釧路臨港線。ついに鉄道模型化する。
釧路の石炭輸送列車、太平洋石炭販売輸送臨港線が廃止されてからの様子を伝えております。今までの記事はこちら。
おもしろいねえw
廃止されたからこそ、こうやって遊んでるわけです。
ところで、路線を残そう運動の甲斐もなく、廃止後はどんどん線路も撤去されていってるわけですが、今回の 2020年冬。ついに、残っている貨車と機関車が留置してある部分「以外の」線路がすべて撤去され、鉄道模型のディスプレイみたいになっていたことをココに報告いたします!
例によって実家の近所ですので、散歩がてら春採駅に行ってみますと。
構内の線路がすべて撤去されているのは想定内だったのですが、残されてる機関車や貨車はどうなってるのかと思って見ますと。
なんと!
線路が残されているのが、機関車と貨車の「置いてある部分だけ」に!!
先端ここに極まれり!
春採駅構内。
普通に貨車が泊められているように見えますが。
足元の線路を見てください。
貨車の手前で切れています!!
左隣の線、機関車が泊められてありましたが。
コレもココで切れています!
近寄って見てみます。
足元。
雪で埋もれてるのとは違います。
本当にココで切れているのです!
機関車側の側線。
プッツリと切れています!
レイアウト製作途中じゃないんだからさ…。
機関車に近寄ってみます。
往年の名機が「展示」されています。
この801は雄別鉄道の機関車。
前の記事で、子供の頃も特に興味なかったといいましたが。
実はこの「アメリカ由来の」ディーゼル機関車だけはカッコいい!と思ってました。
こんな形の機関車はどこにも走っていませんでした。
そして反対側。
ヒブナ坂の踏切方面も見事に切られています。
遠く春採駅を望む。
線路はココまでしかありませんの。
記念に自分の足と共に。
ココで線路が終わっている先端ですぞ!と。
これこそ究極の「鉄道の先端であり終端」ではないでしょうか。
その後、関係者に尋ねてみましたところ、市民有志の運動にもかかわらず「残すことにはならなかった」のですが、そのかわり新たに海外で活躍すべく、機関車などの身売り先はもう決まっている、とのことで、第2の人生もきっと遠い彼の地で活躍してくれることでしょう。
そうして釧路の石炭輸送列車の歴史も終わっていきます。
去る者は日々に疎し。
そのままやねえ。頑張ってね!
★追伸
この記事で書きましたとおり、北海道の建築物は北海道特有の厳しい自然、風雪に耐えられません。なので住民も「失われていくもの」にさほどのコダワリはないように思います。歴史を重視する余裕がない、日々暮らしていく「今現在の」現実で精一杯だ、という道民の現実は知っておいてもいいと思います!
食べられた釧路はハイカラ味。
釧路を食べられなかったシリーズ。
苦手だった魚介類でしたが、父との思い出のこともあり寿司だけは美味しく食べたのだという話を前回書きました。
ではそれ以外に私は、釧路では何を喜んで食べてたでしょうか?
それはずばり。
こういうものでございます。
今や釧路のソウルフードとなった「泉屋」!
釧路名物「鉄板スパゲティ」。
その中でもダントツ有名な「スパカツ!」
山盛り!
凄まじいですね。
ジューシィなミートソースにカツ!
こう書きますと「なーんだつまんない。ベタすぎやろ」と思うかもですが。
違います!
まだ全国に泉屋がまったく知られていない、今みたいにB級グルメとかご当時グルメとかがまったくない時代から、私達はこれらを「美味い美味い」と食べていたのです。今ありがちな「作られたご当地グルメ」ではありません!私が幼少のはるか昔から、みんな好きでこれを食べてたんです!
