恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」まとめ。まだまだ深く掘っていきマスク。

プレイリストのピチカート・ファイヴ

3年間に渡ってハイクで書き続けたピチカート・ファイヴ考察。これを書き始めたきっかけはピチカート・ファイヴのUSリリースアルバムを iPodのプレイリストにぶっ込んで全曲リピート再生し続ける、という作戦を開始したことである。実はピチカート・ファイヴのUS(海外版)アルバムは、日本版とは選曲が全く異なっており、また日本でのいくつかのシングル曲などが未リリースであるなど、キュレーション的にかなり興味深い。そこから「小西康陽の音楽とは一体何だったのか」を考察した超マラソン連載のマトメがこの記事である。

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さて。

高浪慶太郎 feat.PIZZICATO FIVE から4年。当時は小西氏との作風と分離するため、ピチカート曲から、あえて高浪さん曲のみ抽出して聴いていましたが、そのような作戦もそろそろ終わり、次は、彼脱退後の小西氏の真髄は何なのか急に知りたくなった。とはいえ小西氏のことである、そうは簡単に尻尾を掴ませてはもらえない。だから、ココはあえて横道から行くこととし、マタドールでのリリースものを全部集め、それをリリース順に聴き倒す、ということをしています。6月くらいからかな。出かけたらiPodではそれしか聴いてない。数枚のマキシと5枚のフルアルバム。全部で8時間〜10時間くらいかな。ちょうど、先日の「日本一長い各駅停車」で聴き続けたのがちょうどよかった。ともかくどこでも聴いてる。ずっと全曲をリピートしている。どれがシングルなのかどうかとか、まったくわからない。ともかくリピートリピート、ともかく何度でもリピート。もう何巡したかわからないくらい。
前は小西氏の楽曲は好きではなかった。どこも引っかかるところがなく、セオリーにも沿ってない。だから楽曲派としては、聴いてもちっとも勉強にならないし楽しくもない。
しかし今は感覚が変わった。そういうことに拘らなければどれもおもしろいのだ。

この心境と感覚の変化は思い当たるところがある。僕自身がアイドルへの楽曲提供を通じて自分の感覚がどんどん鋭くなってきたことだ。それともうひとつ、僕自身が「楽曲派」としてのコダワリをアイドル楽曲コンポーザーとして昇華してしまっており、したがって、他人の作品について、そこまで拘らなくなったのである。
これは以前も経験があります。他人の作品に感じる不満、「こうじゃねえんだよなあ…」みたいな感覚は、自分自身が作品で表現できてしまうと気にならなくなるのだ。つまり、自分がちゃんとすると、他人の行いについても「まあ、あいつはああいうやつだし」みたいに言えるようになるってこと。
だからね、他人への不満いっぱいの人も、どこかの誰かを攻めてブツブツ偏屈おっさんみたいに言うのでなくて、じゃあ自分ならどうするか、やって昇華してしまえばいいってことです。それが本質やろね。

 

 <そして1年半後>

 

ということで。この後1年半に渡り、聴き続けました。
わかったことのひとつは「US版」というキュレーションが素晴らしいこと。それから晩年に進むに連れ、小西氏の言いたいことが「ひとつに」絞られていくことです。
その話は例によって「高浪高彰氏」と話したのですが、一般的には「幅の広いバラエティ感が受けた」らしいのだが、僕はそれが気に入らなくて、さっさと「小西氏の本音」を知りたかった。US版〜晩年はそうなってるので、やっとそこで自分は本質を捕まえることが出来た、という感じだったと。
という話をしたら、高彰氏曰く、実は一般的には「晩年はマンネリしてつまらない」という評価だったらしい!
うそやろ!!何言ってんねん。そういう「アーティストとして一つのことのみ言っている」状態こそ究極やないか。判ってねえなあ、判ってねえ。と思った。
で、小西氏も「自分が理解されてない」って、少し病んでしまった感じだったらしいです。もったいないなあ。違うんだよなあ。僕は評価します。と思った。
 

その話を聴いて、改めてじっくりネット上の意見などを読んでみたが、やっぱり以前の記憶通り、2人時代以降のマンネリを叩く声が圧倒的で、そういえば僕も当時その意見を読んで引っ張られていたなあ、ということを思い出した。
もちろん当時もちゃんと聴いた上でそう思ったのだったが、ところが実は私、当時は高浪さんの方に興味があって、まず3人時代から聴き、2人時代の2枚くらいまで聴いて、「うんやっぱり二人になったらつまらないな」と感じ、で、その「2人初期がつまらなかった&ネット上でも総じて2人時代以降のつまらなさを酷評」という合わせ技で、ああやっぱりな、じゃあいいや、とそこで聴くのをやめたわけだな。

ところが今回、後期の方を改めてじっくり聴き続けた結果「いやいやいや、後期のほうが挽回して来ていいじゃん!」と気づいて、延々ループすることになったわけ。

4人3人時代〜2人時代の2枚くらいまでがいい、という意見は何もネット上だけではなく、リアルな周りでも多い意見だった。だから僕は騙されたわけだが、さて、であれば「何故みんなはそう言う?」のであろうか。また僕は「何故そう思わなかった?」のであろうか。コレが実におもしろいなと思ったのだ。

 
もうひとつ気づいたのは、当時は人気があった、などと現評価でみんな勘違いしてる様子があると。
しかし実際はそんなこともないし、いま周りの人に知ってるかと尋ねても、殆どが知らないと答える、ということがネット上の記事にいくつも見られる。

特に20代(含)から下は壊滅的じゃないだろうか。多分それは、今の評価の低さや酷評も同じ理由だと思うけど、解散後の本人の隠遁ぶりの影響が大きく、下の世代への引き継ぎが上手く行かなかったのからなのではないかと考えた*1


で、実際に同時代を生きてた私としての実感ですが、人気はあったし流行ってたと思います。ただそれは、音楽として「ではなくて」「全体的な空気」としてじゃないかと思う。当時の日本、というか首都圏3都府県くらいかな、その辺一体を外から包む空気として、ビンテージをオシャレとする新しい価値観がぼんやりとあった、という感じだったのではないかな。雑誌やテレビやファッションなんかのトータルで、そういう流れがあったから、ピチカートの音楽そのものは知らないし聴いてないけど、間接的にその影響下にあるものを、みんなが感じていた、時代は変わるなあと思った、という感じじゃないかなと思う。

 

だから彼らに刺激を受けて似たことを始めた人たち(フォロワーとは言わないと思う)のほうが、センスと才能があってしまってw みんなどんどん方法論を進化させて超えていってしまったんだよね。だから今でも、渋谷系ぽいもの、ピチカートぽいものは受けるし人気あるけども、じゃあ当のピチカート本体はどうかって聴いてみたら「意外につまらなかった」というのが凡そみんなが感じることなのではないかと。
その辺の僕の意見は昔と変わらないと思った。つまり彼らの音楽を聞いて「たしかに面白いが、自分ならもっといいもの、カッコいいものが作れる」と思った人々がいて、その人らがどんどんピチカートを乗り越えていってしまったわけだね。だから当時、流行っていたのは、ピチカートそのもの「というよりは」。他アーティストによる「それに似てるけどもっと発展させたよいもの」が流行っていた、ということだと思う。

 

ところが面白いのは、今度は時代が10年ほど巡って、当時の音楽が「最先端」とかオシャレではなくて、「懐かしい音楽」として捉えられるようになると、そういうリアルタイムでは気になった雑な部分も「コレが当時の味だから」と許容されるようになってくる。だから今はまたピチカードみたいなものが懐かしくてよい、みたいな感じになってる。
じゃあ逆に、当時ピチカート路線で彼らを乗り越え先端だった人々は現状どうなってるか?というと、みんな続けてもいないしブレイクしたわけでもなく、その他大勢みたいになってしまったのね。
で、まとまったアーカイブとして品数が揃ってるピチカートみたいなものが「一つのジャンル」として形成されてるので、トータルで「こういうもの」として捉えやすいってことになったのね。
いま後追いで若者が聴く時に、同時代の他のアーティストと並べて、こっちが先だった、あとだった、とか横に並べて比べないでしょ。ただ単に未来である現在から、当時の音を「アーティスト単位で一本釣り」して聴くだけだから、「こういうものだろう」と思うだけだから、同時期他者と比較して、ちょっと古いとかダサいのではないか、みたいに気にならないのよね。時代が一周りする、というのは、こういうことなんだろうね。面白い。

 

というわけで、けっこう俯瞰としていろいろ把握できたので、ちょっと気分転換もあり、あらためて日本(本人選曲)ベストを聴いてみた。…やっぱりつまらなかったw
やっぱりこれ、どんだけUS版の選曲が素晴らしかったか。ってことに尽きるのでは。そこに本人も気づいてて後期は自らそういう形に整えていったんだろう。と思うほかない。私的には、これはもう絶対に言いきれるけど、今回US盤を聴いてなきゃこんな好きになってないです。取捨選択って大事なんだなあ。
ちなみに日本版ベストというのは現役時代に出した3枚のことです。パッケージもオシャレで売れたと思うし内容的にも当時のベストだと思うけど、あれがベストなんだとしたら、僕にとってはまったく「ベストじゃなかった」んだなあっていう。そら、当時は興味ないはずだわ、と思いました。

 

そもそも忘れがちな視点として、ピチカート・ファイヴと「それ以外」の渋谷系とされる人々って「世代的に一廻り違う」んですよね。だから他に比べてピチカート・ファイヴの場合は、気を抜くとすぐおっさんセンスになってしまうというところなんですよ。だから必死だったんだと思う。そういう点がいま聴くと面白くもあり、また微笑ましくて聴いてて気が楽だっていうのはあるな。その気楽さを今回発見したんだろうな。

 

そう、だから例えばピチカートでおっさんラップとか入ってるけども、既に同時代にはJPOPにも DAYONE とか Geisha Girls があったので新しくもないうえポップでもないという半端な位置付けになってしまってたと思う。なので、あくまでピチカートしか聴かないような「なんでもデパートだけで済ます」ような層向けの内容なのよね。アーリーアダプターは専門店に行くし、一般ポップ層はデパートなんか行かない、みたいなところ。で、それに抗うには結局は楽曲勝負するしかない、ってことに後年の小西氏が気づいたということでしょ。虚仮威しではもう無理なんだと。
そう考えていくとピチカート好きの人々が総じて「初期だ」「中期までだ」とか言ってたのもよく分かる。(世代から言っても)80年代のほうが圧倒的に新しくて冴えていたわけですね。だれでも20代とかはそうです。そらソッチのほうが面白いでしょ。聴く方の世代も同世代なんだし。刺激的でワクワクして聞いてたと思うなあ。それはわかる。でもそれはあくまでギミック優先の新しいアプローチだっただけの話で、90年代以降になって、そこで他者に負け始めて存在の意味を見失ってからは、音楽としての本質を極めていくしかなかったということやね。

 

