恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」まとめ。まだまだ深く掘っていきマスク。

「5キロ先の崖」扱いされた私たち

暑い夏です。

さて最近、北村紗衣さんという方が以下のような記事をアップしたところ、ネット上の識者の皆様から袋叩きに遭う、という事件がありました。

個人的には、北村氏の主張について「まったくそのとおりだ」と思っておりましたので、そうとは思わなかった周りの反応が意外でちょっと驚いた。で、「炎上」というスラングのとおり、様々な方々がこぞって、コレに対して糾弾されてたわけですが、そのメンバー中の一人に、以前より存じ上げてる音楽評論家の高橋健太郎氏がおり、それもたいそう驚きました。今回は、それに関して書いたものを纏めていきたいと思います。本当なら流れをちゃんと追って書きたいところですが、そうすると、また蒸し返してしまうことになるので、ココでは流れを説明しません。興味がある方は検索でトゥギャッターなどを探してください。

 

ということで、高橋氏と北村氏は理解し合えることもなく決裂したようなのですが、そのきっかけは、議論の途中で高橋氏が「自分のツイッターのタイムラインに広く意見を求める」という行為に出たことです。その行為に北村氏は以下のように述べ、それで議論は終了したのでした。

一方的に話を終了させられた高橋氏は、そのことが不満だったのか、その後も、北村氏への揶揄や、批判めいた トゥギャッターまとめをいくつも作り、晒し者にし続けました。その陰湿なやり方にも、僕は高橋氏とはこんな人物だったか…と大変驚き、幻滅しました*1

 

今回、僕が個人的に、いちばん納得行っていない部分は、北村氏の「女子大生の発言はジェンダー的にどうなのか」というような指摘に対し、高橋氏が「今はそれより重要なことがあるので、コチラを優先しないとならない」というような意味合いで「ジェンダーの問題は5キロ先の崖だから、とりあえず目の前の危険をなんとかしよう」的な発言をしたということです。

この発言を聞いたとき、自分自身のこれまでの身に起こったことが、走馬灯のように一気に蘇りました。子供の頃から10代を通して、僕は常にどの集団でもマイノリティ側で、意見を取り入れてもらったことがありません。一応聞く耳は持ってるような素振りを相手は示すのですが、「しかし今は重要じゃないから」「緊急ではないから」「本題ではないから」というように、後回しにされてきたのです。そして、今回の高橋氏の発言も、これらとまったく一緒だったのです。

確かに現実問題として、目の前に危険が迫ってるとき、優先事項というのはあります。しかし、それと、実際に「いまはそれどころじゃない、我慢しとけ」という発言をすることは別です。そういう配慮のない人物を信用できるのか、という話です*2

また、ある種のリーダー的人物が、議論相手の了解も得ずに「みんなはどう思う?」などと声がけするというような、ジャイアン的横暴さも引っかかった部分です。

 

奇しくも、個人的に「吹奏楽時代の封建的運営」について、ハイクで回顧し続けていたところでした。そこにこの出来事が起こり、音楽サークルの体育会系価値観や、音楽業界のミソジニー気質などについて、改めて、この問題とリンクして考えることになったのです。

 

以下の回想は、ハイクで何度にも分けてダラダラと書き続けたものですので、まとまりはありません。しかし、僕の思考の流れとして、参考程度に読んでいただければ、楽しめるかもしれません。

 

ということで、以下が、ハイクでの僕の「ひとりごと」になります。

 

ずっとその後も考えてるが、やっぱり、どこをどう考えても北村紗衣氏が述べてることについて、どこがおかしいのか、まったくわからない。至極まっとうな意見だと思うのですが。なぜここまで叩かれるのか?

それはそれとして、みんなで寄ってたかって、まとめを何個も創って晒しあげてることが、ものすごく陰湿で、その異常性と、そレを行っているメンバーの中に知っている人間がいる、ということのほうがはるかに私ショックなんですが。

個人的幸せを語っていいというなら、例えばヲタクの人が「毎日アイドル現場に通う幸せを大切にしたい」と熱く語ったとして、あんなに賛同されるんだろうか?あれは「女子大生」という「おっさんにとって特別な肩書の人」が「お利口さん」なこと言ったことが支持されてるにすぎないと思う。おっさんの喜びそうなこと、うるうる主張するから、コチラはすごく違和感あるってことなのよ(個人的意見です)。

それから、高橋氏の「TLのみなさん、どうですかー」については、集合知だというのはそのとおりだと思うんだけど、実は個人的に思うことがあります。健太郎氏は最近、本を出版されたのですが、そのことを知ったとき、ココ何年かの健太郎氏のTLでの投げかけやひとりごとなどは、この本を執筆する際のヒントや刺激にするために行ってたことだったのか!と気づいたということです。

今、具体的にどれ、とは指摘できないが、直感的に、あああれらもそうだな、と思いつくやりとりが幾つもある。それはそれで構わないが、であれば、その集合知を、書籍に謝辞として載っけてもいいよね?とは思うよね。彼のTLのみんなは、望むと望まないにかかわらず、全員、無償で彼に書籍の内容の一部を提供したことになる。本の出版を知ったとき、僕は「あー。やられた。。」とハッキリ思った。そして今回の北村さんについての呼びかけも、これと同種のものだと感じた、ということ。

上に立つものはこうやって、悪気もなく、意識もなく、こういう搾取をするのだ。それはかつて僕が何度も、される側として通った道であり。そして、いま年齢が上がった僕自身が、若者に対してやってしまいがちなことでもある。ここは今一度、反面教師としたい。気をつけないと。とね。

本題である「母親が御飯作って待ってる」云々についても、個人的に思うことがある。とりあえずザックリ書くと、僕がここんところずっと書き続けてた、吹奏楽部時代の話に似ているところが多々ある。封建的音楽業界としての常識がそのまま今も進行している、という感じ。つまり「ジェンダー問題は5キロ先の崖だから先送り」などという考えは、まさに僕が現役当時、争っていた同期の連中の価値観とそっくりだということなんである。

それでも一応言っておきますが、高橋健太郎氏は、業界の中ではずいぶん進歩的で新しい価値観の持ち主のヒトだと思います。しかし、それでもこういうことになる。じゃあ、旧来型の音楽業界者は、どんだけヒドイかってのは推して知るべし的なことですね。同年代の世界で居場所がなかった僕にとって、この事実はホント絶望だな、と改めて思ったな。

 

常々、いつか音楽業界ミソジニーについて書かねば、と思ってたが、ちょうどいいのでこの機会に書くことにする。
このことについては、僕がごく若い頃に先輩に訓示されました。「いいか?レコードやCDをたくさん買って聴くような奴らはほとんどが男子だろ?だから男子が喜ぶようなものを作るんだよ。あとな、スタッフもほぼみんな男子だろ?だからそこでも喜ばれる人が求められる。そういう世界だからな。」と。。ええ、私とても純粋でしたので、大変なショックでしたよ。そら僕もアイドルとか聴いてましたけど、それは「いいから」聴いていたので、外見的なものは若干あるにせよ、そこを「提供側が」意識しているとは思っていなかった。

そうなのか。。と大変なショックを受けたけども、先輩も大げさに言っとるんやろ、と思いたかったわけですが、でも実際その世界でしばらく生きてみると、現実もそのとおりだった。業界は男根主義で回されており、そこに生息する女子という人は、常に「そういう目」で見られ、扱われているのだった。もちろん差はあるのだけど、その差と言っても、扱い方が「丁寧かそうでないか」の違いくらいで、基本はみんな一緒じゃないかなあ、と思う。そんな世界で、同姓に好かれなかった僕が生きて行ける気はしなかったよね。その人々に気に入られなければ活動自体ができない、と思った。だからその時点でかなり絶望した。その後10年くらいかな、それでもどうしても音楽をやりたいと思い、そういう中で生きていくためのやりかたを試行錯誤して自分でそれを編み出していった。そういう流れだったね(吹奏楽関連の回想で長々と書いた)。
今回の一連の北村紗衣さん事案で思ったのは、結局、そういう世代のヒトは、その価値観は今もまったく変化していないんだ…ということだったのよ。

あとはコチラも興味深かった。有村氏のこの発言。

有村悠 on Twitter: "「あそこは「安倍に」抗議に行く場所」なんだから細かい違和感には目を瞑れというのもヤな同調圧力だと思うのよ>武蔵大・北村紗衣(@Cristoforou)先生のファッション・フェミニズムに基づくSEALDs批判 - Togetterまとめ http://t.co/IQR6pgjxRT"

この「同調圧力」というのは業界ミソジニーと一体化したものだと思う。つまりみんな「ただ発情してるだけ」なんだ、と。この世界に参加するということは、その「発情状態」に加わる、ということの暗黙の了解である、と。そして「その世界における表現」とは、その「発情状態」を、どのようにコーティングして綺麗に言うかどうかの競争にすぎない、ということです。だからそれはもう「会いたくて震える」という表現と全然変わらない。どっちもどっちで優劣なんかない。そういう恥ずかしい事実が、この事件で露呈しただけだって思ってる。

 

僕の意見に近い記事があったのでココで紹介しておきます。

社会の中心の運動/保守の世代交代/内輪もめについて - c71の一日

僕がずっと感じてた疑問の答えらしきものが、この記事にあった気がしている。

 

さて本題の音楽業界ミソジニーについて、もう少し個人的な気持ちをいろいろと。

業界全体の問題として「男子に気に入られるかどうか」でほぼ決まる、という話でした。これに関連するかどうかわからないけど、私いつしか、女子の方を「ちゃん」付けで呼ぶことにすごく抵抗を覚えるようになりました。自分はもともと殆どそう呼んだことがない。例外はあります。「〜ちゃん」まで全部含めてアダ名になってるような人の場合は、そう呼んだ。でも一人二人くらい。なんというかね、「ちゃん」という敬称?に含まれる、何とも言えない粘着力な感じが凄く嫌で、媚を含んだような、あからさまな性表現が体現されたような、その呼び方が、すごく耐えられなかった。これは男子どおしでもあるよね。部下のことをそう呼ぶ上司もいる。自分がそう呼ばれるのも苦手だった。

こういう感覚が、音楽界の場合、すごく顕著だという感じがしたのね。前も書いたが、もともと女子を消費するものとしてしか見ていないわけで、その世界における「ちゃん」というのは、あからさまじゃないですか。もちろんこの世界には、売り物じゃない女子、例えばマネージャとか事務の人とかですかね、そういう人もいるわけですが、やっぱりそう見られてることがあります。まあ、そう見ていることに関しては、男子だからね、キモイと思われようと内心どう思っててもしょうがない気はするけど、音楽やってると、男子のメンバーどおしで、そういう話題を共有しないとならないわけです。雑談や仕事の話として。そういう男子校ノリに、ともかく混ざれなかった。全体がそういうノリだから、それを是正しようとする人すらいない。それやると、商売そのものを否定することになる。こういうのは自分の仕事の適性として非常に難しいと感じた。

もちろん今は、現場にも女子が沢山おり、テキパキ仕事していますけど、そういう方々について男子の方々は「中身はオトコだから」という言い方をしてましたね。その言い方も苦手だったんだよなあ。別にみんな普通にやってるだけなんじゃないんだろうか、って思ってた。

男子に気に入られるかどうかで決まる、というのは同性である男子でも一緒で、僕自身、よく評価をされましたよ。音楽とは関係ない部分で、お前はキモいとか、もっとこうしろああしろ、ノリが悪い、趣味が変とか、常にジャッジされる。それ音楽的能力と関係無いですよね??と思うこともたくさんあった。そういう居心地の悪い世界で、長い時間、楽しそうな顔をして居続けるって、すごく難しいんだよ。ニコニコ愛想笑いをし、辻褄を合わせ、同意したり、提案したりとか。そういう空気の読み方がとてもむずかしかった。もうさっさと、音楽だけやって帰りたかった。というような、若いころの出来事があり、これをずっと耐えながら歳を重ねて、いつか自分の時代が来るのを待つ、というのは無理だと思ったね。だから一旦抜けた(実際はドラマーとして「やり過ごす」ことにした。詳細後述)。

で、話が戻りますが、こういう世界観がもともとあったのだ、と。だから、ある年齢以上の業界人やメディア人は、その時の感覚を今も持ってるわけです。もちろん今は時代も変わり、そういうのをあからさまには出せないようにはなったけども、それでも何かのフシにポロッと出てしまうことがあるでしょ。それが今回の事件だったと思ってるの。「あー。。この人もでしたか…」というような。もう僕としては、そういう人とは一緒にいられないからね。今更またそんなの我慢して、年上の世代の価値観に混ざるとか真っ平です、と思った。


で、僕が何故それほどまでに業界ミソジニーを忌避してるのか、根本的で最も大きな理由が一つあります。それは「自分がそれに染まりたくないから」です。

いろんな仕事経験して、もちろん音楽関係もやって、そういう中にある男子校的価値観や、下品さ、大雑把さ、その他もろもろね。そういう、元々の僕になかったもの、むしろ積極的に避けてたものが、その世界にいることによって、徐々に慣れてきてしまい、染まってしまうことを常に恐れている。もともと僕が持っていたヒリヒリした感覚を常に持ち続けたい。というより、それこそが僕であるから是が非でも維持していかなければならない。そう思ってるってこと。

これは業界じゃなくともどこでも起こることです。例えば戦場に行ったヒトとか、最初は倫理観あった人でも徐々に麻痺して、亡くなった人を蹴るようになるとか、強姦することが普通になってくるとか、そういう話はいくらでもありますね。ある組織のミソジニー気質に憤りを感じていても、やがて慣れてしまい居心地がよくなり不満もなくなる、と。それは適応とも言います。そういうことが自分にも起こるのが怖かった、ということです。

これは単なる好みの問題だけではないですね。創作に携わる人として、死活問題でもあります。つまり、そういう本来なら忌み嫌ってたはずの集団と交わって自分がそれに慣れて変わってしまい、それで作風そのものも変化してしまう、ということを実はいちばん恐れているわけです。

これはつまり、ごく若いうちから、僕が持ち続けてる自分の感覚を、今も信じ続けてるってことです。こういう僕の気質は、時にはバカにされ、青臭いと非難されたり、男らしくないと言われたりもしたけど、それらすべてが自分自身の作風であり個性である、と思ってるわけです。こんな自分だからこそ、あれらの作品群を産めたわけでしょ?と。途中途中でマイナーチェンジはあるし、僕もオトナになってますから、まったく一緒ではないけど、根底に流れてるものは一緒でしょ。そういうことを、どんな場合でも常に思ってた。だから、音楽業界人との付き合いも面白かったけど、あそこの常識に慣れていってしまうのは危険だと思っていた*3

自分と似た感覚を持ってるような、かつての自分タイプみたいな他の方々とも、常に共感して繋がっていけるよう、アンテナが折れないようにしておかなければならない。と。


僕は自分自身の自由のために音楽活動を始めたはずだが、今まで書いたような様々な出来事があり、結局いずれの場所でも、精神的な自由をまったく得られなかった。このままでは音楽を辞めるしかない、どうしたらいいだろう、と考えた末、選んだ道が「とりあえずドラマーとしてやり過ごす」だった。ドラマー、という立場は、例えて言うなら「一兵卒」なのである。つまりバンド運営にかかわらずに済むし、その音楽性や制作にもかかわらずに済む便利なパートだった(以前書いた)。自分の意志を封じ込め、毎日何も考えないようにして、ただのロボットのように、ドラマーという立場を演じ続けたのだな。

そういう過程を経て、やっと表現者になってきたわけでしょ。そういう時、やっぱり最初は舞い上がって、さあこれで僕もみんなの仲間入りだ!と思ったのだけど、やっぱり事あるごとに、かつてのマイノリティだった苦しさのことを思い出して、胸が傷んだのよね。そうするとね、やっぱり僕がすべきことは、こういうことじゃない、かつての自分自身の不満みたいなものを救い上げられるような創作をすべきじゃないか、と思うようになってきた、というわけですね。それが可能になった今だからこそ、だね。

音楽そのものは、今までどおりメジャースタイルで全然構わない。そこは矛盾しないのだ、ということにもやっと最近気づいた。僕は僕として単体でそういうことをしていく以外にない、ということなんだな。

 

もうひとつ、この件に関して何故ここまで引っかかったのか、ということについて。

実は個人的に、高橋健太郎氏がプロデューサーである「OTOTOY」というレーベルについて長年、不満を抱いていたということがあるのである。詳細は書かないが、そういう理由から、高橋氏について、ネット上ではずいぶん偉そうなこと、いいことばかり言ってるんだが、肝心のあなたのサイトはどうなってるんだい??という積年の思いも個人的にあったということである。
まあそうは言うものの、今までは、高橋氏の個人的気質まで嫌悪していたわけではなかった。ところが今回の出来事で、実は彼の気質自体もこういう方、つまり旧来型の業界感覚がすっぽり染み付いてるひとりに過ぎなかった、ということがわかってしまった。それプラス。本の出版という出来事もあり、それまで僕が感じてた高橋氏の気質というものは、実は装っていたもの(もしくは遠慮したもの)だったと気づいたってこと。だから、彼は「変わった」のではない。元々の気質に(表面上も)戻ったのであろう、と*4。その事実についての幻滅がかなり大きかった、ということです。