今振り返ってみると、釧路の街が景気がよく、大勢の人が集まっていた時代、釧路は地域随一の都会でありました。人々も洒落てて垢抜けてたし、そんな街の有志子息が通ったのが、私も通った国立小学校でした。そんな私達は、まだ他の人が魚などを主に食べてた時代に、家でも外でも「ハイカラな」洋食を食べてたんです。
上記泉屋のサンプル写真がありますね。実はスパカツだけの店ではありません。洋食レストランとして、様々なハイカラメニューもあるのです。
もちろん泉屋だけではありません。トキワグリルとか、まさに昭和洋食みたいな、いま銀座にありそうなレストランがいくつもあったんですね。そういう場所にお洒落して食べに行くのが常だったんです。
友人の家に遊びに行っても、出てくるのが自家製ピザとか、そんなハイカラメニューでしたし、我が家で出されてた食事も洋食が多かった記憶があります。私の好みに合わせたんでしょうけどね。母は看護師免許を持っており外で働いていましたので、いち早く冷凍食品を取り入れた家庭でもありましたが、それもハンバーグなどの洋食が多かったです。
こういう言い方をすると嫌味になるんだけど、当時の私達は「魚などを食べるような野蛮な人たちとは違う」という選民意識というか、田舎もんじゃねえよ、みたいなプライドを(周りのオトナから)刷り込まれてた気がするのです。それくらい当時の釧路は「都会だった」ということです。そうね、帯広なんか田舎だってバカにしてたしなあ。今じゃ信じられないけどw
まあそういうわけなので、漁業の町ではあっても景気がよかったから他の産業も十分栄えており、漁業に依存せずにハイカラな文化を嗜むことが出来たということなのよね。
他にも釧路といえば。
東家の蕎麦。
これもベタですが、昭和天皇が食べられた、ということもあって、ハイカラ趣味としてよく通っていた気がします。泉屋と同じく、あとから作られたグルメではなく、もともと町の人々が愛していたものです。
…というか当時は、市内の蕎麦屋って「ほぼ東家」しかなかったんだよねw
すごいよね。*1
かしわ蕎麦。
ざる。
そう!これが有名な釧路名物「緑の蕎麦」です。
ずっとこうなんです。
だから釧路民は「そばといえば緑色である」と思ってる人も多いです*2。
七味をかけて。
ちなみに北海道では唐辛子を「なんばん」と言いますねw
なお、東家の総本店「竹老園」子息は私の同級生でありまして、今が何代目かは知らないけど、その当主の弟になります。こんな不景気時代にハイカラ釧路の文化を引き継いでいくのは大変でしょうね。頑張って欲しいですが。
あともベタばかりなんだけど「ザンギ」。
鶏の唐揚です。
こういうものはほんと美味しいね。
釧路で、知人の家で出された「ザンタレ」は、このザンギを元に「最近」開発された新メニューですね。なのでザンタレは「作られたグルメ」になりますが、元々はこのザンギです。
というわけで私も「最近の流行り」ザンタレが気になって、街で食べてみました。これは最近です。
お祭りの屋台でも出てくる定番メニュー。
結構ハイカラというか、濃いメニューばかりですよね。寒いからね。温まってこってりしたものが好きなのだろう。それがまた「子供の舌」に向いてたんやろねえ。
さて余談ですが、前述の泉屋。
スパゲティもスパカツだけじゃないです。定番イタリアンやミート、ボンゴレなどの他に「泉屋風」というのがあります。最近はもっぱらこれを食べます。スッキリ塩味というか、不思議な五目焼きみたいな味です。高校時代の私達は「余りものをぶっこんだだけじゃないのか?」などと言ってましたがw そんなことはないと思います。
このとき10年ぶりくらいに食べたんだけど、あまりに美味しくて、これだけでビール大ジョッキ3杯飲んでしまったのよw こんな素晴らしい食べ物はないわ!と感動して帰りましたね。たぶんスパカツより美味しいです。
最後になりますが、竹老園にいるのは同級生、という話繋がりで。
実は白糠にある「やはた」らーめん。ココの店主も同級生であります。
これは厳密には釧路ラーメンと呼んでいいのかわからないけど、その流れをくむ「細麺&醤油味」というスッキリラーメンですね。中学のとき初めて食べて「これすっごい美味い!」と思ったなあ。遊びに行くといつも昼ごはんに、おやっさん(同級生父)が出してくれたんですよ。
30年ぶりくらいで味わった醤油味。
2年後くらいに訪問して食べた味噌味。
そのまた数年後に訪問して食べた塩野菜ラーメン。
そしてぎょうざ。
いかがだったでしょう。
魚の味はわからない私ですが、こうして釧路グルメは意外に楽しんでたのやね。わざわざ魚介類を食べたいと思わなかった理由がわかりましたでしょうか。
故郷を出たばかりの頃、北海道は東日本なので、東京と共通性がある「東日本味」なのかと思ってたんだけど、その後、関西〜東京〜九州といろいろ移り住んでみて「北海道味は意外に西日本と共通点がある!」と思うようになりました。少なくとも「関東の味」ではないです。
そんな気付きも、全国を渡り歩いて知れることやね。
まだまだ人生に楽しいことは残ってそうだぞ!と。
以上!