さて。そもそもUS版がなく、どうせネタもんやしマキさん歌ってないし。と思ってヘビロから除外してた最終アルバム「さえら」を久々に聴いてみたが(前も1回聴いただけ)、えええこれってオリンピック閉会式やん!!ってすごいびっくり。林檎チームがやりたかったのは、これのブラッシュアップだったのだ!
もともと椎名林檎ってピチカート・ファイヴを意識してたところが以前からずっとあって、それも露骨ではなく、さり気なく紛らせる形で踏襲してるような巧妙なところがあって、これは彼女の「リスペクト」なのか「揶揄」なのか、測りかねているところがあったけど*2、今回の件でわかったのは、どちらかというとリスペクト寄りの捉え方をしてたんだなと。
前も書いたが、かつて渋谷系という雑なククリでフォロワーや、フォロワーですらないような周辺ムーヴメントが消費されてたけど、実は一番、敬意を表する形で継承したのは林檎だったのだと確信を持ったよ。
実はその話は、先日の長崎で高彰氏としたのであった。彼はしきりに「サエラの形が閉会式じゃないですか。あれこそクールジャパンじゃないですか」と言っていたのだが、そのことが今回すごくわかったのだった。すごいすごい。

 
<そして。US版全曲プレイリストをリピし続けて新たに気づく>

流れは96年を境に変わるのね。ひとつにはマキさんの産休というのがあったのだけど、小西氏のプライベートもちょっとあったらしく、それが95年〜96年あたりの暗めな展開になっている。あと意外に誰も指摘しないんだが、95年は阪神淡路です。リリースからプロモーションから日本中のアーティストが計画変更を余儀なくされたし、なにより衝撃だったから、それが作品やその公開方法などに影響がないわけがなく、それが95年の音楽性になってると思う。
それ以降グッと流れが変わって、それまで海外版は独自コンピだったのが、日米でほぼ同一内容がリリースされるようになり、だんだん言いたいことが一つに絞られてくる、という後半への展開になってくるのね。

 
<日本版プレイリストの作成>

2chのまとめスレッドやネット上のレビューなどで、あまりにみんなが初期初期うるさいからさーw
US版にセレクトされなかった小西曲を中心に「日本版プレイリスト」を作ることにしたのですが、そのセレクトを「最新型の」から開始することにして、数日前に組んで今ずっと聴いてる。うん確かにアイディアも曲もまだ芳醇。後期とは違う意味で。
僕が日本版の方を嫌だった理由の一つは「どうでもいい穴埋め曲が多かった」ということがあって。ちょっとダサかったり、ネタものだけど古かったり滑ってたり、みたいのが、いい曲の合間に何度も出てきて、これスゴい邪魔!っていうことだったのな。
今回、自分セレクトだからそういうの排除してスッキリさせて。そうしたところ、US版から除外された曲ではあるけど、それでもそれなりに選抜セレクトみたいになり、US盤風味になったのがおもしろかった。
たぶん初期ファンの人は、こういう「邪魔な埋め合わせネタモノ」が、本来なら高浪さんとかがいい曲で埋めてたんでしょ、みたいなことを言いたいのではないかと思うのよね。
たとえばグループやってた人が解散してソロになって。まあ桜井和寿ミスチル)みたいにワンマンなグループは別なんだが、バンドメンバーが分担して曲を書いてた場合、ソロになると、アルバム1枚分「全部自分担当」になるわけでしょ。今までの倍の曲を書かなければいけないとかになるわけで*3。バンド内作家が減ったりソロ活動というのはそういう弊害があって、とてもじゃないがアルバム全曲は聴き通せない、みたいなところに陥るのね。
で、高浪さん脱退後の小西氏も単純にそういうことではないのか、と思ったな。だから邪魔なものを外して曲を半分くらいに絞ったら、それはクォリティはあがるでしょ、ということでもあった。


ところが。
彼がスゴいのは、最初はそうだったのに、後期になって「それを挽回したこと」なんである。特に98年以降の怒涛の勢いは凄まじく、そこは単純に素晴らしいと思った。

これについては、また後半で改めて触れる。

 

<その後>

リミックスやら増やして日本リリースプレイリストを充実させ聴きまくっていました。

そうして今やっと、再びUSに戻ったのですが…。本当にホッとしています。いやー改めて本当に素晴らしい選曲だと。

US版の選曲の素晴らしいところは、もちろん選ぶ曲もそうなんだけど、並べ方なんやね。特にいま改めて聴き返した思ったのは、アルバムの1曲めと、その後の畳み掛ける選曲。この素晴らしさだと思った。日本もの、つまりオリジナル仕様は、どれも「アルバムのオープニング」が弱い。なんか、その後まで聴き進んでいこう、というような魅惑にとっても欠けていて、なんかダラダラ続くから、途中で「もういいわー」ってなるんやけど、USセレクトはまったくそんなことがなく、出だしからどんどんリスナーを引っ張り続け飽きさせない。なんで小西氏はオリジナルでこういう作り方ができなかったんやろ。と思ったな。
その後は、ラスト2枚(さえら除外)について、国内版とほぼ同一なんだけど、それぞれ2曲くらい外してある。その外された曲というのが、とってもつまらないw 曲なので、外されて大正解で、そういうとこの甘さっていうんかなあ。手癖で作るものは、やっぱりバレてしまうのなあ…と思ったな。ひとつひとつ、過去をなぞるんじゃなく、しっかり作らないと。そこは如実に成果として現れるんやなあと、大変勉強になりました。

 

<ノミヤ時代の総括もだいたいおわりソニー時代へ>

オマエラがこぞってよかったよかった言ってる初期ピチとやらの小西を再検証してやろうじゃないの、と思いまして、初期4枚から小西曲だけ抜き出して聴いています。
USの充実ぷりから、小西氏は最後にやっとプロ的に完成したのだ、と思ってましたが、初期物から小西曲だけ抜き出して聴いてみると、あら不思議。こっちもそれなりにいいではないか、と気づいたところはあったな。ただ、これらの曲全部ノミヤさんでリメイクしてほしい、とは思った(幾つかはされてる)。

初期の難しい点というのは、ともかく歌が貧弱で、曲ごとの区別も付けにくく、メロディもわかりづらく、アルバム全曲聴くのが苦行になってしまうことだった。2枚めからは田島さんではあるけど、当時の彼もさほど魅力的なわけではない(よさが発揮できてない)。だからどのアルバムも、まーーったりどんより過ぎてしまって、ちっとも内容が判らなかったのだった。
それが、小西曲だけ抜き出す=聞く曲を絞る、という行為によって、集中することが可能になり、1曲ごとがちゃんと掴めるようになったのだね。そうすると、ああこれは悪くない曲だ、ノミヤさんに歌ってもらえば。などという感想が新たに出てきたわけです。
初期は歌のせいだけではなくて、作家が4人もいることも「どうも取り留めがなく掴みどころがない」という印象に拍車をかけてると思う。高浪さんも田島鴨宮も悪くはないのだが、どうしても印象がバラけてしまい、とらえどころがない。
そういう意味では、コンセプトを決めてるのが小西氏だろうから、その失敗とも言えるんだろうけど、まあでもやっぱり極論すれば最終的には「歌さえマトモなら」悪くはなかったんじゃないだろうか、という結論な気もしたな。
佐々木麻美子さんや田島ファンが居るのはよく分かるし、僕もそれぞれは嫌いじゃないけど「このコンセプトの中では二人とも活かすのは難しかった」んじゃないかと思う。
まあ、そんなことを言えるのも、後のノミヤブレイクがあり、それを既に僕らは知ってしまってるからで、そんな未来を知らなかった当時としては、これでも十分、画期的ではあったのだろうと思った。


それからもうひとつ重大な点を。小西氏は一貫してまったく変わっていないですね。

 

補足だけど、歌について言ってるけど「マトモならいい」とは言っても、歌い上げるヴォーカリストがいい、と言ってるわけじゃない。特にこの音楽には汗は要らないわけで、そうじゃないヴォーカル、しかしちゃんとメロディアスに歌える、というと当時は見つけるのは容易じゃなかったと思う。
最近、佐々木麻美子とマキノミヤが同じ曲を歌ったのを比べて聴いて気づいたのだけど、「歌が上手くなく聴こえる」歌い方って「調性を感じない」ということなのだと。つまり声量や表現力ということではないと。もし声量や表現力で決まるなら、そうではないウィスパー系はみんな下手ということになってしまう。そうでなくて、いちばん大事なのは「歌い方に調性があるかどうか」なのだと。この気付きは新鮮だったな。

 

ところで、US版から漏れた選曲で、2曲だけ「これはUSにセレクトしてもいい完成度では」と思ったものがあったのだけど、そのどちらもサンプリングでビートルズ音源を使ってて、たぶんコンプライアンス、というか単純に使用料的にムリだったのだろうと想像した。

小西氏のスゴイところは、例えばこういう場合に「使えなかったかー。残念」というところで終わらずに「じゃあ同じネタで新しいのを作り直す」と考えたところで、実際にその使用できなかった楽曲と似たモチーフで、別な曲を作り直してるんだよね。
これに限らず、全時代を網羅して聴いていくと「同じモチーフが何度も何度も使用され」て出てくる。
普通はこれで「ネタ切れ乙」となるところ、それを「統一感」という持ち芸に昇華させたところが小西氏のスゴイところだと思ったね。ココが初期ファンは納得出来ないのかもしれないが、僕的には、これこそ彼の持ち芸だと思った。
これ他にも例えば、既発曲に不満があったとき(アレンジを詰めきらなかったとかヴォーカルが不満だったとか)でも、彼の場合はリベンジとして、それをリメイクするのではなく、同じネタで新しいのを作り直す、ということなのだと。つまり過去の作品を、「報われなかった時点で習作扱い」してしまい、次々葬っていく、というような。

だから極論すると、小西氏の作品は全部「形を変えたリメイクである」とも言える気がした。

前に言ったが、プレイリストでずっと聴き続けると、全曲で1曲、みたいに聴こえるというのは、つまりこのように何度も同じようなモチーフが出てくるからで、これはクラシックの様式として「ソナタ形式の再現部」ってのがあるんだけど、そういうことなんだよな、と。それを数年単位で行うのがすごいよなと。つまり「コンセプトアルバム」というよりは「コンセプト全活動」というようなものなのだと思ったな。
そうして「もうネタ切れか?」みたいに思われる寸前のギリギリまで引っ張って、もうないわというところでスパッと解散した、と。なかなか潔い。なるほどなあと思ったね。

 

