恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

サブカルの闇と「エロ隠し」

実家で「お宝雑誌」を発見したきっかけ(後述)から「80年代ロリエロがどのようにアートや萌え絵として隠されてきたか」を回顧しつつ「サブカルの終わり」を考察していきます。


★大学の「写真芸術」講義と「尖ったアート」
karapaia.com

ルイス・キャロルの「写真の講義」大学のとき受けてた。先日のアラキの話もあったけど*1、当時、写真学科や美術学科の先輩たちの感覚はみんな似たようなもので、つまり大御所であった旧来芸術家からスタンダードを学ぶというよりは「当時」ニューウェイブだったアラキや、こういったルイス・キャロルに代表される「ロリ趣味的なもの」のほうに惹かれていたようだ。
音楽だってパンクやテクノの時代、「オーソドックスなものはヌルい!」という考え方で、より過激で前衛的で反社会的なもの。それがアーティストとして「尖っている」ということでもあったし、当時の若者のトレンドでもあったんじゃないかという気がする。
今になってロリやアラキ的なものが、軒並み批判を浴びているけど、そういうのと「ヒノテル的」なもの*2や、最近のセクハラ問題と考え合わせると、どれも「世代的にさもありなん」的に共通してる感があるからおもしろい*3

僕らは「ああいう先輩たち」の作り上げた世界観の、ちょっと後ろくらいにいて、常に彼らが作った「新しい感覚の価値観」に着いていくという形で追従 するしかなかった。そうしなければ「おまえはダサい、古い、つまんね」と言われて否定され、時にはパワハラを食らうのだ。
僕は「そういう世界」が息苦しくて嫌いでたまらなく、どうにかして、奴ら先輩たちが作り上げた「新時代の価値観」とやらから脱却したいと思っていた。それがようやく叶ったのが90年代だったということなんやな*4

そうそう、このことで思ったのはね、いわゆる「ムラ」、この場合は「芸術村」でしょうか。そこの中で「普通で一般化」した話でも、一歩外に出れば非常識で通用しない価値観なんだってことなのよね*5
自分が大阪時代に培った、上記のような感性や趣味趣向なども、大阪の芸術環境から出て上京したら「まったく」通用しなかった。むしろ「アブナ〜イ」みたいに見られたということ。そういうところから僕は、東京における「日本スタンダード」な感覚を身に纏うための努力をするようになったということなんやね。
もし僕が当時の「大阪時代のままの感性」だったら、もっともっとサブカルだったりアーティスティックだったりしたと思う。今の僕がそうではなく「ポップで世俗より」なのは、こういう経験からのことなんやね。


★メンバー事件と「じょしこーせー」考察

山口達也メンバーの未成年わいせつ行為とメディアについて思うこと

こんな事件がありました。コチラの記事を読んで思いだしたのですが、そういえば自分は20歳くらいからずっと周りに言ってたことがあって、それは「高校生とは絶対に付き合わない」ということ*6

前述の「当時の芸術村」の風潮から、先輩たちのあいだで、いわゆる吾妻ひでお的「じょしこーせー」ブームになっていって、全員が沢田聖子のアルバムを買ったり新井素子を所持している、などという特異な状況になっていった頃。当然「実物の高校生と交流を図りたい」などと申す輩もいたのですが、わたしももちろん好きではあったけど、実際に付き合う、なんてことは考えも及ばなかった。
それは私の場合、吹部という部活をやってて「普通に」現役高校生と触れ合う機会があったこと。そして彼女たちが「精神的に未熟すぎて付き合いたいという興味まで持てない」と当時からわかっていたことがあると思う*7
まあ人それぞれだと思うけど、自分がオトナで相手の高校生が「精神的に未熟」だとわかっているのに付き合ったとすれば、それはただ単に「高校生のカラダ」が目的じゃないかと個人的には思うかな。
まあ人によっては「もう大人っぽいから精神的にもオトナだ」と勘違いする人もいるかもしれない。でも部活の後輩などで多数の高校生と話す機会があった自分としては「彼女たちがオトナと精神的に同等であることはありえない」とハッキリ断言できる。どんなに大人びていても!だ。*8

成人後の後輩女子とかとかは、飲みに行ったり遊びに行ったりたくさんしましたよ。みんなオトナになって自我が出来上がって、話すのも楽しかったし「高校の頃に比べると成長しましたねえ」と目を細める様な楽しみもあった。そういう楽しみを潰してしまうのは実にもったいない、無粋なことではないかって思うからなあ。

