恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

Back to TOKYO

首都圏リターンして1年。満を持して、というか、やっと時間が出来たので、あちこちライブやらなにやら行っています。ただ無造作に行ってるわけじゃなく、とりあえず過去に縁があった人たちとの再会から始めている。で、たまたま、ほぼ女子なんだけどもw まあその理由は後々明らかになります。ということで長文になりますが、まとめていきますね。

ライブハウスでのライブは、ワンマンというのはほぼなく、大概は、タイバンと言いまして複数のバンドが出ます。「友達の友達はみな友達」というわけじゃないけども、そこで発見した子もたくさん居る。次にその子を観に行くと、また別のタイバンがあり、そこでもいい子を発見する、みたいに繋がっていくんですな。
本音としては みんな、自分のお目当てだけ見れば、あとは見ないで帰りたい、というヒトが多そうなんだけど、でもみんな律儀にちゃんと他のバンドも観て行く。そういう文化が残ってて嬉しかったし、実際、みんな上手いので、見てても面白いわけ。そこはやっぱり東京だからでしょうねえ。
僕がいいと思うのはほぼ女子ですけど、一人だけ男子でいい奴が居た。男子はロックが多いから、ポップス歌う奴は居ないんだよね。そこが女子と違う。だから、僕が好きなのは女子が多くな る、というだけで、いい曲なら男子でもいいんですけどね。女子でもつまらない人は好きじゃない。媚びてたり、何をしたいんやろこの子は、みたいのはちょっとね。
まあでもこうやって2週間くらいいろいろ通ってみると、僕はいい音いいバンドに飢えてたんやなあ、とつくづく思う。自分の中では、すでにNGSKの7年分を2週間で取り戻した気分ですよ。ははは。

そんな「禊ツアー」とも言えるような、この最近の活動が可能になったのは、自分のライブを隔月にしたこと、そしてヒキコモリの家飲みのかわりに、そのお金を他人のライブに使おう!と決心したからである。外に出なければ、他社との交流がなければ何も始まらない。移住してすぐの頃も、あっちで同じことしてたじゃん、またこっちで も同じこと始めればいい、と思ったんだな。で、とりあえずは、興味あったけど在京じゃなかったから見られなかったヒトを、重点的にクリアした。それから、 かつてのお知り合いに、リターン挨拶、そんで守備範囲の拡大、ということになるかなあ。まあ、こっちは都会なので、一筋縄じゃいかないのはわかってるか ら、それだけに攻略しがいのあるミッションだなと思ってる。そんで玉砕しても別に構わない。しなかったよりは満足するだろうから。むしろ打ちのめされたい、的な。
喪が明けた、と言ってたけども、そうだね、この1年は喪に服してたと言えます。NGSK時代の自分を葬ってきたのだから当然だし、 僕の勝手で葬ったのだから、関係者の人たちに対しても申し訳ないという考えがあって、自粛していたというのもある。あんまり大ぴらに「うほほーい、戻って きたぴょーん!自由だっちゃ!」などと浮かれるのは、特にNGSKの人に対しては控えよう、と思ってた。で、1年たち、彼の地で企画した、土地ゆかりの特集番組も、今回の対談オンエアで全部終わり、やっとすべて果たした、終わった、という感じがした。大団円というのはそういうことだった。
さーて、これから、またどんどん才能を探して吸収して踏み台にしてw どこまでも飽くなき探求をしてまいりますわ。いつまで続くかわからんけども。という感じで、出歩き始めた、ということですね。

今回いろいろ見て廻るに当って、特に期待してたのは日向文という子だったが、実際に生で見てみて、ヴォーカル能力がスペック的に実に高いことがわかり、そ れは嬉しかったね。あとは曲もよかった。シンガーソングライターを始めたきっかけが、文化祭で先輩のライブを見て「自分のほうが上手く出来る」と思ったからだそうで、確かに、そういう性格が立ち振舞に現れてる。それは別に気にならないが、この子についてみんなが褒める部分、歌詞のことに関しては、aiko椎名林檎を切り貼りしたみたいで、悪くはないけど、強く惹かれもしなかった。私の場合、音楽を聴く際に、歌詞を殆ど聴かないので、気にしなければ気にならないのだけど、別にこの歌詞じゃなくても構わないなと思った。
実はこの子を見て一番思ったことは、これは由梨の上位互換というか、アップデイトバージョンだな、ということ。声質から世界観から実に似ており、たぶん由梨がしたかったこと、したいことが、この日向文によって全部されてしまっています。
月日というのは残酷で、あの騒動から3年位だけど、3年経ってるのだから、由梨も日向文の域に、当然達してるくらいでちょうどいい気がして、フクザツな気分だった(達してることをお祈りしています)。なお、性格や言動(ネット上含む)も、そっくりです。

も う一人はゆり花さんという子だったが、最初にあったのは2年前でした。ノードを弾きながら足元のスイッチでヴォーカルエフェクトをコントロールし、自動ハモリをつけながらの弾き語りはなかなか衝撃的だった。これも、2年経ってキャラが少し変わっており、ちょっと「あれ?」と思ったな。ヲタさんのファンがついており、地味なアイドルみたいな様子になってた。アーティスト業は諦めたのか、実は最初からこうしたかったのか。まあ、後者なのかなあ。福岡の子なので、なんとなくありがちな変化だな、と思った。

その後、三軒茶屋の友人に会いに行き、そんな話をたっぷりした。普段彼は大メジャーの仕事しかしていないので、昨今のインディーズ音楽事情について、僕のこういう詳細な報告は、ネタ的には面白がってくれたようだった。