渋谷系の始祖研究で、実は80年代から既にそれ系の萌芽みたいなものはあった、と言われてるけど、実際にその通りなのですね。マイナーな音楽雑誌や、東京ローカルな情報発信メディアでは、定期的にそういうアーティストが出て来ては、いつの間にか消えていた、ということが繰り返されていた。そういう中で生き残ったのが、サロン・ミュージックとかカヒミだったわけですが、実際にはその何十倍も当時ああいう方々が居たわけです。
当時の僕は、今ほどそういう「雰囲気もの」を嫌ってたわけじゃないのよね。おフレンチやソフトロック的なものは興味があったし、雑誌でそういうものが紹介されてると積極的に聴いたりもした。しかしどれもこれも、ともかく「ウィスパー系」を勘違いした「ど下手な」歌ばかりなうえ、曲自体も「雰囲気もの」というか「雰囲気のみ系」で、音はそういう感じに出来てるけど、曲がまったく形になってないとか(作曲セオリー的に)ヒドいレベルで、中身が伴ってない、パッケージだけで騙す商法か!と思ってかなりの落胆があったのね。
そういうわけで僕は何度もそういうのに騙されて、ああ日本じゃこういうジャンルはダメなんや…とスッカリ諦めたところだったのだな。
で、麻美子ピチカートも、そういう点ではまったく同じで、もしあれを当時聞いてたら、そういうもののうちの一つとしか聴こえないと思う。アレンジはごっつカッコいいし演奏もいいけど、歌も曲もダメダメで話にならない、と思ったのではないかな。
「日本人は歌がよくないとダメな民族なので云々」という話はよく「批判的な意味で」うるさ型批評家が主になって今でも言われるけど、アホかと思う。世界中どこでも「歌はちゃんとしてる」わ!外国人のヘタウマと日本人のそれは、まったく音感のレベルが違ってて、それはこないだ書いた「調性がない」ということにも繋がるけど、一緒にされちゃ困るんです。
そういう日本人の音感的な劣勢部分が、90年代になってやっと変化してきて、世界と比較してもちゃんとした音感になったのは、2000年代になってからのことなので、本当に今の音楽は安心して聴ける。
そういう日本的音感の進化を率先してノミヤマキで実践してたのが後期のピチカートだったと言えるのではないか。
小西氏も別に、好んで「下手歌 雰囲気もの」を作ってたわけではなく、野宮真貴さんのような歌手をずっと探してたが「初期には出会えなかっただけ」なのだ、と。そこは彼に対する誤解も僕の中で解けて、よかったのではないかと思った。

 

今日たまたまJPセレクトのラスト曲グッバイBABYアンドエイメンを聴いたあと、USセレクト頭から聴いたのですが、そうしたら、そこの1曲め、というかジングル「ピチカートマニアの皆さんこんばんわ。」というやつのBGが、エイメンのエンディングのオケのパターンとまったく一緒であることに気付き「!!!!!!!!」となった*4

…そうでしたか。USデビューの1曲めのリズムトラックとラストリリースの最後の曲のエンディング部分のパターンが一緒だった。と。始まりと終わりが同じものであるという、小西氏のケジメであると。
ふえー。ちょっとビックリした。すごい。

 

というわけで。

いろいろ振り返ってみると、千葉時代から長崎渡航後くらいまでの自分には、確実に当時の渋谷系サブカル文化に対しての憧れはあった。今の自分もたぶんにそれを意識した活動をしているけど、でも当時と同じ気持ちでやってるかと言われれば、それはちょっと違う気がした。
今の自分は、憧れてみているのではなくて、もう既に「中に入ってしまっている」のである。中に入ってしまったので、とてもスッキリして、やっと当時を俯瞰で客観的に見れている、ということなんじゃないかと思った。
おそらく今ちょうど「通り過ぎている」ところなので、たぶん出口はもう間近に迫っているのであり、そういう何か「いよいよだぞ」的なワクワク感が自分の中で産まれてて、なんだか楽しみだなと思う。

 

まあそういうわけで、ピチカートの全USAを網羅し、残り物のJPを補完し、あらゆるリリース物を集めて、おおよそ3年間くらい聴き続けたわけだけど、こうなるともうマニアの人の聴き方を完全に凌駕してしまって、マニア相手でさえ話が通じなくなってきます。
かつてのマニアだった人に、軽い気持ちで話しかけても、もうついていけない、みたいな対応をされることも多々。
ちなみに最近、ピチカートのどの辺がいいのか、などとマニアさんに尋ねることがあるんですけども、これがまたマニアの方でもちっとも具体的でなく、例えばストーンズ好きの人にどこがいいのか尋ねると大概「どこがいいとかじゃねえ。ストーンズいいぇーぃ!」などと返ってくるんですけども、ピチカートの場合も、それにほぼ近いんですよ。「おしゃれかわいい批評性いいぇーぃ!」なだけなんです。そうすると、もうそれ以上、突っ込んだ話とか出来なくなるわけよね。
こういうことは本当に何度もデジャブでして、知らないあいだに相手を超えていってしまって、勝手にこっちだけ新しい地平に達してしまうのですね。まあいうても私はクリエイター側の人なんでそうなってしまうのはしょうがないんだけども、一抹の寂しさはある。

ラストのラストの「さえら」リリース後に小西氏は「結局、届けるべき相手には届かなかったままだった」と言ったらしいのですが、その「伝いたい相手にちっとも伝わらなかった問題」というのは、こういう音楽では実にあるあるでして、その無力感との戦いと言ってもいい。解散の理由がそれなのだとしたら、それはちょっと切ないんやけど、まあでもあそこまでやったら、もうあとはないだろうし、そういう「もうこれで最後」みたいな場面で、結局伝えたい相手には伝わらなかった、と彼が思ってしまったのは、本当に悲しい出来事として、今後も永遠に残っていくだろうと思われた。

そういうことを今回の自分も追体験できて、そこはすごくよかったんんじゃないかと思ったな。

 

ピチカート全曲を3年間くらい聴き続けて感覚が変わったこともたくさんあった。

例えばフォロワー「ではなくて」、流行ってたから形式だけなぞったものとか、これくらいなら自分のほうがいいのが出来る、という意識の見える「同時代の類似作品」がほとんど聞けなくなってしまったこと。
いや確かに小西氏は楽曲力が弱かったので、同じ方法論でいい曲が書ける人のほうが圧倒的に「作品としてよくはなる」のだ。それに当時の僕は楽曲主義だったので、そういった作品の方を高評価していた。
ところが今あらためて聞き返してみると、それらのどれも「そうじゃない。そういうことじゃない」感があるのだ。いい曲ならそれでいいかというと、そうじゃないからねえ。
その辺が、さっき書いた小西氏の「届けたい相手に届いてない」という感覚につながってるんじゃないかって気がするんだよな。まあ彼にとって例えば僕なんかが「届けたい相手」だったのかどうかは知らないけども、少なくとも僕の中では「ずっと気になってたがケッと思って見ないふりをしていたもの」に、今度こそ真正面から向き合ってみようという気にさせられた、ということは大きかったのではないかなと思う。そして私の今回の新曲*5は、それへの回答でもあるのさ。

 
<マトメに入る>

ほぼ全曲揃えたとは言いましたが、カップリングとかで2〜3曲抜けてるぶんはあって、軽く視聴する限りそれらはどうでもいいカットアップだったりしたのでスルーしてたんだけど、たまたまYoutubeで発見した FaceB という曲がすごくよくて、えーなにこれ、と思ったら、スルーしてたカップリングのひとつだった。
さっそく中古ゲットしまして、壮大プレイリスト(日本版)の定位置に挿入。
そうしましたところ、なんとこの曲は位置的、というか時期的に高浪さんが脱退した直後に当たり、そのように意味深に考えると、歌詞の内容も曲調も何か送り出し調というか、僕は即座に「So Long フランク・ロイド・ライト」という曲を思い出し、あの曲のラストの「So Long」と何度も言いながら去っていく光景を思い浮かべたのである。この曲がポール・サイモンからのガーファンクルへの別れの挨拶だとすれば、小西氏のこっちも、高浪さんへのお別れではないのかなと。そういうインスパイアの乗せ方をしたのではないか、そんなことを思ったのだった。
そうして1曲加わったことで、壮大プレイリスト前半に新たなピークができ、またいっそう気持ちも入ってくるってものです。

 
そうしてずっと時系列プレリ聴いてると、小西氏って実は、どんどん周りから人が去られていく人生だったんだよなって気づいたのよね。そらどんどん世界観も暗くなるわな。このカップリング曲のときは高浪さんだけど、その前は田島貴男氏だし。

あとこれは個人的な印象だけど、ノミヤさん結婚後の小西氏からそこはかとない冷酷さが伝わってくるような気がするのよね。ちょうどその時期ハッピーエンドオブから一気に世界観が変わって垢抜けるんだけど(そこからノミヤ後期と考えられる)、そのぶん「プロ的な突き放し感」が加わるわけです。

完成度があがってくるのは、その時期以降から加わったアレンジャーとか打ち込みやサンプリングの精度の向上とか、いろんな要素があると思うけど、小西氏がそれをするキッカケは、そういうことがあったのではないかと。
つまり初期のように「勢いや熱さといった初期衝動で以って運営していく」のは難しくなり、逆にプロ仕事に徹する必要性が生じて、音的に音核的にプロい仕事になったというのは、創作全般に於ける真理なのかもしれないなとかね。

そうすると、僕自身の創作ポリシー「自分の手癖をブラッシュアップした型として完成させる」というのとも繋がってくるわけだ。


この記事の頭の方で言ったけど、小西氏の作品には何度も使用される決まったパターンというのがあって、それが例えば活動全体を交響曲ソナタ形式)に見立てると「再現部」みたいな意味合いになっているのだと。
それが初期ファンにとっては「ネタ切れ。何回も同じパターンで飽きた」という批判になってるんだけど、僕は逆に「それこそがピチカートの面白いところ」なのだ、と思ったということだね。ピチカートはノミヤさんの結婚によって「生産工場」化したということができる。


実際に今現在、いわゆる「ピチカートの音」とされるものは、ほぼ全部この時期以降のアレンジなのである。1997〜98年に所謂「小西サウンド」が完成した。そういうことなのだと。

*1:ところがサブカル界隈、地下アイドル界隈では現在も絶大な人気を誇ります。アイドルヲタという層がどのような嗜好なのかよくわかります。

*2:新宿系自作自演屋などと自称するし

*3:たとえば小田和正オフコースの関係のような

*4:バーナード・パーディ風のドラムループ

*5:ミルクのマイデステ

久我美子さんと接吻について II

さて。今度は1957年。北海道釧路を舞台にした映画「挽歌」ではどうでしょうか。今回のお相手は森雅之さん。これまた色男なのですが…。個人的にはこちらには然程エロさを感じないのです。元々がダブル不倫をテーマにした内容で、久我美子さんも「試し行動の多い」屈折した女子という役柄なので、会話や態度が突っ掛かり気味で、あんまりロマンティックではない感じがします。

 

とりあえず最初から行ってみます!

 

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久我さんが憎まれ口を叩いたため森さんが怒る。そして…。

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口封じでいきなりの接吻。ちょっと強引。

これがキッカケで交際(と言っても不倫なんだけど)が始まり。温泉へ行く。

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乞えたり甘えたり。

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ココはちょっと甘美な接吻。ふたりとも素敵です。

出張先の札幌まで訪ねていきます。

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よしよし。甘えられるのはオジサマ相手ならでは。

そして場末のラブホテル。

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こんな場所じゃ嫌!と言うのをまたも無理くり。

 

こんな感じですのね。ココでの久我美子さん、確かにきかん坊な役なんですけど、それにしてもオジサマである森雅之さんがどうも強引で、オトナの余裕があるというより、ナメてる感じがあるんですよね。そういう点で、前回の「また逢う日まで」よりは、当時の男性の願望が現れてるキャラなのかもしれませんが、しかし実は、この原作の小説「挽歌」の作者は原田康子さんという女性なのです。彼女がこれを書いたときは28歳くらい。どうなんだろう。いろいろと深読みできそうではあります。ちなみに小説の方もスゴくおもしろいです。映画よりもっと濃密に人間関係や真理が描かれており、消化不良感はありませんのでオススメ!

