恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

港町レトロ

 以前、挽歌の世界観は「野蛮な」釧路の空気とは合わなかったのではないか、むしろ小樽とかのほうが向いてたのではないか、と書いた。

karamandarine.hatenadiary.jp

 

そして「小樽は早くから観光を意識してたので、そういう街づくりがされてるし、門司港レトロなどは典型である」みたいに述べたんだけど、書いたあと「そういう無責任な言いっ放しもどうかな」と思ったので、せっかくだから確認に行ってみた。

実はこの辺、今回はじめて!訪れたエリアである。故郷なのに全然行ってないところばかりなのな。まあしかし18歳までしか居なかったのだから、それはしょうがないのだけどね。

というわけで!
釧路の港エリアにも、こんなレトロ倉庫群があったとさ…という話。
f:id:maicou:20190913130831j:plain
横浜ほどではないが長崎くらいなら、こういうのある。

いい感じじゃないですか。
f:id:maicou:20190913130813j:plain


こんな感じ。
f:id:maicou:20190913130752j:plain


そういえば昔、なにかライブしたりするエリアとして使用されてたという話を聞いたことがあった。今思えば90年代くらいは日本も豊かだったですね。
f:id:maicou:20190913130610j:plain


「使われてた」ということで現役ではない様子。
写真では見えないが、デカいクモの巣が張ってて入り口を塞いでいた。
f:id:maicou:20190913130851j:plain


よさげですけどね。
再利用が終わってからもずいぶん時間が経ってる様子。
f:id:maicou:20190913130913j:plain



というわけで、実は釧路もこういうのが残ってた、と。

今回こうして歩きまわって気づいたのだが、前述の小樽の記事でも書いたとおり、釧路の場合エリアが「だだっ広い」のよ。ともかく広い。一箇所にまとまらず、あちこちに散らばっている。そして繁華街のエリアからも結構歩く。お店もないし、決して「街なか」ではないの。その辺が「手軽な観光地」として再利用できない理由なのではないかと思ったりした。


それからもう一つ。
これら廃倉庫群エリアのすぐ横が埠頭で、釧路川河口あたりに近いのだけど、そちら側に行ってみた光景がこちら。f:id:maicou:20190913131838j:plain


埠頭というか岸壁に大きな漁船が留まっている。f:id:maicou:20190913131611j:plain

つまり、この港は「ばりばり現役で使用中である!」ということなんである。つまりこのエリア一帯が「仕事場」。

現役で使用されている施設エリアを、観光地として整備開放することは難しいだろう。それこそ気の荒い漁師たちから「のんきにウロウロすんな!」と怒られそうである。そういうヤワな街じゃないんである。


ちょうど先日の臨港鉄道の記事で「廃止されたから、やっと評価が始まる」と書いたが*1、逆に釧路港エリアは、少々疲れて時代から取り残されていようとも「まだまだ現役で居よう」と必死に生きてるわけである。
問題点があるとすれば、現役稼働中のエリアと「歴史になってしまったエリア」が隣接して混在してしまっていることなのかも知れない。

歩きつつ、そんなことを思った。

最後にこれ。同じく近隣エリアから。
f:id:maicou:20190913175539j:plain

世界三大夕日とか言ってるだけあって、やはりこれは綺麗よね。
暗くて汚いものが何も見えなくなるからねw


というわけで故郷散歩おしまい。

先端カサンドラ・クロス

こないだ、石炭輸送列車の線路の端を探し当てた記事を書いた。 

karamandarine.hatenadiary.jp

この鉄道は「春採〜知人」間を走ってたわけだから、いくら馴染みがあるからって、片一方の「春採の先端」だけを確認して悦に入ってるのもどうか、みたいに思ってたわけですよね。

で、まあ。
しょうがないので乗りかかった船ということで、もう片方の終着地「知人駅」の先端を確認してみることにしたわけですw

再三言ってるとおり、私はこの鉄道にさして興味もなかったものですから、実は「知人駅」には一度も行ったことがありません。これだけ有名な施設がありながら、一度もそれを見たことがありません。まあその辺からも、私の「この鉄道に対する熱意」のほどが伺われるわけですw

というわけで!人生初!
しかも「廃止されてからw」行ってみた!

実はこの日、時間があったので「臨港鉄道」だった時代の起点「入舟駅」跡から辿って歩いてきてたのですよ。なかなか楽しかったよ。この記事的にはどうでもいいと思うので、その廃線跡巡りについては書きません。

ということで、さっそく「知人駅」!

