恋する段差ダンサー

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不幸自慢できないコンプレックス

小島慶子氏のADHD話はいろいろ思うことある。

ADHDを公表してみたら、こうなった~普通って、一体なんだろね?(小島慶子) - 個人 - Yahoo!ニュース

うちは親がそうだった疑いがあり、親元を離れて一人になってから10年かけて自分が「普通に」なっていったという感じがする。今現在は自分の仕事が特殊なのもあり「普通」である必要性は薄いのであまり気にしてない。

2018/12/28 05:11

b.hatena.ne.jp


私、昔からよく言ってたのだが、自分は音楽をやるにしては、他のアーティストなどと比べて「目に見えるわかりやすい不幸」がないので、長年それが「コンプレックス」だったと。
特に70年代80年代の日本のアーティストという人々を見ると、尾崎長渕系が流行ってたり、あるいは「成り上がり」といった「矢沢」が評価されてたこともあり、育ちが複雑だったり貧乏だったり親が居なかったり不良だったりなど、「人に自慢しやすい」不幸事がたくさんあることが、音楽をやる一番大きな理由になってるみたいなところがあった。それに影響を受けて「だからオレは音楽をやってる」などと語る輩も周りにゴロゴロ居た。

私には(残念ながら)そういうものがまったくなく(と当時思ってて)、自分自身も「なんでだろう」と思ってたし、何より人に「あなたは両親も揃ってて公務員でもあり、とっても幸せな家庭だったじゃないか」と責められたり嫉妬されるのが本当に辛かった。そんな家庭に育った自分は「音楽などやる資格はないんじゃないか」とすら思ってた。大げさでない。本当に思ってた。だからずっとドラマーをやってた。あれは何も考えずに済むからね。

時代が変わり、90年代以降、DVやいじめ、ネグレクトなどが徐々に話題になり、トラウマなどという言葉がメジャーになってくると、わたしみたいな不全家庭は(両親揃ってても金があっても)問題があり不幸である、ということが徐々に世の中に浸透し、私も「父の横暴さ」などを語ることで「不幸な生い立ちのミュージシャン」の仲間に加えてもらえるようになった。自分もやっと「不幸になれてホッとした」*1


そういえばホテル時代、仕事が面白くてやたらシフトを入れてもらってた。そうして昼夜仕事が続きハードになってきた頃、あ、これで「寝てねえ」「忙しい」自慢ができる!と思って嬉しかったものだ。当時の日本は「24時間戦えますか!」の時代。地獄のミサワではないが「自分がいかに多忙であるか」を自慢しなければ認めてもらえなかったのだ。


そして今度はADHD話である。このブログ過去記事でも散々書いたとおり、自分の子供時代の症状や経験を話すと「私も何らかの発達障害に当たる」と想像はできるものの、正式に診断されたことはないし、他人の症状を聴くと、自分の場合は「私もADHDなんです」と自慢できるほどの重い症状ではない気がしてきて、心がザワザワしてくる。

音楽をやったり、ここでブログなどを書くに当たり、昨今人気の周りの方々と比べても、自分なんかずいぶん「マトモ」な気がして、そんな「普通な自分は」音楽をやったり、ココでブログを書くような資格はないのではないか、というような意識が生まれ、そして昔のように「自分はそれほどでもない」コンプレックスに悩まされるようになってくるのだ。


私の人生はこうして常に「一般的な〜ではない」ということに悩まされ続けた。キラキラ男子の項でも書いたが、私みたいな人は、いつでも周りに「私しか」居なかった。それが本当にきつかった。そしてまたこれからも続くのだ。


★いちいち注釈で引用するのも面倒なので、過去の関連話題を以下にまとめて貼っておきます。

 karamandarine.hatenadiary.jp

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*1:90年代はビンテージ復活の時代でもあり、60年代サウンド渋谷系といった「悩みなさそうな音楽」が流行ったことも大きかった

福利厚生クリスマス

みなさま。ハピクリ。

前回のエントリーで、私の「キラキラ男子」ぷりを書きました。つらい幼少時代で、楽しいこともなく家庭も居づらく、ホモソ男子からも疎外され、孤独だった、というお話でした。 

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そんな私ですが、前回書いたように、何故かクリスマスには楽しい思いがあるのです。具体的にどうこう、という出来事があったわけではないのですが、クリスマスはどこかワクワクして楽しいものだ、という意識がずっとあったということです。街も綺麗だし、人々もウキウキしてるように見え、そんな華やいだ雰囲気は、今なら「爆発しろ」と思ってもいいくらいの自分の環境ではありましたが、不思議とそういう気分にはなりませんでした。