 

最後にこんなシーンを。

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実は久我さん、スモーカー。鼻から煙ぷかーっと出します。すごいw

 

今現在 映像ソフトは廃盤。

小説売ってます!

 

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久我美子さんと接吻について。

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このジャケ、見覚えある方もおいででしょうか。窓ガラス越しのキスで有名な映画「また逢う日まで」。このお二人は岡田英次さんと久我美子さんです。1950年の映画。戦後まだ5年です。ですので映画で過激なシーンなど禁物。だからソフトに「ガラス越し」となったわけですね。きゃーロマンティックだわ!

 

…などと思ったあなた!いえ。私もなんですが、なんとこの映画!本編後半に入りますと、ガラス越しどころか!本物の!口と口の!熱烈な接吻シーンがこれでもかと出て来て、腰が抜けるほどビックラしました!そしてこれがまた「エロい!」んです。久我美子さんエロい!なんだこれは。

ちなみに私の持論。「セックスでいちばんエロいのは接吻」と常日頃から言っておりますが、まさにこれこそが「それ!」です。

 

じゃあ。惜しみなく行きます!みんなも行っちゃってくださいね!

 

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戦時中。ほんの束の間の逢い引き。

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帰り道、空襲に襲われ逃げ惑いながら抱き合う二人。

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私帰らないと…。その前に!

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おっと人が見ているわ。

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じゃあまた…。

翌日。彼女の家にて。

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ボクはあさって出征するんだ!

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そして押し倒し…。

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行かないで…。行か…ない…で。

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岡田英次さんも顔を愛撫しまくりでエロい。

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あした…最後に…逢いたい…

そして翌日(おまけ)。

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なんと!お着替えシーンまで!

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最後だから。お花を刺して駅に向かいます。

 

ここまで。

戦争が生んだ悲劇を綺麗に切なく描いた名作です。このあとどうなるのか。最後わたし泣きました。ぜひ本編も見てほしいです。

それにしても久我美子さん本当に素敵。そして、こんなエロい接吻される方だったというのが、ものすごく意外でした。1950年。昭和25年ですね。当時の日本はまだGHQ占領下です。そのGHQの方針「開かれた日本」にするため、映画にも「こういうシーンを」というような空気があったのでしょうか。おかげで、ふんだんに接吻が盛り込まれ素晴らしい作品になったのですね。感謝しないとだわね!

 

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「萌え」でオタクが「イタリア人」化される件 〜 10年目の完結編

まずは私が書いた昔のブログの名エントリを。 

d.hatena.ne.jp


なんと現在、ここから10年!経ってるわけですよ。自分もはてな歴長いんですね…。

 

で。

今回たまたまなんですが、以下のようなツイートをしてる方を発見したのです。

 

これを読んで、自分が10年前に危惧してた将来のオタク*1の姿。実際の今どうなってるかというと、見事に私が予想したとおりというか、むしろ実際はもっとひどくなってる気すらする、と思ったわけですね。

僕は子供時代から、自分自身がずっとイケてない系男子であり、ウェーイ系でもなくスポーツも出来ず、所謂オタク*2だったことから、自分と同類であると思われる虹系オタクの皆さんにも少なからず親近感とシンパシーを持ってきました。また、そういうふうに育つのは家庭環境も大いに影響あるだろうと思い、酷いDV家庭だった自分のことを彼らに重ね合わせて、同士みたいな感覚すらありました。

ところが実は違ったのですよね…。

 


僕が子供の頃や若い頃は、今以上に「オトコは男らしく」みたいな、日本全国が九州であるかのような価値観が主流でした。そういうものに価値観を見いだせなかった僕は、そういう世界に混ざることが出来ず、彼らに合わせることも出来ず、辛い子供時代を送った。そうしてやがて、自分が生きる世界の価値観は自分が決めるしかない、と開き直ったわけやね。

「男らしいもの」という価値観の反対にあるものは「女らしいもの」やわ。子供の頃から女子に惹かれてた私は、彼女たちと話していくうち、男系社会に於けるマイノリティ「女子」として、どう生きていくか、日々四苦八苦したり試行錯誤したり、そのように戦いながら過ごしているのだという事がわかったわけです。

僕は女子ではないし、性的にも完全にストレートな人なんですけども、そういう「女子の人たちが、この先生きのこっていくためのノウハウ」は、男らしくなくホモソーシャルに馴染めなかった「主流ではない男子」である僕にも応用できるのではないかと考えた。それに気づいたのは17歳くらい前後だった気がするのよね。部活の後輩女子からたくさん相談とか受けてね。そんな事があるんや…大変なんや…みたいなところから始まって、ちょっと待てと。これって自分にも当てはまるのではないか、と。そういう気付きがヒントだった気がします。

日本はずっとホモソーシャル的な価値観で牛耳られてた社会ですから、ともかくサラリーマン系おっさん、具体的には新橋で飲んでるような人々っていうんですかね、そういう人種が一番楽しいように、得するように出来てたんですよ。雑誌も新聞もそう。だから電車内の広告や、スポーツ新聞とかも平気で胸が出ていたりとかが普通になってた。

本来であれば、そういう主流から外れた僕らは、そうではない新しい価値観を提示して、別な社会のあり方を提案すべきだったのよ。少なくとも僕はそう考えた。それには「女子的な考え」が非常にヒントになるだろうと。サバイバーである彼女たちの生き方に、たくさん学ぶことはあると思ってたのね。

ところが、実際に反主流系男子がやりたかったことは、もともとはオッサンが支配していた、それらの既得権益を自分らが奪還することだったのよ。エロもウェーイもお前らだけの特権じゃないんだぜと。逆襲だったのよね。そこで2次元エロの反撃が始まり、数の力でどんどん旧おっさんホモソ的なものを脇に追いやっていったの。

これは一見新しそうに見えるけども、まったく新しくない。つまりオッサン向けのエロ広告とかが、単に虹の「駅乃みちか」とか「碧志摩メグ」みたいなものに置き換えられたにすぎないの。しかも彼らが、旧弊オッサンよりタチが悪いのは、それらの表現について「エロくない!健全な表現!」と言い張ってること。そんな主張は極めて悪手で逆効果にしかならないのに、自分の性欲に気付いていないとでもいうのか?*3

結局。かつてのおっさんホモソーシャル系のエロ表現であったセクシー女優系が、彼らによって虹に置き換えられ「自分自身の性欲にすら自覚を持てない虹系男子ヲタの人々」に既得権益を奪取されてしまった、ということに過ぎなかったのだと。

これには心の底からガッカリして、結局お前らの欲しかったものは、自分らが楽しく生きられる世界かと。自分らだってホンの20年くらい前までマイノリティで迫害されてて生きづらくて苦労してたはずなのに、手に入れたかったものは誰もが生きやすい新しい価値観の世界ではなく、旧オッサンらが支配してたホモソーシャルを自分らの世界観で占領することだったのだと。そう思ったのだな。

私が考えてた、同じマイノリティどおし、別な価値観で新しくやり直しましょうよ、みたいな「お花畑みたいな希望」は完全に幻になったわね。

ただね、昔と今が違うのは、かつての弱者だった女性が力をつけて発言力も機動力もあるからね。世論も味方しているし。そうすると、旧弊な社会感を支配して「やったぜ」とか思ってる人々は早晩行き詰まる。このまま進めば10年後の姿は完全にただのキモい老害に成り下がり取り残されていくだけであろうと。

上のツイッターで書かれてる内容。

もっかい反芻しますけど。

"男オタク、「黒髪大人しめ清楚なら僕でもアプローチ出来るかも!」的な期待がサークラに破られ、「活発ギャルに明るくアプローチして欲しい!」的な妄想に逃げ、とうとう「ママー!」と「ナニもせずに受け入れられたい欲」ダダ漏れにしてるけど、それリアルで求めると一生童貞なんでマジ気を付けてな…"


結局どこへも行き場がないんだわ。
でもそれは自らが欲した世界でしょ。
もう僕は知らない。

というのがココ最近の私の悟り。

*1:オタク。或いはヲタの定義については現在いろいろある。10年前の価値観としても定まっていたわけではないが、個人的にはココでの定義としては「男性であり、かつエロ系2次元マニア」を指していたし、一般的には、それプラス声優ファンやロリ系嗜好を指していたと思われる。

*2:一般的な意味での「インドア派であり偏執的で、マニアがいっそう濃くなった状態」を指す

*3:個人的にはこの主張が一番キモかった

ショーケンという原風景

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伝説のドラマ「傷だらけの天使」を一挙視聴中(ショーケン萩原健一主演)。

僕が持っている、このドラマのビデオは WOWOW での一挙放送(2002年ころらしい)を録画したものでして、なんとVHSのビデオテープです。久しぶりに「ビデオテープ」を観られる環境になったので、さっそく傷天を引っ張りだして見たわけですね。

以前もどこかで書いたけど、この「傷天」は、他のドラマ、学園モノ(青春モノ)や太陽ほえろ、探偵物語みたいなものと違って、あまり再放送されていません。なので僕としては、大昔に観たっきり、この WOWOW 再放送まで見返すことがまったくなかったんですね。

そうして「何十年ぶりか」で見返した時、このドラマの内容やロケ地などの風景が、僕の原風景になっているということに気づき、たいへん驚く、という経験をしたわけです。そう、子供の頃に見たっきりだったけど、その印象があまりに強かったため、子どもながら、僕の心のなかに刷り込みのようにすべての要素が染み渡り、僕自身を構成する要素の一つに、知らないうちになっていたのです。
他のドラマのように何度も再放送で見る機会があったなら、それを再確認して気づくときもあったのでしょうが、このドラマに関してはそういう機会がなかったため、2002年まで、まったく気づかずにいたというわけですね。

ちなみに当時(2002年)私、多摩川沿いの街に住んでおり、住み始めた時から「初めて住んだ場所なのになぜか懐かしい風景やなあ」とずっと思ってたのですが、実は、こうしたドラマが多摩川周辺でロケされていたことがとても多く、幼少の頃にテレビの中で見慣れてした風景だったから、この街も懐かしく感じたのだ、ということも、これで発見したわけです。夕方のドラマ再放送で散々この時期のドラマ再放送を見ていたから、その中の風景が「原風景」となっており、多摩川沿いに越した時、一度も住んだことがない土地なのに「郷愁」を感じた、というのはそういった理由によるものだ、と。 

