恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

女子高生が「強い」とされてた時代

90年代って、そういえば「女子高生ブランド」の地位が高かったよなと最近思い出したのですよ。まあ今も話題にはなりますけど、せいぜいツイッターなどで「マックの女子高生」みたいな「自分の言いたい揶揄を代弁させた」みたいな非実在みたいなものとして上がってくる程度です。

そうでなくて、実際に「女子高生の発言力&影響力が強かった時代」というのがあったんだということを、実体験を元に思い出していきたいと思います。


まずはこの動画を。


ルーズソックス 1994

90年代の女子高生と言えば、なんといっても「ルーズソックス」に代表されます。この動画はそれだけでなく、バッグの持ち方とか、そういう女子高生の風習についても紹介されています。

どういう理由なのかはわかりませんが、90年代に入ってから「女子高生」というブランドの取り扱い方が変化したように思います。それまでの「夕ニャンから始まったアイドル的なもの&ちょっとエッチなもの」という捉え方じゃなくて、「文化的な意味での」発言力や影響力の大きさが注目されるようになってきたのですね。つまりメディアや企業が、彼女たちの影響力をバカに出来なくなってきたということです。
で、実際にどういう事が起こったかというと、会社の新製品開発部署なんかで、その辺の女子高生を集めて意見を言ってもらうとか、新商品や新企画のアイディアを出してもらうとか、マーケティングとか、そういうことが実際に行われるようになり、また「それ自体を売りに」製品がリリースされたりするようになりました*1

当時の文化として、ルーズソックス以外に、かなり大きな存在としては「プリクラ」があります。彼女たちの持っていた手帳などには、クラスメイトと撮ったプリクラが多数貼られていたりしました。友達が多いことが自慢でしたよね。

それと、個人的に「これはすごいことだ」と思った風潮がありまして、それは、上記のプリクラに関連するのですが、彼女たちが「母親と仲良しアピール」をし始めたことです*2
母とのツーショットプリクラも当然ですし、なんなら「写ルンです」で二人で撮った写真アルバムを誇らしげに開帳していたりもします。
あと、なんといってもスゴいのが、当時の彼女たちの「母の服をお下がりで着ている自慢」でした。ちょうどヴィンテージ&レトロブーム(渋谷系)で、流行が一周りしてた感があった時代でしたが、彼女たちの母の世代の服が時代に合っていたのですね。
個人的にも、当時の女子高生たちの知り合いで「これ母の服なの」と言って自慢してくる子はたくさんいました。ともかく「家族と仲良しアピール」がスゴイんですよ。親なんか「否定してなぎ倒して乗り越えていくもの」だと思ってた私は、本当にびっくりだったわよねw

あとは、上記の渋谷系にも関連ですが、80年代の「舶来オシャレ重視」から和物見直し風潮になってきます。谷根千などの江戸町並みや和菓子などの文化が再評価されてきたのも90年代ですし、和モノ回帰がオシャレであるというように流れが変わります。
それと同時に、女性のメイク傾向も変わり、いわゆる「細眉&チーク」がメインになってきます。80年代までの「濃い顔」は軒並み時代遅れになってきます。
それに伴って流行アイドル顔の下剋上が起こり、私よく例に出して言うのですが、アイドルグループの「CoCo」内での力関係が「羽田惠理香さん」から「宮前真樹さん」に移行するということが起こります。個人的には、コレは90年代顔についての象徴的な出来事だと思っています*3


数年前ツイッター上でこのような考察が行われました(私も登場しています)。
togetter.com
このエントリーと上記の考察を併せると、よりいっそう当時の文化がわかりやすくなってくると思います。
それにしても今見ると、語り合っているメンバーが「そうそうたる面々」ですよね。この彼女たちが、当時の「影響力&発言力の大きい女子高生」だったわけです。そら敵わないわw 今でもじゅうぶん片鱗あります*4

参考のため、大雑把ですが例えば「1995年に17歳だった」と仮定すると、その人は「1978年生まれ」となります。前後 2〜3歳を含めて、だいたいこのくらいの世代だと思っていいと思います。*5
最近のツイッターなどを見ると、ミソジニー発言が非常に多く、女性側のつらい立場が目立ちますが、もしこの当時に今のようなSNSがあったとしたら、彼女たち「女子高生スクラム」で、ミソジニーヲタなどひとたまりもなく駆逐されてたのではないかと思います。
今の彼女たちですら、発言の説得力はそれなりにあるんですから、それが現役女子高生だったら、その若さの勢いで「向かう所敵なし」だったでしょうね。私はそういう場面を実際に当時目撃していて、そのように彼女たちが旧弊悪癖を根こそぎ否定して駆逐していくのを「すごい!」と。「時代が変わっていく!」と思ってワクワクしていました*6
前にも書いたように私は、マイノリティである女性の立場を「自分自身に準えていた」ところがあったので、そういう光景はとても心強かったのですよね。今でもこの時のことは忘れられないですし、現在の活動の根底にも、当時のこの経験が強く生きていると思います。


