恋する段差ダンサー

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黄昏の新橋ラプソディ

T○Sのオジさんに「昭和な業界飲み」を付き合わされてたとき、銀座や日比谷、新橋、新宿2丁目とかのバーによく連れてってもらったんだけど、そういう場所には必ず「中華系女子さん」が居るのですね。
そういうところで私、よく「話しやすい」と言われました。なんつか圧迫感がなかったのでしょうね。私、メイド扱いとかしないですし。

業界は相変わらず嫌いだった自分ですけど、そのオジさんにはよく付き合いました。その理由は「父関係の縁故だった」というのもあるけど「オジさんが偉い人」だったので、それに「くっついてる自分もちゃんと扱ってくれた」からです。
彼と一緒の「昭和豪遊」のときに私 不快な思いは一切したことがない。まあそういう「ヒエラルキーの世界」なんだな。だから「芸能界に於ける 2世の強さ」もよく分かる。まあ健全ではないよなあと思うな。

昭和なことを「一切拒否し続けてきた自分」にとって、こういう「昭和的豪遊」や「新橋サラリーマン3丁目の夕日的経験」というのは、唯一そのオジさんとの経験だけなんですよ。
で、いろいろ経験してみて、ああこれは「楽しい立場の人は楽しくてしょうがないだろう」と思ったな。何ごともムーヴメントの黎明こそが楽しいのであって、システム化されるとそれはもう違うんやね。別にこれに限らない。渋谷系とかだって同じ道を辿ったし。

いろんな「新橋銀座系おみず女子」の人と出会って、映画や演歌の歌詞の世界でしか存在しないような世界が「実際にあるんだ」ということを知ったのは大きかった。「昭和の歌謡曲」の、なんか「ああいう歌詞が書かれる理由がすごく解る」のです。

ただ、僕が連れてってもらってた時代は、既にバブルが終了していたので「みんな今後どうなるんだろう?」という漠然とした不安感があった。
また、そういう不安感を表すかのように「昭和の建物は軒並み老化」してて(改修するお金なんかないから)、どれも色あせた感じで「滅びゆくのをただ待ってる状態」になってたのが、またいっそう「場末感を煽って」辛かったよね。お店の「中華系女子」の人たちも、店がなくなったら帰ってしまうのやろか、もう黄金の国ジパングじゃないんだし、ということは思ってたなあ*1

ちなみにその時に、リアルでバリバリ流行ってたのが渋谷系です。あのジャンルはヴィンテージ昭和リスペクトな音楽でもあるけど、実際の昭和サブカルは「もう終焉の体」だったの。

そういう意味では、渋谷系にすら掬い取られない場末な文化は、みんなどうなったんだろうなあと、思い出すたび切なくなるね。

そんな私の世紀末。