高橋健太郎氏の今までのツイッター議論は、どれを見ても一貫した特徴があり、基本的には自分の意見は変えませんね。それと、濃いやりとりに関して、そういうディベートそのものを数学の問題を解くように楽しんでるフシがある。これは、そのつもりがない相手にとっては「遊ばれてる」と感じるはずです。何も生産しない。

僕は今回のことで「彼と関わることそのものが無駄になるので、自分の視界から存在を消したほうがよい」と思った。今までそうしてきたように今回も、そういう「かつての古い価値観」は見えないことにして、僕自身は関係ない世界にいたほうがいい、と判断したわけですね。自分自身の創作を続けるためには、そうするしかないだろう、かつての轍を再び歩かないためにも。そういうことだね。

 

さて。僕が昔から男子とはソリが合わなかった、という話を以前したことがありますが、では僕にとっての女子という人たちはどういう人だったかというと「話すとおもしろい人たち」です。これは小学生くらいから一貫してずっと思ってる。

なかなかじっくり話す機会とかないのだけど、その機会が与えられて話してみると、みんなすごくおもしろいことを思ってることがわかる。自分にはない価値観の持ち主なんだよね。それがすごく楽しかった。僕に話をする女子の人たちも、普段はあまり話せる機会がないらしく、みんな話ができて嬉しいと言っていた。

時代は過ぎて吹奏楽部。前に長々と書いたけど、体育会封建的部活が嫌で、自分が先輩になったら、それはしないようにしようと思った、という話。やがて僕のドラマーセンスが発揮されてくると、人望を集められるようになってきて、で、旧体制の体育会系先輩と相対するカウンターとしての存在になったわけです。そうすると、今度は女子だけじゃないのね、怖い先輩には話せないようなことが、僕相手だと話せるというので、普通に男子の後輩とかも、僕といろいろ話すようになった。そうして、部活内に僕のラインができていったわけです。

これらの経験で思ったのだけど、寡黙で流されるしかない本来のマイノリティのヒトが、自分を主張する機会を与えられると、すごくおもしろいことを色々話すんだな、と。こういう立場の人達の意見をまとめたり、取り入れたりすれば、今までとは違う世界ができるんじゃないだろうか。そんなことを思ったんだよな。もちろん、その時は具体的にどうこう考えてたわけではなかったけど、やがてそれは自主レーベルを立ち上げる、ということに繋がっていったのね。なので、そういう経験を初めて活かせたのが長崎での活動だった、というわけ。

前にもブログで書いたんですけど、21世紀になってネットの時代になったとき、ネット上にたくさんいた女子の文章表現者たちの、その表現内容の豊かさに僕は感動して、そこからコラボレーションに発展したりしました。ネット上も、誰にも邪魔されない世界でしょ。そういう場所では、みんな自由に雄弁に語るのね。発言場所を与えられてたというわけ。で、こういうことを、音楽でも出来るんじゃないか、活動的な輩に押されて、なかなか表現機会のない人に、そういう場所を与えれば、いい音楽ができるのではないだろうか、と。そう思ったというわけ。だからレーベルにしたんだね。

ということで音楽業界ミソジニーの話に戻るけども、今まで一方的に嫌悪感だけ書き連ねてきたけど、実は、その世界が居づらいと感じるのは、たぶん、僕だけじゃないはず、他にもたくさんいたはず、って思ったの。そういえば、音楽界には一発屋さんとか、いつの間にか引退した人とかよくいるけど、そういうヒトも、才能の問題というより、僕と同じようにその世界が合わなかっただけなんじゃないか、って思うようになった。
音楽業界と言っても別に一枚岩ではなく、実際は多種多様な世界です。なのに、一部の目立つ意見のせいで、その価値観が「その世界の共通認識」扱いされてしまうことは不本意ですね。そういうことを、僕以外の人も少なからず思ってるのはないかと思ったわけです。

でね、今の時代、昔と違って、レコーディング機器の発達で、全部自分の部屋で完成させてCDまで作れるようになったでしょ?そすると、わざわざ嫌な思いをして、旧態然とした奴らなんかに合わせて、男子校的ミソジニーの世界に無理にいる必要が、まったく失くなったわけです。そういう人達が増えて、今までとは違う表現が生まれれば、それもすごくオモシロイと思った。

で、これは今、実際にそうなってますので、ホントに良かったと思ってます。

音楽ってのは「道(どう)」みたいなもので、政治家の秘書や落語家の弟子のように、みっちり辛いことにも耐えないと物にならない世界だって言われてます。これはこれでそのとおりな部分もないことはないが、でもそれに耐えられないけど、何かの才能があるヒトだっているはずでしょ。そういう、メインルートではない、横道を僕は開拓していきたいのだ、ということなんだな。そういうことを、若いころの女子の人たちとの付き合いで学んだということだと思います*5

 

こないだ故郷のラジオに出たとき、いろいろ過去のことを質問されたのだけど、そのときに、小学生時代のおもしろいことを思い出したのです。小学校卒業のとき卒業文集というのがありますね。それの中で「将来なりたい職業は?」というのがあったとき、私なんと書いたかというと「個人タクシーの運転手」と書いたのです。これは僕の伝説になりましたね。とりあえず、それを読んだ父親から大激怒され。あとは、その文集、市内の全部の中学に配布されたらしく(!)、他中の奴らからも、事あるごとに言われました。

職業に貴賎はないとは言いますが、そういう過去があったんやね。それを書いた時の自分の気持はハッキリ覚えてるよ。つまり「何にも縛られず自由で居たかった」んだよね。で、僕の中では、その職業がそう見えたんだろう(小学生なので実際のことは知らない)。このことはずいぶんトラウマになった。なんでそんなに指差されたり責められるのかわからなかった。
でね、こないだそのことを思い出したとき、ああ今の自分。ひょっとしたら似た仕事してるんちゃう?って思ったの。小学校の卒業文集のまま、似たことやってるわ、と。人生は面白いなって思ったよ。

 

ところで、ずっと書きながら、ふと思ったのだけど、子供の頃〜高校封建的吹奏楽〜音楽界、というように回顧してきたけど、あれ?大阪時代がスッポリ抜けてね?みたいに気づいたのだ。大阪というか、僕が居たのは(最も濃い)河内やけど、そういえば唯一大阪時代だけ、私そういう不満を感じなかったのだ。関西なんかコテコテやし、いちばんそういうの強そうな気がするけども、実は個人的には、そういうことが周りにはなく、今思うと、一番楽な時代だった。と。そう気づいたんである。自分もちょっとびっくり。

これはね「芸術系の大学」という環境なんだと今思ってる。周りの同じ大学の連中が、そういう考えじゃなかったということなんです。むしろ、そういう「前時代的ミソジニー」を嫌悪しており、そういう言動の友人などがいたら軽蔑したような環境。世代でもない。というのは、先輩方もそういう考えだったから。「野蛮なタイプ」のヒトには殆ど会った記憶がない。嫌味な言い方だけど、僕らの仲間内は「高尚なこと」を常に考えているよう心がけてたな。だからね、個人的にはいろいろ大変ではあったけども、しかし、ことマイノリティ感覚という意味では、みんな理想的だったと思う。

まあ、関西はそういう話は根深いね。いろんな差別とか。だからこそ逆に、みんな常に意識して、問題視していたから、そういう癖が根付いてたんじゃなかろうか。そんな幸せな大阪時代から一転。東京で音大関係生活が始まって、ココでも書いたけど、寮の時代から、どんどんかつての吹奏楽のように封建的に戻っていき、また軍隊的になり、ミソジニーになり、つらい日々になっていったのである。音楽家というのは野蛮で動物的なんだという現実を突きつけられたんやね。

そうそう、ちょっと前ネットで、なんでクラシック女子は、リサイタルとかで露出系ドレス着るのか?って話で盛り上がってたけど、つまりそういう需要があるってことなん。これなんか判りやすい事例だよね。

 

ただ、大阪時代のような理想的純粋培養は、のちのち大変なことになる。僕らはいつまでも青春じゃない。東京に出てからも大阪の友人に会いに関西はよく行った。当然「東京はどうなん」みたいに聴かれる。「うん、楽しくやっとるわ」と答えはするけども、実際は、なかなか思ったような活動は出来てなかったから、なんかアレやったな。また、同じようにみんなも大学卒業して就職とかしてるわけですが、一様にみんな暗い感じでな、会社がつまらん、みんなDQNばかりで話が通じん、などとボヤいておった。いちばん仲のよかった友人、今は徳島におるけど、最初に信楽で就職したころ、ほんとうによく荒れて、陶器を壁にぶつけて破壊したりとか、グラスを握りつぶしたりとかしたらしい。今思うと、それは僕の感じてたギャップと似たようなことだったんだろう、と思う。ちなみに、一度だけ信楽に遊びに行ったことある。電車で(その時に伊賀上野とか柘植とか通った)。家庭を持って幸せそうではあったが、グラスと握りつぶした話とかすると、そんなこともあったなあ、と遠い目をしてたのが印象的だった。

まあそんなわけで、今でも僕がことのほか大阪時代についてノスタルジー以上の感情があるのは、環境的にはとても安心できた、ということがあるんだろうと思う。前にココで池袋の話した時に書いたが、その大阪の環境を東京でも再現したいと思ったが、結局できなかった、っていう話ね。まあでも、僕は演奏活動がしたかった、そのために上京したのだ、とその時も書いたし、今も思ってる。それと引き換えに、色んな物も捨てざるを得なかったんだなあ、と思ってる。

 

今、振り返って、その純粋培養の世界がよかったのかどうか、というのは、功罪あると思ってます。例えば「DQN性」みたいなことについて、今は嫌悪感ないです。というのは、音楽が広く受け入れられて浸透していく場合、このある意味「DQN性」という要素が一番重要だからですね。これはね、言い換えると「生身性」という感じです。温かい音楽っていうんですかね、今この時を生きてるぞー!という実感です。それがDQN性だと思ってる。

僕にはそれが圧倒的に足りなかったのですよ。そらそうだ、ずっと避けてたもん。でね、東京での暮らし、特に90年代以降になって、いろんな仕事するようになると、一言でDQNと括っても、別にいい人もいるし悪い人もいるし、ということに気づいたんだな。むしろ僕的にはジャズ演奏家とかのほうがDQNです。逆にパンクとかの人が真っ当だったりする。

そうしてあらゆるタイプの人と、別け隔てなく付き合うようになって、純粋培養ではなくなり、そこで初めて僕自身の表現にも「人間性」が出てきたってことなんだな。

 

結局、話はリンクしつつリピートになるけど、望んだような環境になるのは上京後数年経ってからだよな。周りの世代が更新されて若返りされた時にそれが起こったので、こっちじゃ世代なのかなあ、と思ったな。

やっぱり大阪の環境は選ばれたものだったということでもあった。一般には適用されないというか。あくまで特殊であり、普通は違うんだってことだな。

それにしても、吹奏楽界隈に今でも軍隊方式が根強く続いてるのはびっくりしたなあ。まあしかし、ニュースでも体育会系の不祥事とか最近よく出てくるし、ネット上のミソジニーは本当にヒドイし、政治家のそれ系な失言も頻繁に出てくることを考えると、世の中はまったく変わっていないのかもしれない。

僕自身が生き方がうまくなり、そういう嫌な世界をうまく避けて生きられるようになっただけなのだ。そういう世界が、決して消えたわけではない。視界に入らなくなっただけ。そういうことだったんだなあと思ってる。

 

〜余談〜

ちょうど10日くらい前かな。この事について考えていた。

確かこの日(2015年7月後半)は国会で何かあって、それでネットの人々がずいぶん怒っていたのだけど、それをいくつか読むうち、過去の僕との仕事でトラブった相手(mtan氏)の発言が出てきたのね。そのmtan氏が僕にしたことを思い出すと、今でも腸煮えくり返るくらいの気分になるが*6、まあでもそれはそれでしょうがないな、と思ってたところ、その国会の件で、そのmtan氏が、ずいぶんと威勢のいいことを言っておりまして、そんな偉そうなこと言うなら、僕との仕事も是非ちゃんとして欲しかったんですけど??と思って、強い怒りが湧いてきましてね。何度も抗議レスを書いて、送る寸前まで行きましたが、今さらそんなこと言ってもしょうがない、と必死に我慢した。

ちょうどそんな時に上記の記事を読んで、はたして「自分の仕事がちゃんとしてること」と「相手がちゃんとしてないことについて抗議すること」は、イコールでなければいけないのか、どうなのか、ということを考えたわけ。

僕の好きな外国のことわざで「人は自分の頭の上のハエだけ追ってればいい」というのがあります。他人をどうこう言う前に、肝心の自分はどうなんだい?ということなんだけど、そうすると、ちゃんとしてる人でなければ発言権はないんだろうか?という話になってくる。そこ突き詰めていくと、マイノリティはマジョリティのルールに則らなければ、権利は認められない、という話になるのではないだろうか。

それからもうひとつ。「火事を消そうとして慌ててる人が、コップの水を持ってきたとしても、それを咎めるのではなく、消そうとした気持ちを優先しよう」という外国のことわざがあります。これも好き。

これは実は、半年くらい前かな、ろくでなし子先生の話をココでずっとしてたことがあったけど、彼女について細かいところは問題あるけども、彼女がしたいことの行動力を大切にして、そこは邪魔せず静観したい、というようなことを言ったと思います。

これはそのまんま、今回の高橋氏の発言に繋がってくるだろう。彼の女性観、もしくは女子大生の母親発言は問題あったが、それよりも、彼らの行動力を今は重視したい、というのと同じになってくるんじゃないか、と思ったのね。

そうすると、人が誰かを「そこは見過ごしてあげたい」と感じるのって、完全に好みになってくるんじゃないか、と思ったわけだ。僕でさえ、こうしてわずか半年くらいのあいだに、対応が180度異なってるわけで、じゃあ誰だってそういうブレブレなのは当たり前じゃんか、と思ったね。

で、今の僕はどっちなんだろう、と考えた時に、いやーやっぱり高橋氏のほうが許せないかなあ、と思ったということなんだよね。

それは、今回のこの問題だけじゃなく、僕自身がとても長い間感じてた「音楽業界ミソジニー」の問題とリンクしてくるからだろうと思う。つまり、ろくでなし子先生の時と比べて、今回が自分に身近な問題だったから、自分自身のこととして捉えることができた、ということなんだな。

だから今の、この僕の考えで、かつてのろくでなし子先生の件を今一度考えると、当時とは違った結論になるかもしれない。まあでも個人的感情としては、高橋氏より、なし子先生のほうが好きですけどね。なぜなら、なし子先生のほうは、評論家ではなく表現者だからです。そこはやっぱり最低でも敬愛の気持ちは持っていたいな、と。

*1:かつて七尾旅人氏に「感情的物言いはよくない」的な説教をした人物とは思えないような感情的言動に心底驚いた

*2:しかも高橋氏はこの喩えがよほど気に入ったらしく自画自賛発言までしていました。いったい何を浮かれているのか、本当に腹立たしかった。

*3:そういう距離感、つまり、常に他者とのあいだに壁を作る、という僕の性質が、親しみにくい、ということで仲間扱いされない、ということにもなるんだけど、やっぱりそれは、最終的にはやっぱり、自分自身の感覚を守る、というほうを僕は選ぶ。だから、その壁をムリクリ乗り越えてくるようなヒトを僕はいちばん嫌悪する(長崎時代によく起こったことはこれですね)。

そんな頑固じゃなくても守れるのではないの?と言うかもしれません。それが出来る人は器用な人なんでしょ。僕はそれができませんから。というか、出来るように頑張ったこともあったけど、結局できなかったなあ、と学習しましたから。結局ガッツリ自分を守るしかない。寂しいけどそうする以外にない、ということですね。

*4:どんな創作物にせよ、上梓というのは何らかの精神的、肉体的変化というものはあるものです。本人はそのつもりなくとも、外から見れば、そういう微妙な変化は伝わってくるものです。そういうのが傍若無人に見えたりするということではないかなと思う。そういうところまで透けて見えてしまうのがね…。僕が彼を見ていたのは、自分に似てる部分もあったからだと思う。だからこそ、今回の件で「自分も老後にああなるのかと思うと怖い」などという感情がわいたわけで、精神的にもよくないし、離れるしかないな、というのが今回の結論かな。まあ、また気持ちは変わる可能性はあるけど。少なくとも、以前と同じようには見れないでしょうね。。

*5:最終的には「メイン」「横道」という差もなくなればいいと思ってる。

*6:ちょっと僕の常識では考えられないようなことをされたわけです。よくこんなんでプロになったなあと思うような

P.S. ダイヤランドにて。

7年間住んでいた長崎。最初の1年だけ、事情があって、市内ではなく三和という山奥に住んでいた。交通手段はバスしかない。だらだら40分〜50分ほど乗る。お陰で iPod大活躍であった。
市内から三和方面に行くバスは、いくつか種類があったが、その内のひとつに「ダイヤランド経由」というのがあった。初めて聴いた時、不思議な名称だなと思い、何かの娯楽施設とかなのかなと思ったが、実際に通ってみると、ただの団地だった。そのバスに乗ると、途中からメインの通りを外れて曲がり、どんどん急坂を登って山の上に行く。そんな、仙石原みたいな高台のてっぺんに住宅地が開発されていたのだった。最初は名前が覚えられず「ダイヤモンド・ランド」などと言っていた。高台だし夜になると夜景が綺麗そうだな、なるほどキラキラ光るからダイヤモンドなんだろうか、などと呑気なことを思ったものだ。 そんな話を知人にすると大いに笑われ、「バカじゃないのw 三菱だからダイヤなの!」と言われた。そうだった。長崎は三菱の城下町なのであった。