駅への入り口に、こじんまりした駅前商店街ぽい小路がありました。これは「臨港鉄道」ではとても珍しいです。他の駅跡にはこんなの残ってないの。なので、この鉄道にとって「知人駅」は重要な位置づけだったんだなってわかる。
f:id:maicou:20190917145041j:plain


こんな古い看板も出ています。
ココが駅ですよというアピールがあるのは「臨港鉄道」では珍しい。
なんか「普通の地方私鉄」みたいでびっくりしましたよね。
そんな柄でもないくせにどうした!?みたいに思ったw
f:id:maicou:20190917145054j:plain


その右、港方面の横道に行くと、有名な貯炭場施設が見えます。
f:id:maicou:20190917145227j:plain


本来のルートに戻り本線跡を知人駅へ向かう。
f:id:maicou:20190917145502j:plain


ここが「本来の」駅構内だった。
石炭輸送専用になってから右側の貯炭場ルートしか使われてなかった。
その分岐点が真ん中あたりです。
f:id:maicou:20190917150002j:plain


その地点から振り返る。
右が本来の「知人駅」構内。
左が最近まで現役だった貯炭場への分岐線。
f:id:maicou:20190917150031j:plain


貯炭場の線は2本あります。手前の方から行ってみる。
f:id:maicou:20190917150221j:plain


線路は全部はがされている。
f:id:maicou:20190917150624j:plain


橋まで近づいてみると。
なんと橋の上だけは線路が残ってる事が判明!
f:id:maicou:20190917150342j:plain


ココで私。この光景をどこかで見たことを思い出す。
そうだ!これ「カサンドラ・クロス」だ!(映画。ぐぐって)
f:id:maicou:20190917150400j:plain


引き返し、もう1本の線。海側の方も行ってみる。
そこから内側の橋を見たところ。
ここで積んでた石炭を貨車から一気にズサーッと下ろすのやね。
機関車からの遠隔操作で貨車の底の蓋が開く仕組みになってたようです。
f:id:maicou:20190917150541j:plain


ということで外側の鉄橋。
ココも線路がまだ残っていた。
f:id:maicou:20190917150659j:plain


カサンドラ・クロス
流石に怖くて、ココを渡って先端まで行く気にはなれなかったよね。
そもそも真っ昼間で人が居ましたし普通に注意されるでしょう。
f:id:maicou:20190917150718j:plain


貯炭場の外はすぐに海。
波がザッパーンとなってました。本当に。
ココからベルトコンベアで船に積み込んでたようです。
f:id:maicou:20190917150723j:plain



まあそういうわけでチキンの私は、コッチの先端までは行きませんでしたの。いや普通に危ないやろ。
なお本来本線だった駅構内の方の線路は、ちゃんと終端部があったようです。でもそれは、その先の臨港駅や入舟駅に繋がってた時代の路線で、太平洋石炭輸送になってからは、そっちは廃線なのだから、現役だったこっちの貯炭場鉄橋のほうが、路線の先端だったと言える気がします。

面白いのは、そもそも一番最初に臨港鉄道が出来たときも、路線は「春採〜知人」間しかなかったということです。その前後の路線は、石炭輸送以外の需要があって、あとから出来たのだね。なので臨港鉄道としては、末期のこの路線が「出来た当初の基本」に戻った形であったとも言えるわけです。へーという感じ。


最後ですが、前回の「観月園」記事で書いたように、崖と春採湖の間がもっとギリギリだと思ってた、という根拠は、この辺の線形にあります*1
f:id:maicou:20190917151640j:plain
本当に海岸ギリギリを走ってたのよ。
ええ、普通に波とかかかります。すごいよね。

ココは知人を過ぎてすぐのところ。このまま弁天ヶ浜に向かいます。この辺の線路ももうなかった。そこを歩いて米町まで。そうしてバスで帰りました。その先、弥生中学崖下〜千代ノ浦は、また機会があったら歩きます*2

*1:

karamandarine.hatenadiary.jp

*2:ちなみに、久我美子さん「挽歌」で出てくる「丘の上で列車を見送る」シーンは、この「弥生中学校」あたりの崖上から臨港鉄道を見てたような気がします。ぜんぜん札幌行き列車じゃないじゃんw

秘密の観月園

釧路の石炭輸送列車が廃止されたことについて色々書いた。 

karamandarine.hatenadiary.jp

幼少の頃から「いつでもあるもの」だと思うと、かなりな鉄の私ですら「別に…」という感情で、なんだかどうでもいいと思ってたフシがあると書いたが、私が興味を持たなかった理由は実はもう一つあって、それはこの路線が「貨物専用線」であることである。
それも過去記事で書いたけど、私は昔から、どうも貨物列車というものに興味がなく、だから全く詳しくもなかったし、多数連なってる黒い貨車の集団も、外国人の顔のごとく「区別がつかない」状態で一絡げに見ていたし、なんなら機関車ですら「ああなんか引っ張ってますよねえ」でしかなかった*1

まあそんなこんなで、故郷を走ってた石炭輸送列車にも「どうせ貨物線やん」と、さほど興味はなかったという話だが、実はこの鉄道、1963年までは「旅客営業」していたのである!

