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恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」まとめ。まだまだ深く掘っていきマスク。

渋谷系のルーツの話のようなそうでないようなまとめ。

まとまりがないかもですが、先日、渋谷系のルーツを考える、というのが流行った時に*1、自分なりにいろいろ思い出してまとめた発言が以下になります。なかなかおもしろい。

ツイッター渋谷系のルーツをずっと考えてたが、つきつめると、第2次ブリティッシュインベイジョンに行き着くだろうね。 

高浪さんがそういうの仄めかしてたので、やっぱりそうなのか、と思ったけど、そもそもフリッパーズ・ギターも、スタイルカウンシルのパクリから始まったのだし。
ネオアコ系の中でもソウル含有率の高い音楽がスタイルカウンシルとか、あとはスパンダーバレエもちょっとそう。そういうの。
カルチャークラブも同じ。つまり、アシッドジャズのポップだったのだな、と。
第2次ブリティッシュインベイジョンは短かった、比較的早く廃れた、という感覚があったし、徐々に濫造されて質が低下してったので、聴いてるとカッコ悪い音楽になっちゃった。
そういうなか、スイングアウトシスターみたいな一段上の人が出てきて、これはいい!と思ってハマったんだな。そこからはずっと90年代末まで15年くらいスイングアウトシスターを聴き続けた。
いま振り返ると、スタイルカウンシルは好きだったし、ポールウェラーとミックタルボットのコンビも最強だと思ってる。鮮度が落ちなければずっと聴いてたと思うけど、すぐにネタ切れしてしまったんだよなあ。
60年代のソウルやソフトロックを新しい感覚でやりたい、という彼らのコンセプトは、フリッパーズとピチカートに受け継がれて、そのまま渋谷系的な流れになったので、結局、第2次ブリティッシュインベイジョンの、特にソウルネオアコ系が、ルーツだと。
僕がこういう時代のことあんまり語りたがらないのは、昔の自分だと思ってるからなんだよね。
僕は、仲間とか交友関係、文化的な流れとかを引き継いでくるのが嫌で、例えば、彼女が変わった、引っ越した、バイト先が変わった、というような出来事で、それ以前以後を、はっきり切り分けてしまうのです。
自分の中ではその分水嶺のひとつが、スタカンとスイングアウトの間にあり、新しい感覚になった自分が発見したスイングアウトと、それまでの古い自分が聴いてたスタカンとは違うんだ、と。戻りたくないんだ、という感覚があるからだね。
ジャンルではなくて年代だと思う。88年以前と以後では違う自分である、という感覚。なので、アイドルも同じで88年以前の音楽、もちろんおニャン子も含めて、自分としては「昔の自分」である。という。
翌年の89年には平成になってしまうので、その歴史はほぼ平成と一緒ですね。すごいね。
その後は、92年くらいに境目があり、96年に大きな境目があり、そしてaiko椎名林檎に出会った2000年が大きな境目になる。
その境目「以前以後」というように自分の中では感覚が明確に分かれてるので、「以前」のことは、あまり語らない。これは故意にそうしてると思う。なぜかというと「古い感覚に戻りたくないので」ということです。
「むかし ばなし するなんてぇ~ 気~の弱い 証拠なのーさ」 by 松本隆。ということでは。
例外があるのね、それは例えば大好きだったスイングアウトシスターみたいに、ずっと続けてブレイクしていること、そういう対象は語れます。達郎とかも割りと嫌ではない。今やめていなくなってしまった人は、あまり思い出したくないw
で、次の境目はどこにあるんだろう、いつ来るんだろう、というのが、専らの最近の興味でございますw