最近の日本の動向などを考えるうち、ふとロシア革命のことが気になり始め、いろいろと調べていた(こんなサイト)。同時代、というか幕末あたりから明治までをいろいろ掘っていくと、やっぱりそこは岩崎弥太郎に到達するのである。ある意味政商というか、悪い言い方をすれば武器商人のような岩崎氏と三菱。長崎では三菱関係者が一番偉いとも聴く。

僕のようなヨソモノから見ると、戦艦武蔵まで建造していた三菱城下町の長崎、そして原爆が投下され平和運動が盛んな長崎、そのような相反する事実が同居する街は、どこか歪で不思議な感じがしたものである。「軍都」長崎で「平和を語る」ということの意味とはなんだろうか、と今一度いろいろ考えてしまった。
平和熱心な町の人々の主張を見るにつけ思っていたことがある。被災された方々が、思いのほか顧みられていない、ということである。たぶん政府とか、対象となるそういう相手が、彼らの主張をしっかり受け止めきれていない、だから、その相手に対して、言いたいことや不満がたくさんある、だから主張し続けているのではないか。観光や造船業といった産業に比較して、平和に関することや、被災者の方々に対するケアなどが、まったく足りていないのではないか。そんな気がしたということである。
そのへん突き詰めていくと、実はグラウンド・ゼロは「長崎ではなく浦上」という事実があったり、クリスチャンの多い土地柄、被災モニュメントである浦上天主堂が残されなかったことの事情など、「ダイヤランド・長崎」と「受難の街・浦上」との微妙な関係が浮かび上がってくる。結局その辺、体よく丸め込まれているような気がして、そういう部分がやっぱり一番の納得行かないところだったんじゃないかなあ、そしてそれが現在まで続いてる平和運動の根底にずっとあるのではないのかなあ、と思ったりしたのであった。

街の成り立ちや歴史、住民気質などについて、町の人々から僕がよく聴いたことのひとつに「ココは天領だったからプライドが高い人が多いのよ」というのがあった。確かに、何かというと江戸時代から幕末を語りたがる人も多いのである。実のところは長崎の本領は明治からの歴史にあるが、そうすると必ず岩崎氏のことに触れることになるので、あまり口にしない、というような印象があった。なるほど、そうすると、昨今無闇に「坂本龍馬推し」なのも納得がいかないでもない。龍馬を推すことで「岩崎推し」に偏ることに少しでも抵抗してるということなのかも知れぬ。
三菱関係の人で平和運動もしてるヒト、というのは果たして居るのであろうか。最近ちょうど、世界遺産の件で色々あったけど、今回の一連の認定は、つまり「富国強兵の肯定」路線ということにもなるだろうね。そうすると平和運動とは、ますます相交わらないものである気がするのだが、街としてはどうするのであろうか。

そういえば移住してすぐに驚いたことがあって、それは「長崎には三井住友銀行がない」ということだった。移住前の東京時代、僕は三井住友の口座をメインで使っていたので、移住後、預金が無料で下ろせなくなってとても困った。しょうがないから、しばらく使ってなかった三菱東京UFJの口座を復活させた*1。あとは、街なかに無闇にローソンが多い。これも三菱商事だからね。よくよく考えると、いろいろと納得することが多い。あまり気にしてはいなかったが、実はそういう街(企業城下町色の濃い)なんやなあ、と改めて思ったな。

まあしかし複雑な思いはあるものの、実際僕は、ディスプレイは三菱を長年愛用しておりますし、また古のオーディオマニアの間で「ダイアトーンのスピーカー」は名機とされていたのでリスペクトの気持ちもある。また、あまり大きな声では言えないが、この企業を狙った悲劇的なテロ事件の主犯が、実は僕の出身高校の先輩であったという事実があり、贖罪の気持ちも多少抱いている(まったく無関係ですが)。そんなことを複雑に考えつつ、また来る夏のことを想うわけです。

*1:余談だけど、この口座はテレビ局時代の給与振込先として開設したものでして「麹町支店」という東京のド真ん中の口座だったものですから「さすが、いい場所の支店で口座持ってますねー」とかよく言われ、ステイタスとしてずいぶん有効に効きましたw

ショーケンという原風景

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伝説のドラマ「傷だらけの天使」を一挙視聴中(ショーケン萩原健一主演)。

僕が持っている、このドラマのビデオは WOWOW での一挙放送(2002年ころらしい)を録画したものでして、なんとVHSのビデオテープです。久しぶりに「ビデオテープ」を観られる環境になったので、さっそく傷天を引っ張りだして見たわけですね。

以前もどこかで書いたけど、この「傷天」は、他のドラマ、学園モノ(青春モノ)や太陽ほえろ、探偵物語みたいなものと違って、あまり再放送されていません。なので僕としては、大昔に観たっきり、この WOWOW 再放送まで見返すことがまったくなかったんですね。

そうして「何十年ぶりか」で見返した時、このドラマの内容やロケ地などの風景が、僕の原風景になっているということに気づき、たいへん驚く、という経験をしたわけです。そう、子供の頃に見たっきりだったけど、その印象があまりに強かったため、子どもながら、僕の心のなかに刷り込みのようにすべての要素が染み渡り、僕自身を構成する要素の一つに、知らないうちになっていたのです。
他のドラマのように何度も再放送で見る機会があったなら、それを再確認して気づくときもあったのでしょうが、このドラマに関してはそういう機会がなかったため、2002年まで、まったく気づかずにいたというわけですね。

ちなみに当時(2002年)私、多摩川沿いの街に住んでおり、住み始めた時から「初めて住んだ場所なのになぜか懐かしい風景やなあ」とずっと思ってたのですが、実は、こうしたドラマが多摩川周辺でロケされていたことがとても多く、幼少の頃にテレビの中で見慣れてした風景だったから、この街も懐かしく感じたのだ、ということも、これで発見したわけです。夕方のドラマ再放送で散々この時期のドラマ再放送を見ていたから、その中の風景が「原風景」となっており、多摩川沿いに越した時、一度も住んだことがない土地なのに「郷愁」を感じた、というのはそういった理由によるものだ、と。 

もうひとつ重要なこと。これは原風景と言うのかどうかわかりませんがw 私、このドラマ見るたびに思うのですが、僕の女子の好みも、実はココの登場人物がほぼ全員、基本になってるってことがわかるのです。それも2002年に気づいたんやな。まったく普段は意識せず「こういう感じのヒトが好みだなあ」などと漠然と思っていた。そういう嗜好がですね、この再放送の時に、次から次へと出てくるわけです。もうね、誰かが出てくるたびに「え?コレ好きだけど…」「え?こういうのど真ん中だけど…」でも「なんで??」と。何故か僕の好みが、次々と提示されるわけです。ひえ〜となりましたね。 

というわけで、僕の原風景というのか、トラウマというのか、そういったものを再確認した今回の「見返し」だったわけですが、「ほぼ」全話見終わって(好きじゃない回は見てない)、もうひとつ感じたことがあったのです。

それは、やっぱり僕は「水谷豊が好きじゃない」ということでした。これは当時(初期の再放送)もそうだったし、今回改めて見ても同じ感想だったのです。

つまり僕にとっては「やっぱりショーケンやなあ」という感想に尽きる、と。

私そもそも、太陽にほえろにしろ、これにしろ、それ以降のコレ系ドラマにせよ、どれも全てのオリジネイターは萩原健一だと思っており、どうしても彼を贔屓目に評価してしまう傾向があります。そんな僕にとっては、例えば松田優作(よく比較された)も彼のコピーで二番煎じに過ぎないし、水谷に関しては「ウザい媚芸で」萩原の人気を奪った敵(かたき)、とまで思ってるところがあるんやな。その感情は、子供の頃からだったし、見返した今も変わらんかった。それが自分ですごく面白かったです。

水谷、というと今は相棒やけど、当時と今は芸風が違う、と言われるフシもあるけど、僕にとっては同じです。つまり「何かを演じている」というところで。まあ「役者」なんだから演じてナンボであり、それはハマればハマるほど名演技、ということになるんやけど、水谷の場合は僕には「アザトイ」ねん。そしてそれは、傷天のころから変わっとらん。そう今回も確信したのですね。

媚びる、ってなんだろう。自分がこう演じれば受ける、と思って客の要望に「過剰に」応えることじゃないのか。当時も今も(傷天は伝説的ドラマなので今も言及したブログなどがたくさんある)、水谷の演ずる「アキラ」について、かわいい〜だの、主役を食ってるだの、そういうファンの意見がたくさんあります。
僕はそういうの読むたび、あるいは、子供の頃も、リアルで当時そういう意見を周りから聴くたび、なんでやねん!コレの主役は萩原だし、実際カッコええし、水谷なんかあんな媚芸好かん!とずっと思っていました。媚びて可愛がられる水谷に、僕自身も嫉妬していたんだろう(萩原さんもそう思っていたという噂も当時ありました)。

萩原の演技は当時から天然と言われてたけど、その実、計算もあったろうし、それ以前にあんなフリーな演技をする俳優はいなかったから、その芸風をみんなで活かした部分もあったろうと思います。
それに味をしめ、フォロワーの人々は、萩原の芸風を研究し、それをもっと「産業風に活かすべく」計算で作っていったんだろう。それが松田優作だし水谷だったと僕は思っているのですね。
音楽にしろなんにしろ、オリジネイターをこよなく愛する僕は、やっぱり萩原こそ唯一無二なのであって、それ以降のフォロワーは亜流であるし、たとえ今現在の萩原がどれほど不甲斐なかろうとも、彼の拓いた道は決して褪せることはないし永遠に「オリジネイター」としての矜持を持ち続けている、と僕は思っています。
そして、そういった強いポリシー(媚やコピーを憎むというような)を今の僕も、当時と変わらず持ち続けていた、ということを再確認できて、よかったなと。

そんな僕にとって、最終回、綾部社長が「(逃避行に)修だけ連れて行く」と判断したくだりは、本当に救いとなりました。そうでなくっちゃいけない。修(萩原)だけ未来を感じさせるようなエンディングでなくちゃいけない。僕にとっては、それだけで、つまり「やっぱりショーケンだよな」と溜飲を下げられるエンディングだった、というだけでも素晴らしい最終回だったと思えます。

今度はいつ見返す時が来るかねえ。次、見るときはHD版やな。


PS
メイン脚本家の市川森一氏が言っていたように、萩原と水谷は精神的なホモセクシャル的繋がりである、という設定のようなのだが、よくわからないが、僕としては、水谷の「ぶりぶり」や「媚び」は、同性というより女子の方に「かわいいい〜」とアピールしたような気がしてしょうがないのです。そこが、ショーケン派の僕としては納得がいかず、女子に人気の水谷に激しく嫉妬してしまったんだと思うのですよね。つまり僕の方もショーケンにBL的意味で感情移入していたとも言えるのではないでしょうか。

このドラマは影響力が半端無く、後年まで、例えば吉田秋生さんの「カリフォルニア物語」などに取り入れられたりしたようです。僕自身、例えば「ビートルズとはジョン&ポールのBL物語である」と日頃から主張しているわけですけども、そういう僕から観て、この傷天の二人は、あまりそういう関係に見えないのです。どちらかと言うと水谷だけがしつこく、そこに拘っているように見える。そういうところが僕には受け入れ難いところなのかもしれません。

説教ロックとビートルズ・ハラスメント

音楽業界に根強くある「ビートルズ至上主義(ビートルズハラスメント)」みたいな考えについて雑感。

なんかTLでジョン・レノン話題が賑やかなのでなにかと思ったら、命日ってことなんですな。

ツイッターでのレノン話に関しては、一昨年の嫌な出来事を思い出す。知り合いのアーティスト女子(S原M也子という)が「ジョンが今生きてて、こんなネットの状況を見たら喜ぶはずないよ」みたいなことを軽々しく言いやがったので、お前はジョンレノンかよ??だいたい、全然詳しくもないくせに、そういう偉人の口を借りてでかいこと叩くのやめろ、って突っ込んだのね。そいつ昔からそういう奴で、それから年月経ったし、友好的に会話もしてたので油断してたんだが、やっぱりちっとも変わらん、クソ野郎(女子ですが)だって思ってさ。その日一日ムカムカしてたね。

80年代の説教ロックが流行ってた頃、僕の周りもそんなのやってる奴らばかりでさ、一様に主語がでかく、でかい口を叩く連中ばかりだった。そんななかに、その後アーティストになった、彼女もいたの。そいつだけは、他の連中よりはマトモだったが、別にいい曲を書くというわけでもないのに、なんか熱心にスタッフに気に入られて、そういうブームの中でデビューしちゃった。まあ音楽もヒトそれぞれ好みだから、とか思ってたんだけど、コアなファンもいたようだけど、所詮続かないのよね。

前も言ったと思いますが、こういう説教系の音楽のどこが嫌かって「曲がちゃんとしてないところ」なんだよね。言いたいことや主張が優先して、曲の方はおざなりの循環とか適当な音符の羅列で出来てて、それを適当なアメリカンロックのアレンジパクって載せてるだけなの。
逆にね、主張がどんなでも政治的でも説教でも「楽曲さえちゃんとしてるなら」僕は何も言わない。しっかりメロディやコードが練ってあって、この言葉にはこれしかない!という最終形態になってるなら何も言わない。でもそんなの聴いたことがない。説教ロックは曲が全部適当。なんとなくお経みたいに言葉つなげて音が上下してるだけ。とても少ない引き出しからなんとかカタチにでっち上げてるだけ。そんなものは音楽と言わない。朗読です。ラップ以下(ラップは好きです)。
そういうことだから、みんな続かないの。すぐにネタ切れになる。だからやめちゃう。そういうヒトが地方周りしたり、自然食品教とかブルジョア農民生活したりとかするの*1。で、最初書いたように、言うことだけはでかく、主語もでかく、常に説教してる。みんなリトル長渕とかミニ尾崎になって。アホかと*2

そういう人たちの曲の作り方としては、たいがい歌詞が先にあって、それに曲をつける方式が 割と多いんですね。普通多いのは、曲が先にあって、それに歌詞をつける、というやりかた。こっちがどちらかというと主流。曲先、詞先という専門用語があります。音楽関係の人と話すとき、必ずこういうことも話すね。アナタは曲先?詞先?って。
で、詞先だと、曲がおざなりになりやすいの。そらもちろんプロはちゃんとしてます。木綿のハンカチーフとか、詞先なのに、あんな名曲になってる。だから筒美京平さんは天才だっていうんですけど。プロならだれでも出来ます。
ただ、それを説教ロックの連中がすると、出来ないから適当になるのね。というか、筒美さんのような職業作曲家以外のヒトで、これがちゃんと出来るヒトに会ったことがない。どうしても無理が生じる。餅は餅屋なんだね。
ところが、とてつもないヒトが登場したんですよ。それがあいこですよ。歌詞から先に作った曲で、これはすごい!と思ったのはaikoが初めて。僕は常々、aikoの素晴らしいところはフェイクの正確さと音感だって言ってるけど、もうひとつとてつもない部分がそこなの。
だから、これは何度でも言うけど、aiko以前以後で、まったくJPOPは変わり、それ以前の「適当にしかメロディを作れなかったヒト」は全員やって行けなくなった。また、言葉を大事にする、というやり方の方は椎名林檎が、それ以前の人を全員駆逐しました。aikoと林檎登場で、廃業せざるを得なかったアーティストはたくさんいると思う。もう適当には、やって行けなくなったの。だからみんな、ブルジョア農業になっちゃったのねw ホント日本の音楽のためにはヨカッたです。

というわけで話は戻るけど、別に知らないなら知らないでいいし、興味わいたなら湧いたで、詳しい人に訪ねたり知ってもらうことはいいんだけど、説教ロックの連中は、実はさして興味もないくせに、そういうことも知っておかなきゃいけないロックの常識、みたいな感覚で通り一遍の情報だけ得ようとし、そして得た小さな知識で、その後、知ったふうに語るようになる、というのが最悪なんやね。オレが切れた女子もそうでしょう。知りもしないくせに「ジョンならこう言うだろう」とかさ、アホじゃないかと思う。彼女にかぎらず、あの時代の説教のやつらはみんなそうです。僕があまり人前でビートルズの話をしなくなったのは、こういうことが原因だね。
一緒にバンドやったS氏や、その後友人になったW氏なんかは率直に「ビートルズかあ。なんか惹かれなくてねえ、聴いてないんだよなあ…」と僕に言ってた。興味ないならないで、そんでええねん。興味もないくせに浅い知識でなにカッコつけてうんちく語ろうとするからインチキ臭く説教おやじになるんじゃねえの?と思う。