そういえば最近興味深い出来事があった。
8年前、僕と入れ替わるように東京に出てったギターのコ、東京でドラマとかの作曲家になってるというので、ほー!と驚いて。偉いよなあ。と。
僕が移住した時、ちょうど大学卒業だというので、その時に組んでたバンドの解散ライブをやっていた。間接的な知り合いが何人もおり、その彼ともちょっと話したけど、ちゃんとした子だったよねw やっぱり。
その後東京でバンドを組んで、そこそこ有名になり、NGSKで凱旋ライブもやったが、そのときには、彼だけは戻ってこず、彼抜きのバンドで演奏した(僕はPAをやった)。
東 京に出て行っても、何かにつけ理由付けて、しょっちゅう出戻りライブをやってる連中に引き換え、その「簡単には戻ってこない」という姿勢が、覚悟を感じら れて好きだった。そうして7年経ち、こんな出世してるわけだから、やはりなるようになる、ということだろう。素晴らしいことですね。
NGSKにい た7年間、いろんなヒトが東京に出て行ったが、なんか知らんけど、しょっちゅう戻ってきてはライブなどしてる。あれ?東京に居るんじゃなかったっけ?と聴くと、いる、という。でもしょっちゅう故郷でライブやってる。その腰の軽さっていうか、覚悟のなさって言うか、それもどうかと思うし、それよりなにより、 その旅費はどうしてるんだ??などと思うと、なんだかなーって思ってたんだよ。こうやって、それが結果となって如実に顕れると、ああやっぱり人生はフェアやなあ、と思う。
コトあるごとに言ってるけど、NGSKという街は愛しやすい要素がたくさんあり、それが表現者に言い訳を与えてると思う。題材もそうだし、こうやってしょっちゅう戻ってきたりするのも「地元愛」と言い訳すれば問題なさげだ。
私の故郷を見てみなさい。そんな要素何もありませんからね。この街が好きだからしょっちゅう戻ってきまーす、とか言えません。ひっくり返せば、それが背水の 陣みたいな感じで、頑張れるわけですよ。引き返せないからこそ、逃げることなく自分にちゃんと向き合い、自分自身を見つけることが出来るんだろう。

で、思ったのだけど、故郷に半分軸足を置いている、って、日向文やゆり花さんも似たような感じだったなと思ったのね。それぞれ札幌、福岡という 故郷に片足乗っけてる。それが悪いわけではないんだけど、例えばね、その地方の人たちは、この子らが高校生の時くらいから見てるわけじゃん?そうすると、 その意識からは逃れられない、そこより外に飛びさせない、所詮お釈迦様の手のひらじゃん、という感じがしちゃうんだよね。
例えば、高校の先生と大学の先生は違うでしょ。大学生になっても、高校の先生に教わってるみたいな感じがしちゃうわけ。知識は同じかもしれなくても、意識が違うじゃん。
そ ういえば、昨今は機材も安くなり、内容も良くなり、誰でも地方でも、いいもの持ってるけど、ヒトは変わらないんですよ。田舎じゃスペック厨が多いけど、物作るのはスペックじゃない、ヒトなんだよ、っていう。その「ヒト」、さっきの喩え話でいうなら、高校の先生はいても、大学の先生レベルが地方じゃ圧倒的に 少ないので、やがて限界が来るんだ、って話なのよね。しょっちゅう田舎に戻ってくるってのは、高校の先生がいい人だったから、ずっとお世話になりたいって 言ってるってことで、そうしてる限りは、高校レベルから広がることはない、っていうことなんですな。
ただ、今の子はそこまでする気もないだろう、なぜなら、そこまで頑張っても、将来何かになれるわけではないからさ。苦労したり嫌な思いを我慢して、 10年後になにかいいことでもあるなら、それは耐え甲斐もあるでしょうけど、そんなの保証もされてない、見込みもないのだったら、楽しいままで好きなこと した方がいい。客も選んで、自分たちだけが楽しめるライブやって、そんで何年かしたら、適当に縮小してやめていけばいい。
こんな話も三軒茶屋でした。その辺がオレたちの時代とは違うよねー、という結論になった。

こうして比較してみると、今僕らが関わってるような「アイドル」というのは、根本的に違うとわかる。何かを耐えて頑張っている、という感じが、割と旧来芸能に近い、それは思ったな。それがいいのか悪いのかは別にして。

さて、上位互換の話の続き。
以前ミトマックス氏と話した時に、由梨はMaicouイズムの正当な継承者だと思ったから、2曲のカバーを聴いた時、 危機感を持った、みたいなことを言われましたが、それはたしかにそのとおりだと思った。あの時、自分の曲を歌わせて確かに感動したのだけど、それはどういう部分に感動したかというと「僕の難しい曲をちゃんと歌えたこと=僕と同じ歌唱スペックを持っていること」に感動したので、そういう意味では彼女は、あく まで「僕の延長上」にあるヒトに過ぎなかったんだよね。僕を異性に変えた代替表現者だ。それはそれで意味があるのかもしれないけど、僕という意識からは逃れられない、と思って、広がりはないのではないかなあ、と思っていた。
似たようなことは日向文にも言えて、彼女も、あくまで僕→由梨→文というように、同レベルのスペックの発展形に過ぎない、という気がして、それはそれで感動するのだけど、だからと言って、彼女を聴き続けていても何も発展はないなあ、という気持ちはあったよね。それが、昨日書いた「上位互換」ってことなんだよね。aikoや林檎みたいに、いきなり意識の外からぶん殴られる、というようなことは起こりえないような気がした、ということで。あくまで歌唱スペックで聴いて感動してただけなのだ*1
それから、まあ由梨もそうだったし、今回も同じこと思ったけど、僕は他人の歌詞について、そうそう納得はしないのだなあ、と改めて思った。僕が音楽を聴くときに歌詞をあまり聴かない、と言ったけども、実はそれは、歌詞であんまり満足することがないから、聴かないようにしてた、ということなのかもしれない。僕自身あくまで音楽中心主義で、歌詞は付随するものである、という考えだけど、じゃあ歌詞は適当でいいか、と言われたら、全くそんなことはないので、やっぱり、他人の歌詞に満足することは非常に稀である、ということになると思う。
それでも、NGSKにいたのでは、今回のような出会いすら到底起こりえないので、そんな高スペックのヒトを聴けたというだけでもありがたかったし、由梨に関しては、そんな奴が「たまたま」近いところにいた、という奇縁に感謝する、という感じではあった。

そうしていろいろ考えてみると、結局僕も、スペック厨になっていたということでもあるんだな。「歌」ということに関して。それはやっぱりNGSKに行って、どう しようもないようなヒトが牛耳ってたり人気があったりしたのが納得できなかったんだと思う。そういう事実に関して「違うでしょっ!?」と。例えば由梨みたいなヒトを歌わせて、せめてこれくらいの実力で初めて「歌」と言えるんだよ、と。主張したかったんだろう。
このへんの部分は、どうしても首都圏の人たち、友人とかに理解されなかったの。こんなひどい連中が人気があるんだ、と説明しても、「そんなのどこだってそうだよ。どうしてこんなヤツが人気あるんだ?というようなヒトが売れてたりするのはどこでも同じだよ」と言うの。ちっっがああーう!と僕がいくら言っても判ってもらえなかった。首都圏や全国レベルで「どうしてこんな奴が人気?」みたいなレベルとは違うんだ!と言っても、どう頑張って説明しても理解されなかったので、僕もしまいには意固地になったんだろうねえ。だから、歌に関してのスペック厨になっていったんだろうと思った。