旅客営業していたのなら話は別である!!


私がその事実を知ったのは、なんと「小学4年」のときである。だが当時ですら「旅客営業」時代の痕跡や話題は殆どなかった。国鉄の第1次「廃線ブーム」は1970年くらいで、その頃はメディアなどもあったし、人々のサブカル意識も少しあったから、特集されたり個人撮影の写真などもあるわけだが、いかんせん1963年では古すぎて、記憶も記録もほとんどない状態だったし、貨物としては営業中の路線だったこともあってサブカル意識も乏しく、地元民ではあっても「ああ、乗ったことあるよー」程度の反応しか得られない時代だったのである。

まあそんなわけで「小4少年」の興味も、周りの無反応から「まあ、どうせ貨物線やし」と荒んで潰えてしまったが、そこから数十年…遂に鉄道そのものが廃止となるに至って、やっと「遺産」として捉えることが出来るようになり、そうして私も「そういえば」などと、昔の興味を再び思い出すなどしたわけである。


★「観月園」駅の謎

というわけで前置きが長くなった。
石炭を運んでいた「太平洋石炭販売輸送 臨港線」。旧名を「釧路臨港鉄道」という。前述のように 1963年まで旅客営業もやってて、路線のあちこちに駅があり、そこで人を乗せてた。

当時の時刻表があったので参考にされたし。

f:id:maicou:20190921133818p:plain

昭和31年ということは1956年ですね。久我美子さんの「挽歌」は58年だから、あの映画のロケのときも、これとほぼ同じような時刻で走ってたのであろう。感慨深い*2

というわけで子供の頃に「昔はお客も乗せてて駅もあった」と聴き、実際にあった駅名とその位置を聴いたとき、個人的に一つだけ「スゴく」興味を惹かれた駅があった。

それは「観月園」駅。

「観月園」とは景勝地的によくあるタイプの、レストラン、遊戯施設、スポーツ施設、宿泊などを兼ね備えた総合娯楽施設だったようで、春採湖が見下ろせる絶景の位置にあった。しかし時代が進み、経営母体なども変わり遂に廃業、現在は当地に「名前だけが残った」状態だった。
現役当時は盛況だったようなので、近所に鉄道が走ってるなら、そら当然、駅もできるでしょう!ということで、臨港鉄道に「観月園駅」もあったと。

で。釧路の地理をわかる人ならわかると思うが、観月園という場所は春採湖の横の「崖の上」。しかし、ご存知のように列車は「崖の下の湖沿い」を走ってるわけ。

この話を聞いたとき、小4の私「どうやって乗ったの???」という疑問が当然わいた。崖の上の施設から崖の下の駅に行く。まあ、崖を降りていったんだろう。そこまではわかる。しかし。そんな事が可能なように見えない土地なんである!*3

その辺の地理や様子などがいったいどうなってるのか。行ったことないからまったくわからない!確かめてみたい!!そう「小4の頃から」ずーーーっと思ってたのであるw

まあそういうことで、遂に廃止された先日。もうどうなっても問題あるまい!と、その謎を解きに、遂に現地に足を運んだわけです!


そいうわけで写真を見てちょうだい。
道路としては「太平洋シーサイドライン」に繋がるバス通り沿い。郊外に向かって左崖下が春採湖なんだけど、崖上から崖下の湖岸に繋がってる道路はひとつしかなく*4、他は「けもの道」を探す以外にないだろうと思い、「この辺かな?」と検討をつけて住宅地のスキマを崖方面に入ってみる。そうして何度目かに見つけたのが、怪しいこの空き地。突き当りになにかあるではありませんか!
f:id:maicou:20190915131343j:plain


じゃーん。
細い小路と、地元の人が書いたと思われる親切な「かんげつ坂」という手書き看板!
ここだ!ココを降りるのだ!興奮してきたなあ。
f:id:maicou:20190915131432j:plain


鬱蒼とした草木の中ですが整備はされてて、人が通っている形跡があります。
そこをひたすら降りていく。
f:id:maicou:20190915131446j:plain


降りきると平地が現れる。いちおう看板があり「太平洋」関係の会社私有地になっています。線路沿いなんだし、駅跡だとすれば当たり前か。

f:id:maicou:20190915131613j:plain


更に進むと遂に湖が見えてきます!小道はしっかりソチラに向かっています!
f:id:maicou:20190915131655j:plain


振り返り、降りてきた山の方を見上げてみる。
こうしてみると崖と湖の間の平地が意外に広く、余裕があることがわかります。
鉄道は湖の淵ギリギリを走ってたわけではないのだね。
f:id:maicou:20190915131650j:plain


