恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

はとガール 〜 大原麗子劇場

たまたまですが…
大原麗子さんの素晴らしいドラマを発見しましたのでただただ画像貼っていきます。笑。

はとガール




なんだかもうドラマの内容とかどうでもいいくらい大原麗子大原麗子です。中山麻理さんも出てらして彼女もお綺麗な方ですけど大原麗子には敵いません。というかもう大原麗子が何某かのメディアに出てたら他はどうでもよくなるくらいの大原麗子なので。そこに大原麗子がいたらもうそこは大原麗子ランドになってしまうのです。いやーすごかですねえ…。


これは姉妹列車の「つばめ」
当時の超高級特急列車

他人事ではない連赤

今日は「あさま山荘」が陥落し人質が無事救助され犯人が逮捕された日だということです。

実は私、子供の頃に学生運動などの様子を見て「オトナになったら自分もあんな活動をしたい」と思っていたのですよね、なぜなら日常の暮らしがとても辛く、家にも学校にもどこにも居場所がなかったからです。
ですが実際に大人になったとき自分はそういう活動をしませんでした。なんでそうしなかったかというと。高校の部活とその後の音大関係の寮内で「連合赤軍の総括リンチ」そっくりな経験を2度もしたからです。 私はこの経験で「音楽する人に悪い人は居ない」と思ってたのは大嘘だと知りました。人は集団の中で追い詰められると似たことをするものだ。たとえ音楽家でも同じなのだ、と。 私が今その界隈と距離を置いているのは、このときの教訓があるからです。
この2度の経験のあとにも先輩やミュージシャンから酷い話をたくさん聞きました。パワハラ・セクハラどころじゃない。鉄拳制裁や理不尽ないじめなど*1。「これは本当に私が尊敬してた音楽家の話なんですか?」と耳を疑うようなエピソードがたくさんありました。 もちろん「みんながそうではない」それは当たり前なんだけど。でも私は「同じ環境になったら自分だってやりかねない」と思ったんですよね。なにより「そんな自分が怖かった」。 今こうしていろいろ思い出して振り返ってみると、人に必要なのは「居場所」だとわかります。そんな居場所のない人たちのことを少しでも考えたい。そんなことを思いました。


話変わりますが実は先日。小学生時代の通知表というものが発掘されたと母より。
中身を見てみましたところ「落ち着きがない」「授業の話をちゃんと聞こうという姿勢がまったくない」などと散々なことが書かれてあり「おめえ何様だこのやろう」みたいに学校に対する怒りが再燃しました笑。教師なんかに子供のどこがわかるというのか。個々人が抱えてる問題とかまったく知らんくせにと改めて思いましたわね。
なお私は某教師から「人間のクズ」と言われ(小2)音楽教師から「お前はこの学校に要らんから早く転校しろ」と言われ続け(小4)…。理科教師からは「お前は授業を聞かないから教室から出ていけ」と言われました(小6)。それでも最期まで居たけどね笑。
まあ昨今の教育の問題とかを考えると他人事とは思えないなあと思ったな。私みたいな不具合な子供でも居場所ができるような未来になってほしいなあ。連赤と併せてそんなことを思ったという余談でした。

 

*1:実際に知られた事案としては「日野皓正氏ステージ上で中学生を平手打ち」があります