もうひとつ重要なこと。これは原風景と言うのかどうかわかりませんがw 私、このドラマ見るたびに思うのですが、僕の女子の好みも、実はココの登場人物がほぼ全員、基本になってるってことがわかるのです。それも2002年に気づいたんやな。まったく普段は意識せず「こういう感じのヒトが好みだなあ」などと漠然と思っていた。そういう嗜好がですね、この再放送の時に、次から次へと出てくるわけです。もうね、誰かが出てくるたびに「え?コレ好きだけど…」「え?こういうのど真ん中だけど…」でも「なんで??」と。何故か僕の好みが、次々と提示されるわけです。ひえ〜となりましたね。 

というわけで、僕の原風景というのか、トラウマというのか、そういったものを再確認した今回の「見返し」だったわけですが、「ほぼ」全話見終わって(好きじゃない回は見てない)、もうひとつ感じたことがあったのです。

それは、やっぱり僕は「水谷豊が好きじゃない」ということでした。これは当時(初期の再放送)もそうだったし、今回改めて見ても同じ感想だったのです。

つまり僕にとっては「やっぱりショーケンやなあ」という感想に尽きる、と。

私そもそも、太陽にほえろにしろ、これにしろ、それ以降のコレ系ドラマにせよ、どれも全てのオリジネイターは萩原健一だと思っており、どうしても彼を贔屓目に評価してしまう傾向があります。そんな僕にとっては、例えば松田優作(よく比較された)も彼のコピーで二番煎じに過ぎないし、水谷に関しては「ウザい媚芸で」萩原の人気を奪った敵(かたき)、とまで思ってるところがあるんやな。その感情は、子供の頃からだったし、見返した今も変わらんかった。それが自分ですごく面白かったです。

水谷、というと今は相棒やけど、当時と今は芸風が違う、と言われるフシもあるけど、僕にとっては同じです。つまり「何かを演じている」というところで。まあ「役者」なんだから演じてナンボであり、それはハマればハマるほど名演技、ということになるんやけど、水谷の場合は僕には「アザトイ」ねん。そしてそれは、傷天のころから変わっとらん。そう今回も確信したのですね。

媚びる、ってなんだろう。自分がこう演じれば受ける、と思って客の要望に「過剰に」応えることじゃないのか。当時も今も(傷天は伝説的ドラマなので今も言及したブログなどがたくさんある)、水谷の演ずる「アキラ」について、かわいい〜だの、主役を食ってるだの、そういうファンの意見がたくさんあります。
僕はそういうの読むたび、あるいは、子供の頃も、リアルで当時そういう意見を周りから聴くたび、なんでやねん!コレの主役は萩原だし、実際カッコええし、水谷なんかあんな媚芸好かん!とずっと思っていました。媚びて可愛がられる水谷に、僕自身も嫉妬していたんだろう(萩原さんもそう思っていたという噂も当時ありました)。

萩原の演技は当時から天然と言われてたけど、その実、計算もあったろうし、それ以前にあんなフリーな演技をする俳優はいなかったから、その芸風をみんなで活かした部分もあったろうと思います。
それに味をしめ、フォロワーの人々は、萩原の芸風を研究し、それをもっと「産業風に活かすべく」計算で作っていったんだろう。それが松田優作だし水谷だったと僕は思っているのですね。
音楽にしろなんにしろ、オリジネイターをこよなく愛する僕は、やっぱり萩原こそ唯一無二なのであって、それ以降のフォロワーは亜流であるし、たとえ今現在の萩原がどれほど不甲斐なかろうとも、彼の拓いた道は決して褪せることはないし永遠に「オリジネイター」としての矜持を持ち続けている、と僕は思っています。
そして、そういった強いポリシー(媚やコピーを憎むというような)を今の僕も、当時と変わらず持ち続けていた、ということを再確認できて、よかったなと。

そんな僕にとって、最終回、綾部社長が「(逃避行に)修だけ連れて行く」と判断したくだりは、本当に救いとなりました。そうでなくっちゃいけない。修(萩原)だけ未来を感じさせるようなエンディングでなくちゃいけない。僕にとっては、それだけで、つまり「やっぱりショーケンだよな」と溜飲を下げられるエンディングだった、というだけでも素晴らしい最終回だったと思えます。

今度はいつ見返す時が来るかねえ。次、見るときはHD版やな。


PS
メイン脚本家の市川森一氏が言っていたように、萩原と水谷は精神的なホモセクシャル的繋がりである、という設定のようなのだが、よくわからないが、僕としては、水谷の「ぶりぶり」や「媚び」は、同性というより女子の方に「かわいいい〜」とアピールしたような気がしてしょうがないのです。そこが、ショーケン派の僕としては納得がいかず、女子に人気の水谷に激しく嫉妬してしまったんだと思うのですよね。つまり僕の方もショーケンにBL的意味で感情移入していたとも言えるのではないでしょうか。

このドラマは影響力が半端無く、後年まで、例えば吉田秋生さんの「カリフォルニア物語」などに取り入れられたりしたようです。僕自身、例えば「ビートルズとはジョン&ポールのBL物語である」と日頃から主張しているわけですけども、そういう僕から観て、この傷天の二人は、あまりそういう関係に見えないのです。どちらかと言うと水谷だけがしつこく、そこに拘っているように見える。そういうところが僕には受け入れ難いところなのかもしれません。

「5キロ先の崖」扱いされた私たち

暑い夏です。

さて最近、北村紗衣さんという方が以下のような記事をアップしたところ、ネット上の識者の皆様から袋叩きに遭う、という事件がありました。

個人的には、北村氏の主張について「まったくそのとおりだ」と思っておりましたので、そうとは思わなかった周りの反応が意外でちょっと驚いた。で、「炎上」というスラングのとおり、様々な方々がこぞって、コレに対して糾弾されてたわけですが、そのメンバー中の一人に、以前より存じ上げてる音楽評論家の高橋健太郎氏がおり、それもたいそう驚きました。今回は、それに関して書いたものを纏めていきたいと思います。本当なら流れをちゃんと追って書きたいところですが、そうすると、また蒸し返してしまうことになるので、ココでは流れを説明しません。興味がある方は検索でトゥギャッターなどを探してください。

 

ということで、高橋氏と北村氏は理解し合えることもなく決裂したようなのですが、そのきっかけは、議論の途中で高橋氏が「自分のツイッターのタイムラインに広く意見を求める」という行為に出たことです。その行為に北村氏は以下のように述べ、それで議論は終了したのでした。

一方的に話を終了させられた高橋氏は、そのことが不満だったのか、その後も、北村氏への揶揄や、批判めいた トゥギャッターまとめをいくつも作り、晒し者にし続けました。その陰湿なやり方にも、僕は高橋氏とはこんな人物だったか…と大変驚き、幻滅しました*1

 

今回、僕が個人的に、いちばん納得行っていない部分は、北村氏の「女子大生の発言はジェンダー的にどうなのか」というような指摘に対し、高橋氏が「今はそれより重要なことがあるので、コチラを優先しないとならない」というような意味合いで「ジェンダーの問題は5キロ先の崖だから、とりあえず目の前の危険をなんとかしよう」的な発言をしたということです。

この発言を聞いたとき、自分自身のこれまでの身に起こったことが、走馬灯のように一気に蘇りました。子供の頃から10代を通して、僕は常にどの集団でもマイノリティ側で、意見を取り入れてもらったことがありません。一応聞く耳は持ってるような素振りを相手は示すのですが、「しかし今は重要じゃないから」「緊急ではないから」「本題ではないから」というように、後回しにされてきたのです。そして、今回の高橋氏の発言も、これらとまったく一緒だったのです。

確かに現実問題として、目の前に危険が迫ってるとき、優先事項というのはあります。しかし、それと、実際に「いまはそれどころじゃない、我慢しとけ」という発言をすることは別です。そういう配慮のない人物を信用できるのか、という話です*2

また、ある種のリーダー的人物が、議論相手の了解も得ずに「みんなはどう思う?」などと声がけするというような、ジャイアン的横暴さも引っかかった部分です。

 

奇しくも、個人的に「吹奏楽時代の封建的運営」について、ハイクで回顧し続けていたところでした。そこにこの出来事が起こり、音楽サークルの体育会系価値観や、音楽業界のミソジニー気質などについて、改めて、この問題とリンクして考えることになったのです。

 

以下の回想は、ハイクで何度にも分けてダラダラと書き続けたものですので、まとまりはありません。しかし、僕の思考の流れとして、参考程度に読んでいただければ、楽しめるかもしれません。

 

ということで、以下が、ハイクでの僕の「ひとりごと」になります。

 

ずっとその後も考えてるが、やっぱり、どこをどう考えても北村紗衣氏が述べてることについて、どこがおかしいのか、まったくわからない。至極まっとうな意見だと思うのですが。なぜここまで叩かれるのか?

それはそれとして、みんなで寄ってたかって、まとめを何個も創って晒しあげてることが、ものすごく陰湿で、その異常性と、そレを行っているメンバーの中に知っている人間がいる、ということのほうがはるかに私ショックなんですが。

個人的幸せを語っていいというなら、例えばヲタクの人が「毎日アイドル現場に通う幸せを大切にしたい」と熱く語ったとして、あんなに賛同されるんだろうか?あれは「女子大生」という「おっさんにとって特別な肩書の人」が「お利口さん」なこと言ったことが支持されてるにすぎないと思う。おっさんの喜びそうなこと、うるうる主張するから、コチラはすごく違和感あるってことなのよ(個人的意見です)。

それから、高橋氏の「TLのみなさん、どうですかー」については、集合知だというのはそのとおりだと思うんだけど、実は個人的に思うことがあります。健太郎氏は最近、本を出版されたのですが、そのことを知ったとき、ココ何年かの健太郎氏のTLでの投げかけやひとりごとなどは、この本を執筆する際のヒントや刺激にするために行ってたことだったのか!と気づいたということです。

今、具体的にどれ、とは指摘できないが、直感的に、あああれらもそうだな、と思いつくやりとりが幾つもある。それはそれで構わないが、であれば、その集合知を、書籍に謝辞として載っけてもいいよね?とは思うよね。彼のTLのみんなは、望むと望まないにかかわらず、全員、無償で彼に書籍の内容の一部を提供したことになる。本の出版を知ったとき、僕は「あー。やられた。。」とハッキリ思った。そして今回の北村さんについての呼びかけも、これと同種のものだと感じた、ということ。

上に立つものはこうやって、悪気もなく、意識もなく、こういう搾取をするのだ。それはかつて僕が何度も、される側として通った道であり。そして、いま年齢が上がった僕自身が、若者に対してやってしまいがちなことでもある。ここは今一度、反面教師としたい。気をつけないと。とね。

本題である「母親が御飯作って待ってる」云々についても、個人的に思うことがある。とりあえずザックリ書くと、僕がここんところずっと書き続けてた、吹奏楽部時代の話に似ているところが多々ある。封建的音楽業界としての常識がそのまま今も進行している、という感じ。つまり「ジェンダー問題は5キロ先の崖だから先送り」などという考えは、まさに僕が現役当時、争っていた同期の連中の価値観とそっくりだということなんである。