上記マトメにも関連する動画を貼っておきます。 


ルーズソックス 1996

ルーズソックスの発祥から全国への伝搬。マトメを裏付ける動画ですね。この頃から「携帯」が普及し始め、女子高生たちの通信手段も、ポケベルから携帯に移ってきます。友達や母とのツーショットプリクラも、携帯に貼られるようになってきます。


当時の「強い女子高生」は「消費 or 搾取された」のでしょうか。そこは当人たちに訊いてみないとわからないですよね。ただ言えるのは、当時の彼女たちは「圧倒的に数が多くて強かった」ということです。数が多いと「ただ単純に怖い」んですよ。メディアや企業の人もそう考えたと思う。これは無視できない、と。だからアチラ側から女子高生側に擦り寄って来るしかなかったのです*7

当時の「女子高生」文化を語るとき、絶対に抜かすことのできないものがありますね。ブルセラです。私も2度ほど渋谷のそういうお店に行ったことがあります。何気に客層などを見てましたが、(商品が高価であることもあり)それなりに身分もありそうで小奇麗な若手社会人、といった人が多かったです。こういうとツッコミがありそうですが、存在位置的に、個人的には「今のメイドカフェ」に近いような感覚があります*8。性的なもの抜きで「人間」と対峙するのか、性的なものありだが「人ではなくモノ」なのかの違いだけというか。個人的には「これは性的なもの」と理解した上で「モノにお金を払う」ブルセラのほうが受け入れられますけどね。まあそれは個人の見解なので*9


最後に、この頃の文化を描いた秀逸な 2作品を紹介します。 

PAIN〈ペイン〉 [DVD]

PAIN〈ペイン〉 [DVD]

 

 

ラブ&ポップ SR版 [DVD]

ラブ&ポップ SR版 [DVD]

 

 
個人的には圧倒的に「ペイン」推しですね。ただ一般向けには「ラブ&ポップ」です。ちゃんと映画という文法に則ってますし(カメラワークなどは斬新だが)見やすいと思う。でもリアリティあるのは「ペイン」なのです。
そしてこれらは、どちらも「90年代が終了する頃」の作品であることが重要です。つまり「熟成して終わっていきつつある」文化を描いてるってことです。なので、どちらも見終わったあと、スゴく寂しさと切なさが残ります。もうこの時代は二度と戻ってこないのだと。

それを現在まで引きずっているのが「アラフォー逢魔ヶ時」ということなのです。


2018年の今、ロスジェネと言われ「日本のお荷物」みたいに扱われている不運な世代ですが、私の音楽的再浮上も「この世代」がなければありえなかったのです。それを考えると、私はこの世代の人々に対して感謝しなければならない。でも言い方を変えれば、私は彼女らを「踏み台にしてしまった」ということなのかもしれない。そう考えると「ちょっともったいなかったなあ」とも思ってしまうのです。

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★関連karamandarine.hatenadiary.jp

*1:この商品は女子高生のアイディアを元に開発されたものです、みたいな

*2:友達親子

*3:荒木経惟氏が撮影するモデル顔の変化が顕著です

*4:補足するとこれは「東京の女子校文化」でもあります。渋谷系がそうだったように、この文化は東京が中心だったということはあると思います。つまり、これはこれで「マジョリティ」でもあったということです。ちなみに登場メンバーのうちの一人と私は、後に交際することになります。完全に余談です

*5:つまり見事に現在の「こじらせ40代」「ロスジェネ」になってしまう

*6:個人的見解だが、今の40ヲタの人々は、このときの自分らに対する攻撃の恨みを忘れてないのではないか。それがトラウマになり今の反撃に繋がってる気がする

*7:「おやじ狩り」もこの頃。ヤマンバは少しあと

*8:「耳かき」みたいな接触含む

*9:私自身はビデオを1本購入して帰った

いにしえの築地しぐさ

先日こんな増田がアップされ盛り上がっていました。
anond.hatelabo.jp

ブクマで書いたように、私は築地の魚河岸でバイトしていたことがあります。店名バレを防ぎたいので、主な仕事内容は「高級魚と言われる魚の洗浄」「高級で珍しい魚を解剖してキモを取り出す」とだけ言っておきます。