実はこういう意固地になってしまっているヒトは、田舎によく居り、偏屈な東京帰りのミュージシャ ンとかは、まさにそうなってる。「あんなもんは○○とは言えねえ」などとボヤいてる「ベテラン系」の地元重鎮がそうだ。僕が関わったOMさんとかもまさにそうね。耳 が良すぎるために他人を許せなくなってしまうのだ。僕は、そういうのが嫌だったので、自分だけはそうなるまい!と思って活動してきたが、7年の田舎暮らしで、見事にそうなってしまった。そういう、移住晩年の自分が大嫌いだったよ*2
歌にしろ何にしろ、スペックではないよね。個性だったり、気持ちだったり、いろんな要素があって初めて魅力的に響く。それは正しいのだが、田舎でそういう「気持ち」に拘る人って、スペックが不足しているから、そういう部分で補って誤魔化している、としか思えない、つまり「言い訳に使っている」ようなヒトばかりで、そういう部分に僕はすごく反感を持ってたの。それがいわゆる「策士」というやつですね。そう いうのを布教してるヴォイトレ先生とかが居るんだけど、そういうのの前にさ~、もっとちゃんと前提として、最低限のスペックが居るんだってこと教えろよ!! とか思うんだけど、教える当の本人が、その耳を持っていなければ無理でしょ?で、余計なことばかり教えるから、基本スペックもないのに奇妙な色がつく子ば かりになってしまう。そういう理不尽なことをたくさん経験して、どんどんこっちも対抗して意固地になって、由梨みたいな子を見つけてきて、最低でもこれく らいの実力があって、まずはそれからなんだよ!と魅せつけてやりたかったんだろうと思った。

なので、まあ長くなったけど、こっちに戻ってしたかった ことは、僕がそんなことを細かくうるさく言わなくとも、最初から最低限のスペックがある子が活動をしてて、気にしなくて済むようになる=以前の首都圏感覚に戻る、ということだったのです。そして「なんでこんな人が人気があるのかわからない」とボヤかずに済むような感覚に戻りたい、ということだったのですね。
そうしてゆり花さんや日向文を見た時、自分の好みは別にして「これなら人気がある理由はわかる!」と思えたことが、ものすごく安心したのだ。他の対バンもそう。全員が最低限の条件を満たした上で、それぞれのカラーがあってファンも付いて、物販も売れて、というような現実をちゃんと見て、これだけ魅力的なら、それは当然だ!と思えたのが、ものすごくホッとしたわけですね。

田舎の数少ないリソースの中で、特殊能力の偏ったヒトばかり集まり「誰も判ってくれない、でもいいや、私天才だし」などと厨二病ぶってるような状況、それは間違ったmaicouイズムだし由梨イズムだった。僕のようなヒトは大 海にちゃんと出て、揉まれていくことが一番の幸せな生き方なのだ。そういうことを(もういちどちゃんと)分かったことが、今回の最大の収穫ということですね。

まあ、NGSK時代について、はっきりと現実的なこと言うと、(あえて偉そうに言うけど)自分の耳に適った歌女子は居なかったってことなのよね。そういう狭い世界の中で限られたリソースの中では、由梨は最良だったのだけど、しかし、僕の中の悪魔が「もっといいコは居るはずだよ、ココじゃない場所に!」と囁き続けたわけです。
もっと言うと、由梨の存在が、僕の欲を刺激したの。あの時点で在住5年?かな。いろんなことを諦めて、どうでもいいや、と投げやりに思ってたときに、彼女と出会って、「ああ、こういう実力の子がちゃんとおるやん!」と。じゃあ、探せば他にもちゃんといるでしょう!ってなったのよ。なんつか、緊張感抜けてダラけてたのがシャンとなった、背筋が伸びた!という感じ。
だからこそ、あれを最終決定にするのがもったいなくてね、個人的関係がゴチャゴチャしてきて気が重くなったのもあったけど、もっと適した相手がいるだろう、逆に由梨にとっても、僕じゃなくてもっと向いた相手が居るだろう、ここで無理くり政略結婚みたいなことしないでも、もっと広い場所にもう一度出て、本命を探しましょう!お互 い!というように気持ちが変わってきてしまったのね。だからあれでよかったんだよね。

この辺、シャーマン的な意味での「歌手」ということでは、なかなか難しいんだよね。結局は自分が歌えばいいんじゃん、ということになるけど、残念ながら僕は女子ではないからw

例えば、ちっひーさんのシングルにしても、一番最初にあれ聴いた時の「これじゃないなあ…」感ね。ちょっと違和感があったよね。
た だ、そういう僕の想いとは別に、あれはたくさんの人に認められたので、世間様に認められるのと、僕個人がよいと認めることは、そもそも違うのだ、ということが わかったのは大きかった。むしろ、僕が違和感あったほうが、世間的には認められる比率が高い気がして、なので、それに気づいてからは、僕の曲のカバーがぜんぜん違うもの、イメージになるほうが、かえって面白い、と思うようになった。僕のイメージ通りのカバーが増えても、それは僕のクローンを増やしていくだけにすぎないからさ。それよりは、全く異種なものに出来上がったほうが面白い。こういうふうに思えるのは、オトナになったからでしょうね。
あとは、ぜんぜん違うものになることで得る副産物というのがある。たとえばちっひーさんの場合、歌の違和感の代わりに、メジャーリリースとか亀田師匠ア レンジとか、そういう、のちのち自慢できる、というか「営業に使える」キャリアが増えたことは大変ありがたく、自分のこだわりを封印したおかげで、そうい うご褒美を貰ったんだと思えば、それで十分ありだと思った。これは今でも、アイドルでもNGSKコラボでも何でも一緒ね。どれもこれも、自分が満足したものなんかないけど、逆に拘らなかったおかげで、イメージが僕から離れて、複合的になったのだし、多種多様のリスナーに受け入れられることになったのだ。つまり、僕だけがやってたんでは、到底届くことのない、聴くことのなかった相手に届いたということになる。その作品の中に、ほんの10%でも「僕味」みたいなものが含まれてれば、それで聴いた人々の中に浸透したことになるから、それでいいだろ、ということだな。