だから今回の「メンバー」のことを思うと、すごくもったいない、そういうのを「待てない」彼に対して無粋だなあと思ってしまう。そういうデリカシーそのものが(酒のせいなのか)失われてしまっていたということだろう。


★遂に隠されなくなったロリエロ

というわけで本題に戻るんだけど、なんで今こんな話題をしてるかと言いますと、実は先日、実家で「衝撃的なロリ文化興隆の証拠物件(1985)」を発見したからなのですよね。それで、このことについて改めて振り返ることになったわけ*9

当時の私、大阪時代の「尖ったアート感覚」から東京の「日本スタンダード」感覚に脱却しようと思っていたわけですが、そんな80年代中期、神保町の書店で山と積まれていた「モロ出しロリマンガ」を発見し「これは何??」と驚愕することになります*10。それはまさに上記「お宝雑誌」の時代であり、自分の記憶とも合致します。
当時は「ヘアが違法」だったから「そうでない表現手法」でやるしかなかった、という時代背景もあったものの「いくらなんでもやり過ぎ ではないの?売れれば何でもいいの?」と「この手の表現に馴染みがあった自分ですら思った」のだから、やっぱりあれは酷かったと思うなあ*11

こういうのを遡っていくと結局自分としては、最初に書いたような「ルイス・キャロルとかが学問として捉えられていた」という大学の周りの風潮や吾妻ひでお先生などの時代に戻っていくのであって、あれらは「新しく尖った表現」などと言われてたけども、実は「ただの巧妙なエロ隠し」に過ぎなかったのではないか?と気づき、そう考えると、この80年代中盤以降の「いっそう直接的になったロリエロ表現物」について「当時の(自称)尖った先輩たちは何を思っているのだろう」と思ったりするね。

わたし 5年前に首都圏リターンしてから最初の1年目くらい、訳あって神保町に時々行ってたんだけど、その時が自分にとって「20年ぶりくらいの神保町」だったのね。そんで「久々やなあ。神保町かわってないなあ…」と思いながら、しかし自分が「なんで神保町から足が遠のいたのか」までは、なんとなく「興味がなくなったんだろう」くらいにしか思ってなかったんだけど、今こうやって記憶を紐解いてみると、この出来事(ロリマンガ山積み事件)がキッカケだったんじゃないかって気づいたんだよね。
当時わたし彼女さんもいましたし、指導者として高校吹部にも行ってましたから、あれらを目撃して「このようなお店に出入りすることは好ましくない」と咄嗟に思ったのですよね。大学時代からの「新しいカルチャー的な意味」から、この手の文化にも理解を示していたんだけど、いやこれは限界だと。もうこれは違うんだと。そう感じたんだと思う。

それをキッカケに私、いわゆる「昭和的な裏路地」的な暗いものが嫌いになり、結果的に、のちに「サブカル」と呼ばれるものから遠ざかることになった。

リターンして2年くらい、こっちに戻ってきて「懐かしさ」なんかもあり神保町だけでなく、他にも「ザ東京サブカル的」な場所にあちこち行ったけども、若者にとっては新鮮だったのかもしれなくても、自分にとっては、90年代と全然変わらないその姿が、逆に「当時の暗さ」を思い出されて「この変わらなさは いい意味ではなく悪い意味 なんじゃないか」と考えるようになった。停滞と閉塞感の象徴

なお私は「東日本大震災」を経験していません。長崎にいましたから。そうして今、こうやって「自分が好きだった東京」について思いを馳せるとき、「これはもう違うんだ、かつての東京じゃないんだ…」という思いが強くなって、それがかつての「大学の先輩たちの姿」と重なり、そこはかとない黄昏感を抱いてしまうのです。


★「ヲタの星」にはなれなかった

コレ書くと非難覚悟なんですが、私コッチ戻って、「自分と似てる」とされる「音楽オタ系サブカルおっさん」にたくさん会って、一番感じたのは「ああみんな20年、年とっちゃった…」だったのです。

千葉時代渋谷系の話は散々書いてるので省略しますけど、みんなあの時代から「普通に20年、歳を取った」の。その現実を自分は受け入れることができなかった。もっと言うと「自分はこういうふうにはなりたくない」「なってないつもりだし!」ということだった。