そして遂に線路が現れる!
渡り板みたいなものも設置してあります。
f:id:maicou:20190915131725j:plain

位置的に、この平地の部分が「観月園」駅だったぽい。
春採方面。
f:id:maicou:20190915131752j:plain

沼尻方面。
今にも列車が来そうですが2019年6月で廃止されています。
実はこの時点で、米町や千代ノ浦の線路はすでに撤去されていました。なので、ココにまだ残っていたことに感激!
f:id:maicou:20190915131759j:plain


駅と思われる場所の線路上から。
廃止されてるので、もう列車は来ません。
f:id:maicou:20190915131819j:plain


同じく線路上から。春採方面。
f:id:maicou:20190915131813j:plain



ココから観る春採湖はこんな感じ。
駅からでもじゅうぶん風光明媚よね。秘境駅かも。
f:id:maicou:20190915131910j:plain


渡って駅跡を見る。
f:id:maicou:20190916155644j:plain


駅跡、湖側から降りてきた崖上方面。
f:id:maicou:20190916160000j:plain


湖側から駅を見る。渡れる道が出来ています。
こちら手前には湖沿いの遊歩道があります。近年できたらしい。
f:id:maicou:20190916155518j:plain


ちょっと離れて駅を湖とともに。
カーブ左辺りが駅跡。
f:id:maicou:20190915132201j:plain


そしてなんと!
観月園駅跡はエゾシカの住処になっていました!!
6頭くらい居たはず。
f:id:maicou:20190916155808j:plain


というわけで結論としては。

観月園があったとされる場所の奥地の崖に、ほっそい「けもの道」があり、ヤブを抜けて崖を降りていくと「そこが駅」だった。
当時の人はこうして崖を上り下りして列車を使ってたんだねえ。夜の照明とかどうしてたんやろ。

あと、今回はじめて知ったこととして是非とも報告しておきたいこと。

「春採湖と崖の間が意外に広かった」。

これはほんと意外。上でも書いたけど、もっともっと湖ヘリを走ってるんだと、子どもの頃からずっと思ってた。なぜなら、弁天ヶ浜あたりの線路は、海岸ギリギリを走ってるからです。そのイメージがあったのでね。なので、すっごく意外な発見だったなあ。

今は線路沿い(というか湖沿い)に散歩道も出来ています。90年代の「お金があるうちに」こういうのをちゃんと整備しておいてよかったよね。もう今からじゃ無理。そう思った。

f:id:maicou:20190916155115j:plain
観月園でシカ三昧。

今回、シカでよかったけどね、山道を下ってるとき「クマが出てきたらどうしよう…」と思ったことは事実。幸い釧路でいまのところクマ出没ニュースはなかったけど、実際わからないもんねえ。三毛別の話とか知ってると、こういうときに、ふと後ろを振り返るとクマが…ということは絶対ありうる!と思ったもん。周りがガサゴソ言うたび本当に怖くて、背筋がゾゾッとしながら下っていった。今思うと鳥かシカだったのだろうけど、まあ用心に越したことはないですわ。北海道は命がけで住む土地。ほんと。


というわけで、あまり興味なかった地元鉄の報告。

今回「廃止されたから」探索も可能になったのよ。現役鉄道なら難しかった。
それに関連してだけど、廃止されたので「歴史になった」からというのもある。つまり「アーカイブになった」わけ。
ロックアーティストでもそうでしょ。現役だと老いさらばえていくさまが受け入れられないことも多い。みんな「生きてる実物」には冷たいのよw

だからジミヘンみたいに早めに亡くなっておくと神格化ができる。アーカイブ研究として、第三者が好き勝手言える。そういう「無機物としての対象」になることが、これからのこういう史跡モノの生き残っていく道だと思ったなあ。この鉄道も今回「廃止されたことにより」評価が定まって高まっていくだろうと。そう思います。皮肉なものよねえ。

まあそういうわけなので「評価されたい」ひとは、早めに「隠居」しとくのも有りですよw

な〜んて。


★おまけ
観月園のとなり「見晴台」あたりからのパノラマ展望
写真左下が観月園。右端の方にヒブナ坂がある。
f:id:maicou:20190915130701j:plain



*1:鉄モ系男子の始まりと終わり

*2: 

karamandarine.hatenadiary.jp

*3:その後上京して知ったが本州にはよくある。京王よみうりランド駅などが典型

*4:ひぶな坂。実はココも一昔前までは「けもの道」に過ぎなかった。現在は興津方面に抜ける重要道路、かつ"現代の観月園"とも言える「六花亭」春採店に行ける、よく知られる道路になった