地方感覚ということについて、もうちょっと語っていきます。
僕も「北海道」という、元々は地方出身者であるのだけど、そんな実家時代、周りに多かったのは「友達をランク付けしてるヒト」だった。だいたい母がそうだったし、それが普通だと思っていた。今思えば、出世欲が強いのかもしれぬ、と思った。
そう気づいたのは、上京して、東京ジモティの人々と会うようになって、そういう色付けのされ方がされなくなったので、気持ち的にすごい楽になったからです。少なくとも僕は、みんなにフラットに接してもらってた実感がある。だから、故郷時代は、ヒエラルキーがあったんだなあ、と気づいたということやね。

そ ういえば私、ずっと吹奏楽やってたんですが、その頃よく、田舎の「下手」というのと東京の「下手」というのは違う!と、上京当時よく言ってました。田舎の「下手」っていうのはホント に下手なんだが、東京の吹奏楽団とかでは、下手は下手なんだけど、随所にセンスだけはあって、それがある程度のカタチになってるので、聴けないことはな い、というレベルになってる、って。だから楽しくやれたんだと思う。楽器は下手なんだが「こうしたい!」というビジョンというか、イメージはそれぞれに 在ったので、こっちもそれに乗りやすかったんだよね。この「イメージが有る」というのはかなりでかいのです。田舎で吹奏楽をやってた時、確かに上手いとこ ろもあった。強豪校とか破格に上手かった。でも「それだけ」だった。今思えばそれも「スペック厨」だったね。
そういえば、確か安全地帯のデビュー前について、玉置浩二 も言ってた気がするが、田舎のバンドで情報もセンスもなくて、じゃあ何があるかって言ったらテクニックだけなんだ、と。だから、上京前の安全地帯は、とりあえずそこだけ一生懸命、旭川で頑張った、って。これは今思うと実に正しいです。
まあそういうわけで、そんな地方で暮らしてた人は、友達をランク付けする、つまり、センスのいい人を必死で周りに集めておかないと、自分がシヌ、みたいなところはあるんですね。
これもね、東京の人に行っても全く理解されない。東京だってセンスとかない人もたくさんいるよ?ピンきりですよ?って反論される。前も書いたけど「ちっがーー う」。その「田舎とは違う」という部分で、僕はとっても楽になり、まるで東京ジモティな如く、楽しく過ごせたわけですね。

まあそういうことなので、東京に出てからの僕は、実家時代の田舎のそういう傾向がわかってしまったので、そういう感覚が、自分に戻って来ないよう、極力、故郷や地方出身者との交流を避けて生きてきました。いま実際に、僕の仲の良い友達を並べてみても、全員首都圏出身者ですよ。あえて排除してきたんだよ。そういう田舎の狭量な感覚を忘れたくて。だから、その感覚がどっと押し寄せてきたNGSK時代は、とても苦しかったのだろう*3

で、こっちでゆり花さんとか日向文とか見たときに、ああやっぱり地方出身者やなあ。。というところがあって、自分の中の「田舎者感覚(僕も田舎もんですから)」が蘇ってしまう。これはよくないなあ、と。ちゃんと首都圏感覚に戻って行かないと、今後病んでくるぞ、またOM氏にヤラれた時みたいな酷い目に遭うぞ、気をつけろ!っていう警告が、自分の中から発せられた*4。都会にせっかく戻ったのに、わざわざそこでまた地方感覚に触れることはないでしょう?と。もっともっと、フラッ トに生きたい。それを忘れちゃいかん!とね。

東京生活その後について、こんな出来事を思い出した。

子供が見てるでしょ! - Wikipedia

田村正和のこのドラマ大好きで、再放送よくやってたので何度も見た(本放送は見てない)。
こ のドラマについては、今でも僕のポリシーに関わる大きな出来事があります。これの最終回のビデオを後輩(バンドのメンバーでもあった)と一緒に見てたの ね。これを一緒に見ながら「これが最高なんだよ!」と言ってたところ、その後輩が「もうストーリーの先が読める。このあとこうなってこうなるでしょ。つま んねえ!」と僕に言った。実際そのとおりなんだけど、エンタテインメントとして成立してるやん、陳腐かもしれないけど、こういうハッピーエンドは僕は嫌い じゃない!って、その彼と揉めてね。袂を分かったってことがあったの。
その後輩、同郷でね。基本的に北海道や東北、といった北の国の人々は冷笑的なことがあるのですが、この出来事で、僕はそもそも、そういう北国基質の「冷笑的」ということが、既に肌に合わないのだ、と。この時気づいたんだな。
僕 はその後、キャバレーやってホテルマンになって接客を極めるでしょ。常に、相手の喜びを提供して満足する仕事でしょ。サービス業の基本、ということと、僕 自身が持っていたサービス精神が、そこで合致して、こういうことだったのか、と覚醒したわけですね。お客さんが望むものを提供してなんぼの商売なんだな。 そこに自我のこだわりとかないんだよ。自分自身の満足より、お客さんの満足のほうが、僕の喜びは大きい。これに気づいたのはすごく大きかったです。
で、 このドラマ、その後も何度も見返したけど、やっぱりこの最後の展開は、そうなるべく、全員が望んでるでしょ。そして「きっとこうなるに違いない」って思ってても、実際にそうなった時の感動、というのも偽りじゃないって思ったの。陳腐でもなんでも、そこから得た感動は偽物ではない、と。
名作から得た感動が本物で、陳腐な作品から得た感動は偽物なの?そこに違いなんかないよ。なぜなら、感動してるのは自分自身だからさ。そういうことを、この出来事でちゃんとわ かったんだな。