そんなわけで懐かしくなり、お店をググったりしてみたのですが、あまり情報がなくて、残念ながら現在の様子は知ることが出来なかった*1
記憶では、社員で偉い人が終電で出勤とか、午前2時にタクシー出勤とかしてた。自分らバイトは始発で。午後2時ころには上がれたんじゃなかったかな。終わってバーに行く人がいたり(午後からやってる店)。そのため朝からガチガチにヘア決めてたりする職人さんもいた。

社員以外のメンバーは、流れ者のバイトとか、荒くれの河岸職人みたいのばかりだったから、消息を調べようにも「いったい今どこで何やってるんだろう…」って感じだから無理だろうな。
そもそも数あるバイトからわざわざ魚河岸を選ぶとか、その時点で「人として特殊」だと思うから、やっぱり何かありそうな人ばかりだったよね*2

上記の増田の内容も、そんな「不器用だが職人気質な」魚職人たちの様子が描かれてて「そうそう。わかるわ」と思ったのよね。


まあそんな感じで、自分の懐かしい記憶を辿ったりしながら、ブクマコメントをゆっくり見ていたら、こんなものが貼られているのに気づいた。
togetter.com
このまとめは一体どういう趣旨で作られたのか、今ひとつ把握しないまま「そうそう!懐かしい。このままだよー」などと懐かしみながら読んでいたが、途中で、どうやらこれは「批判目的」というか「問題提起」としてまとめられたようだと気づいたのよね。

そっか!普通の人は「これは異常じゃないか?」って思うのか!

私は、働いてた当時も今回読み返したときも「そうそう!こうだった」と思っただけで「これが当たり前」だと思っていたのだ。だって「これが普通」だったんだもの。誰も疑問に思わない。私も、最初はビックリしたかも知れないけど、すぐに慣れて「こんなもんだ」と思って働いてたはず。むしろ、こういうことに慣れていくことが「一人前になっていくこと」だと思わされてたフシさえある。
さっきも書いたように、一癖も二癖もあるような人々で、荒くれ者の職人が「オトコっぽく」働いてる現場ですよ。さながら究極のホモソーシャル現場と言ってもいいのではないだろうか。だから自分も「これで普通」だと「普通に思ってた」のだ。

それが外部の人の目から見ると、異常に見えたんですねえ…。そうだったのか。

今思えば、上記のまとめ内で指摘されてるような問題点を現場で見ていながら、なぜ自分は「不衛生だ」とか「常識としておかしい」というように 思わなかったのだろうか。
慣れてしまっていたからだけではない。どこか心の底で「彼ら職人の 判断 を信じていた」のではないだろうか。くわえタバコでも、床に放置されてても、引きずったりされてても「プロの職人がやってるんだから、これくらいは大丈夫なんだろう」と思い込んでいた*3
まあ確かにそうなんである。これらを買った人々が、無加工でこのまま食べるなんてことは、そうそうないことで、その先の魚屋やスーパーでキチンと処理や加工などされれば、衛生的に問題なくなるんだろう、などと呑気に思ってたんですよね。

これに関しては今もわからない。「これくれぇ デェジョブだよ」と彼らが言うなら、それでいいのかも知れない。でもそれはそれとして、現代の衛生観念には合っていないことも事実なのであり、そう考えると、ちゃんと変わっていかなければならないんだなあと改めて思ったのな。しかし現場にいて外に出ないと、その感覚が麻痺してくる。そういうことなんだと。これはあらゆる業界に言えることですよね。


ちなみに。
自分自身が このバイトで一番きつかったのは、実は「ターレ排気ガスでしたよ。

早朝の魚市場なんか「爽やかで新鮮なイメージ」あるけど「ぜんぜん違う」ね。「排ガスの充満した怒号の飛び交う戦場みたいな場所」だったよ。その感じは上記まとめでも少し判ると思う。でも「それで普通だと」思ってたんだよ。

まあでもいい経験だった。普段ぜったい出会うことのないような人々、ああいうの好きな人々と触れ合えたのは、人生としてすごくおもしろかったんじゃないだろうか。

色んな人がいる。それがわかっただけでも、とてつもない収穫だったなと。


★おまけ 〜 築地訪問(2011年)*4

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*1:お店自体は存在しています

*2:自分もやっぱり癖のある知り合いからの紹介

*3:実際、新入りはガミガミ怒鳴られていたし、事細かに注意もされていた。決して衛生的にズボラだったわけではないと思う。長年の勘で「これは大丈夫だ」という基準を、それぞれが持っていたのだと思う

*4:バイト先を訪ねたが営業が終わっていた

いにしえの日本しぐさ 2

実家で発見したお宝シリーズ。その2です*1
前に「70年代の絶望感」について書いたとき*2、その中で「メディアや雑誌で危機感を煽られてた」みたいなことを言ったのです。その記事を書いた時は、あくまで自分の「幼少の頃の記憶」で書いたので、「たしかにそうだったとは思うけど確証があるわけでもない…」みたいに思ってたのですね。

