恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

サブカル下北沢

若者の街・下北沢の乗降客数が激減。
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「世代回顧話」をしないようにしてるので、あまりこの手の話もしないんだけど、自分にとっての下北沢というのは「紛れもなく80年代の街」で、もちろん当時からとっても流行っていたし、オシャレぽくサブカルでもあり、若者も大勢来てた街だったのです。僕は、ここに友人が住んでたので「主に80年代前半に」頻繁にこの街に来て遊んでいました*1

その後、世間はバブルになって、もっと華やかでシャレオツでキラキラした街が流行って、下北みたいな下町は話題に上らなくなった。その後僕も千葉に都落ちしたので、すっかり下北のことなんか忘れたわよ。

そうしてやってきたのが「90年代のレトロブーム」でして、いきなり「昭和サブカル文化」が復活し、下北みたいのがオシャレだということに「再び」なった。そんな時期に、今度は「別な友人*2」が下北に越して、今度はそっちによく遊びに行くようになり、行くたびに「今は80年代なのか?」と言って笑ってたのは楽しい思い出だね。

ちなみに最初の友人(80年代)が住んでたアパートは、そのまま古着屋みたいなお店に変わった。横浜銀行のすぐ裏。むかしはこんな超絶便利な場所も「住むためのアパート」だったのだよねえ。
未だに僕は「80年代の街だった下北」が、なぜ 90年代以降に「サブカル聖地」的になったのか理解できないんですが、街の残り方としては「綺麗に世代交代」しつつ「全世代楽しめる場所になってる」のは理想的なのかもしれない、とは思うけどね。

まあしかし同年代の人は「ゴチャゴチャして嫌だ」と言ってみんな避けるようになったけどねw

上記の記事読んで、下北沢の再興についていろいろ調べたら、2000年代に「人気復興を画策したフィクサーが居たらしい」こと言ってる人がいたが、さもありなんと思わせるくらいは「なんでまた?」と思ったのは確かだもんな。

まあただ「流行は20年周期」だっけ?たとえば「80年代に子ども出来ると 2000年代に若者になる」から、親世代の流行が一周りしたというのは辻褄は合う。実際当時(今もかな)母親の古着を着てるというサブカル女子 とか多かったもんな*3

友人と一緒に街を歩きながら「まさか20年も経って、当時と同じような景色の中を、さほど変わってない自分が同じような気分で歩く とは思ってもみなかった」と繰り返し言ってたのを覚えてる。それくらい 20年間変わっていない街 だったからなあ。

僕がよく「自分の青春は90年代」「90年代〜2000年代こそが自分の世代」というのはそういう意味もあって、さながら昔が戻ってきたみたいと思ったというか、例えばよく「高校生に戻りたい。でも今の感覚のままで」みたいなことを言うけども、それと似ていて「今の自分の感覚のまま当時に戻った感がある」ということがすごく大きかったんじゃないかと思うのだ。

前にいろいろ書いたけど、それをきっかけに私「自分の作品の作風もスッカリ当時に戻した」のね。そうすることで 2000年代レトロ・サブカルスタイルに「普通にコミット」出来たわけで、特に「この15年くらいの僕の作風」は(ミルク含む)、全くひねりも何もなく「自分が子供の頃〜成人くらいまでの音楽性をそのままやってるだけ」である。

自分がこういうことをできたのは、一旦音楽活動を「完全に」離れて「ホテル業をやったことでリセットされた」ということが大きい気もするね。

つまり上京後のバンド活動とか吹奏楽とか、人間関係含めて完全に途切れたわけで、「ミッシングリンクがない状態」になったわけです。そもそも「ミッシングしたリンクがない」ということ。そこで完全に「僕の音楽的な歴史が断絶」していて、全く別なところから新たに始まったという。鉄道で言えば路線付け替えですよ。そういうところがおもしろかったのだなと思う。

僕はよく「故郷時代の僕は自分ではないので、自分の年齢も 故郷を出たときをゼロ歳 にして数えている」というのだけど、そういう意味では「自分の音楽歴も完全に95年から始まっている」と言ってもいいということなのですね。

そこに下北リバイバルが、うまいことハマったということなんやな。


★関連

karamandarine.hatenadiary.jp

*1:声楽専攻でパンク好きな奴。下北では「たこ焼き屋」のバイトをしていた。

*2:船橋一軒家で隣人だったW氏

*3:テレビなどのメディアでも「ともだち母娘」みたいのが流行った