これでわかったこと。つまり「予定調和であることのダイナミックさ」ですね。僕は今でも、その真髄を求めて創作を続けてる、ってことでいいと思います。予定調和に持っていくのって覚悟がいるからね。相当思い切って、開き直りがなければ出来ないことだと思う。そこには自信も必要でしょうね。
いつまでも判官びいきっていうか、ヒトと違う態度をとっているのって楽なんだよ。「オレは陳腐なことはしないんだぜ~」的に、斜に構えてるのって。
そ うでなくて、どうどうと王道を行くということがダイナミックな展開を生むわけですね。それを遂に掴んだのが「キミ好きソング」だったのだろうと、最近改めて 思った。あの曲は何度でもよみがえるよ。僕にとっては夏休みより普遍な曲だと思ってる。あれこそが自分である、というか。
そういうことを、故郷の奴らや冷笑的な周りの人々から一切離れて、一軒家で住んで、こもりながらホテルやって、そうして自由になって掴んだのだ、ってこと。すべてのシガラミから 解き放たれて、生まれたものが、ど真ん中の王道だったというのは、実に素晴らしいことだったなと。僕にとっては、これこそが、東京生活で得た、最も大きな ものだった、と思ってます。実際にキミ好きには、僕の古い友人だけが分かる仕掛けがあちこちに埋められており、その彼らへの挨拶、お礼、そして東京生活の総括、というアレンジになってるのです。キミ好きはほんとに深い曲なんだよね。
それまではスペック厨に煽られたり、批評的でなければならない、サブカル的でなければならない、みたいな風潮にずっと悩まされてて迷走してきたんだと思う んだよね。それが一周回って、王道であることが新しい、みたいな感覚になったのは、94年ころ。そうして僕は開放されて救われたわけだ。

そうやって今までの自分を否定してやっと開放されて覚醒してブレイクした私、NGSKに移住したところ、その過去の僕の考えのような人々がどっと押し寄せて来たわけです。少数なら相手にできるけどね、ほぼ全員がそうなので、大変な目にあった。みんなどんな感じだったかというと、NGSKの音楽の現状についての不満とか、音楽とはこうじゃなきゃいけないですよね!!という主張とか、こんなひどい状況なんです、どう思いますか?(助けてください)みたいなことを、口々に言ってくるわけ。
でも、こっちは覚醒して、既にそういう考えじゃなく新しくなってるじゃないですか。そうすると、そういう相手の望む答えをできないの。同意も出来ないし、期待する対応もできない。そして、それを理解してくれる友人も居ない。それが徐々に苦しくなってきたわけです。
たぶん「今はそんな時代じゃもうないんですよ」と説明しても彼らは判ってくれなかった思う。何故なら、彼ら自身がそうしたくないからさ。僕のような考えは、それまでの常識と違ってたし、新しかった。それに対して、彼らの考えというのは旧来の業界の常識であり、それプラス田舎ならではの偏屈さ&ス ペック厨的な考えだったから。だから、僕は当地で、お互いに価値観が大いにずれたまま付き合うことを強いられたわけです。
この苦しさが、ハイクでずっと吐露してたような愚痴へとつながっていく。つまり、20年遅れてるだの、年寄りが仕切ってるだの、昔の業界みたいで嫌だだの、そういうのは、全部ココから来ていた愚痴なんだね。今になって、やっとそれがわかってきた。
「戻りたくないよ。今がすきだから♫(エバグリの歌詞)」です。まさに。だから必死だったんだよオレ、過去の自分に戻りたくないから、戻らないよう戻らないよう、必死で自分を維持していた。お前らの考えは古いんだ!!と必死で、必要以上に否定し続けて、自分を保っていた。そういうことですね。

移住直前のこと、いろいろ思い出すよね。オートチューンの性能が良くなって安くなってきた頃。だから、歌のスペックになんか拘らず、ある程度妥協して、どんどん増産していこう、って思っていた。それが僕の復讐でもあったんだよ。僕より上の世代どもに対するね。そして、時代もそうなっていったし。その流れを止め られなかった。
これはアイドル全盛の今の話じゃないですよ。8年くらい前の話。既にそういう傾向になってきてて、「こんなの歌じゃねえ」などと、オトナが眉をしかめるようになってきたの。でも僕は別に構わないと思ってた。一番大事なのは声と楽曲だから、と。。NGSK末期とは全然違う考え方だったんだよ。東京に居たから、それでよかったんだねえ。。すごいねえ。

移住直後の頃のことはブログに書いたことがある(今も残ってるはず)。僕はNGSKで、鯨女子でそれをやりたかった、つまりアイドルみたいな渋谷系みたいなものをつくり、 彼女には「声」として参加してもらってオートチューンで加工して、アイコン女子ソングを増産しようと。
しかし、それに彼女が猛然と大反対してね。「私は初音ミクじゃないっ!!」と。ちゃんと「歌手として」歌いたい!自分のオリジナルを発表したい!と。それでまず方針のズレが生じた。
で、当時レーベルにクラブジャズのバンドが参加してたんだけど、そこのバイオリン奏者。この彼は逆に「自分は上手くなれないから、大加工して上手そうに捏造してくれ」という要望!だった。…おまえそれは、声ならあるだろうが、楽器ではそれはないんでないの??って、呆れましたよね。当然それも納得できなかった(このへんの考えは散々、過去にブログで書いたとおり)。この二人が同時期に、全く逆のことを言ってきたので、こりゃ困ったよねー。。と。
そんな時期に、例のディナーショーツアー(2010年)があったんだな。あれは移住以来、初めての遠征だった。そん で、久々に「外の世界」というか「元居た世界」を見てしまったんだな。で、自分の進む方向に初めて迷いが生じた、ということですね。
でね、ツアーから戻って、さてどうするかってなったんだよね。
鯨女子と私、表には仲良くやってるように見えてたかもだけど、その頃、壮絶な言い争いをホントにたくさんしましたよ。その方針の違いでね。ざけんな、と。僕はそんなつもりはないし、そこまで言うなら、もっとオレを納得させるくらいの歌や曲じゃなければいけないんじゃないの?とか。
それに、彼女が「ヴォーカロイド化」を拒否したのでは、じゃあ僕のアイコンソングは誰が歌ってくれるんだい??ってことになり、そこも途方に暮れた。コラボの相手を別に探さないとならないからです。
一 方バイオリン奏者については、オレが納得せず答えを渋ってる隙に、もういいです、とレーベルを去ろうとしたんだよね。で、ざけんな、投資分はどうする?とか、お前そんな実力で何を寝言みたいなこと言ってるの??みたいな怒り沸騰っていう感じね。そんな状況で、レーベル運営も詰んできたわけです*5

でですね、これで気づいたのですが、OM氏も由梨も、実は、これら二人の「カウンター」だったのではなかったか、ということなのね。例えば、純粋な歌手で行きたい、というなら、由梨くらいちゃんと歌えて初めてまともな歌手といえるんだぞ?という気持ちがあったし、新たなコラボ相手で、こんないい子を見つけた、という気持ちもあっただろう。また、バイオリン野郎についても、こんなクズ演奏家に関わるのはゴメンだ、もっとちゃんとしたプロと仕事したい!というのが、OM氏と組んだきっかけのひとつだった*6。つまり、どっちも反動だったんだね。で、結局、僕は、そういう流れの中で、自分自身が否定していた旧来の価値観、音楽へのこだわり、みたいなところに自分自身がまた戻っていってしまっ たの。昔、僕が嫌いだった、すごい偏った固い考え方にね。そういう流れ。