それでも一応言っておきますが、高橋健太郎氏は、業界の中ではずいぶん進歩的で新しい価値観の持ち主のヒトだと思います。しかし、それでもこういうことになる。じゃあ、旧来型の音楽業界者は、どんだけヒドイかってのは推して知るべし的なことですね。同年代の世界で居場所がなかった僕にとって、この事実はホント絶望だな、と改めて思ったな。

 

常々、いつか音楽業界ミソジニーについて書かねば、と思ってたが、ちょうどいいのでこの機会に書くことにする。
このことについては、僕がごく若い頃に先輩に訓示されました。「いいか?レコードやCDをたくさん買って聴くような奴らはほとんどが男子だろ?だから男子が喜ぶようなものを作るんだよ。あとな、スタッフもほぼみんな男子だろ?だからそこでも喜ばれる人が求められる。そういう世界だからな。」と。。ええ、私とても純粋でしたので、大変なショックでしたよ。そら僕もアイドルとか聴いてましたけど、それは「いいから」聴いていたので、外見的なものは若干あるにせよ、そこを「提供側が」意識しているとは思っていなかった。

そうなのか。。と大変なショックを受けたけども、先輩も大げさに言っとるんやろ、と思いたかったわけですが、でも実際その世界でしばらく生きてみると、現実もそのとおりだった。業界は男根主義で回されており、そこに生息する女子という人は、常に「そういう目」で見られ、扱われているのだった。もちろん差はあるのだけど、その差と言っても、扱い方が「丁寧かそうでないか」の違いくらいで、基本はみんな一緒じゃないかなあ、と思う。そんな世界で、同姓に好かれなかった僕が生きて行ける気はしなかったよね。その人々に気に入られなければ活動自体ができない、と思った。だからその時点でかなり絶望した。その後10年くらいかな、それでもどうしても音楽をやりたいと思い、そういう中で生きていくためのやりかたを試行錯誤して自分でそれを編み出していった。そういう流れだったね(吹奏楽関連の回想で長々と書いた)。
今回の一連の北村紗衣さん事案で思ったのは、結局、そういう世代のヒトは、その価値観は今もまったく変化していないんだ…ということだったのよ。

あとはコチラも興味深かった。有村氏のこの発言。

有村悠 on Twitter: "「あそこは「安倍に」抗議に行く場所」なんだから細かい違和感には目を瞑れというのもヤな同調圧力だと思うのよ>武蔵大・北村紗衣(@Cristoforou)先生のファッション・フェミニズムに基づくSEALDs批判 - Togetterまとめ http://t.co/IQR6pgjxRT"

この「同調圧力」というのは業界ミソジニーと一体化したものだと思う。つまりみんな「ただ発情してるだけ」なんだ、と。この世界に参加するということは、その「発情状態」に加わる、ということの暗黙の了解である、と。そして「その世界における表現」とは、その「発情状態」を、どのようにコーティングして綺麗に言うかどうかの競争にすぎない、ということです。だからそれはもう「会いたくて震える」という表現と全然変わらない。どっちもどっちで優劣なんかない。そういう恥ずかしい事実が、この事件で露呈しただけだって思ってる。

 

僕の意見に近い記事があったのでココで紹介しておきます。

社会の中心の運動/保守の世代交代/内輪もめについて - c71の一日

僕がずっと感じてた疑問の答えらしきものが、この記事にあった気がしている。

 

さて本題の音楽業界ミソジニーについて、もう少し個人的な気持ちをいろいろと。

業界全体の問題として「男子に気に入られるかどうか」でほぼ決まる、という話でした。これに関連するかどうかわからないけど、私いつしか、女子の方を「ちゃん」付けで呼ぶことにすごく抵抗を覚えるようになりました。自分はもともと殆どそう呼んだことがない。例外はあります。「〜ちゃん」まで全部含めてアダ名になってるような人の場合は、そう呼んだ。でも一人二人くらい。なんというかね、「ちゃん」という敬称?に含まれる、何とも言えない粘着力な感じが凄く嫌で、媚を含んだような、あからさまな性表現が体現されたような、その呼び方が、すごく耐えられなかった。これは男子どおしでもあるよね。部下のことをそう呼ぶ上司もいる。自分がそう呼ばれるのも苦手だった。

こういう感覚が、音楽界の場合、すごく顕著だという感じがしたのね。前も書いたが、もともと女子を消費するものとしてしか見ていないわけで、その世界における「ちゃん」というのは、あからさまじゃないですか。もちろんこの世界には、売り物じゃない女子、例えばマネージャとか事務の人とかですかね、そういう人もいるわけですが、やっぱりそう見られてることがあります。まあ、そう見ていることに関しては、男子だからね、キモイと思われようと内心どう思っててもしょうがない気はするけど、音楽やってると、男子のメンバーどおしで、そういう話題を共有しないとならないわけです。雑談や仕事の話として。そういう男子校ノリに、ともかく混ざれなかった。全体がそういうノリだから、それを是正しようとする人すらいない。それやると、商売そのものを否定することになる。こういうのは自分の仕事の適性として非常に難しいと感じた。

もちろん今は、現場にも女子が沢山おり、テキパキ仕事していますけど、そういう方々について男子の方々は「中身はオトコだから」という言い方をしてましたね。その言い方も苦手だったんだよなあ。別にみんな普通にやってるだけなんじゃないんだろうか、って思ってた。

男子に気に入られるかどうかで決まる、というのは同性である男子でも一緒で、僕自身、よく評価をされましたよ。音楽とは関係ない部分で、お前はキモいとか、もっとこうしろああしろ、ノリが悪い、趣味が変とか、常にジャッジされる。それ音楽的能力と関係無いですよね??と思うこともたくさんあった。そういう居心地の悪い世界で、長い時間、楽しそうな顔をして居続けるって、すごく難しいんだよ。ニコニコ愛想笑いをし、辻褄を合わせ、同意したり、提案したりとか。そういう空気の読み方がとてもむずかしかった。もうさっさと、音楽だけやって帰りたかった。というような、若いころの出来事があり、これをずっと耐えながら歳を重ねて、いつか自分の時代が来るのを待つ、というのは無理だと思ったね。だから一旦抜けた(実際はドラマーとして「やり過ごす」ことにした。詳細後述)。

で、話が戻りますが、こういう世界観がもともとあったのだ、と。だから、ある年齢以上の業界人やメディア人は、その時の感覚を今も持ってるわけです。もちろん今は時代も変わり、そういうのをあからさまには出せないようにはなったけども、それでも何かのフシにポロッと出てしまうことがあるでしょ。それが今回の事件だったと思ってるの。「あー。。この人もでしたか…」というような。もう僕としては、そういう人とは一緒にいられないからね。今更またそんなの我慢して、年上の世代の価値観に混ざるとか真っ平です、と思った。


で、僕が何故それほどまでに業界ミソジニーを忌避してるのか、根本的で最も大きな理由が一つあります。それは「自分がそれに染まりたくないから」です。

いろんな仕事経験して、もちろん音楽関係もやって、そういう中にある男子校的価値観や、下品さ、大雑把さ、その他もろもろね。そういう、元々の僕になかったもの、むしろ積極的に避けてたものが、その世界にいることによって、徐々に慣れてきてしまい、染まってしまうことを常に恐れている。もともと僕が持っていたヒリヒリした感覚を常に持ち続けたい。というより、それこそが僕であるから是が非でも維持していかなければならない。そう思ってるってこと。

これは業界じゃなくともどこでも起こることです。例えば戦場に行ったヒトとか、最初は倫理観あった人でも徐々に麻痺して、亡くなった人を蹴るようになるとか、強姦することが普通になってくるとか、そういう話はいくらでもありますね。ある組織のミソジニー気質に憤りを感じていても、やがて慣れてしまい居心地がよくなり不満もなくなる、と。それは適応とも言います。そういうことが自分にも起こるのが怖かった、ということです。

これは単なる好みの問題だけではないですね。創作に携わる人として、死活問題でもあります。つまり、そういう本来なら忌み嫌ってたはずの集団と交わって自分がそれに慣れて変わってしまい、それで作風そのものも変化してしまう、ということを実はいちばん恐れているわけです。

これはつまり、ごく若いうちから、僕が持ち続けてる自分の感覚を、今も信じ続けてるってことです。こういう僕の気質は、時にはバカにされ、青臭いと非難されたり、男らしくないと言われたりもしたけど、それらすべてが自分自身の作風であり個性である、と思ってるわけです。こんな自分だからこそ、あれらの作品群を産めたわけでしょ?と。途中途中でマイナーチェンジはあるし、僕もオトナになってますから、まったく一緒ではないけど、根底に流れてるものは一緒でしょ。そういうことを、どんな場合でも常に思ってた。だから、音楽業界人との付き合いも面白かったけど、あそこの常識に慣れていってしまうのは危険だと思っていた*3

自分と似た感覚を持ってるような、かつての自分タイプみたいな他の方々とも、常に共感して繋がっていけるよう、アンテナが折れないようにしておかなければならない。と。


僕は自分自身の自由のために音楽活動を始めたはずだが、今まで書いたような様々な出来事があり、結局いずれの場所でも、精神的な自由をまったく得られなかった。このままでは音楽を辞めるしかない、どうしたらいいだろう、と考えた末、選んだ道が「とりあえずドラマーとしてやり過ごす」だった。ドラマー、という立場は、例えて言うなら「一兵卒」なのである。つまりバンド運営にかかわらずに済むし、その音楽性や制作にもかかわらずに済む便利なパートだった(以前書いた)。自分の意志を封じ込め、毎日何も考えないようにして、ただのロボットのように、ドラマーという立場を演じ続けたのだな。

そういう過程を経て、やっと表現者になってきたわけでしょ。そういう時、やっぱり最初は舞い上がって、さあこれで僕もみんなの仲間入りだ!と思ったのだけど、やっぱり事あるごとに、かつてのマイノリティだった苦しさのことを思い出して、胸が傷んだのよね。そうするとね、やっぱり僕がすべきことは、こういうことじゃない、かつての自分自身の不満みたいなものを救い上げられるような創作をすべきじゃないか、と思うようになってきた、というわけですね。それが可能になった今だからこそ、だね。

音楽そのものは、今までどおりメジャースタイルで全然構わない。そこは矛盾しないのだ、ということにもやっと最近気づいた。僕は僕として単体でそういうことをしていく以外にない、ということなんだな。

 

もうひとつ、この件に関して何故ここまで引っかかったのか、ということについて。

実は個人的に、高橋健太郎氏がプロデューサーである「OTOTOY」というレーベルについて長年、不満を抱いていたということがあるのである。詳細は書かないが、そういう理由から、高橋氏について、ネット上ではずいぶん偉そうなこと、いいことばかり言ってるんだが、肝心のあなたのサイトはどうなってるんだい??という積年の思いも個人的にあったということである。
まあそうは言うものの、今までは、高橋氏の個人的気質まで嫌悪していたわけではなかった。ところが今回の出来事で、実は彼の気質自体もこういう方、つまり旧来型の業界感覚がすっぽり染み付いてるひとりに過ぎなかった、ということがわかってしまった。それプラス。本の出版という出来事もあり、それまで僕が感じてた高橋氏の気質というものは、実は装っていたもの(もしくは遠慮したもの)だったと気づいたってこと。だから、彼は「変わった」のではない。元々の気質に(表面上も)戻ったのであろう、と*4。その事実についての幻滅がかなり大きかった、ということです。

