と思うしかなかった。プラス、その後の母との大バトルやな。

僕へのDVについて母は止めることが出来なかった。ほんの時々は「いい加減にしてよ!」と父に進言することはあったが、大抵の場合は、父に思う存分、僕へのDVをやらせていました。まあ怖かったのだろうけどね。暴力の対象が自分に来ないように思っていたのだろう。

ふと思ったんやけど、いま、低所得者層的な人たちは変わらずDVだけど、父みたいな(インテリ?)層だと、DVせずにネット「ヘイター」になってるのではないかしら。

そういえば去年、帰省した際、父にも会ったのだが「お願いがある」とか言われて、なにかと思ったら、長いメモ書きをもらい「コレに関して」ネットで調べてFAXでもなんでもいいから、印刷して送ってくれという。
その「コレ」という内容が、安倍首相のやったこと一覧とか、そういう「いま流行りの」ネット政治的なことなわけ。
その時はもう「なんでこの歳になってまで、未だに父の言うことを聴いて、そんなことをしてやらなあかんねん!」とトホホな気分になり、しばらく落ち込んでいた。母がその様子に気づき、どうしたんだと言うから、父がそう言っている(母には言っていなかった)と答えると「ばかやろう、いつまであのクソジジィは、そんなわけわからんことを言ってるのだ!」と怒り、僕に対して「そんなことはしなくていい!」と一蹴した。

まあそうやな。たぶん父がネットでもやってたら「ネット左翼」にでもなってたんだろう。

…とまで書いて気づいたが、父はただの公務員だったけど、実は「労働組合委員長」だったのだった。これは全然「ただの人」ではなかったかも*2


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