そんな人達が「ビートルズを知らないとはねえ」などと若者に言ってくるわけです。音楽するならビートルズを聴かなきゃダメだよ、などと説教してくるわけですね。
音楽業界にはそうした「ビートルズは常識」という根強い差別?があり、ビートルズを通ってない、知らない人にはすごく冷たい*3、ということが往々にしてあります。
僕は、そういう行為を「ビートルズハラスメント」略して「ビーハラ」と呼ぶことにしてるのですが、この言葉使ってる人、私以外にあまりいないので、よかったら是非みなさん広めてくださいw

で、最近思ったのは、実は、そういう事するヒトは、本当のビートルズヲタではなく、そういう説教系ニワカの奴らがやってることなんじゃないか。と。つまり、昔の社会人みたいな「野球・車・ゴルフ」的な、出世用のハックとしての「ビートルズ知識」ですね。だから中身がないし愛もない。だからそんな物言いになるんだろうな、と思ったわけですね。自分たちだって苦労してビートルズを覚えたんだ!みたいなことです。

まあしかし、「鉄板」という言葉があるけど、ビートルズは、何かのネタに困ったときの「こんな感じにしとけばなんとか形になるだろう」的な安易な方法論として、実際まさに鉄板アレンジになってたりします。ただ、さすがに時代も過ぎて、最近はそういう神通力も薄れてきてるんですね。つまり、そもそもビートルズなんか知らない音楽家が主流になってきて、説教のネタにもなりにくくなっている。だから今の世の中、ビートルズぽいサウンドも以前より少なくなってきてるんじゃないだろうか。

そんな中、冒頭で書いたような「ジョンならこう言う」「ジョンが悲しむ」的な物言いは、レノンが相変わらず有名人であることもあって、なかなか廃れないどころか、逆にカリスマ化してる傾向があるね。だから表立って悪く言えない。だから「ビーハラ」もたぶん今後も続いていくんだろう。そんな気はした。

*1:オーガニック的なアレ

*2:そういえば、僕の曲の歌詞の中に、この時期のレノン祭りを揶揄した内容の箇所がある。まさにこれを書いたのは、そういう説教ロック連中が周りにいた頃で、曲にするくらいだから、よほど腹に据えかねてたんだなと思うw

*3:逆に、ビートルズの話題を出すと喜ばれ、おっさんに重用されます

Back to TOKYO

首都圏リターンして1年。満を持して、というか、やっと時間が出来たので、あちこちライブやらなにやら行っています。ただ無造作に行ってるわけじゃなく、とりあえず過去に縁があった人たちとの再会から始めている。で、たまたま、ほぼ女子なんだけどもw まあその理由は後々明らかになります。ということで長文になりますが、まとめていきますね。

ライブハウスでのライブは、ワンマンというのはほぼなく、大概は、タイバンと言いまして複数のバンドが出ます。「友達の友達はみな友達」というわけじゃないけども、そこで発見した子もたくさん居る。次にその子を観に行くと、また別のタイバンがあり、そこでもいい子を発見する、みたいに繋がっていくんですな。
本音としては みんな、自分のお目当てだけ見れば、あとは見ないで帰りたい、というヒトが多そうなんだけど、でもみんな律儀にちゃんと他のバンドも観て行く。そういう文化が残ってて嬉しかったし、実際、みんな上手いので、見てても面白いわけ。そこはやっぱり東京だからでしょうねえ。
僕がいいと思うのはほぼ女子ですけど、一人だけ男子でいい奴が居た。男子はロックが多いから、ポップス歌う奴は居ないんだよね。そこが女子と違う。だから、僕が好きなのは女子が多くな る、というだけで、いい曲なら男子でもいいんですけどね。女子でもつまらない人は好きじゃない。媚びてたり、何をしたいんやろこの子は、みたいのはちょっとね。
まあでもこうやって2週間くらいいろいろ通ってみると、僕はいい音いいバンドに飢えてたんやなあ、とつくづく思う。自分の中では、すでにNGSKの7年分を2週間で取り戻した気分ですよ。ははは。

そんな「禊ツアー」とも言えるような、この最近の活動が可能になったのは、自分のライブを隔月にしたこと、そしてヒキコモリの家飲みのかわりに、そのお金を他人のライブに使おう!と決心したからである。外に出なければ、他社との交流がなければ何も始まらない。移住してすぐの頃も、あっちで同じことしてたじゃん、またこっちで も同じこと始めればいい、と思ったんだな。で、とりあえずは、興味あったけど在京じゃなかったから見られなかったヒトを、重点的にクリアした。それから、 かつてのお知り合いに、リターン挨拶、そんで守備範囲の拡大、ということになるかなあ。まあ、こっちは都会なので、一筋縄じゃいかないのはわかってるか ら、それだけに攻略しがいのあるミッションだなと思ってる。そんで玉砕しても別に構わない。しなかったよりは満足するだろうから。むしろ打ちのめされたい、的な。
喪が明けた、と言ってたけども、そうだね、この1年は喪に服してたと言えます。NGSK時代の自分を葬ってきたのだから当然だし、 僕の勝手で葬ったのだから、関係者の人たちに対しても申し訳ないという考えがあって、自粛していたというのもある。あんまり大ぴらに「うほほーい、戻って きたぴょーん!自由だっちゃ!」などと浮かれるのは、特にNGSKの人に対しては控えよう、と思ってた。で、1年たち、彼の地で企画した、土地ゆかりの特集番組も、今回の対談オンエアで全部終わり、やっとすべて果たした、終わった、という感じがした。大団円というのはそういうことだった。
さーて、これから、またどんどん才能を探して吸収して踏み台にしてw どこまでも飽くなき探求をしてまいりますわ。いつまで続くかわからんけども。という感じで、出歩き始めた、ということですね。

今回いろいろ見て廻るに当って、特に期待してたのは日向文という子だったが、実際に生で見てみて、ヴォーカル能力がスペック的に実に高いことがわかり、そ れは嬉しかったね。あとは曲もよかった。シンガーソングライターを始めたきっかけが、文化祭で先輩のライブを見て「自分のほうが上手く出来る」と思ったからだそうで、確かに、そういう性格が立ち振舞に現れてる。それは別に気にならないが、この子についてみんなが褒める部分、歌詞のことに関しては、aiko椎名林檎を切り貼りしたみたいで、悪くはないけど、強く惹かれもしなかった。私の場合、音楽を聴く際に、歌詞を殆ど聴かないので、気にしなければ気にならないのだけど、別にこの歌詞じゃなくても構わないなと思った。
実はこの子を見て一番思ったことは、これは由梨の上位互換というか、アップデイトバージョンだな、ということ。声質から世界観から実に似ており、たぶん由梨がしたかったこと、したいことが、この日向文によって全部されてしまっています。
月日というのは残酷で、あの騒動から3年位だけど、3年経ってるのだから、由梨も日向文の域に、当然達してるくらいでちょうどいい気がして、フクザツな気分だった(達してることをお祈りしています)。なお、性格や言動(ネット上含む)も、そっくりです。

も う一人はゆり花さんという子だったが、最初にあったのは2年前でした。ノードを弾きながら足元のスイッチでヴォーカルエフェクトをコントロールし、自動ハモリをつけながらの弾き語りはなかなか衝撃的だった。これも、2年経ってキャラが少し変わっており、ちょっと「あれ?」と思ったな。ヲタさんのファンがついており、地味なアイドルみたいな様子になってた。アーティスト業は諦めたのか、実は最初からこうしたかったのか。まあ、後者なのかなあ。福岡の子なので、なんとなくありがちな変化だな、と思った。

その後、三軒茶屋の友人に会いに行き、そんな話をたっぷりした。普段彼は大メジャーの仕事しかしていないので、昨今のインディーズ音楽事情について、僕のこういう詳細な報告は、ネタ的には面白がってくれたようだった。

そういえば最近興味深い出来事があった。
8年前、僕と入れ替わるように東京に出てったギターのコ、東京でドラマとかの作曲家になってるというので、ほー!と驚いて。偉いよなあ。と。
僕が移住した時、ちょうど大学卒業だというので、その時に組んでたバンドの解散ライブをやっていた。間接的な知り合いが何人もおり、その彼ともちょっと話したけど、ちゃんとした子だったよねw やっぱり。
その後東京でバンドを組んで、そこそこ有名になり、NGSKで凱旋ライブもやったが、そのときには、彼だけは戻ってこず、彼抜きのバンドで演奏した(僕はPAをやった)。
東 京に出て行っても、何かにつけ理由付けて、しょっちゅう出戻りライブをやってる連中に引き換え、その「簡単には戻ってこない」という姿勢が、覚悟を感じら れて好きだった。そうして7年経ち、こんな出世してるわけだから、やはりなるようになる、ということだろう。素晴らしいことですね。
NGSKにい た7年間、いろんなヒトが東京に出て行ったが、なんか知らんけど、しょっちゅう戻ってきてはライブなどしてる。あれ?東京に居るんじゃなかったっけ?と聴くと、いる、という。でもしょっちゅう故郷でライブやってる。その腰の軽さっていうか、覚悟のなさって言うか、それもどうかと思うし、それよりなにより、 その旅費はどうしてるんだ??などと思うと、なんだかなーって思ってたんだよ。こうやって、それが結果となって如実に顕れると、ああやっぱり人生はフェアやなあ、と思う。
コトあるごとに言ってるけど、NGSKという街は愛しやすい要素がたくさんあり、それが表現者に言い訳を与えてると思う。題材もそうだし、こうやってしょっちゅう戻ってきたりするのも「地元愛」と言い訳すれば問題なさげだ。
私の故郷を見てみなさい。そんな要素何もありませんからね。この街が好きだからしょっちゅう戻ってきまーす、とか言えません。ひっくり返せば、それが背水の 陣みたいな感じで、頑張れるわけですよ。引き返せないからこそ、逃げることなく自分にちゃんと向き合い、自分自身を見つけることが出来るんだろう。

で、思ったのだけど、故郷に半分軸足を置いている、って、日向文やゆり花さんも似たような感じだったなと思ったのね。それぞれ札幌、福岡という 故郷に片足乗っけてる。それが悪いわけではないんだけど、例えばね、その地方の人たちは、この子らが高校生の時くらいから見てるわけじゃん?そうすると、 その意識からは逃れられない、そこより外に飛びさせない、所詮お釈迦様の手のひらじゃん、という感じがしちゃうんだよね。
例えば、高校の先生と大学の先生は違うでしょ。大学生になっても、高校の先生に教わってるみたいな感じがしちゃうわけ。知識は同じかもしれなくても、意識が違うじゃん。
そ ういえば、昨今は機材も安くなり、内容も良くなり、誰でも地方でも、いいもの持ってるけど、ヒトは変わらないんですよ。田舎じゃスペック厨が多いけど、物作るのはスペックじゃない、ヒトなんだよ、っていう。その「ヒト」、さっきの喩え話でいうなら、高校の先生はいても、大学の先生レベルが地方じゃ圧倒的に 少ないので、やがて限界が来るんだ、って話なのよね。しょっちゅう田舎に戻ってくるってのは、高校の先生がいい人だったから、ずっとお世話になりたいって 言ってるってことで、そうしてる限りは、高校レベルから広がることはない、っていうことなんですな。
ただ、今の子はそこまでする気もないだろう、なぜなら、そこまで頑張っても、将来何かになれるわけではないからさ。苦労したり嫌な思いを我慢して、 10年後になにかいいことでもあるなら、それは耐え甲斐もあるでしょうけど、そんなの保証もされてない、見込みもないのだったら、楽しいままで好きなこと した方がいい。客も選んで、自分たちだけが楽しめるライブやって、そんで何年かしたら、適当に縮小してやめていけばいい。
こんな話も三軒茶屋でした。その辺がオレたちの時代とは違うよねー、という結論になった。

こうして比較してみると、今僕らが関わってるような「アイドル」というのは、根本的に違うとわかる。何かを耐えて頑張っている、という感じが、割と旧来芸能に近い、それは思ったな。それがいいのか悪いのかは別にして。

さて、上位互換の話の続き。
以前ミトマックス氏と話した時に、由梨はMaicouイズムの正当な継承者だと思ったから、2曲のカバーを聴いた時、 危機感を持った、みたいなことを言われましたが、それはたしかにそのとおりだと思った。あの時、自分の曲を歌わせて確かに感動したのだけど、それはどういう部分に感動したかというと「僕の難しい曲をちゃんと歌えたこと=僕と同じ歌唱スペックを持っていること」に感動したので、そういう意味では彼女は、あく まで「僕の延長上」にあるヒトに過ぎなかったんだよね。僕を異性に変えた代替表現者だ。それはそれで意味があるのかもしれないけど、僕という意識からは逃れられない、と思って、広がりはないのではないかなあ、と思っていた。
似たようなことは日向文にも言えて、彼女も、あくまで僕→由梨→文というよ うに、同レベルのスペックの発展形に過ぎない、という気がして、それはそれで感動するのだけど、だからと言って、彼女を聴き続けていても何も発展はないなあ、という気持ちはあったよね。それが、昨日書いた「上位互換」ってことなんだよね。aikoや林檎みたいに、いきなり意識の外からぶん殴られる、というようなことは起こりえないような気がした、ということで。あくまで歌唱スペックで聴いて感動してただけなのだ*1
それから、まあ由梨もそうだったし、今回も同じこと思ったけど、僕は他人の歌詞について、そうそう納得はしないのだなあ、と改めて思った。僕が音楽を聴くときに歌詞をあまり聴かない、と言ったけども、実はそれは、歌詞であんまり満足することがないから、聴かないようにしてた、ということなのかもしれない。僕自身あくまで音楽中心主義で、歌詞は付随するものである、という考えだけど、じゃあ歌詞は適当でいいか、と言われたら、全くそんなことはないので、やっぱり、他人の歌詞に満足することは非常に稀である、ということになると思う。
それでも、NGSKにいたのでは、今回のような出会いすら到底起こりえないので、そんな高スペックのヒトを聴けたというだけでもありがたかったし、由梨に関しては、そんな奴が「たまたま」近いところにいた、という奇縁に感謝する、という感じではあった。

そうしていろいろ考えてみると、結局僕も、スペック厨になっていたということでもあるんだな。「歌」ということに関して。それはやっぱりNGSKに行って、どう しようもないようなヒトが牛耳ってたり人気があったりしたのが納得できなかったんだと思う。そういう事実に関して「違うでしょっ!?」と。例えば由梨みたいなヒトを歌わせて、せめてこれくらいの実力で初めて「歌」と言えるんだよ、と。主張したかったんだろう。
このへんの部分は、どうしても首都圏の人たち、友人とかに理解されなかったの。こんなひどい連中が人気があるんだ、と説明しても、「そんなのどこだってそうだよ。どうしてこんなヤツが人気あるんだ?というようなヒトが売れてたりするのはどこでも同じだよ」と言うの。ちっっがああーう!と僕がいくら言っても判ってもらえなかった。首都圏や全国レベルで「どうしてこんな奴が人気?」みたいなレベルとは違うんだ!と言っても、どう頑張って説明しても理解されなかったので、僕もしまいには意固地になったんだろうねえ。だから、歌に関してのスペック厨になっていったんだろうと思った。

実はこういう意固地になってしまっているヒトは、田舎によく居り、偏屈な東京帰りのミュージシャ ンとかは、まさにそうなってる。「あんなもんは○○とは言えねえ」などとボヤいてる「ベテラン系」の地元重鎮がそうだ。僕が関わった小國雅香とかもまさにそうね。耳 が良すぎるために他人を許せなくなってしまうのだ。僕は、そういうのが嫌だったので、自分だけはそうなるまい!と思って活動してきたが、7年の田舎暮らしで、見事にそうなってしまった。そういう、移住晩年の自分が大嫌いだったよ*2
歌にしろ何にしろ、スペックではないよね。個性だったり、気持ちだったり、いろんな要素があって初めて魅力的に響く。それは正しいのだが、田舎でそういう「気持ち」に拘る人って、スペックが不足しているから、そういう部分で補って誤魔化している、としか思えない、つまり「言い訳に使っている」ようなヒトばかりで、そういう部分に僕はすごく反感を持ってたの。それがいわゆる「策士」というやつですね。そう いうのを布教してるヴォイトレ先生とかが居るんだけど、そういうのの前にさ~、もっとちゃんと前提として、最低限のスペックが居るんだってこと教えろよ!! とか思うんだけど、教える当の本人が、その耳を持っていなければ無理でしょ?で、余計なことばかり教えるから、基本スペックもないのに奇妙な色がつく子ば かりになってしまう。そういう理不尽なことをたくさん経験して、どんどんこっちも対抗して意固地になって、由梨みたいな子を見つけてきて、最低でもこれく らいの実力があって、まずはそれからなんだよ!と魅せつけてやりたかったんだろうと思った。

なので、まあ長くなったけど、こっちに戻ってしたかった ことは、僕がそんなことを細かくうるさく言わなくとも、最初から最低限のスペックがある子が活動をしてて、気にしなくて済むようになる=以前の首都圏感覚に戻る、ということだったのです。そして「なんでこんな人が人気があるのかわからない」とボヤかずに済むような感覚に戻りたい、ということだったのですね。
そうしてゆり花さんや日向文を見た時、自分の好みは別にして「これなら人気がある理由はわかる!」と思えたことが、ものすごく安心したのだ。他の対バンもそう。全員が最低限の条件を満たした上で、それぞれのカラーがあってファンも付いて、物販も売れて、というような現実をちゃんと見て、これだけ魅力的なら、それは当然だ!と思えたのが、ものすごくホッとしたわけですね。

