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恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」まとめ。まだまだ深く掘っていきマスク。

佐世保の事件について雑感

雑感、などとタイトルしましたが、次々明らかになる事件内容に、気軽に何か言えるような程度の問題ではないな、と思いつつ、しかし7年間もあの県に住んでた身としては、他人ごととも思えず。いろいろ深く調べてみたら、僕が知っている、あそこいらへんの閉鎖性と悪い部分を、全部まとめたみたいな事だなと思ってしまった。
…といった話をすると、どこでもこんなだよ、とか、県民性や地方都市などという問題ではなく、加害者の個人的資質、あるいは障害に起因する「特別な」事件なのだ、と言われるのだけど、それは十分わかった上で、あえて、僕の経験を交えて語ってみたい。

前にココでいろいろ書いたの憶えてる人もいると思うけど、彼の地は、みんな一般的におとなしい住民が多いので、そこにハッタリで君臨しようと思えば、わりと簡単にそれが叶えられてしまうんだって話*1。ただでさえそういう土地なんだから、じゃあハッタリじゃなく「ホンモノの実力」で仕切ったとしたら…。それはもう王様レベルで誰も逆らえなくなるだろう。伝わってくる情報から垣間見える加害者父という人物は、それくらいの絶対的存在な人物だったってこと。

更に下世話なことを言うと、イケメン(風を装って演出してる)だし、同年代の主婦とかには「キャー」って人気あっただろう。そういう「まず印象から詰めていく」というスタイルは、地方では特に必須であり、「典型的」だなと思った。事件さえなければ「アホ臭いなあ」と思うところだけど、しかしこんな事件になってしまったので、そんなことも言ってられんばい。。たぶん氷山の一角たい。

僕はこれらの情報、加害者両親の「自分大好き」な様子を見て、大阪の子ども放置死事件の母の父が有名ラグビー監督だったことを思い出した。ネグレクトの連鎖。これらのオトナどもが一生懸命だったのは「自分自身の名声」だけである。

地方というのは、「病んだ人」の行き場所がないところでもある。たとえば小國氏にしても、放火事件を起こしてしまった知人女子にしても、最初から病んでたわけじゃないと思う。ちょっと感覚が鋭くて、空気読まずにいろいろ言動してたら、どんどん遠巻きにされた、という感じかもしれない。
これね、さほど身近じゃない人たちはそうでもないのよ、みんなそれなりに親しくしてくれると思う。つらいのは、身近な人が「まあまあ」などと言いながら、理解しようとせず、なだめようとするところなんである。自分は、なだめられたいから、構って欲しいから、そう言ってるわけじゃない、「判って欲しくて」そう言ってるのに、「まあまあ」となだめられるわけだ。身近な人がこれでは、それこそ、放火もしたくなるレベルまで、気持ちがふつふつと沸騰してきてしまうのもわかる気がする。

いろんなことがあって、自分が駄目になると思い、去ってきた僕であるが、そのまま居残って、被害者父のように、別に気にせず楽しく君臨していればよかったのかもしれないと思うこともある。一度は酷い目にあったが、また復活することもできたでしょう。でも、また何かあったとき、同じように「まあまあ」と言われなだめられるという事を繰り返して、やがて麻痺して、知らずのうちに病んでいくのかと思うと、すごく恐ろしくなった。NGSKで出会った放火女子、小國氏、そしてセクハラトロンボーン氏といった人々は全部、将来の自分の姿だと思ったね。
自分の中の勧善懲悪な感覚がムクムク目覚めていく。それはいかん!という憤りが常にある。そんな気持ちを抱えたまま、よその土地で一生を終えるわけにはいかんよな、と思った。そのエネルギーは自分自身の晩年のためにとっておけ、そう思ったな。だから首都圏リターンを決意したということでもあるのだ。

もいっこ思ってることがある。ココで3年前あたりに散々書いたことだが、NGSKの人たちが自分らの街を好きすぎてうざい、という話なんだけど、実はこれ、そうでなくて、全然好きじゃないと思う。口ではそう言ってるが、住み続けるしかないからしょうがないからそう言ってて、でも二口目には「でもこういう ところがよくない」などと言うし、町に元気になって欲しいとか、いろいろ文句言うってことは、そのままじゃ嫌なんじゃん。町を構成してるのは自分ら市民な んだからね、つまり自分が嫌いで、でもしょうがないから無理クリ好きと言い聞かせてる、みたいな事なんだなと。町が「変われば」「元気になれば」いいと願 うのは悪いことではないと思うが、そうでない人、別に今のままでよか、と思ってる人はどうなのか。って話でもある。