まあ結局、思ったのは、自分の見つけた道を歩いて行くのは充実した人生ではあるけど、同時にすごく大変だってことですね。鯨女子にしろバイオリン野郎にしろ、僕のロボットではないわけだしね。ただ、お互い尊重した上での契約が成り立っているのだから、それが適わないとなると、それはもう一緒にはできないよね。その絆は切れ て、ただのクライアントという関係になってしまう。それが現実だった。僕は僕で、自分と歩いてくれる別な人を探すことになったということですよね。
そんなこんなで僕は疲れてたんだな。それで、苦労しない相手を見つけることになった。由梨も雅香も「音楽的にちゃんと」してるからさ、楽だったよね。既成品を手に入れた、みたいな感じですよ。でも、自分にとっては何か発展があるんだろうかこれ…。って思ったのも事実。なので、どっちも途中で頓挫したけど、相手の態度に憤慨もしたけど、内心ホッとしたところもある。これ以上どうしようもないよこれ、って思ってたからね。完成したものを手に入れても、カスタマイズし甲斐がなくてつまらないってこと だったんだろうなと思う。
あと、彼女らと組んだことで、音楽的には楽だったことから、結局「ちゃんとしたものがいちばんいい」っていう考えになってしまい、それは旧価値観に僕が組み込まれてしまうということでもあった。
自分が価値観を変えてやるぞ!新しい時代だぞ!みたいな、移住前に芽生えたモチベーションはそこで半ば潰えてしまった。そうこうするうち、高浪さんが帰郷してきて、僕がやりたかったことを彼にされてしまうようになった。つまりキャラが被ったわけです。だからそれも もう無理だったのね。いろいろと詰んだな…って思った。で、リターン計画→混乳という流れになる。本来なら混乳みたいのは、僕自身が企画してやってたことだ よね。でももうそんな気なかった。だから、運営Pさんに丸投げで僕は一切関知してない。移住した当初のことを思うと、そんな「他人ごと」なのが、すごい不思議だったなあ。遠い青春を見てるようだった。

その後の展開ですが、鯨女子さんとは大バトルあったけど、根性はあるんだよな、意地でもアルバムを作ると言って仕上げてきた。僕は完全に「ただの」アレンジャーとなって制作してあげた。プログレぽくしたりギター弾いたり面白かったよね。で、完成後、僕に言ってきました。やっぱり曲作るのは大変だった。あなたの偉大さがわかったwと。今後は言われたとおりに歌うから、何かあったら頼んでほしい、と。こっちは正直、もうその気もあまりなかったけど、そう言ってくれたことは嬉しかったね。それに、やっぱりお互い苦労したこともあって、ずいぶん上手くなったと思います。
バイオリンは、その後いろいろと散々だったという後日談が伝わってきてるのでザマミロ と思った。彼は一生、進歩するとかは無理だろう。この辺、ちょっと偏見もあるけど、九州はやっぱ女子強えーなーって思ったよ。しっかりしてるんだよ。みんなそう。そういう意味では、女子の方は首都圏感覚に近いと思う。男子がヘタレなので目立つってだけで、これが普通なんだよな、と思います。

というわけで、いよいよ移住末期の話。
僕は自分の中で、自分の作品に品位とか良識とか、そういうものが含まれたら終わり、と考えてるので、いわゆる「ちゃんとしてる」ということは、一番遠い感覚だったの。でも結局、今まで書いたような出来事があって、最後には「ちゃんとしてる」ことが一番楽だ、というところに落ち着いてしまった。それが悔しくてね。
移住直前に、果里というNGSK出身女子に、わざわざ下北沢に呼び出されて、NGSKの「適当な」音楽家には気をつけろ、と忠告されたという話を以前したと思いますが、いろいろ書いたように僕は既に、そういうゲリ ラ的なのが面白い、という「新しい」考えになってたから、こいつは人をわざわざ呼び出して、何を古臭いことを言ってるのだ??と思って、こんな奴には絶対負けない、とその時思ったけど、結局7年経って、彼女のような「ちゃんとした教」の人々の軍門に下ってしまったのね、と思うと、情けなくて悔しくてしょうがなかった。でも、田舎じゃ実際それが正義だった。それは認めざるをえない事実でもあった。

結局わたし、NGSK末期に得た「ちゃんとしてるのが一番楽」という結論を抱いたまま首都圏にリター ンしてきたのね。そんなの息苦しくてめんどくさくて嫌でさ、もっと適当にやりたい、と思って歌手業なんかやめます、などと一度は言ったけど、そうすると今度は自分が 楽しくないのよ。あんだけ一生懸命、毎日歌れんしてさ、どのライブでも「CDみたい」と言われるくらいの出来なのが僕のカタルシスだったのに、それがなく なると、何を楽しみにすればいいのかわからなくなって、ちっとも楽しくない。結局、自分自身も「ちゃんとしてることがいちばん楽」ということなんだな、と なってしまった。
自分が「ちゃんと」してるからさ、ちゃんとしてないものにはいくらでも文句言えるの。TVみたりCD聴いたりしても、こんなもん◯◯じゃね え!ってなるの。その姿は、かつて僕が、一番なりたくないなと思ってた良識オトナそのものでしたね。

そんなことになってた昨今、やっと時間が出来ていろんなライブを見に行ったでしょ。そんで音感のいい日向文を見て、これは由梨の上位互換だと気づいた時、スペックがいいからって、それが一体何?って思ったわけだ。彼女たちじゃなくとも、対バンもみんな上手かったし、他にも上手い子なんかどこにでもいるでしょ。そうすっと、スペックに拘ることは「第一義的じゃなくなる」のね。*7
自分自身がそれに拘るのは別にいいんだ。それが自分の生き方だから。でもそれを他人に強要するのは、それはまさにブラック企業ではないか、と思ったわけよね。そう気づいた時、田舎で植え付けられてしまった「ちゃんとしたスペック教」の洗脳が、スッと解けて行ったわけです。8年前の移住前のこと思い出してみな?って思ってね、自分がやりたいことはそうじゃなかったでしょ?と。都会で悟った「感覚さえあればスマートに生きていける」という、そのことの音楽的実践だったでしょ?と。以前の考えは、古い船だから沈むんだって言ってたでしょ?と。そういうことだったんだな。