田舎の数少ないリソースの中で、特殊能力の偏ったヒトばかり集まり「誰も判ってくれない、でもいいや、私天才だし」などと厨二病ぶってるような状況、それは間違ったmaicouイズムだし由梨イズムだった。僕のようなヒトは大 海にちゃんと出て、揉まれていくことが一番の幸せな生き方なのだ。そういうことを(もういちどちゃんと)分かったことが、今回の最大の収穫ということですね。

まあ、NGSK時代について、はっきりと現実的なこと言うと、(あえて偉そうに言うけど)自分の耳に適った歌女子は居なかったってことなのよね。そういう狭い世界の中で限られたリソースの中では、由梨は最良だったのだけど、しかし、僕の中の悪魔が「もっといいコは居るはずだよ、ココじゃない場所に!」と囁き続けたわけです。
もっと言うと、由梨の存在が、僕の欲を刺激したの。あの時点で在住5年?かな。いろんなことを諦めて、どうでもいいや、と投げやりに思ってたときに、彼女と出会って、「ああ、こういう実力の子がちゃんとおるやん!」と。じゃあ、探せば他にもちゃんといるでしょう!ってなったのよ。なんつか、緊張感抜けてダラけてたのがシャンとなった、背筋が伸びた!という感じ。
だからこそ、あれを最終決定にするのがもったいなくてね、個人的関係がゴチャゴチャしてきて気が重くなったのもあったけど、もっと適した相手がいるだろう、逆に由梨にとっても、僕じゃなくてもっと向いた相手が居るだろう、ここで無理くり政略結婚みたいなことしないでも、もっと広い場所にもう一度出て、本命を探しましょう!お互 い!というように気持ちが変わってきてしまったのね。だからあれでよかったんだよね。

この辺、シャーマン的な意味での「歌手」ということでは、なかなか難しいんだよね。結局は自分が歌えばいいんじゃん、ということになるけど、残念ながら僕は女子ではないからw

例えば、ちっひーさんのシングルにしても、一番最初にあれ聴いた時の「これじゃないなあ…」感ね。ちょっと違和感があったよね。
た だ、そういう僕の想いとは別に、あれはたくさんの人に認められたので、世間様に認められるのと、僕個人がよいと認めることは、そもそも違うのだ、ということが わかったのは大きかった。むしろ、僕が違和感あったほうが、世間的には認められる比率が高い気がして、なので、それに気づいてからは、僕の曲のカバーがぜんぜん違うもの、イメージになるほうが、かえって面白い、と思うようになった。僕のイメージ通りのカバーが増えても、それは僕のクローンを増やしていくだけにすぎないからさ。それよりは、全く異種なものに出来上がったほうが面白い。こういうふうに思えるのは、オトナになったからでしょうね。
あとは、ぜんぜん違うものになることで得る副産物というのがある。たとえばちっひーさんの場合、歌の違和感の代わりに、メジャーリリースとか亀田師匠ア レンジとか、そういう、のちのち自慢できる、というか「営業に使える」キャリアが増えたことは大変ありがたく、自分のこだわりを封印したおかげで、そうい うご褒美を貰ったんだと思えば、それで十分ありだと思った。これは今でも、アイドルでもNGSKコラボでも何でも一緒ね。どれもこれも、自分が満足したものなんかないけど、逆に拘らなかったおかげで、イメージが僕から離れて、複合的になったのだし、多種多様のリスナーに受け入れられることになったのだ。つまり、僕だけがやってたんでは、到底届くことのない、聴くことのなかった相手に届いたということになる。その作品の中に、ほんの10%でも「僕味」みたいなものが含まれてれば、それで聴いた人々の中に浸透したことになるから、それでいいだろ、ということだな。

地方感覚ということについて、もうちょっと語っていきます。
僕も「北海道」という、元々は地方出身者であるのだけど、そんな実家時代、周りに多かったのは「友達をランク付けしてるヒト」だった。だいたい母がそうだったし、それが普通だと思っていた。今思えば、出世欲が強いのかもしれぬ、と思った。
そう気づいたのは、上京して、東京ジモティの人々と会うようになって、そういう色付けのされ方がされなくなったので、気持ち的にすごい楽になったからです。少なくとも僕は、みんなにフラットに接してもらってた実感がある。だから、故郷時代は、ヒエラルキーがあったんだなあ、と気づいたということやね。

そ ういえば私、ずっと吹奏楽やってたんですが、その頃よく、田舎の「下手」というのと東京の「下手」というのは違う!と、上京当時よく言ってました。田舎の「下手」っていうのはホント に下手なんだが、東京の吹奏楽団とかでは、下手は下手なんだけど、随所にセンスだけはあって、それがある程度のカタチになってるので、聴けないことはな い、というレベルになってる、って。だから楽しくやれたんだと思う。楽器は下手なんだが「こうしたい!」というビジョンというか、イメージはそれぞれに 在ったので、こっちもそれに乗りやすかったんだよね。この「イメージが有る」というのはかなりでかいのです。田舎で吹奏楽をやってた時、確かに上手いとこ ろもあった。強豪校とか破格に上手かった。でも「それだけ」だった。今思えばそれも「スペック厨」だったね。
そういえば、確か安全地帯のデビュー前について、玉置浩二 も言ってた気がするが、田舎のバンドで情報もセンスもなくて、じゃあ何があるかって言ったらテクニックだけなんだ、と。だから、上京前の安全地帯は、とりあえずそこだけ一生懸命、旭川で頑張った、って。これは今思うと実に正しいです。
まあそういうわけで、そんな地方で暮らしてた人は、友達をランク付けする、つまり、センスのいい人を必死で周りに集めておかないと、自分がシヌ、みたいなところはあるんですね。
これもね、東京の人に行っても全く理解されない。東京だってセンスとかない人もたくさんいるよ?ピンきりですよ?って反論される。前も書いたけど「ちっがーー う」。その「田舎とは違う」という部分で、僕はとっても楽になり、まるで東京ジモティな如く、楽しく過ごせたわけですね。

まあそういうことなので、東京に出てからの僕は、実家時代の田舎のそういう傾向がわかってしまったので、そういう感覚が、自分に戻って来ないよう、極力、故郷や地方出身者との交流を避 けて生きてきました。いま実際に、僕の仲の良い友達を並べてみても、全員首都圏出身者ですよ。あえて排除してきたんだよ。そういう田舎の狭量な感覚を忘れたくて。だから、その感覚がどっと押し寄せてきたNGSK時代は、とても苦しかったのだろう*3

で、こっちでゆり花さんとか日向文とか見たときに、ああやっぱり地方出身者やなあ。。というところがあって、自分の中の「田舎者感覚(僕も田舎もんですから)」が蘇ってしまう。これはよくないなあ、と。ちゃんと首都圏感覚に戻って行かないと、今後病んでくるぞ、また小國雅香にヤラれた時みたいな酷い目に遭うぞ、気をつけろ!っていう警告が、自分の中から発せられた*4。都会にせっかく戻ったのに、わざわざそこでまた地方感覚に触れることはないでしょう?と。もっともっと、フラッ トに生きたい。それを忘れちゃいかん!とね。

東京生活その後について、こんな出来事を思い出した。

子供が見てるでしょ! - Wikipedia

田村正和のこのドラマ大好きで、再放送よくやってたので何度も見た(本放送は見てない)。
こ のドラマについては、今でも僕のポリシーに関わる大きな出来事があります。これの最終回のビデオを後輩(バンドのメンバーでもあった)と一緒に見てたの ね。これを一緒に見ながら「これが最高なんだよ!」と言ってたところ、その後輩が「もうストーリーの先が読める。このあとこうなってこうなるでしょ。つま んねえ!」と僕に言った。実際そのとおりなんだけど、エンタテインメントとして成立してるやん、陳腐かもしれないけど、こういうハッピーエンドは僕は嫌い じゃない!って、その彼と揉めてね。袂を分かったってことがあったの。
その後輩、同郷でね。基本的に北海道や東北、といった北の国の人々は冷笑的なことがあるのですが、この出来事で、僕はそもそも、そういう北国基質の「冷笑的」ということが、既に肌に合わないのだ、と。この時気づいたんだな。
僕 はその後、キャバレーやってホテルマンになって接客を極めるでしょ。常に、相手の喜びを提供して満足する仕事でしょ。サービス業の基本、ということと、僕 自身が持っていたサービス精神が、そこで合致して、こういうことだったのか、と覚醒したわけですね。お客さんが望むものを提供してなんぼの商売なんだな。 そこに自我のこだわりとかないんだよ。自分自身の満足より、お客さんの満足のほうが、僕の喜びは大きい。これに気づいたのはすごく大きかったです。
で、 このドラマ、その後も何度も見返したけど、やっぱりこの最後の展開は、そうなるべく、全員が望んでるでしょ。そして「きっとこうなるに違いない」って思ってても、実際にそうなった時の感動、というのも偽りじゃないって思ったの。陳腐でもなんでも、そこから得た感動は偽物ではない、と。
名作から得た感動が本物で、陳腐な作品から得た感動は偽物なの?そこに違いなんかないよ。なぜなら、感動してるのは自分自身だからさ。そういうことを、この出来事でちゃんとわ かったんだな。

これでわかったこと。つまり「予定調和であることのダイナミックさ」ですね。僕は今でも、その真髄を求めて創作を続けてる、ってことでいいと思います。予定調和に持っていくのって覚悟がいるからね。相当思い切って、開き直りがなければ出来ないことだと思う。そこには自信も必要でしょうね。
いつまでも判官びいきっていうか、ヒトと違う態度をとっているのって楽なんだよ。「オレは陳腐なことはしないんだぜ~」的に、斜に構えてるのって。
そ うでなくて、どうどうと王道を行くということがダイナミックな展開を生むわけですね。それを遂に掴んだのが「キミ好きソング」だったのだろうと、最近改めて 思った。あの曲は何度でもよみがえるよ。僕にとっては夏休みより普遍な曲だと思ってる。あれこそが自分である、というか。
そういうことを、故郷の奴らや冷笑的な周りの人々から一切離れて、一軒家で住んで、こもりながらホテルやって、そうして自由になって掴んだのだ、ってこと。すべてのシガラミから 解き放たれて、生まれたものが、ど真ん中の王道だったというのは、実に素晴らしいことだったなと。僕にとっては、これこそが、東京生活で得た、最も大きな ものだった、と思ってます。実際にキミ好きには、僕の古い友人だけが分かる仕掛けがあちこちに埋められており、その彼らへの挨拶、お礼、そして東京生活の総括、というアレンジになってるのです。キミ好きはほんとに深い曲なんだよね。
それまではスペック厨に煽られたり、批評的でなければならない、サブカル的でなければならない、みたいな風潮にずっと悩まされてて迷走してきたんだと思う んだよね。それが一周回って、王道であることが新しい、みたいな感覚になったのは、94年ころ。そうして僕は開放されて救われたわけだ。

そうやって今までの自分を否定してやっと開放されて覚醒してブレイクした私、NGSKに移住したところ、その過去の僕の考えのような人々がどっと押し寄せて来たわけです。少数なら相手にできるけどね、ほぼ全員がそうなので、大変な目にあった。みんなどんな感じだったかというと、NGSKの音楽の現状についての不満とか、音楽とはこうじゃなきゃいけないですよね!!という主張とか、こんなひどい状況なんです、どう思いますか?(助けてください)みたいなことを、口々に言ってくるわけ。
でも、こっちは覚醒して、既にそういう考えじゃなく新しくなってるじゃないですか。そうすると、そういう相手の望む答えをできないの。同意も出来ないし、期待する対応もできない。そして、それを理解してくれる友人も居ない。それが徐々に苦しくなってきたわけです。
たぶん「今はそんな時代じゃもうないんですよ」と説明しても彼らは判ってくれなかった思う。何故なら、彼ら自身がそうしたくないからさ。僕のような考えは、それまでの常識と違ってたし、新しかった。それに対して、彼らの考えというのは旧来の業界の常識であり、それプラス田舎ならではの偏屈さ&ス ペック厨的な考えだったから。だから、僕は当地で、お互いに価値観が大いにずれたまま付き合うことを強いられたわけです。
この苦しさが、ハイクでずっと吐露してたような愚痴へとつながっていく。つまり、20年遅れてるだの、年寄りが仕切ってるだの、昔の業界みたいで嫌だだの、そういうのは、全部ココから来ていた愚痴なんだね。今になって、やっとそれがわかってきた。
「戻りたくないよ。今がすきだから♫(エバグリの歌詞)」です。まさに。だから必死だったんだよオレ、過去の自分に戻りたくないから、戻らないよう戻らないよう、必死で自分を維持していた。お前らの考えは古いんだ!!と必死で、必要以上に否定し続けて、自分を保っていた。そういうことですね。

移住直前のこと、いろいろ思い出すよね。オートチューンの性能が良くなって安くなってきた頃。だから、歌のスペックになんか拘らず、ある程度妥協して、どんどん増産していこう、って思っていた。それが僕の復讐でもあったんだよ。僕より上の世代どもに対するね。そして、時代もそうなっていったし。その流れを止め られなかった。
これはアイドル全盛の今の話じゃないですよ。8年くらい前の話。既にそういう傾向になってきてて、「こんなの歌じゃねえ」などと、オトナが眉をしかめるようになってきたの。でも僕は別に構わないと思ってた。一番大事なのは声と楽曲だから、と。。NGSK末期とは全然違う考え方だったんだよ。東京に居たから、それでよかったんだねえ。。すごいねえ。

移住直後の頃のことはブログに書いたことがある(今も残ってるはず)。僕はNGSKで、鯨女子でそれをやりたかった、つまりアイドルみたいな渋谷系みたいなものをつくり、 彼女には「声」として参加してもらってオートチューンで加工して、アイコン女子ソングを増産しようと。
しかし、それに彼女が猛然と大反対してね。「私は初音ミクじゃないっ!!」と。ちゃんと「歌手として」歌いたい!自分のオリジナルを発表したい!と。それでまず方針のズレが生じた。
で、当時レーベルにクラブジャズのバンドが参加してたんだけど、そこのバイオリン奏者。この彼は逆に「自分は上手くなれないから、大加工して上手そうに捏造してくれ」という要望!だった。…おまえそれは、声ならあるだろうが、楽器ではそれはないんでないの??って、呆れましたよね。当然それも納得できなかった(このへんの考えは散々、過去にブログで書いたとおり)。この二人が同時期に、全く逆のことを言ってきたので、こりゃ困ったよねー。。と。
そんな時期に、例のディナーショーツアー(2010年)があったんだな。あれは移住以来、初めての遠征だった。そん で、久々に「外の世界」というか「元居た世界」を見てしまったんだな。で、自分の進む方向に初めて迷いが生じた、ということですね。
でね、ツアーから戻って、さてどうするかってなったんだよね。
鯨女子と私、表には仲良くやってるように見えてたかもだけど、その頃、壮絶な言い争いをホントにたくさんしましたよ。その方針の違いでね。ざけんな、と。僕はそんなつもりはないし、そこまで言うなら、もっとオレを納得させるくらいの歌や曲じゃなければいけないんじゃないの?とか。
それに、彼女が「ヴォーカロイド化」を拒否したのでは、じゃあ僕のアイコンソングは誰が歌ってくれるんだい??ってことになり、そこも途方に暮れた。コラボの相手を別に探さないとならないからです。
一 方バイオリン奏者については、オレが納得せず答えを渋ってる隙に、もういいです、とレーベルを去ろうとしたんだよね。で、ざけんな、投資分はどうする?とか、お前そんな実力で何を寝言みたいなこと言ってるの??みたいな怒り沸騰っていう感じね。そんな状況で、レーベル運営も詰んできたわけです*5

でですね、これで気づいたのですが、小國雅香も由梨も、実は、これら二人の「カウンター」だったのではなかったか、ということなのね。例えば、純粋な歌手で行きたい、というなら、由梨くらいちゃんと歌えて初めてまともな歌手といえるんだぞ?という気持ちがあったし、新たなコラボ相手で、こんないい子を見つけた、という気持ちもあっただろう。また、バイオリン野郎についても、こんなクズ演奏家に関わるのはゴメンだ、もっとちゃんとしたプロと仕事したい!というのが、小國雅香と組んだきっかけのひとつだった*6。つまり、どっちも反動だったんだね。で、結局、僕は、そういう流れの中で、自分自身が否定していた旧来の価値観、音楽へのこだわり、みたいなところに自分自身がまた戻っていってしまっ たの。昔、僕が嫌いだった、すごい偏った固い考え方にね。そういう流れ。