こないだちょうど、ある女子のTV出演の時の話から、スタッフのなかに妙に意識高い系の人がいたら面倒だよね、と言う話になって、それはやっぱり半端だから、そうやって空回り するんで、本当に意識が高く、それを他の人々や町全体にも浸透させたいと思うなら、そんな輪に混ざらないような行動はしないだろ(もっとみんなで全体をまとめて高めようと思うはず)、ってことになったな。僕 が会った「意識高い系」の人々もみんな町が好きと言ってたけど、それにしては、他者に対していろんなことを無理強いしており、あたかもブラック企業のよう です。 だから、本当は好きじゃねえんだよ。自分が望んでる町の姿しか受け入れられないんだよな。そういう人の声がでかいので、今のままでいいと思ってる人々は、 どこか後ろめたい感じになってしまうのではないかな、という気がした。まあ、選挙のときの演説みたいなものです。威勢のいいコト言う人が注目を集め人気が ある、みたいなことです。
結局誰もが、自分の思い通り君臨したいと思ってるだけなんですね。加害者父も、もとはNGSK市出身だったが佐世保へ拠点を移したという。佐世保のほうが小さい町で、やりやすいと思ったのではないか、などと邪推してしまう。

私自身は、自分の故郷については、今でも自信を持って「好きじゃない」と言えます。それを正直に言えることが、そういう自由が許されてることがどれだけ素晴らしいことかってことです。好きでもそうでなくても、本音が言えること、だね。

わたし、そんなこんな「当事者感覚」持つために住んでたわけじゃないのですけど、奇しくも2つの大事件*2に挟まれた期間、当地に住んでて、なんだかとってもよくわかってしまったので、「とりあえず、そういうことです、みなさんは、ホント気をつけてください&兆候は見逃さず、救ってあげてください」とだけ最後に書きます。


PS
佐世保の件で思うのは、田舎だから閉鎖的とかどうとか親がどうとか、などということもそうだけど、あんな事件や被災などがあった県で、命を大切にするとか 平和教育などが、他に比べても破格に取り上げて学んでる県だろうに、なんでそれがまったく活きてないようなことばかり起こるのだ??ということに尽きるん じゃないでしょうか。あの町では、それこそ物心着いた頃からずっとそういう教育をされてるわけで、なのに、それが反映されてない、もしくは、極端なカタチでそれに反する事例が現われてくる、というのは、じゃあその教育、どこかが捻れてるんじゃないのか?ってことを思うわけです。
僕はそういうことをずっと言いたくて、まあ平和や命を大事にする、ってのはいいさ、でも、それに疑問を持つ人の発言場所がない、というか、それは言っちゃいけない、ということになってるのがやばいと思ったわけですね。ただ単に「田舎だし閉鎖的だし親がクズだし」とか言って終わらせると、また10年後に事件起こるよ。

font-da さんのコメント。
少なくとも10年前の事件は障害が関係しています。今回はまだわかりませんが。平和教育が 問題であれば、ずっと救いがあると、私は思います。教育を変えれば、その子たちが人の命を尊重できる可能性が出てくるからです。今回の件は神戸の少年事件とも類似していますが、彼の場合は少年院の尽力で無事に社会復帰できたと聞いています。なので今回の事件の少女の更生も望みはあると信じたいです。


私のレス
きのうもたまたまライブのあと、みんなでいろいろ話したんだけど、今回のも障害では?という感じはあるようです。問題は、それに気付いても何も施せない、という、何事も消極的という地域性かな、と思うけど、それを抜かせばどこでも起こりうるとは思いますよね。
僕はこの件に関しては、どうしても客観的になれない部分があって、それは、加害者の両親の言動気質などが、僕が観たあの土地のある種の人々にとても似ていると、どうしても思ってしまうからです。
そういう意味では、僕はこれについては逆にあまり語らないほうがいいのではないかな、と思ったりしてますね。
両親のことについて、いるいる!ああいうのあの土地に一杯居る!とか言ってても何も解決しないしなあ、とか。
うん、でも、やっぱり特色ある教育をしてる県であることは確かなので、そこを是正とかすれば、望みはある、というのは、そうかもしれません。20年後くらいかなあ。


font-da さんのレス。
障害の問題があるとすると、教育の影響がダイレクトに出ちゃうことはあるかもしれない、く らいは思ったりします。環境に左右されやすいのかな、とか。神戸の少年事件のときも、その2年前の震災の影響はゼロではなかったと思っています。正式な結びつけはできないでしょうが。現地を知ってると見えることはいろいろありますよね、きっと。
なんにせよ、精神鑑定が長すぎるのではないか等々、少年関係の人からメールをもらったりして、つらい気持ちです。こういうことは起きないに越したことはないですね。

*1:地方都市はどこもそうであろう

*2:ネヴァダ事件~今回