暗い子供時代だったはずなのに、それは一体なぜだったんだろうか。


私が子供の頃の日本というのは、今以上にみんな、何某かの組織への帰属意識を持ってた時代です。経歴を大事にし、大企業や工場、官庁などの組織に自分が属してることを、時には自慢してたり誇りに思ったこともあったでしょうね。実際そうすることで「得することも多かった」のです。

それは福利厚生という部分です。


私が通ってた「バンカラ進学校」の話は以前 ココで 書きましたが、そんな私の高校時代、おもしろいことがありました。ちょうど冬休み直前の12月終盤くらいでしょうか。私達が部活を終えて帰宅しようとしたとき、先生たちが帰宅する時間にちょうどかち合ったのです。で、その先生たちが何故か、それぞれ手に手に同じような荷物を持って居たのです。よく見るとそれは「デコレーションされた箱」が入った白い袋でした。「あれ何かね?」と私が部員仲間に聴くと「あれはクリスマスケーキじゃね?」と言うのですよ。なんでみんな学校からクリスマスケーキを持って帰るわけ??と私が言うと「アホだな。業者がクリスマス前に職員室に注文取りに来て、まとめ買いできるようになってるの」と*1

それで私は、自分の幼少の頃を思い出したのです。

実はうちの両親は公務員だったのですね。父の酷さや母の不安定さから、とてもじゃないが居心地がよかったとは言えない私の家庭ではありましたが、両親が公務員だったということで「実は救われてた」と今になって思うことはたくさんあります。

そのひとつが福利厚生だったのです。父の勤める役所には催事会場があり、そこにいろんな業者が出入りしており、スーツやら日用品やら娯楽品やらが売られていました。それ以外にもカタログ販売などもあったんじゃないかと思います。もちろんどれも「特価」での販売でした。
非常に暴君でだらしのない父でしたが、そういう父が気まぐれにたまに持って帰る百科事典全集、世界の文学全集、世界の音楽レコード全集、などというものには、子供心にもときめくものがあったと思います。そして、その中の一つが「クリスマス・グッズ」だったというわけです。

前回の「キラキラ男子」記事に貼ったツリーの写真も、実はそういうものの一つだったのかもしれません。あの無粋な父が「クリスマスツリー」などというロマンティックな発想に及ぶはずがない、という気がします。そうすると、たぶん役所でまとめ買いか何かしたのではないだろうか、と思ったわけです。もちろんケーキなどもありましたよね。田舎町のことですしデパートなどで買う余裕もない気がします。そうすると、やはり出入り業者によるカタログ買いだったんじゃないかと想像できるのです。


世の中的には、まだまだ野蛮だった日本であったし*2、うちがそうだったように、他の家庭も貧乏だったり殺伐とした家が多かったかも知れません。そんな風潮の世の中で、個人ではケアしきれないようなソフト部分を、会社や役所といった組織の福利厚生が補っていた、ということは大きかったのではないかなと思うわけです。
たぶん、いくら当時が欧米文化を取り入れて近代化の道を歩んでたとしても、個人個人でその意識を高めていくのは限界がある気がしますね。そんなの田園調布とか成城とか、ごく一部のセレブ一家がやってたに過ぎない文化だったのではないでしょうか。
平民である私たち一般人の「足りない意識」を、組織である会社や役所が福利厚生として補っていた、そしてその恩恵を受けた「私たち子ども世代」が、今このような意識になった、ということなのかも知れません。
当時はまだ高度成長期でしたから、組織がそういうことをするのも「経済的にも」余裕だったんだと思われます。また、力が強かった労働組合などという組織も活躍してたのかも知れません。


80年代から商業的クリスマスが徐々に台頭してくるようになり、90年前後のバブル時代、メディアや業界の仕掛けで「バブルなクリスマス」が当たり前になってくるのですけど、それらが全て過ぎ去り、自己責任論だけが残り「荒れ野」みたいになってしまった今の日本で「クリぼっち」「中止のお知らせ」などと卑下する風潮なのは普通の感情かも知れません。だって誰もケアもしてくれないんだもの*3

そうして個人的に思うのは福祉や社会のケアって大事なんだなと。今でもあちこちの施設で、ボランティアさんがサンタの格好をしたりお菓子を配ったりする「クリスマス催し」みたいなのをやってるでしょうね。そういうのが大事なんだと。そんなことを思いました*4

というわけで。よいクリスマスを!