まあ結局、思ったのは、自分の見つけた道を歩いて行くのは充実した人生ではあるけど、同時にすごく大変だってことですね。鯨女子にしろバイオリン野郎にしろ、僕のロボットではないわけだしね。ただ、お互い尊重した上での契約が成り立っているのだから、それが適わないとなると、それはもう一緒にはできないよね。その絆は切れ て、ただのクライアントという関係になってしまう。それが現実だった。僕は僕で、自分と歩いてくれる別な人を探すことになったということですよね。
そんなこんなで僕は疲れてたんだな。それで、苦労しない相手を見つけることになった。由梨も雅香も「音楽的にちゃんと」してるからさ、楽だったよね。既成品を手に入れた、みたいな感じですよ。でも、自分にとっては何か発展があるんだろうかこれ…。って思ったのも事実。なので、どっちも途中で頓挫したけど、相手の態度に憤慨もしたけど、内心ホッとしたところもある。これ以上どうしようもないよこれ、って思ってたからね。完成したものを手に入れても、カスタマイズし甲斐がなくてつまらないってこと だったんだろうなと思う。
あと、彼女らと組んだことで、音楽的には楽だったことから、結局「ちゃんとしたものがいちばんいい」っていう考えになってしまい、それは旧価値観に僕が組み込まれてしまうということでもあった。
自分が価値観を変えてやるぞ!新しい時代だぞ!みたいな、移住前に芽生えたモチベーションはそこで半ば潰えてしまった。そうこうするうち、高浪さんが帰郷してきて、僕がやりたかったことを彼にされてしまうようになった。つまりキャラが被ったわけです。だからそれも もう無理だったのね。いろいろと詰んだな…って思った。で、リターン計画→混乳という流れになる。本来なら混乳みたいのは、僕自身が企画してやってたことだ よね。でももうそんな気なかった。だから、運営Pさんに丸投げで僕は一切関知してない。移住した当初のことを思うと、そんな「他人ごと」なのが、すごい不思議だったなあ。遠い青春を見てるようだった。

その後の展開ですが、鯨女子さんとは大バトルあったけど、根性はあるんだよな、意地でもアルバムを作ると言って仕上げてきた。僕は完全に「ただの」アレンジャーとなって制作してあげた。プログレぽくしたりギター弾いたり面白かったよね。で、完成後、僕に言ってきました。やっぱり曲作るのは大変だった。あなたの偉大さがわかったwと。今後は言われたとおりに歌うから、何かあったら頼んでほしい、と。こっちは正直、もうその気もあまりなかったけど、そう言ってくれたことは嬉しかったね。それに、やっぱりお互い苦労したこともあって、ずいぶん上手くなったと思います。
バイオリンは、その後いろいろと散々だったという後日談が伝わってきてるのでザマミロ と思った。彼は一生、進歩するとかは無理だろう。この辺、ちょっと偏見もあるけど、九州はやっぱ女子強えーなーって思ったよ。しっかりしてるんだよ。みんなそう。そういう意味では、女子の方は首都圏感覚に近いと思う。男子がヘタレなので目立つってだけで、これが普通なんだよな、と思います。

というわけで、いよいよ移住末期の話。
僕は自分の中で、自分の作品に品位とか良識とか、そういうものが含まれたら終わり、と考えてるので、いわゆる「ちゃんとしてる」ということは、一番遠い感覚だったの。でも結局、今まで書いたような出来事があって、最後には「ちゃんとしてる」ことが一番楽だ、というところに落ち着いてしまった。それが悔しくてね。
移住直前に、果里というNGSK出身女子に、わざわざ下北沢に呼び出されて、NGSKの「適当な」音楽家には気をつけろ、と忠告されたという話を以前したと思いますが、いろいろ書いたように僕は既に、そういうゲリ ラ的なのが面白い、という「新しい」考えになってたから、こいつは人をわざわざ呼び出して、何を古臭いことを言ってるのだ??と思って、こんな奴には絶対負けない、とその時思ったけど、結局7年経って、彼女のような「ちゃんとした教」の人々の軍門に下ってしまったのね、と思うと、情けなくて悔しくてしょうがなかった。でも、田舎じゃ実際それが正義だった。それは認めざるをえない事実でもあった。

結局わたし、NGSK末期に得た「ちゃんとしてるのが一番楽」という結論を抱いたまま首都圏にリター ンしてきたのね。そんなの息苦しくてめんどくさくて嫌でさ、もっと適当にやりたい、と思って歌手業なんかやめます、などと一度は言ったけど、そうすると今度は自分が 楽しくないのよ。あんだけ一生懸命、毎日歌れんしてさ、どのライブでも「CDみたい」と言われるくらいの出来なのが僕のカタルシスだったのに、それがなく なると、何を楽しみにすればいいのかわからなくなって、ちっとも楽しくない。結局、自分自身も「ちゃんとしてることがいちばん楽」ということなんだな、と なってしまった。
自分が「ちゃんと」してるからさ、ちゃんとしてないものにはいくらでも文句言えるの。TVみたりCD聴いたりしても、こんなもん◯◯じゃね え!ってなるの。その姿は、かつて僕が、一番なりたくないなと思ってた良識オトナそのものでしたね。

そんなことになってた昨今、やっと時間が出来ていろんなライブを見に行ったでしょ。そんで音感のいい日向文を見て、これは由梨の上位互換だと気づいた時、スペックがいいからって、それが一体何?って思ったわけだ。彼女たちじゃなくとも、対バンもみんな上手かったし、他にも上手い子なんかどこにでもいるでしょ。そうすっと、スペックに拘ることは「第一義的じゃなくなる」のね。*7
自分自身がそれに拘るのは別にいいんだ。それが自分の生き方だから。でもそれを他人に強要するのは、それはまさにブラック企業ではないか、と思ったわけよね。そう気づいた時、田舎で植え付けられてしまった「ちゃんとしたスペック教」の洗脳が、スッと解けて行ったわけです。8年前の移住前のこと思い出してみな?って思ってね、自分がやりたいことはそうじゃなかったでしょ?と。都会で悟った「感覚さえあればスマートに生きていける」という、そのことの音楽的実践だったでしょ?と。以前の考えは、古い船だから沈むんだって言ってたでしょ?と。そういうことだったんだな。

そういえば、ちょっと余談になりますけど、僕がNGSK生活で思い出した田舎感覚で、もうひとつ「花 輪・祝電主義」っていうのもあるのね。つまり、他人に見せる自分の価値を上げていくのに、スペック厨になるのもそうなんだけど、あとは、どんだけ、実 力者著名人からの「承認」があるか、ということにホントにこだわってる。ライブとか公演があった時に、こんな方からの○○が届きました!とか、こんなヒト が見に来てくれた!こんな人から褒められた!みたいなことを嬉々(そう見える)として、報告するわけ。そういう時に、前述したような「交友関係のランク付け」が活きてくる。ライフの高い人を周りに集めて置かないと、そういう時に有効に使えないの。NGSKでは、コレの戦いでもあった。自分自身が「ランクの高い人」にならなければならない、という無意識の強迫観念が常にあった。これもキツかったことの一つではないかな、と思う。
そういえば日向文がこれやってたんだけど、よく映画の全面広告とかで、有名人が3行感 想みたいの並べてるのあるでしょ?ああいう感じで、自分のライブや作品を「有力な他人」が褒め称えてくれる言葉を並べて公開して見せていくのは、スペックに拘っ て、そこのみで評価していく感じと、とても似てるなあと、思ったりしたわけです。ああ、地方感覚やなあ、と。
そうそう、これ自分の故郷でもよく あったよなあ、と。子供心に、なんか気恥ずかしくて嫌だった。勲章みたいに有名人の花輪並べ立てて、なんやこれって。でも、移住した時にNGSKで自分がいざやってみますと、これすごい効果的なんだよなあ。権威主義というか、すごい威力ある。有名人が知り合いです、みたいな感じと近い。そういうなんか、自分の中の下衆が蘇ってきたようで、辛い数年間だった。そんなことを思っています。

もいっこ余談ですけど、果里女子にいろいろ「忠告」されて、うっせークソ野郎と思った話はしましたが、今思えば「これはそのとおりだった」というのが結構あります。それは例えば「気軽にライブしてくださいとか言ってくるけど、お伊達に乗って、その気もないのにやったりしないほうがいい」というものだった。移住当時僕は、5年位ライブから遠ざかっており、全然その準備ができてなかったんだけど、NGSKで「おだてられて」なし崩し的にライブを再開してしまった、ということが実際あった。でも、喜んでくれてるようだからまあいいかな、と無邪気に思ってたんだけど、今思えば、裏では「こんな程度か…」って思われてたんだろうな、とわかる。その3年後くらいのディナーショーツアーくらいの実力が戻って着てる状態で、最初からやっていたら、当地での評価も全然違っただろうなって思う。
だからその、果里女子の忠告の意味は「NGSKの人々は外面と内心が違うから真に受けるな」ということだったんだな、とわかる。この忠告にしろ、先日の「ちゃんとしたものが正しい教」という考え方にしろ、僕自身は鬱陶しいと思ったが、古い社会である当地では正しかった、とも言えるので、結果的に果里女子の忠告は、NGSK向けにはいい忠告だったのだね。
しかし僕は、そういう価値観そのものを変えたくて移住したので、その忠告は受け入れられなかった、僕は僕の考えで好きにやりたかった。とい うことだね。でも結果的に僕は負けてしまった、ということなんだ、と思ってます。

で、話はスペックの話やカウンターの話に戻っていく。
いろいろ嫌なこと書いたけども、じゃあ例えば由梨が、ただ単にそれだけだったかというと、それはない。彼女とのコラボで、唯一でありかつ最高のものはちゃんとリリースされています。愛と平和ですよね。これだけは彼女との作業で「これだ!!」と思った。あの曲に関しては、音楽面に関して言えば、共同アレンジだった、と言ってもいいくらいの貢献度があったと僕は思ってる。由梨があの曲のアレンジについて、どの部分で貢献したかというと、それがまさに「歌」なんだな。さんざんスペック厨と言ってはいたが、アレの歌だけは彼女の本質が出てると思うんだよ。僕も彼女も、あの時だけ「ちゃんとする教」の洗脳から放たれ てる。その触媒になったのが彼女だったということ。つまり由梨がああ歌ってなければ僕もああ歌ってない。僕の歌いまわしは彼女のそれに合わせた部分が多分にあり、そういう意味で、僕の歌い方を変えさせたのだから、ヴォーカルアレンジに貢献した、と言ってもいいだろう、ということだった。
他の2曲については、前に書いたように、ベストとは言えなかったが、限られた条件下では、よく出来たほうだと思うし意味もあったけど、でも政略結婚みたいなものでもあったから、置き換え可能だったな、と今思うけど、しかし愛と平和はそうではない。
コラボでボツになる、っていうのは、メジャーでもインディでも、いくらでもあります。ちょっと録ってみて、いいなと思えば進むけど、ちょっと違うなと思え ば、デモを録ってそのままになる。おそらく日本中にそういう「オクラ入り」のデモテイクは山のようにあるはず。由梨とのあの2曲も、僕がNGSK在住でなければ、そのうちの一つの例に過ぎなかったという気がします。それでも、愛と平和という、公になった共演が(ひとつだったにしても)あったことは、それはそれで素晴らしいことだったのだよ。と、首都圏感覚に戻った僕は、今思います。

というわけで、大団円へ。
こういう話をいろいろ書くことになったきっかけ。実は2週間前に、とあるコラボをやったのです。 このコラボ。5年越しの求愛がやっと!実ったもの。当時は僕はNGSK在住でしたから叶わぬ遠恋だったね。で、叶わなかった5年の間、浮気もしかけました けど、やっぱり本命でしょと思って、満を持して声をかけた。本当にそうしてよかった。と心から今思ってるところです。
由梨や日向文などのことをいろいろ言ってたのはこういう理由があったのだね。これも縁だから、などと言って手近なところで済ませない!そんなのは、リソースの足りてない田舎ですることだし、そうやって「スペックが高くて、カウンターとして自慢できるコマ」を集めて並べて悦に入るのは田舎もんの感覚だ!もうそんなことはしなくていいんだ!と。そういう風にやっと思えたん だ、ということでした。
実はこの2ヶ月、いろんなライブ見に行ったりしてたのも、いろいろ見て勉強したかった、というのもあるけど、かつて長崎でやってた「街を探し歩いて新しい歌手の子を見つける」という感覚も少しだけあった*8。それが主な目的ではなかったが、そういう出会いも、もしあればあったで嬉しいかな、くらいに思っていた。で、NGSK感覚だったら、ゆり花さんや日向文なんか、もう即効、声かけ事案ですよね(断るだろうけど)。
でも「いやいやいや。 待て!」と。確かに上手かったり、声に魅力があったりしたけど、性格がめんどくさそうだし(!)、そんな相手と関わって、またNGSK時代のような修羅場みたいなことになりかねないでしょ、と。もっともっと、ちゃんと探しなさい、と自分で自分のハードルを決して下げなかった。ということです。この感覚、手近で済ませるな、というのはすごく重要な事です。

ライブを休んだこの2ヶ月。その始まりに、実は、僕が大好きだった、あるアーティストさんの新譜を買ったのです。ココ10年位 ちょっと調子悪そうだったので、今回の新譜もはたしてどうかなあ。。などと恐る恐る聴いたの。そうしたら!全盛期に匹敵する名盤になってて!うおお お!!ってなった。以後、ほぼ毎日これしか聴いてない。出かけるとき ipod で、これが無限ループ。やっぱりね、安易に手近な一過性の喜びになんか手を出しちゃダメなんだな。待っていれば、探し続ければ、いつかきっと、また望みが実現する機会も来る。探さなければ見つからないし、待てなければ大きな喜びは永遠に来ない。と。

前も書いたと思うけど、NGSKの人たちはホントに待てないヒトばかりだった*9
根気よく探し続けて、その時を待ち続ける、それが出来るということも、能力の一種なんだなー。そういうことをズラズラと思いだした。 脳の奥からそういう感覚のデータが呼び出され、最前列にセットされた。これが7年前に僕が持ってた、そして一番重要視してた感覚だった!ということだね。

何故かココ1ヶ月位、FBなどで見る、かつての彼の地の人々の活動報告みたいなものを見ても、なんか冷めて見えるようになってきた。一生懸命宝物を探し続けても、結局は同じ場所を、ただグルグルしてるだけ。それはお釈迦様の掌ですし。
愛のある街に育まれて、胎内のようで幸せだろうと思いますけど、僕はそんなの要らないから、また外に出ていきますね。というお話でしたの。YES!

*1:その自分のスペックに合わせた楽曲をちゃんと書ける、というのは、それはそれで素晴らしい才能

*2:しかし当初、僕のことを理解し味方になってくれたのも、この「偏屈」な人々だった。そこはとても感謝しています。

*3:そういえば、東京生活10年目くらいの時かなあ、みんなで地方出身者の話になった時があって、僕以外はみんな東京ジモティだったけど、「地方から来たヒトってみんな派 手だよね」「なんかすごい、自分が自分がって、押しが強いんだよね」という話になって、そうなんです、すいません、ってなったことがあったけど、結局、東京文化を動かしてるのは濃いキャラの地方出身者なんじゃないかって、今も言われてるけど、当時から僕らはみんな言ってました。勝手に東京に来て好きなだけ 騒いで汚して、こんな所は人の住むところじゃねえ、とか言って田舎に帰ってく。こんな失礼な話はあるか!って、怒ってたなあ。そういう感覚を僕は忘れたく ないなって思ってるってことです。

*4:このブログに出てくる「小姑」というのが彼女。僕は彼女に「洗脳されかかっていた」んだと思う。ちなみに今は市内の同業と表面上は仲良くやってるみたいですが、相変わらず裏では悪口言ってると思います。ヒトはそうそう変わるものじゃないけん。

*5:バイオリンバンドを全国で大プロモーションしよう、という素っ頓狂な計画を持った輩がいきなり現れたんですね。福岡の某社長。僕のところに来て、これこれこういうことで「自分ら の会社から」全国リリースしたい、と。で、今レコーディング中の音源をください(!!)などと言ってきたわけ。は??ってなって、レコーディング費用は??原盤権は??と聴くと、CD出して売上からバックしますから、などととんでもないことを言う。じゃあ売れなかったら、僕にはお金が入ってこないの??って尋ねる と、そうなりますが、そうはならないつもりだと言う(!!)。じゃあこの話の僕の旨味はどこにあるんです??と尋ねると、エンジニアとしての僕も、全国で有名になるからいいじゃないですか (!!!)などと応えてくる。ともかくすごい人で、そもそも、バイオリン野郎にそんな実力なんかないし。ふざけてんのか?耳腐ってるのか??って正直思ったね。で、もちろん拒否しましたけど、これのダメージは相当あった。なんなんこれ…って。ちなみにこの人、その後、ペコロスの映画をプロデュースして出資者になりました。バイオリンのスカウトに失敗して、次にペコロスを発見したんだね。まあ、これ全国ブレイクしたから、まあやっと彼の思い通りになったわけだけど。そうやって色々転がしては金稼いで生きていく業界ゴロなんだろうね。

*6:音楽的なことだけじゃなく雅香と組んでレーベルとしての泊も付けたい、という考えもあった。そういう意味じゃ僕もこの時点で策士。でも、お互いに利になるなら、それでいいじゃん、と思ってたんだけどね。そうは行かなかったねw