ところが、その後、実家の屋根裏を奥深く掘っていきますと、なんと!それに該当すると思われる本が出てきたのです!おそらく自分の記憶もこのとおり、この本で間違いないと思いました。なので早速ご紹介します!写真は拡大できます。


★少年朝日年鑑。
昭和49年ということは…1974年!
前回の「中一時代」と同じ年です!
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★ココでご注意!ちょっと「リアルな写真」が出てきます!
苦手な方は見ないほうがいいと思います!










★公害の先進国
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日本中が公害に侵され、絶望感が示されます。


水俣病の20年

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これは本当に見るのが辛かったです。
ここで20年…。
ということは現在は「64年目」ということになります。


★患者さんの様子
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これを発見したあと水俣病に詳しい方に話を伺いまして、ココに出てくる方々はみんな、現在もよく知られてる方々だろうということでした。

公害病

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こういう日本でした。



いかがだったでしょうか。内容は確かに記憶通りでした。しかし「知ってた」とは言ってもですね、こうやって改めて見てみると、これらの画像に「やっぱり」新たにショックを受けるものですね。いい大人の自分が、しかも初見ではないはずなのに、これだけ衝撃的だったわけだから、この本の想定読者である「当時の少年」は、いったいどう感じたのでしょうか。

先程の「水俣病に詳しい方」からお話を伺った際、「今だと精神的ショックのことが考慮されるから、小学生にこれを見せるというのはありえない気がする」と仰っていました。事実を知らしめるのは大事だけども、だからといって、子供相手に何でも見せていいというわけではない。と。例えば原爆資料館などもそうですね。トラウマになるから十分配慮する、というのが今の倫理観ではあると思います。
しかし、長崎の方にこれらを見せたとき「自分らは長崎で、子供の頃からこれよりも もっともっと酷い写真 をたくさん見せられた」と言われ、現実は直視すべきだみたいなことを仰っていました。それもたしかに正しい気はします*3

僕自身、これらを子供の頃に見て、先のブログ記事にも書いたように「地球は終わっていくんだ…」という終末感を煽られたのも事実です。また、現実の自分の周りについて(北海道でしたが)、これほどまでではないにしろ汚染はあったし環境意識も低かったというのは事実として記憶があるので、自分と関係ない、遠いどこかの話とは「思っていません」でした。

また当時タイミングのいいことに、楳図かずお氏の「漂流教室」というマンガが連載されており、それがまた「地球の終末感」をたいへん煽ったのですね。今読み返すと、あれらはフィクションの一部として捉えられますが、当時リアルタイムの日本で生きてて、こういう現実を実際に見ていた身としては、「じゅうぶん有り得る未来」で、決して空想の話とは思えなかったのです。

よく当時の風潮として「ノストラダムス」の影響について語られますが、子どもにとっては、難しいノストラダムスみたいな本よりも、テレビやこうした本で取り上げられる「酷い環境問題」のほうが、よほど不安感を煽られ「自分たちは滅んでいくんだ…」という気分にさせられたのが事実だったのです*4

「少年朝日年鑑」ということは。まあ「朝日」なんですよね。そこを捉えて殊更なにか言う人もいるかも知れません。しかし当時の日本は「高度成長期」で、国が経済的に潤うならば他の全ては犠牲でもいい、というような社会でもあったのです*5。そういうときに、当時の若者、ちょうど団塊世代くらいだと思うんですが、彼らが「政府なんか信用できるか!」と怒るのも当然の流れだったし、今の「いわゆる左派」の人々が今もそれを引きずってるのはわかる気がします。彼らにとってのトラウマなんですね。


前回の「女性だけの街」記事もそうだけど、あれから「44年」も経って、今の日本が当時と「どこか変わった」のか。当時これらを読んでいた少年少女、いまアラ還とかだと思いますが、偉くなったり大人になった彼らの現在の意識はどうなっているのか。

そういう事を考えていくと、日本という国のスタンダードというか「日本しぐさ」について、いろいろと見えてくる気がするのです。そんな発見でした。

*1:karamandarine.hatenadiary.jp

*2:karamandarine.hatenadiary.jp

*3:ココには載せなかったが長崎のリアルな原爆被害写真も掲載されていた。

*4:他にもNHKでこういう番組がオンエアされていた。→ 70年代われらの世界 - Wikipedia

*5:富国強兵の別バージョンに過ぎない。似た話は同じく、楳図かずお「おろち/眼」でも描かれている。