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*1:その言葉には「いい御身分だね」みたいな含みが感じられた

*2:→ karamandarine.hatenadiary.jp

*3:補足。電通の高橋まつりさんが亡くなったのはクリスマスということでした

*4:それこそが「サンタクロース」なんじゃないかと

キラキラしている私

むかし後輩女子からいきなり「きらきらしい人は苦手です」と言われたことがあります。どうやら私は「きらきら」してるらしいのです。

先輩女子からは「かわいいー」としょっちゅう言われていました。同年代とかからは「悩みなさそうでいいよね」が、もう当然のデフォルト表現として喰らいます。
そんな自分の様子を見て、部活の先輩男子とかが絶対に絡んでくる。「お前いい気になんなよ」「可愛がられてるからって調子にのんなよ」攻撃を喰らいます。「いい気」にもなってないし「調子に乗って」もいませんが、そう見られます。
こうして私は「ホモ・ソーシャルから常に排除」されていました。排除されてたら居場所がないですから、可愛がられてる女子の集団と親しくなりますわ。そうするとますます「あいつは女とデレデレしやがって」と来る。まあ何をやっても気に食わないらしいです。

私はココでずっと「業界ミソジニー」のことを書いてました。そして業界というのは多分に「ホモ・ソーシャル」の世界であるとも書きました。ですが自分がいくらそう訴えても、実際の業界を知らない人にはピンとこないのかもしれません。

以前、私のライブを初めて見た人から「こんなにキラキラするライブをしてるんなら、そりゃあ業界のホモ・ソーシャルみたいなオッサンどもとは合うわけがないと明確にわかった」と言われたことがあります。それくらい、私の立ち位置や存在は、「同年代」そして「おっさん」としては「異端」だということなのでしょうね。


先日たまたま以下のような発言を読みました。
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以前、私はココで「業界の中でいわゆる一発屋とされる人たちの中には、驕ったり才能が枯れた人も居るだろうが、それ以上に業界ホモ・ソーシャルみたいな社会に馴染めず去っていった人が多いのではないか」と書いたことがあります*1

私も、あまり事情を知らない昔には「いわゆる一発屋さん」を「しょせん続かなかっただけ」みたいにバカにしてたところがありました。しかし今こうして、業界の事情などを詳しく知ってしまうと、「あんな人々*2」が大きな顔をしてるような、そんな人々のルールがまかり通っているような世界に「合わなかった」人たちもたくさん居たに違いない、と思うようになったのです。
実際、上記脚注の「5キロ先の崖」記事を読んで「自分もそういう世界が居たたまれなくてメジャー契約をやめた」とツイッターで反応してくれたアーティストさんがいました。
そうなのです。続かなかった、続けられなかったのは「自分の根性がなかった」「才能がなかった」というだけではないんです。「音楽ホモ・ソーシャルという狭い世界のルール」に馴染めなかった、納得がいかなかった人たちがたくさん居るということです。

ビートルズジョージ・ハリスンメンバーの面白い発言があります。「自分は非常に嫌なやつだよ。なんと言ってもあのビートルズのメンバーが務まったのだからね」。これはまさに的確です。


話は戻りますが、私はよく自分のことを「純粋培養」と表現してます。過去の私のブログ記事を探せば、この表現が何度も出てくるはずです。今思うと、この「純粋培養」というのは、すなわち「きらきらしている」ということなのではないでしょうか。
自分が「きらきらしている」ことについて、果たしていいことなのかどうか、自分ではわかりません。しかし、こうしか生きられません。

そして、そういう自分だからこそ、ミルクを始め、いろんなああいう作品群を産めるのだと考えると、「きらきらしている」のも自分の立派なアイデンティティだし、タレント性なのであろうと思います。これこそが自分の「アーティストとしての個性」なのだろうということです。

当時私のことを「きらきらしい」「ナヨってる」などと揶揄した皆様。今のこの私の活躍を見てどう思いますか?それでも「ケッ」と思うでしょうか。
まあ私のことは構いません。でも、そういうこと言うの、今後はもう他の人には辞めてあげてくださいね。アナタの一言で辞めていった人がきっとたくさんいます。そうした成れの果てが今の業界の実態なのかもしれません。


☆ミ

小2のときに買ってもらった「クリスマスツリーのセット」が実家の屋根裏に残っていました(写真)。私の「キラキラ」の元祖がたぶんこれですね。クリスマスだけが楽しかった当時。だから今も、クリスマスだけは特別な思いがあるんだな。
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