*7:あと私、どこか肉体的魅力を信じないところがあるんだよね。声がいいとか、天使の歌声、などと言われてもさ、歳とったり不摂生すると変わるでしょ。そういうもので褒められてもちっとも嬉しくない。僕もよく、声がいいとか褒められてたことがあったが、あまり真に受けない、というか、そんなの、外見の好みと一緒で、 極論すれば、おっぱいでかいから好き、というのと変わらない気がするんだよね。それよりはちゃんと、楽曲いいとか、そういう自分の実力で評価されたほう がいい。それは本物だし、永遠だし、変わることはない価値観だからさ。
承認欲求強い人は、肉体的特徴で褒められると有頂天になって自分を見失いがちだが、そんなもん、新しい別な可愛い子が出てきたらおしまいでしょ。そうじゃない、自分の声や顔抜きでも、きちんと評価される作品を生んでいるか、ちゃんと自己評価できること、それこそが一番重要なんだよ。

*8:そういうA&Rの仕事をしていたので

*9:婚外セックスも音楽も全部手近で済ませる人々ですからw

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ありきたりな女・ありきたりな男


椎名林檎 - 『ありきたりな女』コメンタリー映像 - YouTube

そういうことだよね。
自分はこれが出来なかったから憧れがあるんだろう*1

この動画を紹介してくれたのは鯨女子なんだけど、そういえば彼女は社長令嬢に生まれて、男社会である社内の軋轢に揉まれながらも、こういうことを主張してきた奴だったなと思い出す。まあ九州だし、首都圏の10倍は大変だったろうね。

でふと思ったが、女子が女子であること、という言い方があるのなら、男子が男子であること、ということを活かしていくという「言い方」はあるのだろうか。これは一般的には気付かれにくいが、「僕はあった」のだよ。なぜかと言うと、僕自身は男系社会が嫌で、男子というものが嫌で、乙女男子()になりたいようなヒトだったので、男性的なものを排除して一生懸命生きてきたでしょ。そうすると、あえて男性的な要素を用いることが「特別なこと」になる。

前にも書いた気がするんだけど、わたしね、九州に行って、その要素を持ち出すことで、周りの僕の扱いが変わる、という経験をしたのね。これは、女子が女子である特殊性を持ち出して戦う、という感覚と(僕にとっては)似ており、その有効性にも気付いたんだな。特に、人前に出るような商売をやってると、これで得することは本当に多く、僕は初めて、世の中に於いて、性的なものを売りにする有利性、ということに「はっきり」気付いたのだった。
東京に戻って、歌手を辞めたい、芸人の部分を捨てたい、と言ってたのは、こういうことでもある。男性的な部分で売ってた自分を、もっかい元に戻したい、ということでもあった、ということなのだな。(エセ)九州男児からの脱却、ということかな。

オノヨーコは、ヒトラーみたいな奴の考えを改めるには、一晩ベッドを共にすればいい、と発言した(その一晩のベッドですることはセックスだけじゃないとは思うが)。しかしレノン晩年に、「アレはちょっと大袈裟だった。なぜならジョンを変えるのすら10年かかってしまったから」と言ってる。
何かしらの行動を起こすときに「性的特殊性」ってのを利用するのも、ひとつの手だと思うのね。それを使えば、性的欲望の強い相手は、何某かの反応をしてくれるからさ。

これもここで何度も書いてたと思うが、私、かつてはゲイの方々に人気がありました。そのとき僕は、ちゃんと丁寧に「私はストレートですので」と断らなかったのです。何故なら、そうやって人気があることは嫌ではなかったからです。彼らの希望を受け入れることは出来なかった。でも、どんな方向性であれ「僕を見てくれて愛してくれること」は嬉しかった。だから、拒否も否定もせず、そのまま放置して好きにさせたのです。
そういう意味では、僕がもし女子だったら、サークラだったかもしれないし、やり満だったかもしれないし、八方美人だったんじゃないかと思う。
彼らのやり方が半ば強引で、ともすれば「セクハラ」寸前だったことで、僕は彼らに対して同情の気持ちはまったく起こらなかった。性的マイノリティだって??ケッふざけんな、と思ってます。きゃつらは、同性の気弱な男子なら、好き放題セクハラする連中です。それを、何を今さらセクマイとかざけんなと思いますね。だから、僕はそれを思う存分利用した。思わせぶりで引っ張ってね。
九州で、男子性を強調することで得をする、と気付いた時、躊躇なくそれをしたよ。もちろん本意じゃないけど、それで徳をするなら、敢えてそれに甘んじた。それが、自分のしたいことをする近道だったからさ。そういう意味では、今の業界女子も同じなんじゃないだろうか。それがいいとことだとは思わないけど、生きてくためにはしょうがないんじゃん、と思う。というか、共感できる。

最近むかしの歌謡曲よく調べてるけど、そうするとスタッフの中に懐かしい名前を発見したりする。この「ケメ」というヒトも憶えてた。70年代前半は、前述のような野蛮な時代であった反面、それに逆らったのか、それまでの日本男児像とは反対の「女々しい」男子が台頭して来た頃でもありました。僕は男色趣味は当時からもありませんでしたが、野蛮な世界に入れなかったので、こういう一連の、今でいう「乙女男子」なヒトたちにシンパシーを覚えてた記憶があります。当然バッシングもありましたが、実際、こういうキャラになれば自分のアイデンティティを維持できる、と考えてたんでしょうね。なので、今の僕のキャラもそうだし、もっと突き詰めれば、渋谷系と言うジャンルも、この辺をブラッシュアップしたものじゃないかな、と考えてます。
当時はね、たとえば拓郎みたいなものでさえ、「結婚しようよ、って何だよ。女々しい!」とバッシングされましたし、平和とか政治とか歌わないと、男じゃない、音楽じゃない、みたいな差別的なものがあったよね。そういう意味では、僕みたいな人たちも、ずっとマイノリティとして戦ってきたんだな、と思いますよね。

面白いのは、マッチョ系のヒトは「意外に」マジメだと言うことです。乙女男子を強調したサブカル渋谷系の男子のほうが、男女関係入り乱れて大変なんですね。文科系サークルも一緒だと思う。さっき書いた、乙女男子発祥みたいな73年のケメさんみたいな方々も、女子関係は華やかだったと聴きます。グループサウンズの王子様系も一緒ですよね。だから、そういう乙女男子も、大概は、外見がそうなってるだけで、内面は男性的な欲は強いほうの方々だと思う。
だから、九州で男子性を発揮して受け入れられた、というのは、そういう部分もたぶん合って、軽い奴じゃない、骨がある男子、ということで、サブカル系との違いを見てもらえた、ということじゃないかな。

ひょっとすると、九州やNGSKのサブカル男子さんって、伝統の九州男児であることを否定したくて、違うアイデンティティの確立としてやってるのかもしれないよね。もしそうだとすると、それは僕の子どもの頃の動機と一緒なので、気持ちはわかるんだが、ということは「こじらせて」いるので、そこがかつての自分を見るようで痛かったのかもしれない。

実際僕は、九州で男子性を発揮したと言ったけども、その裏には、九州のサブカル男子ちょっと嫌なので、一緒に見られないようキャラを変えたい、という気持ちもあったように思います。7年間で、サブカル系な考え方について、ずいぶん変わったもん。

こっちもどってきて1年ですけど、少しずつ慣れてきて楽になった気がする。極端に何度も振り切って、やがて中道に戻ってくる。それが自分の道。そうなっていくといいなと思う。

*1:こないだ書いた「ろくでなし子先生の話(表現とは肉体的反射である)」も「頭より先に体が出る」という部分で一致してます。

圧迫から逃れるための表現活動は「肉体的反射」でなければならない。という話

今の僕の信条として「肉体的反射を最優先する」というのがあります。以前も長々と書いた覚えがありますが、もう一度、そこの考えに至った経緯を、ろくでなし子さんの事件と合わせながら振り返ってみたいと思います。

常々、90年代が僕にとっての青春だった、と言っているけども、いろんな理由やきっかけがあってそうなったんだけど、一番の大きな理由は、引越しで環境や人間関係が変わったことじゃないかって思ってる。考え方や見方も変わるし、話す相手が変われば(いなくなれば)、思考のパターンが変わるんだよね。街の外れに一人で一軒家住まい、というのは、思考を邪魔する相手がいないから、ゆっくり熟成できる。ということ。そんなときに出会ったのが、この本。
「快の打ち出の小槌 〜日本人の精神分析講義〜」佐々木孝次+伊丹十三・著(1980年)

いまではトンデモ科学な感じもするけど、当時はこういうことを「ちゃんと」言う人が居なかったので、とても貴重だった。これと、前に書いたインディアンの話は、今の僕にとってはすごく大きいでしょうね。
これを読んで、それまでの社会がなんで自分にとって居づらかったのか、すべて腑に落ちた。これじゃあかんな、自分はナントカしないと、と思ったのが、創作活性化に繋がったと思う。同時に、世の中の変化がなんとなく体感できるようになって、ひょっとしたら頑張ればいい時代になるかも?みたいな期待感もあった。その、ある種の高揚感が、僕の創作意欲を駆り立てたのではないかなあ。
ちなみに、これらの本に出会ったのは、レコーディングの仕事で滞在することになった、とある一軒家。家の持ち主は、クラシック界ではそこそこ有名な作曲家さん。その家も、埼玉の山奥の一軒家で、今思えば「思考しやすい」環境だったかも(自給自足してたらしい)。
レコーディングというのは、準備があらかた終わると、リハとか打ち合わせの時にはあまりすることがない。で、その作曲家さんの書架を物色してたら、こういう本が目に付き、なんとなく手にとって読み始めたら、ハマってしまった。
私、それにあまりに感化されすぎて、こんなことやってる場合かっ!と目覚めてしまい、そのレコーディングは放棄してしまいましたw 当時の彼ら、怒ってるだろうねえ。スマンとは思うけど、自分の創作のほうが大事だったんだよね。しょうがないw

で続きなんだけど、レコーディングで滞在先の家にあった本読んで、その仕事を放棄して返って来た、という話だけど、まあ他にも細かい理由(ギャラが払われる気配がなかったなど)はいろいろあるんだけど、まあともかく放り出してきたわけです。それまでの僕は、自分が不本意なことを、ちゃんと嫌だと主張するとか、何かを断るとか、そういうことが出来なかったヒトなんです。断ると悪いんじゃないか、と思って、しぶしぶ付き合うような人だった。ココで初めて、嫌だから去ろう!って強い意思表示をしたの。それも「すいませんけど…」などと言うのが嫌で、というか怖くて、若者がバイト逃げるみたいに、ただバックレてきたんだよ。そんで逃げ切って、ああ逃げられた。。逃げられるんだ。。って思ったの。嫌なことからは逃げられるんだ、逃げていいんだ、と思った最初の出来事だったのね。
ここからはすごい反感買うと思うけど、僕はそれでコツを掴んで、嫌なことからはさっさと去ってきて縁を切る。という行動を繰り返すことになった。もう要らないと思った相手は平気で踏みつけにしたし、あんまり相手が聞き分けがないクライアントだと、ではもう結構ですので、というメール1本で断ったりしたんだな。
なので、今僕が、誰も判ってくれないとか、ひとりですよ、などと言っても、それは自業自得なんだよ。結局、絶妙にフィットする相手以外は、おまえ要らんって捨ててきた人生だったの。だから今こうなってる。
そういう酷い私に、代わりに与えられたのは、親しみやすい人となりと親しみやすい曲を創る才能だろうと思う。それのおかげで、縁が繋がっている。これは本当に神様(か誰か)に感謝したいと思てます。でもそれらも、幼児期のネグレクトと引き換えにもらったものなんだけどね。

この続きは、以前ブログで書いたことの繰り返しになるけど、キャバレーの仕事で、音楽演奏とは肉体的反射である、ということを悟った、村西とおるのAVを見て、お互いに100パーセント開いてこそ、得られるものがあると悟った、など、自分の心にあった熱い壁が取っ払われ「裸になった」という経験をしたわけですね。
この「厚い壁」っていうのはなんだったんだろう。それは、ネグレクトによって常に周りの人々に憎しみと対抗心を抱くようになり、「オレはすごいのだ。おまえらはクズだし、どうせわからないから本気なんか出してやらない」というプライドのみで、なんとか生きてきた、というようなことが、それに当るかもしれない。

うちの父の「ネグレクト」というのは肉体的なことだけでなく、精神的なこともかなりあった。僕は常に「説明と理由」を求められ、それができないと、長時間にわたって罵倒された。完璧でなければ許してもらえず、僕はそれが足かせになり、何事もマトモに出来なくなった。その辺は、最近伝わってくる佐世保事件の一家の様子と、まったくそっくりで、僕の中ではとても被る。ぼくは「ヒトを」危めたいなどと思ったことはないが、昆虫などに対しては、ずいぶん残酷なことをやっていた、というイトコの目撃談があって、なるほどなあ、と思ってる(自分じゃやってないんだけど、天敵どおしを戦わせたりしてた)。

で、ちょうど世の中が渋谷系などという時代になり、それまでの一般人は名前も聴いたことがないような超マニアックだったりマイナーなアーティストのCD(昔のレコードの再発)がどばどばリリースされるようになった。音楽マニアの間で、そういう歴史や、過去のアーカイブにどれだけ詳しいか、ということの競争のようになり、ハンパなことでは何も出来なくなったのね。ちょうど今のネットと同じで、常に反論されたり突っ込まれたり叩かれたりすることを覚悟しなければ、音楽活動が出来ないような状況になってた。
そういう状況が、ちょうどぼくが父からされてたネグレクトのようなことと自分のなかで被るようになり、だんだん絶望感が占めるようになっていったのね。
そういう90年代初頭に、キャバレー、村西とおる、ホテル業、そして伊丹さんの本、というようなことがあって、インディアンの本があって、湾岸一軒家への引越し、という出来事があって、まあその辺をいま振り返れば「いつ何が起こってもおかしくない」というような状況だったんだなあと、思う。その「何か」というのが悲劇的なことでなく、「曲作りでブレイクという結果になったのは本当に本当に幸運だったとしか言いようがないけどね。
で、キミ好きソングと夏休みが出来た時、「こういうことか!こういうことなのか!」とひとりで言いつづけた、ということがあったけど、つまり肉体的反射である、というのは、楽器演奏だけでなく、曲作り、という創作物でも同じなのだ、と悟った、ということになるんじゃないかな。
いろんな芸術形態、主張があって構わないし、自由なのだけど、何かに対して説明責任があるとすれば、所謂「作家業」っていうひとについては「作品そのもの」が、その責任を果たしてると、「僕は」思う。それは、そういう過程を経たからだね。あの2曲を発表した時、それまでごちゃごちゃ突っ込んできた周りの連中も、誰も何も言わなくなったよ。それは、僕が「何か言ったから」じゃないよね、あの2曲の説得力がハンパなく、説明不要だたからでしょ。あの時点で「表現というのはこういうこと」という真理を掴んだんだな。だから、その後は、僕もごちゃごちゃ薀蓄を言わなくなったよね。すべては作品に含まれている。というのが答え。

それでも2000年代になって、いくつかの音楽研究文をネットにアップしたのは、やっぱりそれでも僕の音楽に突っ込んでくる「うざいおっさん」は多かったの。ずいぶん叩かれたし揶揄もされた。さっき、回りは誰も言わなくかった、と書いたけども、それはそれで過去の連中であり、また新しい人々はどんどん来るからね、それが公で作品発表する、ということなんだけども(それを覚悟するのが創作業)、そういう「説明責任」を求める声に対して、いちいちうざいからね、ああいう長文を書くことで、「そういうことでしたら、コチラをお読みください」ということで、解説を用意した、ってことですね。そうすれば説明は一度で済む。

愛とは肉体的反射である、ということ。たぶん、その肉体的反射のほうが先で、それが脳の方に影響を与えて、感情が芽生えるんじゃないかと思う。村西のAVにはそれがあったし、すごく判りやすく映し出されていた。村西も人間的には「ずいぶんな方」らしいですよ。暴力表現などもあるし。でもそれを補ってあまりあるものを僕は得たわけです。
それをまんま音楽に当てはめられると僕は気付いて、その実践がキャバレーだったし、ホテルでの接客だったし、そして曲作りだった、ということ。常に僕は、脳内に湧いてくる「周りの否定的言葉」を必死に抹消し続けながら、肉体的反射に拘って創作作業を続けたの。そういう意味では、曲作ってるという作業は性行為と同じだと思える。自慰じゃないよ?じゃないの、脳内で空想の誰かと常にエネルギーを交換してるわけ。相手が居るわけ。だからこそ、今の僕の曲には人間味があるんでしょ。音楽は研究論文じゃない、デジャブ的な肉体的反射を促す触媒なのだ、ということなんだよね。

ということで、長々語ってきましたが、実は、こういうことを振り返って考えてみようと思ったきっかけの事件があったのです。

ろくでなし子 on Twitter: "(´-`).。oO(ここでわたしが「田嶋先生を貶めるあの人はひどい!」と一緒になって「抗議」すれば満足していただけるのだろうか…フェミニズムの思想とは、いろんな考えのいろんな人達がいて当たり前でみんな対等って事だと理解していたのだけれど…"