高橋健太郎氏の今までのツイッター議論は、どれを見ても一貫した特徴があり、基本的には自分の意見は変えませんね。それと、濃いやりとりに関して、そういうディベートそのものを数学の問題を解くように楽しんでるフシがある。これは、そのつもりがない相手にとっては「遊ばれてる」と感じるはずです。何も生産しない。

僕は今回のことで「彼と関わることそのものが無駄になるので、自分の視界から存在を消したほうがよい」と思った。今までそうしてきたように今回も、そういう「かつての古い価値観」は見えないことにして、僕自身は関係ない世界にいたほうがいい、と判断したわけですね。自分自身の創作を続けるためには、そうするしかないだろう、かつての轍を再び歩かないためにも。そういうことだね。

 

さて。僕が昔から男子とはソリが合わなかった、という話を以前したことがありますが、では僕にとっての女子という人たちはどういう人だったかというと「話すとおもしろい人たち」です。これは小学生くらいから一貫してずっと思ってる。

なかなかじっくり話す機会とかないのだけど、その機会が与えられて話してみると、みんなすごくおもしろいことを思ってることがわかる。自分にはない価値観の持ち主なんだよね。それがすごく楽しかった。僕に話をする女子の人たちも、普段はあまり話せる機会がないらしく、みんな話ができて嬉しいと言っていた。

時代は過ぎて吹奏楽部。前に長々と書いたけど、体育会封建的部活が嫌で、自分が先輩になったら、それはしないようにしようと思った、という話。やがて僕のドラマーセンスが発揮されてくると、人望を集められるようになってきて、で、旧体制の体育会系先輩と相対するカウンターとしての存在になったわけです。そうすると、今度は女子だけじゃないのね、怖い先輩には話せないようなことが、僕相手だと話せるというので、普通に男子の後輩とかも、僕といろいろ話すようになった。そうして、部活内に僕のラインができていったわけです。

これらの経験で思ったのだけど、寡黙で流されるしかない本来のマイノリティのヒトが、自分を主張する機会を与えられると、すごくおもしろいことを色々話すんだな、と。こういう立場の人達の意見をまとめたり、取り入れたりすれば、今までとは違う世界ができるんじゃないだろうか。そんなことを思ったんだよな。もちろん、その時は具体的にどうこう考えてたわけではなかったけど、やがてそれは自主レーベルを立ち上げる、ということに繋がっていったのね。なので、そういう経験を初めて活かせたのが長崎での活動だった、というわけ。

前にもブログで書いたんですけど、21世紀になってネットの時代になったとき、ネット上にたくさんいた女子の文章表現者たちの、その表現内容の豊かさに僕は感動して、そこからコラボレーションに発展したりしました。ネット上も、誰にも邪魔されない世界でしょ。そういう場所では、みんな自由に雄弁に語るのね。発言場所を与えられてたというわけ。で、こういうことを、音楽でも出来るんじゃないか、活動的な輩に押されて、なかなか表現機会のない人に、そういう場所を与えれば、いい音楽ができるのではないだろうか、と。そう思ったというわけ。だからレーベルにしたんだね。

ということで音楽業界ミソジニーの話に戻るけども、今まで一方的に嫌悪感だけ書き連ねてきたけど、実は、その世界が居づらいと感じるのは、たぶん、僕だけじゃないはず、他にもたくさんいたはず、って思ったの。そういえば、音楽界には一発屋さんとか、いつの間にか引退した人とかよくいるけど、そういうヒトも、才能の問題というより、僕と同じようにその世界が合わなかっただけなんじゃないか、って思うようになった。
音楽業界と言っても別に一枚岩ではなく、実際は多種多様な世界です。なのに、一部の目立つ意見のせいで、その価値観が「その世界の共通認識」扱いされてしまうことは不本意ですね。そういうことを、僕以外の人も少なからず思ってるのはないかと思ったわけです。

でね、今の時代、昔と違って、レコーディング機器の発達で、全部自分の部屋で完成させてCDまで作れるようになったでしょ?そすると、わざわざ嫌な思いをして、旧態然とした奴らなんかに合わせて、男子校的ミソジニーの世界に無理にいる必要が、まったく失くなったわけです。そういう人達が増えて、今までとは違う表現が生まれれば、それもすごくオモシロイと思った。

で、これは今、実際にそうなってますので、ホントに良かったと思ってます。

音楽ってのは「道(どう)」みたいなもので、政治家の秘書や落語家の弟子のように、みっちり辛いことにも耐えないと物にならない世界だって言われてます。これはこれでそのとおりな部分もないことはないが、でもそれに耐えられないけど、何かの才能があるヒトだっているはずでしょ。そういう、メインルートではない、横道を僕は開拓していきたいのだ、ということなんだな。そういうことを、若いころの女子の人たちとの付き合いで学んだということだと思います*5

 

こないだ故郷のラジオに出たとき、いろいろ過去のことを質問されたのだけど、そのときに、小学生時代のおもしろいことを思い出したのです。小学校卒業のとき卒業文集というのがありますね。それの中で「将来なりたい職業は?」というのがあったとき、私なんと書いたかというと「個人タクシーの運転手」と書いたのです。これは僕の伝説になりましたね。とりあえず、それを読んだ父親から大激怒され。あとは、その文集、市内の全部の中学に配布されたらしく(!)、他中の奴らからも、事あるごとに言われました。

職業に貴賎はないとは言いますが、そういう過去があったんやね。それを書いた時の自分の気持はハッキリ覚えてるよ。つまり「何にも縛られず自由で居たかった」んだよね。で、僕の中では、その職業がそう見えたんだろう(小学生なので実際のことは知らない)。このことはずいぶんトラウマになった。なんでそんなに指差されたり責められるのかわからなかった。
でね、こないだそのことを思い出したとき、ああ今の自分。ひょっとしたら似た仕事してるんちゃう?って思ったの。小学校の卒業文集のまま、似たことやってるわ、と。人生は面白いなって思ったよ。

 

ところで、ずっと書きながら、ふと思ったのだけど、子供の頃〜高校封建的吹奏楽〜音楽界、というように回顧してきたけど、あれ?大阪時代がスッポリ抜けてね?みたいに気づいたのだ。大阪というか、僕が居たのは(最も濃い)河内やけど、そういえば唯一大阪時代だけ、私そういう不満を感じなかったのだ。関西なんかコテコテやし、いちばんそういうの強そうな気がするけども、実は個人的には、そういうことが周りにはなく、今思うと、一番楽な時代だった。と。そう気づいたんである。自分もちょっとびっくり。

これはね「芸術系の大学」という環境なんだと今思ってる。周りの同じ大学の連中が、そういう考えじゃなかったということなんです。むしろ、そういう「前時代的ミソジニー」を嫌悪しており、そういう言動の友人などがいたら軽蔑したような環境。世代でもない。というのは、先輩方もそういう考えだったから。「野蛮なタイプ」のヒトには殆ど会った記憶がない。嫌味な言い方だけど、僕らの仲間内は「高尚なこと」を常に考えているよう心がけてたな。だからね、個人的にはいろいろ大変ではあったけども、しかし、ことマイノリティ感覚という意味では、みんな理想的だったと思う。

まあ、関西はそういう話は根深いね。いろんな差別とか。だからこそ逆に、みんな常に意識して、問題視していたから、そういう癖が根付いてたんじゃなかろうか。そんな幸せな大阪時代から一転。東京で音大関係生活が始まって、ココでも書いたけど、寮の時代から、どんどんかつての吹奏楽のように封建的に戻っていき、また軍隊的になり、ミソジニーになり、つらい日々になっていったのである。音楽家というのは野蛮で動物的なんだという現実を突きつけられたんやね。

そうそう、ちょっと前ネットで、なんでクラシック女子は、リサイタルとかで露出系ドレス着るのか?って話で盛り上がってたけど、つまりそういう需要があるってことなん。これなんか判りやすい事例だよね。

 

ただ、大阪時代のような理想的純粋培養は、のちのち大変なことになる。僕らはいつまでも青春じゃない。東京に出てからも大阪の友人に会いに関西はよく行った。当然「東京はどうなん」みたいに聴かれる。「うん、楽しくやっとるわ」と答えはするけども、実際は、なかなか思ったような活動は出来てなかったから、なんかアレやったな。また、同じようにみんなも大学卒業して就職とかしてるわけですが、一様にみんな暗い感じでな、会社がつまらん、みんなDQNばかりで話が通じん、などとボヤいておった。いちばん仲のよかった友人、今は徳島におるけど、最初に信楽で就職したころ、ほんとうによく荒れて、陶器を壁にぶつけて破壊したりとか、グラスを握りつぶしたりとかしたらしい。今思うと、それは僕の感じてたギャップと似たようなことだったんだろう、と思う。ちなみに、一度だけ信楽に遊びに行ったことある。電車で(その時に伊賀上野とか柘植とか通った)。家庭を持って幸せそうではあったが、グラスと握りつぶした話とかすると、そんなこともあったなあ、と遠い目をしてたのが印象的だった。

まあそんなわけで、今でも僕がことのほか大阪時代についてノスタルジー以上の感情があるのは、環境的にはとても安心できた、ということがあるんだろうと思う。前にココで池袋の話した時に書いたが、その大阪の環境を東京でも再現したいと思ったが、結局できなかった、っていう話ね。まあでも、僕は演奏活動がしたかった、そのために上京したのだ、とその時も書いたし、今も思ってる。それと引き換えに、色んな物も捨てざるを得なかったんだなあ、と思ってる。

 

今、振り返って、その純粋培養の世界がよかったのかどうか、というのは、功罪あると思ってます。例えば「DQN性」みたいなことについて、今は嫌悪感ないです。というのは、音楽が広く受け入れられて浸透していく場合、このある意味「DQN性」という要素が一番重要だからですね。これはね、言い換えると「生身性」という感じです。温かい音楽っていうんですかね、今この時を生きてるぞー!という実感です。それがDQN性だと思ってる。

僕にはそれが圧倒的に足りなかったのですよ。そらそうだ、ずっと避けてたもん。でね、東京での暮らし、特に90年代以降になって、いろんな仕事するようになると、一言でDQNと括っても、別にいい人もいるし悪い人もいるし、ということに気づいたんだな。むしろ僕的にはジャズ演奏家とかのほうがDQNです。逆にパンクとかの人が真っ当だったりする。

そうしてあらゆるタイプの人と、別け隔てなく付き合うようになって、純粋培養ではなくなり、そこで初めて僕自身の表現にも「人間性」が出てきたってことなんだな。

 

結局、話はリンクしつつリピートになるけど、望んだような環境になるのは上京後数年経ってからだよな。周りの世代が更新されて若返りされた時にそれが起こったので、こっちじゃ世代なのかなあ、と思ったな。

