恋する段差ダンサー

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「中身はオトコだから」の薄気味悪さ

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「若林 vs 岡江」の件で思い出したんだけど、昔から「女性俳優や女性音楽家はオトコだから」みたいな言い方が業界にあって、しかし個人的にその意味がどうしてもよくわからなくて、ただ単に「気が強くないとやっていけない」「表向きな(女性的なビジュアル)イメージとは違う」みたいなことなのかと思ってたけど、それも含めて自分としては、どうもそういう 言い回し自体が違和感というか嫌悪感ある ということに気づいたのね。

自分が過去に聞いた話でも、女優は「周りが男子でも平気で素っ裸になるとか、それくらいの根性でやりなさいよ」みたいなのがあったのだけど、今回「ああなるほど!」と思ったんだよな。それって「そんなこといちいち気にしてらんない」というのももちろんあると思うけど、そうすることで「スタッフや監督に一目置かれる」ということは絶対にあって、それはもちろん「根性的に」という意味もあるけど、それプラス「サービス」でもあるんだろうと。

そういえばキャバレーのバンドの仕事の時に、ツキイチくらいでストリップが来たんだけど、客席にはちゃんと隠すんだけど(しないと捕まります)、振り向きざま(客席には尻見せ)とかにバンドにはペロッと見せてくれるんだよね。そういうのと共通したのを感じて、つまりベテランである大物女優が、若手に対して「ほら、それくらいしなさいよ」というパワハラはあっただろう、と想像してしまえるし、個人的にはそれは「根性ある」とも「オトコみたい」とも思えなくて、ただの「ハラスメント事案」なんじゃないかって思って、ああなるほど、それが自分の中の違和感と嫌悪感だったんだ!と気づいた*1

自分の先輩とか、「芝居関係の舞台監督」や「古いしきたりの音楽界住人」が多かったでしょ。そういう人たちがしたり顔で「ああいう世界の女性はオトコだから」などというときの、その裏にある「本当の意味合い」が理解できたような気がして、なんだかゾゾッとしたなあと*2

もちろんそういう下世話なことだけでなく、男社会と言われる中で生きていくには「自分もオトコ化しなければならない」という場面はすごくあっただろうし、それは「芸能関係に限らず」普通の社会人でも「キャリアーウーマン」的なものになるには、そういうことが求められてたのだろうと思う。

自分が違和感と気持ち悪さを感じてた部分も「そこ」で、なんで「女性のままで」続けるわけには行かないのだろう?と。というか、そうすることを「あれは"オトコ"だから」という表現をすることの薄気味悪さというのかな。それがどうしても「自分として納得できなかった」ということなんだろうと思う。これは「上京してすぐに」音楽芸能関係と関わってから抱いていた感覚なので、ずーっと 長いあいだ思い続けてた わけだね。

確かに、自分がこういう話を聴いた当時の「ジェンダー感」みたいなものは、今よりも全然「旧来型」だったから、まず最初に「女子とはこういうもの」という前提があり、社会に入り込むためには「男子化」しなければ入れない、みたいなことが多かったんだろうと思う。
しかし会社勤めならともかく、映画や芸能といった世界で「女優」としてそれ(性別的な)を売りにしているのに、その実は男子化していた、というのも妙な話で、そういう中と外が異なる(ように見える)ということが「自分にはよくわからなかった」んだと思う。

「オトコだから」という言い方と同じくらい「この世界は男と女の感覚が逆だから」という言われ方もよく聴いた。つまり 本来なら女性の持ち味とされてきた「繊細ナイーヴ」的な感覚を男子が持っている、ということなんである。
まあ考えると分かる。当時はだいたい「クリエーターが男性側」で「女性側が演じる立場」だったからだ。しかしそれは性差ではなくて立場の違いなだけで「男と女が逆」というわけではないでしょ。
初期に「したり顔の先輩たち」からそんな言われ方をした僕は、かなりカチンと来てしまい、そこから積極的に「ナイーヴ男子」の返上を意識するようになった。要するに「あなたとは違うんです」ということやな*3

今の現状にあった言い方をするなら「男女どっちでも好きなようにすればいい」が答えだと思うけど「女子は女子らしく」が一般的だった時代においては、男子化するしかなかった ということなのかもしれない。
そして決して「男子ぽくはない僕自身」が、それに拒否反応が強かったのも当然だったかもしれない。


ちょうど10年くらい前かな、ツイッタで知り合った作曲家女子と仕事関係の話をしていたとき、彼女が「自分は女子力を重視せずサバサバしてるので一般的ではない(大意)」というような事を言ってて、それを聴いた僕は「いや、そういうことを言ってることそのものが 旧来型の女性感そのもの だと思うのだが…」と思ったということがあって、そのひとは当時アラフォーでしたが、やっぱりそれくらいの年代だと「業界女子はオトコ」という概念から逃れていない ので、そういう感覚なんやろなあと思った。
僕はそこに、オタク男子が萌え絵を「エロくない!」と言い張る薄気味の悪さと同じものを感じて「ああこの人とは上手く行かんな」と直感した(実際にそうなり物別れした)*4

結局、業界女子にしろ女優さんにしろ、この作曲女子にしろ、そこでオトコになるために、不本意であろうと「かなりな部分を拗らせなければならず」、それが当時唯一のハックでもあったのだろうし、それがまた「悪しき慣習として後輩へのパワハラとなっていく」というのが連綿とあった業界ミソジニーの流れなんじゃないだろうか。と。

あと、そういう中で「男女が逆でいい」「男子はナイーヴでもいい」というのは、それは 男社会で男子優位が約束されているからこそ、そうやって甘えることが出来るのであって、それこそホモソーシャル なのではないかと。そういうことが、僕が長年「気持ち悪いと感じてた本質」なんじゃないかと思ってると*5


★自分のアイデンティティに繋がっていく

私は子供の頃から「女子うた」ものばかり聴いて、しかもそれを「音楽に合わせて同じキーで歌い続けた」ため、スッカリ「感覚と歌い方が女子になってしまった」わけだが、そういう感覚の自分が「女子向けオリジナル作品」を作り、それを「女子やアイドルに歌わせる」だけでなく、「セルフカバーで自分自身も歌ってしまう」というのは、これは「贅沢なこと」なんやなと思ったんだよね。

「男女逆だ」と言うなら、男子である自分が女子として歌ってもいいわけだし、またそれは成り立つはずなんで、自分は一貫して、そこを突破口にして活動してきたんやなあと思ったのだ。

あとココ10年くらいの私は、女子曲を女子ぽく歌うのではなく、ある程度「べらんめえ」で歌うように心がけてて「女子が男子ぽく・男子が女子ぽい」ってのは、こういうことを言うんだ!みたいなことの体現を実践してるのね。それが僕のリヴェンジなのだと思ったということだな。

*1:関連 → 無感情からの開放 (田嶋陽子さんを非難したアイドルのくだり)

*2:実は、当時こういう話を聞いたとき、自分は「女性も男性と同じように活躍できるなんて、さすがに業界は進んでるなあ」と、今とは全く逆の感想を持っていたのである

*3:ナイーヴ男子は、いま思うと「サブカル男子」そのものである。今の自分が彼らと距離を置く理由もこれでわかる

*4:今はアラフィフになりますね。過去にいろいろ大変なこともあったのだろうと、今なら少し彼女に寄り添えるかも知れないが

*5:マイノリティはマジョリティに合わせないと存在を認められないという話にも繋がっていく