久々に「あさま山荘事件」の動画を観た。つい最近も特集あったんやなあ。
こないだ増田で「オウムの時代に憧れる、あの時代に行きたい」とかいうのがあったけど*1、ふと思ったが、それは例えば僕らの世代では「学生運動とかの時代」ってことになるのかもしれないなあと思った。
今だと笑い話な気もするが、僕は子供の頃「大学生になったら学生運動をするんだ!」と思い込んでたことが一時期ある。なんだかニュースとかでやってる様子が「みんなイキイキとしてて充実してるように見えた」んだよね。
子供の頃からずっと「家庭内で不自由だった僕」は、実家を出たら自分もああいう仲間に混ざって「自分の主義主張を好きに表明したりしたい!」と思ったんだな。そういう自分にとって、学生運動や赤軍の活動は「すごく魅力的に写った」なあ。たぶん増田のオウムもそんな感じで見えてるんでしょう。
ただの「若気の至り」で済ませていいのか。さっき見た番組でも田原総一朗が「自分たちも うっかり起こしてしまいそうな事件 だったから怖かった」と言ってた。まさにそのとおり。自分も うっかり ああいう事件に巻き込まれてしまいそうなのだ。本当に「紙一重」なんだよなあと思う。
そうそう、あと興味深かったのは、団塊全共闘世代が、この事件のせいで「自分らの人生そのもののを否定されてしまった気分」のまま今に至ってしまい「その罪を全員で背負ったまま永遠にその精神も彷徨い続けてしまっているのだ」という指摘。
これな、例えば僕は「ビートルズが好きだった」けど、解散後のジョン・レノンが凶悪テロ犯罪を起こし、ポール・マッカートニーが未成年淫行を繰り返して捕まった、とかだとすると(どっちもありそうw)、自慢げに「ビートルズが好きだったんです!」とか言えんやろ、という話でな*2。そうじゃないからこそ、今でもファンは「いろいろあるけど、それでもジョンが好き」とか言えるんだよね。
じゃあ翻って、同じように全共闘世代が「いろいろあるけど赤軍が好き」とか言えるかっていうと、それはないわけで。つまり「そういうことすら言えなくなってしまった世代」が団塊全共闘なんやな。だからこそ「病んでる」し「老害」だし「永遠に邪魔くさい世代」だと。そういうことなんだと思う。
当時の後藤田くんが「死んだらヒーロー化してしまうから決して殺すな、生け捕りにせよ!」と機動隊諸君に厳命してたのは至極正しい。だからあの事件は「国家ぐるみの左派潰し」なんで、それは今の政治的な状況を見ると「見事に成功した」とも言えるんよね。そういう国に今、僕らは住んでいるってこと。
自分的にブラック黒歴史なので触れたくもない話題なのだが、実はこの「連赤総括リンチ」のようなことを、僕も「3度」経験しているのですよね。
一度目は中学時代の吹部。2度目は高校時代の吹部。そして3度めが東京での音楽寮時代。これ「どれも音楽系だというところがミソ」で、それまでは「音楽をする人間は純粋で、悪い人がいないしステキな人たち」みたいな感覚があったけど、この3度の経験で、本当に「全員クズだ」と思うようになり、それも今の自分の「業界不信感」に繋がってると思う。内容は、ココで書くのも嫌だから書かないけど、連赤みたいな死者が出なかっただけで「似たようなもの」です。
ちなみに最後の寮時代のことは「長文の回顧録」を書いてネット上にアップしてある。リンクを深く掘っていくと読めるようになってます。書き残すのが義務だと思ったからね*3。
★当時の世紀末感
永田洋子が「死刑判決確定」ってなったときの「久米宏のニュース動画」を観たんだけど、なかなか興味深いこと言ってて「当時はキューバ危機→ベトナム戦争→冷戦リアルタイムってことで、いつ世界が滅ぶのかわからない、というような危機感があって、ああいう切羽詰まった活動に進む感覚もわかる」と。それはそのとおりだろうと思った。
ノストラダムスもそうだけど、当時は世紀末ではないが「このまま世界が進んでいけば必ず滅ぶ」という意識は少なからず、みんなに植え付けられていた(理由は後述)。だからといって連赤みたいなのはおかしいのだけど、そういう風に「狂信的な人が生まれるのはわかる」っていう「久米の感覚」は僕もわかる。
オウム事件のとき、当時の人は「これは連赤再来だ」と思ったはず。どっちも同じようなものなんですよ。それが「極端な思想」だったか「極端な宗教」だったかの違いだけ。
いま北朝鮮のミサイルがどうのとか言ってるけど、そんな中 GW に首相その他が外遊とか「危機感ないことこの上ない!」と当時の人なら思うかもだけど、今の感覚じゃ、それはしょうがないよなあと。当時は子どもの僕らでさえ「いつソ連の核爆弾が落とされるかわからない」っていう感覚はあったからね。それと北朝鮮はちょっと違うもの。
あと当時のことですごく覚えてるのは、雑誌やメディアで「公害」のこと、例えば「イタイイタイ病」「水俣病」「四日市や川崎の喘息」とか、そういうことが頻繁に取り上げられて「地球は滅亡に向かっている」と煽られてたこと。で、それは実際に本やテレビの中だけのことじゃない。まわりの山や川も汚れて汚染されてたし「環境意識もまったくなかった」社会だった。
だからね、何度も言うけど「3丁目の夕日」とかホント糞だから。当時は「汚い臭い環境意識ゼロ全日本ミソジニー」の社会だからね。「3丁目の夕日」ってのは連合赤軍を産んでしまうような社会のことなんだよ。それでいいなら、どうぞご自由にノスタルジーやっててください、って思う。
★まとめ
光の雨に川越美和さん出とったんか…。いろいろ繋がっていくなあ*4。
連赤事件と自分自身の「3度の類似体験」のことを思うと「人って全然学習しない」んだなって恐ろしく思うのよね。そのときの当事者たち、先輩とかだけど、当然ながら「連赤事件のことは知ってる」わけよ。知ってて「これは酷い」とか思ってるはずなのに、でも「連赤の総括みたいなこと」を部活とかでしようとするの。それに対して「それは連赤みたいだからやめろ」って誰も止めないの。
たぶんそれはオウムに関することでも一緒で、彼らの起こした様々なことは知ってる人が多いはずなのに、でも、たぶん「あれはひどい」と言いながら、「自分らはやってしまう」んだよ。オウムの人たちだって連赤は知ってたかもしれないよね。でも自分たちはやってしまうんだね。たぶんそこには「自分らは彼らと違うから大丈夫」みたいな意識があるんだろう。
僕らを呼び出して「総括を促した」部活の先輩たちも「自分らは連赤とは違う」って思ってはいたんだろうと思うのよ。でも同じことをするの。
この「知ってるんだけど同じことをしてしまう」というのが恐ろしいわけです。これからも「たぶん何度も繰り返すはず」です。
「自分たちは大丈夫だから」と言いながら、同じこときっとやります。だから、気をつけて生きていかなきゃならんのですよ。
という総括。
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