大阪時代からいろいろ振り返ると、自分はずっと「ヲタの星」になりたかったんだと思うのよ。鉄にしろアニメにしろビートルズにしろフランス系にしろ音盤分析にしろ、ともかく「ヲタ系全般」に自分は興味があって、その彼らに影響を受けて、こっちも全力で「分析サイト」書いたり「音源集め」まくったり「故郷の回顧録」書いたりとかしたわけですね。

ともかく「彼らヲタの思いを一身に集めて昇華」すること。それのみと言ってもいい。

そうした結果「今の地位」にたどり着いて、ふと振り返れば「自分だけ別な地平に来てしまった」感があって、他のみんなは「ただ 20年ぶん歳を取って」それこそ「浦島の玉手箱」開けたみたいに「居心地のいい場所でグズグズ溜まってるだけ」だったっていう。そういう現実を「今回の首都圏リターン」で目の当たりにして。

私最近よく言うんだけど、7年間移住していたあいだに、東京はもう「自分が知ってる東京じゃなくなった」って。それは前述したように、あいだに「東日本大震災」が挟まってることも大きいのだけど、自分が移住する前のまま「時間が止まってて閉塞していただけだった」っていう。「そういう現実」を突きつけられたのが大きかったかなって思ったな。

ココでもよく書いてたんだけど、当時、私にあんなに刺激を与えてくれた「キレッキレなみんな」は何処へ??行ったの??みたいな気持ちがあって、なんかみんな「変な方向」に行っちゃってて、「性犯罪者」になっちゃったり「病んで」しまったり。それは「ただの老化」でもない ような気がして、それが本当に辛く。
そういうのが「老害」とか「ミソジニー」とか「虹ヲタ問題」とかに全部リンクしてて、まあそういう気付きの「リターン 5年」。

だからもう自分は、同年代みたいなアラカンアラフィフみたいな、そういう世代じゃなくて「30代くらい以降の人とやったほうがいい」って、そういう感じ。
長崎時代末期に大学生と知り合い、彼ら彼女らのバンドに新鮮味を覚えて、それが救いになったという話を書いたけど*12、結局こっちでも「それと同じことが起こった」ということなのだなあと思ったな。


★追記
maga9.jp完全にこの記事の話じゃないの。やっぱり同じこと思う人はたくさんいたんだよね。「サークル活動はもう終わったんだよ」っていう。いつまでもダラダラ拘ってるのではなく、そこに今「あえて」気付くのが、本来の「尖っている」ということだと僕は思う(「プログレ」ではなく「本当の意味での」プログレッシブ・ロックみたいな)*13


★関連t.co

karamandarine.hatenadiary.jp

*1:荒木経惟の「ミューズ」だったKaoRiが告白文を発表 #MeToo に呼応
その知識、本当に正しいですか?|KaoRi.|note

*2:ビンタ事件

*3:当時の様子が詳しいブログ → 「80年代文化論(おたく-新人類 族 若者)」

*4:レトロ・ヴィンテージなスタイルが自分の作風と合致した

*5:最近の吉田豪氏発言なども典型例かと。→ bookmark-370447949

*6:高校生と触れ合う機会が多かったので、万が一「事故」など起こらないように気をつけていた

*7:例え相手から告られたとしても、それは 絶対に応じなかっただろうという自信がある

*8:この自分のポリシーは20代を通じて持ち続けていた。その時期を過ぎたら気にしなくてもよくなる。というのは「30代にもなって高校生と付き合う可能性」などということはありえないし、もし実行したら犯罪になる。だから「気をつけているのは20代の間だけでよかった」ということだな。

*9:
f:id:maicou:20181010070744p:plainこれです。右上「1985年」

*10:ちょうどわかりやすい投稿がツイッターにあった。
まさにその時の神保町の書店がこんな感じだった → "ハイエース"

*11:その出来事と「宮崎事件」は時期的に極めて近く、彼がそれらを観ていたかどうかは置いておいて、その関連としては影響力はないわけないでしょ、とは思ったのよな。当時も確か、知人たちとそういう話したはず。被害者の子たちの類似性とか、そういう一歩突っ込んだところで、周りの近い音楽仲間などと話して「危機感持つ」というような結論になったはず。
こういうのは「表現に携わる自分らだからこそ」突っ込めて話したので、一般人だったら、聴かれたらドン引きされる内容ではあったと思う

*12:→ 長崎時代に「後期」があった話。

*13:この流れで解釈すると、現在の椎名林檎は、まさしく正しく拗らせているのだなあという結論となる。