恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしています。

自己流の限界と20世紀からの脱出

jbpress.ismedia.jp
コチラの記事。なんだか読んで「デジャブ感」たっぷりだった。

実は私、とってもよく似た黒歴史があります。飛鳥氏が流行ってた当時、ちょうど僕はバンドでドラムをしながら、曲自体のアレンジやレコーディングなんかを簡易的に始めてた頃でした*1
それらは独学だったのだけど、吹奏楽したり音大などに通ってるうちに身に付いた技術、それから子供の頃からたくさんの音楽を聴いて培った元々の「基本素養」がすごく役立ちました。

そんなある日、友人が「結婚式で仲間内でアカペラをやりたいからアレンジしてくれないか」と言ってきました。その曲が、なななんと「SAY YES」だったのですな。

正直「嫌でした」し「面倒だな」と思いましたけど、旧友の頼みだったし、「アレンジに興味」もあったし「何事も経験」だし、と思って請けたんです。
そうして、その曲を何度も聴きコードを分析、コーラスアレンジを付けていきました。相手の希望としては、必ずしも「オリジナルどおりのコーラスじゃなくていい」ということだったのだけど、まあせっかくなら原曲を活かそうと思ってヴォイッシングとかもコピーしたのね。
そしたら「この伊東先生の記事の言うとおり」すんごく!独特のコーラスなの。「なんだいこれ??」と思いながらもコピーしまして、アカペラのアレンジが出来た。パートをみんなに憶えてもらうため、ということで「僕が全部自分ひとりで多重録音したアカペラデモ」を創りました。
友人に聴かせて「どう?」って言ったところ「この変なコーラスはなに??」と訊くから「これはオリジナルがそうなってるんだよ」と答え「変ならやめてもいいのでは?」と言った。彼は「そうね、みんな覚えられないしこれはやめよう」ってなりました。そして若干修正し、リードヴォーカル部分を友人の歌で差し替えて(その場でレコーディング)デモは完成した。

話はこれで終わりじゃないの。その後その友人が再びやってきまして「前回のアカペラは大好評だった!また結婚式があるので新しいのをアレンジしてくれないか?」と言って来た。それが、ななななななんと!!!!「始まりはいつも雨」だよwww オマエどんだけ飛鳥好きなんだよ?って思ったけど、というか「当時の大ヒット曲」だし、流行ってたのと話題性だよね、結婚式でやったら大受けでしょう。

まあそういうわけで、何の因果か、また飛鳥先生の曲を分析してアレンジすることになったの。これも変だったなあ。伊東先生の言うとおり「普通に音楽聴いて教育受けてたら」こんな変なことしないの。当時の僕は、もっともっと「ちゃんとした音楽」を学びたかったので、こういう「余計なもの*2」を耳に入れてたら「自分の感覚がおかしくなるわ」と思ったね。なので「彼の曲はこれ限りにしてくれ」と条件つけて、この依頼を請けました。

前回と同じように、コード分析してハモリつけてアカペラアレンジした。たぶん「自分流にコーラスは治した」はずです。だって「嫌だった」んだもん、オリジナルがw まあでも喜んでもらえたよ。いい仕事だったね。

その後、彼はもう一度、依頼に来るんだけど、そのときは「愛の賛歌」だったw おもしろいやつだったなあ(遠目)。


というわけで、伊東先生のエントリ読んだ時「ああそうそう!オレとまったく同じこと思ったわけかー!」と感動したよ。でもね、伊東先生は「何がしかの感慨」があったようだけど、僕は2曲のアレンジをして思ったのは「こういうやり方をしてたんでは長続きしない、必ず壁にぶつかる、早晩行き詰る、そのとき飛鳥はどうするんだろうなあ。。」ということだった。
我流でやってても「上手く行くのは数回」でしょ。ビギナーズラックで。「その後はどうするの?これ」って思ったんだよな。
そんで僕は、この経験を「反面教師」にしたの。自分はその轍は踏まない、しっかり基本を学んで身体に取り込んでいこう!っていう決意が湧いたのね。それが僕の90年代後半の展開の際の「基本体力になった」んだと思ってる。
もともと子どもの頃からセサミストリートやクラシックの音楽全集で「基本的な音感は身体に入ってた」んだと思うけど、その後も「道を外れずに」しっかり外しのない製作を続けられたのは、この時の経験があるからだよ。

この話は今までしたことなかった気がするなあ。こうやって回想していくとさ、その後なんで「彼の事務所に行かなかったんだ?*3」とかの疑問が解決するでしょ?
当時の僕は「まだまだ中途半端」で、音楽的欲求は「もっともっと」と望んで求めてたの。…「もっと?」なんだろう。。「美しさ」「高み」「完成度」いろいろあるけど、ひっくるめてすべてでしょ。
「胸を借りる」という言い方があるけど、彼の門下では「そうならない」と思ってたんだろうね。こんなところで落ち着いてる場合じゃない、まだまだ知りたいことは山のようにある。と。そんな感じで。いろいろ懐かしく「蒼い自分」を思い出だすなあ。


そうして、この続きが「まっすぐな aiko スイッチ」になるわけだね*4

そうなのよ。今思うと当時の私。「まだ!」aikoも林檎も聴いてなかったんだぜ??!!って気付いて、愕然としたわね。

今の自分の音楽活動のこと考えると あいこも林檎も聴いてない自分なんか「まったく」想像も出来ない し、そもそも「何も出来てない可能性」だってある。
もうね「全然!違う人間と言ってもいい」。自分の音楽歴の中での「あいこ以前と以後」は「まったく別な人間」ですね。

だからね、やっぱりよかったわけですよ。お誘いを遠慮したのは。あの時点で「上がり」になったら「今の人生ない」ですよ。
あの時点で「いや、今は上がりじゃない、もっともっと何かある、もっともっと求めたい、探したい、見つけたい!」と思ってたわけだよね。違うんだ!と。「まだ見つけていない宝物があるはずなんだ」と。

そしてそれは見事叶ったのよ。そのことが、上に貼ったあいこの文章、それから同じダイアリのトップにある「林檎の文章」に書いてあるのね。すばらしいよねw

*1:その頃にやったのがこれ。
d.hatena.ne.jp

*2:など ないよねー。じゃなくてw

*3:1998年に彼の所属事務所と少し関わったことがある

*4:d.hatena.ne.jp