やっぱり大阪の環境は選ばれたものだったということでもあった。一般には適用されないというか。あくまで特殊であり、普通は違うんだってことだな。

それにしても、吹奏楽界隈に今でも軍隊方式が根強く続いてるのはびっくりしたなあ。まあしかし、ニュースでも体育会系の不祥事とか最近よく出てくるし、ネット上のミソジニーは本当にヒドイし、政治家のそれ系な失言も頻繁に出てくることを考えると、世の中はまったく変わっていないのかもしれない。

僕自身が生き方がうまくなり、そういう嫌な世界をうまく避けて生きられるようになっただけなのだ。そういう世界が、決して消えたわけではない。視界に入らなくなっただけ。そういうことだったんだなあと思ってる。

 

〜余談〜

ちょうど10日くらい前かな。この事について考えていた。

確かこの日(2015年7月後半)は国会で何かあって、それでネットの人々がずいぶん怒っていたのだけど、それをいくつか読むうち、過去の僕との仕事でトラブった相手(mtan氏)の発言が出てきたのね。そのmtan氏が僕にしたことを思い出すと、今でも腸煮えくり返るくらいの気分になるが*6、まあでもそれはそれでしょうがないな、と思ってたところ、その国会の件で、そのmtan氏が、ずいぶんと威勢のいいことを言っておりまして、そんな偉そうなこと言うなら、僕との仕事も是非ちゃんとして欲しかったんですけど??と思って、強い怒りが湧いてきましてね。何度も抗議レスを書いて、送る寸前まで行きましたが、今さらそんなこと言ってもしょうがない、と必死に我慢した。

ちょうどそんな時に上記の記事を読んで、はたして「自分の仕事がちゃんとしてること」と「相手がちゃんとしてないことについて抗議すること」は、イコールでなければいけないのか、どうなのか、ということを考えたわけ。

僕の好きな外国のことわざで「人は自分の頭の上のハエだけ追ってればいい」というのがあります。他人をどうこう言う前に、肝心の自分はどうなんだい?ということなんだけど、そうすると、ちゃんとしてる人でなければ発言権はないんだろうか?という話になってくる。そこ突き詰めていくと、マイノリティはマジョリティのルールに則らなければ、権利は認められない、という話になるのではないだろうか。

それからもうひとつ。「火事を消そうとして慌ててる人が、コップの水を持ってきたとしても、それを咎めるのではなく、消そうとした気持ちを優先しよう」という外国のことわざがあります。これも好き。

これは実は、半年くらい前かな、ろくでなし子先生の話をココでずっとしてたことがあったけど、彼女について細かいところは問題あるけども、彼女がしたいことの行動力を大切にして、そこは邪魔せず静観したい、というようなことを言ったと思います。

これはそのまんま、今回の高橋氏の発言に繋がってくるだろう。彼の女性観、もしくは女子大生の母親発言は問題あったが、それよりも、彼らの行動力を今は重視したい、というのと同じになってくるんじゃないか、と思ったのね。

そうすると、人が誰かを「そこは見過ごしてあげたい」と感じるのって、完全に好みになってくるんじゃないか、と思ったわけだ。僕でさえ、こうしてわずか半年くらいのあいだに、対応が180度異なってるわけで、じゃあ誰だってそういうブレブレなのは当たり前じゃんか、と思ったね。

で、今の僕はどっちなんだろう、と考えた時に、いやーやっぱり高橋氏のほうが許せないかなあ、と思ったということなんだよね。

それは、今回のこの問題だけじゃなく、僕自身がとても長い間感じてた「音楽業界ミソジニー」の問題とリンクしてくるからだろうと思う。つまり、ろくでなし子先生の時と比べて、今回が自分に身近な問題だったから、自分自身のこととして捉えることができた、ということなんだな。

だから今の、この僕の考えで、かつてのろくでなし子先生の件を今一度考えると、当時とは違った結論になるかもしれない。まあでも個人的感情としては、高橋氏より、なし子先生のほうが好きですけどね。なぜなら、なし子先生のほうは、評論家ではなく表現者だからです。そこはやっぱり最低でも敬愛の気持ちは持っていたいな、と。

*1:かつて七尾旅人氏に「感情的物言いはよくない」的な説教をした人物とは思えないような感情的言動に心底驚いた

*2:しかも高橋氏はこの喩えがよほど気に入ったらしく自画自賛発言までしていました。いったい何を浮かれているのか、本当に腹立たしかった。

*3:そういう距離感、つまり、常に他者とのあいだに壁を作る、という僕の性質が、親しみにくい、ということで仲間扱いされない、ということにもなるんだけど、やっぱりそれは、最終的にはやっぱり、自分自身の感覚を守る、というほうを僕は選ぶ。だから、その壁をムリクリ乗り越えてくるようなヒトを僕はいちばん嫌悪する(長崎時代によく起こったことはこれですね)。

そんな頑固じゃなくても守れるのではないの?と言うかもしれません。それが出来る人は器用な人なんでしょ。僕はそれができませんから。というか、出来るように頑張ったこともあったけど、結局できなかったなあ、と学習しましたから。結局ガッツリ自分を守るしかない。寂しいけどそうする以外にない、ということですね。

*4:どんな創作物にせよ、上梓というのは何らかの精神的、肉体的変化というものはあるものです。本人はそのつもりなくとも、外から見れば、そういう微妙な変化は伝わってくるものです。そういうのが傍若無人に見えたりするということではないかなと思う。そういうところまで透けて見えてしまうのがね…。僕が彼を見ていたのは、自分に似てる部分もあったからだと思う。だからこそ、今回の件で「自分も老後にああなるのかと思うと怖い」などという感情がわいたわけで、精神的にもよくないし、離れるしかないな、というのが今回の結論かな。まあ、また気持ちは変わる可能性はあるけど。少なくとも、以前と同じようには見れないでしょうね。。

*5:最終的には「メイン」「横道」という差もなくなればいいと思ってる。

*6:ちょっと僕の常識では考えられないようなことをされたわけです。よくこんなんでプロになったなあと思うような

P.S. ダイヤランドにて。

7年間住んでいた長崎。最初の1年だけ、事情があって、市内ではなく三和という山奥に住んでいた。交通手段はバスしかない。だらだら40分〜50分ほど乗る。お陰で iPod大活躍であった。
市内から三和方面に行くバスは、いくつか種類があったが、その内のひとつに「ダイヤランド経由」というのがあった。初めて聴いた時、不思議な名称だなと思い、何かの娯楽施設とかなのかなと思ったが、実際に通ってみると、ただの団地だった。そのバスに乗ると、途中からメインの通りを外れて曲がり、どんどん急坂を登って山の上に行く。そんな、仙石原みたいな高台のてっぺんに住宅地が開発されていたのだった。最初は名前が覚えられず「ダイヤモンド・ランド」などと言っていた。高台だし夜になると夜景が綺麗そうだな、なるほどキラキラ光るからダイヤモンドなんだろうか、などと呑気なことを思ったものだ。 そんな話を彼女さんにすると大いに笑われ、「バカじゃないのw 三菱だからダイヤなの!」と言われた。そうだった。長崎は三菱の城下町なのであった。

最近の日本の動向などを考えるうち、ふとロシア革命のことが気になり始め、いろいろと調べていた(こんなサイト)。同時代、というか幕末あたりから明治までをいろいろ掘っていくと、やっぱりそこは岩崎弥太郎に到達するのである。ある意味政商というか、悪い言い方をすれば武器商人のような岩崎氏と三菱。長崎では三菱関係者が一番偉いとも聴く。

僕のようなヨソモノから見ると、戦艦武蔵まで建造していた三菱城下町の長崎、そして原爆が投下され平和運動が盛んな長崎、そのような相反する事実が同居する街は、どこか歪で不思議な感じがしたものである。「軍都」長崎で「平和を語る」ということの意味とはなんだろうか、と今一度いろいろ考えてしまった。
平和熱心な町の人々の主張を見るにつけ思っていたことがある。被災された方々が、思いのほか顧みられていない、ということである。たぶん政府とか、対象となるそういう相手が、彼らの主張をしっかり受け止めきれていない、だから、その相手に対して、言いたいことや不満がたくさんある、だから主張し続けているのではないか。観光や造船業といった産業に比較して、平和に関することや、被災者の方々に対するケアなどが、まったく足りていないのではないか。そんな気がしたということである。
そのへん突き詰めていくと、実はグラウンド・ゼロは「長崎ではなく浦上」という事実があったり、クリスチャンの多い土地柄、被災モニュメントである浦上天主堂が残されなかったことの事情など、「ダイヤランド・長崎」と「受難の街・浦上」との微妙な関係が浮かび上がってくる。結局その辺、体よく丸め込まれているような気がして、そういう部分がやっぱり一番の納得行かないところだったんじゃないかなあ、そしてそれが現在まで続いてる平和運動の根底にずっとあるのではないのかなあ、と思ったりしたのであった。

街の成り立ちや歴史、住民気質などについて、町の人々から僕がよく聴いたことのひとつに「ココは天領だったからプライドが高い人が多いのよ」というのがあった。確かに、何かというと江戸時代から幕末を語りたがる人も多いのである。実のところは長崎の本領は明治からの歴史にあるが、そうすると必ず岩崎氏のことに触れることになるので、あまり口にしない、というような印象があった。なるほど、そうすると、昨今無闇に「坂本龍馬推し」なのも納得がいかないでもない。龍馬を推すことで「岩崎推し」に偏ることに少しでも抵抗してるということなのかも知れぬ。
三菱関係の人で平和運動もしてるヒト、というのは果たして居るのであろうか。最近ちょうど、世界遺産の件で色々あったけど、今回の一連の認定は、つまり「富国強兵の肯定」路線ということにもなるだろうね。そうすると平和運動とは、ますます相交わらないものである気がするのだが、街としてはどうするのであろうか。

そういえば移住してすぐに驚いたことがあって、それは「長崎には三井住友銀行がない」ということだった。移住前の東京時代、僕は三井住友の口座をメインで使っていたので、移住後、預金が無料で下ろせなくなってとても困った。しょうがないから、しばらく使ってなかった三菱東京UFJの口座を復活させた*1。あとは、街なかに無闇にローソンが多い。これも三菱商事だからね。よくよく考えると、いろいろと納得することが多い。あまり気にしてはいなかったが、実はそういう街(企業城下町色の濃い)なんやなあ、と改めて思ったな。

まあしかし複雑な思いはあるものの、実際僕は、ディスプレイは三菱を長年愛用しておりますし、また古のオーディオマニアの間で「ダイアトーンのスピーカー」は名機とされていたのでリスペクトの気持ちもある。また、あまり大きな声では言えないが、この企業を狙った悲劇的なテロ事件の主犯が、実は僕の出身高校の先輩であったという事実があり、贖罪の気持ちも多少抱いている(まったく無関係ですが)。そんなことを複雑に考えつつ、また来る夏のことを想うわけです。

*1:余談だけど、この口座はテレビ局時代の給与振込先として開設したものでして「麹町支店」という東京のド真ん中の口座だったものですから「さすが、いい場所の支店で口座持ってますねー」とかよく言われ、ステイタスとしてずいぶん有効に効きましたw