そういえば、ちょっと余談になりますけど、僕がNGSK生活で思い出した田舎感覚で、もうひとつ「花 輪・祝電主義」っていうのもあるのね。つまり、他人に見せる自分の価値を上げていくのに、スペック厨になるのもそうなんだけど、あとは、どんだけ、実 力者著名人からの「承認」があるか、ということにホントにこだわってる。ライブとか公演があった時に、こんな方からの○○が届きました!とか、こんなヒト が見に来てくれた!こんな人から褒められた!みたいなことを嬉々(そう見える)として、報告するわけ。そういう時に、前述したような「交友関係のランク付け」が活きてくる。ライフの高い人を周りに集めて置かないと、そういう時に有効に使えないの。NGSKでは、コレの戦いでもあった。自分自身が「ランクの高い人」にならなければならない、という無意識の強迫観念が常にあった。これもキツかったことの一つではないかな、と思う。
そういえば日向文がこれやってたんだけど、よく映画の全面広告とかで、有名人が3行感 想みたいの並べてるのあるでしょ?ああいう感じで、自分のライブや作品を「有力な他人」が褒め称えてくれる言葉を並べて公開して見せていくのは、スペックに拘っ て、そこのみで評価していく感じと、とても似てるなあと、思ったりしたわけです。ああ、地方感覚やなあ、と。
そうそう、これ自分の故郷でもよく あったよなあ、と。子供心に、なんか気恥ずかしくて嫌だった。勲章みたいに有名人の花輪並べ立てて、なんやこれって。でも、移住した時にNGSKで自分がいざやってみますと、これすごい効果的なんだよなあ。権威主義というか、すごい威力ある。有名人が知り合いです、みたいな感じと近い。そういうなんか、自分の中の下衆が蘇ってきたようで、辛い数年間だった。そんなことを思っています。

もいっこ余談ですけど、果里女子にいろいろ「忠告」されて、うっせークソ野郎と思った話はしましたが、今思えば「これはそのとおりだった」というのが結構あります。それは例えば「気軽にライブしてくださいとか言ってくるけど、お伊達に乗って、その気もないのにやったりしないほうがいい」というものだった。移住当時僕は、5年位ライブから遠ざかっており、全然その準備ができてなかったんだけど、NGSKで「おだてられて」なし崩し的にライブを再開してしまった、ということが実際あった。でも、喜んでくれてるようだからまあいいかな、と無邪気に思ってたんだけど、今思えば、裏では「こんな程度か…」って思われてたんだろうな、とわかる。その3年後くらいのディナーショーツアーくらいの実力が戻って着てる状態で、最初からやっていたら、当地での評価も全然違っただろうなって思う。
だからその、果里女子の忠告の意味は「NGSKの人々は外面と内心が違うから真に受けるな」ということだったんだな、とわかる。この忠告にしろ、先日の「ちゃんとしたものが正しい教」という考え方にしろ、僕自身は鬱陶しいと思ったが、古い社会である当地では正しかった、とも言えるので、結果的に果里女子の忠告は、NGSK向けにはいい忠告だったのだね。
しかし僕は、そういう価値観そのものを変えたくて移住したので、その忠告は受け入れられなかった、僕は僕の考えで好きにやりたかった。とい うことだね。でも結果的に僕は負けてしまった、ということなんだ、と思ってます。

で、話はスペックの話やカウンターの話に戻っていく。
いろいろ嫌なこと書いたけども、じゃあ例えば由梨が、ただ単にそれだけだったかというと、それはない。彼女とのコラボで、唯一でありかつ最高のものはちゃんとリリースされています。愛と平和ですよね。これだけは彼女との作業で「これだ!!」と思った。あの曲に関しては、音楽面に関して言えば、共同アレンジだった、と言ってもいいくらいの貢献度があったと僕は思ってる。由梨があの曲のアレンジについて、どの部分で貢献したかというと、それがまさに「歌」なんだな。さんざんスペック厨と言ってはいたが、アレの歌だけは彼女の本質が出てると思うんだよ。僕も彼女も、あの時だけ「ちゃんとする教」の洗脳から放たれ てる。その触媒になったのが彼女だったということ。つまり由梨がああ歌ってなければ僕もああ歌ってない。僕の歌いまわしは彼女のそれに合わせた部分が多分にあり、そういう意味で、僕の歌い方を変えさせたのだから、ヴォーカルアレンジに貢献した、と言ってもいいだろう、ということだった。
他の2曲については、前に書いたように、ベストとは言えなかったが、限られた条件下では、よく出来たほうだと思うし意味もあったけど、でも政略結婚みたいなものでもあったから、置き換え可能だったな、と今思うけど、しかし愛と平和はそうではない。
コラボでボツになる、っていうのは、メジャーでもインディでも、いくらでもあります。ちょっと録ってみて、いいなと思えば進むけど、ちょっと違うなと思え ば、デモを録ってそのままになる。おそらく日本中にそういう「オクラ入り」のデモテイクは山のようにあるはず。由梨とのあの2曲も、僕がNGSK在住でなければ、そのうちの一つの例に過ぎなかったという気がします。それでも、愛と平和という、公になった共演が(ひとつだったにしても)あったことは、それはそれで素晴らしいことだったのだよ。と、首都圏感覚に戻った僕は、今思います。

というわけで、大団円へ。
こういう話をいろいろ書くことになったきっかけ。実は2週間前に、とあるコラボをやったのです。 このコラボ。5年越しの求愛がやっと!実ったもの。当時は僕はNGSK在住でしたから叶わぬ遠恋だったね。で、叶わなかった5年の間、浮気もしかけました けど、やっぱり本命でしょと思って、満を持して声をかけた。本当にそうしてよかった。と心から今思ってるところです。
由梨や日向文などのことをいろいろ言ってたのはこういう理由があったのだね。これも縁だから、などと言って手近なところで済ませない!そんなのは、リソースの足りてない田舎ですることだし、そうやって「スペックが高くて、カウンターとして自慢できるコマ」を集めて並べて悦に入るのは田舎もんの感覚だ!もうそんなことはしなくていいんだ!と。そういう風にやっと思えたん だ、ということでした。
実はこの2ヶ月、いろんなライブ見に行ったりしてたのも、いろいろ見て勉強したかった、というのもあるけど、かつて長崎でやってた「街を探し歩いて新しい歌手の子を見つける」という感覚も少しだけあった*8。それが主な目的ではなかったが、そういう出会いも、もしあればあったで嬉しいかな、くらいに思っていた。で、NGSK感覚だったら、ゆり花さんや日向文なんか、もう即効、声かけ事案ですよね(断るだろうけど)。
でも「いやいやいや。 待て!」と。確かに上手かったり、声に魅力があったりしたけど、性格がめんどくさそうだし(!)、そんな相手と関わって、またNGSK時代のような修羅場みたいなことになりかねないでしょ、と。もっともっと、ちゃんと探しなさい、と自分で自分のハードルを決して下げなかった。ということです。この感覚、手近で済ませるな、というのはすごく重要な事です。