*2:ちなみに緑のそば元祖は「かんだやぶそば」らしい→
sobaweb.jp
食べられた釧路 その1
前回こんな記事を書きましてん。
魚の街である釧路ですが、私は魚介類がほぼダメだったので、食べられる…というか「この街に住んでてよかったー」的な意味での食の恩恵をまったく受けていなかった、ということを書きました。
さて。
実は唯一の例外があります。それは「寿司」です!
北海道弁では「なまずし」と言いますね。魚介類嫌いな私でも唯一!「美味しい美味しい」と食べたものが「寿司」だったのです。
その理由。
実際に美味しかったということもありますが*1、実は父親との「唯一の楽しい思い出」と関係が深いのでした。
私の父とは。
こんな人物です。
他にもこのブログで父に関するDV記事をいくつか書いてるけど、まあそんな最低の父ですわ。しかし、そんな父でも唯一「私が好きだった」父というのがあります。それは真夜中に酔って帰宅したときに「寿司折り」を持っていたときです。
そういうときでも母は烈火のごとく怒り「どこの飲み屋の女に買ってもらったんだー!」とか「そんな飲み屋街の不潔な寿司なんか食えるかー」「その金はどこで調達したんだー!?」などと罵倒しまくってたんですが、不思議に、酔って帰宅するときの父は普段とまったく違い、朗らかで私には優しかったのです。
寿司折を広げ、私に「美味しいから食え」と言い、私が食べている様子を微笑ましく見ている父。普段の鬼のようなDVモラハラ野郎とはまったく違うのです。そういう父を見ていると、一体どっちの父が本当の父なのかわからなくなります。
その後も機嫌がよいと、幼少から参加してたという合唱団仕込みの美声で、イタリア歌曲やら昭和の古い流行歌やらを披露します。*夜中の2時くらいですw
そうして満足すると彼は床に入り、翌朝、酔いから覚めるといつものDVモラハラ野郎に戻っているのでした。
そんな経緯から、今でもスーパーなどで寿司を買ってしまうことがあります。
幸せな気分ですねw
よく怒られるんですけど、わたし、付いていた醤油を直接ネタにかけてしまいます。これめんどくさいというのもあるんやけど、父の寿司折を食べるときに「直接しょうゆをかけて食べるのがすごい美味しかった」という「楽しい記憶」から、いまでも直接ぶっかけてしまうのですね。コメに染み込んで美味しいですw*2
★前回と同じく、今回のインスパイア元。
北海道には、丸餅がない? 雑煮もない? - 日本の最東端で暮らしています
前回言及させていただいたあと、1月の私のライブのときに、こちらの記事のことをMCで出させていただき、地域による「角餅と丸餅の違い」について語りました(私のお客さんに九州出身者が多いため)。ありがとうございました!
★続き!