これですね。あの人も言い方が悪いので、反感買うようなことになったけど、何らかの主義というよりは、ただアレが自分の表現だから、好きにさせろ、と言ってるだけだと思ったんですよね。たまたまフェミ的なものとカブってたから、そういう人たちの支持を一瞬集めたけれども、そもそもそんな主張ではない、と思ってます。これはオノヨーコも一緒。言いたいことがたまたま何かの主義の人たちと被ってたが、自分の表現は、極めて個人的なことだよ。それを認められているだけで。ろくでなし子先生もそう。アレが個人的な主張なだけで、ごちゃごちゃ言われたら、やかましわ、じゃああんたらやってみろ、って言いたくなるのは、それは表現者である自分を優先してるからだね。やっぱり何らかの表現活動、しかもそれが芸術分野とされるようなことならば、何かの代表ということよりも、自分のしたいことを優先していくでしょう、と普通に思ったわけです。
実は私も、評論家的なことをごちゃごちゃ言われるのは嫌いで、「じゃあお前やってみろ。」とつい言いたくなります。これは禁句なんだよね。言っちゃうと相手が返せなくなるから。でも言いたくなる。このへんの感覚がなし子先生と同じだな、と思った。

パフォーマーと学術者ってちがうからね、矛盾があったり勝手だったり、ダブスタがあるのも「仕様」だと思うんだよな。本人はそれに文句言われる筋合いはない。認められるか、られないかの違い。
だからと言って、弱者とかのことを考えてないわけじゃないと思うよ。でも、そういうのの代弁者のつもりはない、ってことだと思う。勝手に期待されてガッカリされてもしょうがないよ、ってことだね。*1

最近、僕らの間でよく話してるのですが、例えばネットで「歌手募集」的な告知をすると、大概は「病んだ」子が来るよねー。と。これはネットじゃなくても、そういう傾向ある。
まあ今までもブログなどで書いたけど、いろいろと酷い目には遭いますw ドタキャン当たり前だし、変な相談とかトラブルも持ち込まれる。人格的に問題あり、話すのが困難な相手とかもいる。
しかしまあ、そういうコミュ障てきな人たちと接するのも、ある意味仕事なんですよね。っていうのは、そもそも芸能とか歌手を目指すとか、そういうことを考える人は、どこか普通じゃないわけですよ。なので、そういう意味では、僕みたいな仕事は駆け込み寺みたいなことでもあるわけです。
でね、例えば今まで書いたような過程があって、僕自身が開かれて自分の思った自由な活動が出来るようになった。と。じゃあ、かつての自分みたいなひとたち、マイノリティみたいな人たちのことは全く考えないでいいのか、自分だけが勝ち抜け逃げ切りでいいのだろうか??って、正直思う。
でもね、こういう活動を続けてきて思ったのは、そんなことを無理クリ実行しないでも、例えば、歌手志望の病んだコなどを相手にして、何某かの行動を一緒にすることで、それはその子が一瞬救われてるわけだ、と(同時に自分も救われている)。そうすると、自分の活動や生んだ作品も意味があるではないか、と思うわけです。
また、そういうことの出来ないひとたち、そういう人たちにとっても、その生まれた作品などによって、救いになることがある。というのは、最近特に思うのですけど、アイドル曲などを観たり聴いたりして、毎日が楽しいだの、嬉しいだのみんな言ってるんですね。これって、作家冥利に尽きる、というほどではないけど、ああ少しは役に立ったかねえ、とは思うよ。そういうことで、表からは見えてないけど、潜在的に何らかの救われるカタチになってることがたくさんある、ということなんだな。ろくでなし子先生のまんこで救われてるっていうヒトもいるでしょうし、それでいいじゃん、貴女の役割はそれでいいでしょ、ということですね。弱者のことを考えてないというわけじゃないんだ、それぞれの役割があるだけなんだ、ということなのです。

で、なし子先生の話が展開していきます。

どく on Twitter: "@6d745 それは失礼しました。大森氏の件は大半が抗議の声だと思うのですが、なし子さんには「文句」に見えるのでしょうか。「なにも行動しない」と言い切る根拠はなんでしょう?不自由だおかしいと思ったことには皆それぞれ行動してますよ。抗議、署名、デモ、カンパ…全て‘‘行動’’です。"

これはまったくそのとおりで、バブル経験者はとかくマッチョで、「ちゃんとした」発言、作品、パフォーマンスでなければ意味がないと考え、それができない「今の」若い子は元気がないと、とかく言いますけど、もちろん、そうではない「草の根」活動も地道に重要で、それがある一定の値になった時に、キャズム超えということで、なし子さんみたいなことが必要になるのではないか、と。
例えば僕がずっと言ってる、策士、とか、ちゃんと真面目にやってるアーティストと、芸人との違い、みたいな事にも繋がっていくでしょ。まんこ「芸人」はそれはそれで素晴らしいけど、その前に地道に抗議などし続けた人たちのことを「おまえらは行動を起こさなかった」とかは言えないでしょ、というのはそのとおりと思います。
目立つ旗を揚げてれば、それは応援しやすいし、わかりやすいんだけども、自分だけがそれをしてる、ということではないね。

で、結局、大雑把にまとめてしまうと、大森なんとかさんの「田嶋陽子」Disにしろなんにしろ「業界なんか所詮、未だに旧価値観であり、男尊女卑であり、置屋なんだ」ってことで、終了なんだなと思った。表面上は、僕が常日頃から言ってたように、新しい価値観にあったように思えてましたけど、実際は、水面下では変わってなかったってことなんですね。

では、僕はなんで「時代は変わってきた。よくなってきた」と思っていたのでしょうか。それは、周りの旧価値観を排除して生きてきたからですね。排除、ということは、例え存在してても、まるで無いかのように見えなくしてしまう、ということです。不快だから、そんなものは存在してません、と「してしまう」んです。そのほうが楽だから、ですよ。「自分の周りには無い」=「ようやく日本もよくなったなあ、と思い込む」です。それが僕の「生き抜く方法」。ハックだったということです。
つまり、そう逃げたということよりは、そいうことでしか、生きのこれなかったんだよ、だって嫌なんだもん。僕が不快な価値観は、もう消えてしまった、なくなった、あたらしくなった。そう思いこむことで、僕もナントカ生き延びたの。それしか希望はないんだもん。ねえ。

例えば、わたし大森さんなんか知らんけども、彼女の田嶋氏Disというのは、オレが「桑田佳祐ははっきり言って迷惑だ」って言うのと同じようなコトなんですね(実際嫌い)。彼の功績や実績、彼のお陰で変わった事はたくさんある。それでも、いつまでもあんなヒトが君臨して説得力あったりするのは、もういいです。そろそろ「上がり」ってことでお願いします、って正直、僕は思ってる*2。反抗期であり中二病であり、そこを経ての次があるわけでしょ。それは大森さんが言ってることと似てる気がします。

結局、そういう意味では、今もすごい不自由を感じてるってことなんですね。音楽にしろなんにしろ何かの表現て「自由」ということがその本質だと思うのだけど、どうもそうじゃない気がする。これは前に書いたとおり、僕自身も自作の歌詞に書いたように、業界と言うものもちっとも自由ではなく、何か大きなものに組み込まれて周ってる、と直観したんですよ。いろんな不思議なことがありました。女子であること、特定の宗派であること、何らかのコネクションがあること、などで優先順位が決まってて、純粋な実力のみでは大変難しい、とかです*3
で、このうちひとつめの「女子であること」が大変問題で、これが今回騒がせてることに繋がってくると思うのですけど、まあザックリ言うと「おっさん=ほぼみんな女の子大好き」なので「女子は優先して前面に立てる」ということです。ただし条件があり、もちろん気に入られることが最大条件ですが、それ以外に、おっさんにとっての理想的で優れた「代替表現メディアじゃなくてはならない」というのがあります。つまり、影に居る男性の言うことをちゃんと聴く場合に「限り」、表現する場と自由が与えられる、ということです。もちろんそうじゃない場合もあるのですが、それは極めて少数じゃないかなあ。これ、アイドルだけじゃないです。大人になってもアラフォーになっても老人になっても、女子である限り、男子に気に入られて、初めて活動できるのです。
その歪が、フロントメディアである女子自身に全部降りかかります。偶像お人形さんである立場が大好きな、置屋みたいなヒトなら、何も感じない、むしろ楽しんでするでしょうけど、そうじゃない、少しでも自分自身の意志がある女子は、相当なストレスになるでしょ。それでも、そこで生きていくハックとして、一生懸命生き延びなきゃならない。それはまるで、機能不全で崩壊してる家庭で生き抜く子どもみたいなものでしょ。そういうストレスに苛まれて病んできた時に、奇行したり外に向かって過激な発言とかするでしょ、ってことですよ。僕は、大森さんが何かそんなこと言った、と知り、あー、と思ったのはそこなんだよね。彼女は「そういう特殊な業界で生き抜くために適応した」のです。まるでホステスのように、ああ言ったわけです。そういうときに、表面上のことだけ捉えて、ただバッシングして何が解決すんねん!ということでしょ。そもそも、ああいうプロジェクトにはプロデューサーという代表責任者がおり事務所もある。不全家庭に於ける親だよ、それが。だから、何か文句言うなら、そっちに言えってことですね。
大森さんだけでなく、例えばなし子先生とかも、そういう旧男系社会の中で、生き延びていくというハックで活動してるのね。フェミの中では敵認定かもしれな くとも、そんなギツギツの旧社会の中では、思うように活動する短絡手段は、そういうことしかないねん!ってコトなんだと思う。
ショービジネス、あるいは芸術活動って、ポップであることが必要最低限な条件だと思ってる。そういう条件下で、この日本で、短い人生、自分したいことするには、今のところ は、そうやって男系に媚びるしかないねん。賢い、とかアザトイとか、そういうことじゃなく、本能として、それを選び取ってるんだろう、それは。次世代のために、そこは妥協するなよ、と言うヒトもいるけど、でも、例えばろくでなし子先生なんかアラフォーじゃないですか。自分の人生、終わってまうわ!って思うのは当然でしょ?って思う。だからね、役割がある、って僕は思ったわけです。能年みたいに問題提起するヒト、なし子先生みたいなひと、大森さんみたいなひと、他にもいくらでもいるけど、そういうのの総力戦で、20年後に変わっていくんだろう。それでかまわんやろ。ゼロよりは、0.001でも進化すれば、それでええんや。と。

なし子先生、さきほどアラフォーくらいじゃないか、と言ったけども、そうすると、ああいう活動をするには、大変なエネルギーが要った時代を生きて来ている。そうすると、自分らと比較して、若い子はおとなしいとか言ってしまうだろうけど、それは単純比較として、実際にそうなんだからそう言ってしまうのも当然だし、そもそも団塊ジュニアなんか人口多いんだから、大声で主張しないと意見なんか誰も聴いてくれない、という世代でもあるからね。その癖があるんでしょうね、今も。
あとは、僕がずっと言ってるように、好きなことするのに邪魔スンナ、という気持ちだよね。邪魔することが悪い、ということではなくて、文句言ってきたヒトに「うるさい黙れ」って答えるのも自由やんってことでしょ。その辺を僕は、似た立場として「うるさい黙れ、そこまで言うなら自分がやれ」っていう気持ちはすごくわかる、と思ったということですね。

というわけで、まあ、まとめて言ってしまえば、能年も大森も同じこと言ってるんだと思ってます私。どっちも、その旧態然とした業界でどう生きていくか、いろいろと考えてるんだと思う。一般社会には当てはまらないこともあり、その辺が怒りを買った部分もあるけど。あんな発言をするくらい歪んでて澱んでて病んでる世界なんだって、世間の人々もよくわかってよかったじゃないの。

最後に、僕自身のことを言うと、結局不器用でシングルタスクなんだと思うんだよ。器用にこなせるように脳がなってないからさ。かつて過去を踏みつけにして去ってきたとき、そうしないという選択肢もあっただろうとは思う。しかしそれでは、完全に切ることは出来なかっただろう。いや、「切る」必要はあったの?って思うかもだけど、あります、私の場合。完全に切ることでしか、次に進めないからね。だから無理クリにでも切る必要があるの。
かつてのレコーディングから逃げた時、東京から逃げた時、自分が変わろうと思ってるとき。過去のしがらみは、重たい服のように、身体に纏わりついて邪魔だった。さっさと脱ぎ捨てたいんだっ!とずっと思ってたね。だから、そういう自分の強い欲望を邪魔する相手は全員「敵認定」という感じだった。そういう意味じゃ、僕も、例えば大森さんみたいに、当時もずいぶん誰かしらDisりまくってたんじゃないかしら。相当嫌な奴ですよ。不器用だからね。日々生きるのに精一杯だよ。余裕なんかないし、リソースもない。関係ないものに構ってる暇、というか余裕がない。だからもう、精一杯の反射として「黙れ」という以外に言葉がない。それしかできない。それでその相手と縁が切れてもしょうがない、と思ってるってことです。

ということで佳境ですけども、なし子先生の話に戻りますが、あれらの一連の出来事と反応などをヌルく見守りながら、ああーなんかこれ、デジャブ感あるなー、自分もよく経験したことだなー、みたいに思ったわけですね。なんか自分のことみたいに思えて。なるほどなーと腑に落ちていった。大森さんについても似たことを思った。

世間では逆の見方かもしれないが、僕なんかにしてみると、能年さんはすごく器用に見える。あんなスカーンと爽やかな意思表示なんかできないよ、と。そういう意味では彼女は本当に素質あるかもね。僕なんか凡人だもの、いっぱいいっぱいで日々戦って、やっとやっとナントカ表現に落とし込んでるに過ぎないよ。そういう過程で、なにか突っ込まれても「うっせーわ、じゃあおまえやってみろよ」としか反論できないのは、排除しているのではなく「いいから黙って見ておれ、ちゃんと納得させるもの作ってやるから」ってことなんだと思う。自分にはその最終段階が見えてるからね、それをカタチにすることが最大唯一の目標で、そのためには、途中で誰かを傷つけたりしても、心の中では「ごめんなー、そんなつもりないねん」と思いつつも、まあしょうがないよね、と切り捨ててる、ってことなんだな。その理由は前に書いたとおり、リソースが足りないからでもあるし、ちょっとした雑音で頓挫してしまった経験が山のようにあったから、また邪魔されて中断したくない、という恐怖もあるわけだ。なので、コミュニケーションにまで気を使ってる余裕がないんだ、ってことですね。

そういう自分の感じを、あれらの騒動でいろいろ思い出して、ああなるほどなあ、みんな大変やなあ、でもみんな文句言うけど、もうちょっと待ってやってもいいのではない?って思うから、何か矛盾感じても、今は殊更細部に突っ込んだりはしない。そのように思ったということですね。

PS
リソース不足、と言えば、そういえば90年代後半になって一気に創作業が忙しくなったときに、電車とか乗り過ごしたり、道間違えたりするようになったんだよ。それまで私、鉄オタだし電車ノリ違えるとかありえないし、何事も完璧にこなしてたつもりだったが、いったいこの体たらくはなんだ??って自分にびっくりしたんだよね。で、出た結論は、創作にリソースとメモリー食いすぎて、ほかの事に頭が回らなくなったのであろう、だった。
テレビなどでよく、女優の天然話とか、ミュージシャンの痛い話なんか聴くけど、コイツらバカなのか、あるいは盛ってるとかじゃないのか、って思ってたんだけど、自分が実際経験したら、ああありうるわ…。って思ったんだな。
世の中の人は大概完璧じゃないよ。そこをいちいち突っ込んで相手の行動を封じるってのは、あまり好ましいやり方だとは思わない。それこそ、若者を潰すおっさんみたいなもんじゃん。迷惑じゃない限りは好きに放置しておくというのが賢いやり方だなって思う。

PS2

【第38回】大森靖子と為末大、炎上させる必要があったのか?|すべてのニュースは賞味期限切れである|おぐらりゅうじ/速水健朗|cakes(ケイクス)

こんな記事を発見したわよ。

とりあえず違う考えの所も多いけど、以下の部分だけは僕が何度も書いてた内容と合致してる。

それを仕掛けているビジネスが活況ということであり

これね。
よく判らんが、いまや業界内も必死に変わろうとしているということではないのかなあ、と僕は前向きに解釈してる。何度も行ったように叩くことでは何も始まらず、とりあえずが勢いあるやつに好きに言わせてやらせておけ、そうすればやがてゲートが開くのだ、ということで正しいと僕は思ってる。そいう意味じゃ田嶋陽子氏だってやってたことは一緒だし。
こないだASKAの件で泉谷しげるがTVで言ってたんだけど、こういう仕事してるやつらは、最低限の「いいやつ」でいてくれ、そういう商売なんだから、と言ってて、それは同意する。聖人君子である必要はないが、目立つ人種としては、やっぱり言動は気をつけるべきとは思う。
ただし、そこに意図がある場合は、あえてする、ということもわかる。その「あえてやさぐれる」程度の問題として、その人各々のセンスや考えは当然反映されるだろう。炎上すると言うのは、そこを見誤ってるか、病んでてSOSシグナルなのか、そのどちらかだと僕は思ってる。

*1:ここで id:font-da さんからツッコミ→まぜっかえすわけじゃないけど、これもまた一つの主義主張ですよね。 「じゃあ... - id:maicou - font-da - はてなハイク が入り、僕は彼女に似てるからそう思うんだろうと返していますw

*2:お笑いビッグスリーが鬱陶しいと思われてることと似ています

*3:ちなみに私は、この3個の条件のうち、ひとつも該当していません。なのにスカウトされたということは、大変自慢していいコトだと今も思ってます。