「ゆとりスタンダード」なんかなかった
自称「ゆとり」の人々と知り合ったころ、彼女らの音楽を聴くと、コードとかも適当なので「何だこれ?」と思ういっぽう、今後はこういう「ゆとりスタンダード」みたいなやり方が正しくなるのかもしれん(70年代のパンクみたいに)と思って、それを受け入れようとしていた。
ところがですね。
東京に戻って、2年間いろんな「ゆとり世代のライブ」を観てみると、ゆとりとかとんでもねえ!というくらい「しっかりガッツリ」しておりまして、実にちゃんとしておるわけです。
「ゆとりだから」などという「世代エクスキューズ」があろうとなかろうと「ちゃんとした音感の人はちゃんとしておった」わけです。
つまり「ゆとり世代ですけど何か?」みたいに開き直ってた人々に私は騙されてたんですね。ちゃんとしてる人は「別に時代や世代がどう変わろうともちゃんとしてる」んじゃん、と気付いてしまって。
だからもう「その人個人が至らないことについて」今の時代でも、何の言い訳も通じないのだなあ、そこは昔と変わらんのやなあ、と思ってとても安心しました。
もうーほんと、しっかりしてほしい(誰に言ってるのかw)。
関連。
ところがですね。
東京に戻って、2年間いろんな「ゆとり世代のライブ」を観てみると、ゆとりとかとんでもねえ!というくらい「しっかりガッツリ」しておりまして、実にちゃんとしておるわけです。
「ゆとりだから」などという「世代エクスキューズ」があろうとなかろうと「ちゃんとした音感の人はちゃんとしておった」わけです。
つまり「ゆとり世代ですけど何か?」みたいに開き直ってた人々に私は騙されてたんですね。ちゃんとしてる人は「別に時代や世代がどう変わろうともちゃんとしてる」んじゃん、と気付いてしまって。
だからもう「その人個人が至らないことについて」今の時代でも、何の言い訳も通じないのだなあ、そこは昔と変わらんのやなあ、と思ってとても安心しました。
もうーほんと、しっかりしてほしい(誰に言ってるのかw)。
関連。