ライブを休んだこの2ヶ月。その始まりに、実は、僕が大好きだった、あるアーティストさんの新譜を買ったのです。ココ10年位 ちょっと調子悪そうだったので、今回の新譜もはたしてどうかなあ。。などと恐る恐る聴いたの。そうしたら!全盛期に匹敵する名盤になってて!うおお お!!ってなった。以後、ほぼ毎日これしか聴いてない。出かけるとき ipod で、これが無限ループ。やっぱりね、安易に手近な一過性の喜びになんか手を出しちゃダメなんだな。待っていれば、探し続ければ、いつかきっと、また望みが実現する機会も来る。探さなければ見つからないし、待てなければ大きな喜びは永遠に来ない。と。

前も書いたと思うけど、NGSKの人たちはホントに待てないヒトばかりだった*9
根気よく探し続けて、その時を待ち続ける、それが出来るということも、能力の一種なんだなー。そういうことをズラズラと思いだした。 脳の奥からそういう感覚のデータが呼び出され、最前列にセットされた。これが7年前に僕が持ってた、そして一番重要視してた感覚だった!ということだね。

何故かココ1ヶ月位、FBなどで見る、かつての彼の地の人々の活動報告みたいなものを見ても、なんか冷めて見えるようになってきた。一生懸命宝物を探し続けても、結局は同じ場所を、ただグルグルしてるだけ。それはお釈迦様の掌ですし。
愛のある街に育まれて、胎内のようで幸せだろうと思いますけど、僕はそんなの要らないから、また外に出ていきますね。というお話でしたの。YES!

*1:その自分のスペックに合わせた楽曲をちゃんと書ける、というのは、それはそれで素晴らしい才能

*2:しかし当初、僕のことを理解し味方になってくれたのも、この「偏屈」な人々だった。そこはとても感謝しています。

*3:そういえば、東京生活10年目くらいの時かなあ、みんなで地方出身者の話になった時があって、僕以外はみんな東京ジモティだったけど、「地方から来たヒトってみんな派 手だよね」「なんかすごい、自分が自分がって、押しが強いんだよね」という話になって、そうなんです、すいません、ってなったことがあったけど、結局、東京文化を動かしてるのは濃いキャラの地方出身者なんじゃないかって、今も言われてるけど、当時から僕らはみんな言ってました。勝手に東京に来て好きなだけ騒いで汚して、こんな所は人の住むところじゃねえ、とか言って田舎に帰ってく。こんな失礼な話はあるか!って、怒ってたなあ。そういう感覚を僕は忘れたくないなって思ってるってことです。

*4:このブログに出てくる「小姑」というのが彼女。僕は彼女に「洗脳されかかっていた」んだと思う。ちなみに今は市内の同業と表面上は仲良くやってるみたいですが、相変わらず裏では悪口言ってると思います。ヒトはそうそう変わるものじゃないけん。

*5:バイオリンバンドを全国で大プロモーションしよう、という素っ頓狂な計画を持った輩がいきなり現れたんですね。福岡の某社長。僕のところに来て、これこれこういうことで「自分ら の会社から」全国リリースしたい、と。で、今レコーディング中の音源をください(!!)などと言ってきたわけ。は??ってなって、レコーディング費用は??原盤権は??と聴くと、CD出して売上からバックしますから、などととんでもないことを言う。じゃあ売れなかったら、僕にはお金が入ってこないの??って尋ねる と、そうなりますが、そうはならないつもりだと言う(!!)。じゃあこの話の僕の旨味はどこにあるんです??と尋ねると、エンジニアとしての僕も、全国で有名になるからいいじゃないですか (!!!)などと応えてくる。ともかくすごい人で、そもそも、バイオリン野郎にそんな実力なんかないし。ふざけてんのか?耳腐ってるのか??って正直思ったね。で、もちろん拒否しましたけど、これのダメージは相当あった。なんなんこれ…って。ちなみにこの人、その後、ペコロスの映画をプロデュースして出資者になりました。バイオリンのスカウトに失敗して、次にペコロスを発見したんだね。まあ、これ全国ブレイクしたから、まあやっと彼の思い通りになったわけだけど。そうやって色々転がしては金稼いで生きていく業界ゴロなんだろうね。

*6:音楽的なことだけじゃなくOM氏と組んでレーベルとしての泊も付けたい、という考えもあった。そういう意味じゃ僕もこの時点で策士。でも、お互いに利になるなら、それでいいじゃん、と思ってたんだけどね。そうは行かなかったねw

*7:あと私、どこか肉体的魅力を信じないところがあるんだよね。声がいいとか、天使の歌声、などと言われてもさ、歳とったり不摂生すると変わるでしょ。そういうもので褒められてもちっとも嬉しくない。僕もよく、声がいいとか褒められてたことがあったが、あまり真に受けない、というか、そんなの、外見の好みと一緒で、 極論すれば、おっぱいでかいから好き、というのと変わらない気がするんだよね。それよりはちゃんと、楽曲いいとか、そういう自分の実力で評価されたほう がいい。それは本物だし、永遠だし、変わることはない価値観だからさ。
承認欲求強い人は、肉体的特徴で褒められると有頂天になって自分を見失いがちだが、そんなもん、新しい別な可愛い子が出てきたらおしまいでしょ。そうじゃない、自分の声や顔抜きでも、きちんと評価される作品を生んでいるか、ちゃんと自己評価できること、それこそが一番重要なんだよ。

*8:そういうA&Rの仕事をしていたので

*9:婚外セックスも音楽も全部手近で済ませる人々ですからw