第2次ブリティッシュインベイジョンで新鮮だったのは、「バンドじゃなくてもいい」というところだった。スタカンもそうだし、ティアーズフォーフィアーズもそうだし、他にもメンバー2人だけ、3人だけ、というグループがたくさん居た。
歌うアイコン女子ものは少なかったな。記憶にあるのでは、 パッツィ ・ケンジットのエイスワンダーくらい。これはバンドだったけど、パッツィは声もビジュアルもすごくよかったと思う。
ポールウェラーを筆頭に、当時はブリティッシュ男子がすごく人気があったからねえ。真似たかっこした男子が東京のいたるところに居ました。
そういう、ファッション面での影響も大きいところが渋谷系ぽいんだよなあ、と思ったりする。みんな草食系だしね。当時はロックは暑苦しいと言われたからw
なので、ライブエイドがもしなかったら、80年代ロックの人たちは、そのまま消えていた可能性も充分あったと思うよ。あれで「古臭い」人々が出てきて、みんなが引いてるところで、スゲエパフォーマンスをして、おっさんも悪くない、という風潮に逆転させたのは、あれはものすごい功績だあと思う。
というわけで、95年前後の東京の様子に既視感があったのは、そういう第二次の経験があったからだろうなって思う。

というような、滅多にしない80年代の話はこれでおしまい。そのうちブログでも書くかw


スイングアウトシスターはホント好きだった。それまでの音楽に足りないと思ってたものが全部あった。だから短命に終わって欲しくないなあ、って祈るような気持ちで追い続けた。90年代まで続いて、大学生の間で、アシッドジャズとして好んで聴かれてると知ったとき、本当に嬉しかったの憶えてる。
こうやって流れで考えていくと、僕の中でSOSの存在はかなりでかいなって思う。僕にとって、aikoと林檎の前はSOSだったんじゃないか。
そういえば、こないだラジオの特集やって気付いたけど、僕はSOSの新譜は99年を最後に聴いてないんだ。aikoを発見したのが2000年なので、ちょうど入れ替わりなんだ。


-「~系」という言葉-
それまでは「~派」みたいな言葉だったのが、なぜ渋谷「系」なのかという話も盛り上がってた。

トロピカル on Twitter: "@mokomoko @LettuceOfLife @69Gentleman @y_kurihara 一つあまり指摘されないこととしては、「○○系」て物言いが90年代前半に流行りはじめた、てのがある。「ラーメン食べる?」を「ラーメン系いく?」みたいな"

実はこの「系」という言い回し、90年代初頭から僕らのバンドの身内でもさんざん使っていた。それまで、たとえば「寿司でも行く?」みたいに言ってたのを、ともかくなんでも「寿司系でも行ってみる系?」みたいに言ってた。
ともかく、湾曲な言い回しを考えたほうが勝ち、みたいな風習があり(笑)、ここでも、寿司、と断定せずに「系」をつけて、揺らぎを含めてるのが面白かったのだ*2。当然外部ではそれは通じず、同じ音楽仲間や仕事でも、「~系」という言い回しは通じなかったと記憶する。なので、やがて世間で浸透し始め「それ系」などという言い回しが出てきた時は、ものすごく驚いた。
メジャーのアーティストをやってた友人が歌詞の中に「~系」と盛り込んだのが96年、この時点で、この言い回しは一般に完全に浸透したと言えるだろう。

-intermission-

僕が渋谷系スタイルに「戻る」過程を。
基本的に僕の場合、あくまで「メジャー路線」だということがわかる。
それは僕自身の作風にも一貫している。


「あ、日本の音楽変わる!」って一番最初に思った曲。92年


私がオバさんになっても - YouTube


あとこれ(曲。03:08〜)。


スウィート・ホーム OP - YouTube


僕的にこれは「完璧な曲」。


熊谷幸子 風と雲と私1.flv - YouTube


これも名曲。


内田有紀/幸せになりたい 1996.mpg - YouTube


これも、ものすごく好きだった。


森高千里 『二人は恋人』 (PV) - YouTube


-閑話休題-
これ以降は、80年代の音楽は殆ど聴かなくなったな。もう聴かずに済んだんだよ。それ以前までの要素がすべて含まれてブラッシュアップされたものが存在してるのだから、不要なんだよ。


-音楽的な変遷-
僕は音楽家なので、これは新しいとか変わったとか言う場合は、もちろん今までになかった進行とかコードとか、ということになるよ、もちろん。 
今まで挙げた曲やアーティストにはそれがあったってことですね。もちろんポップス音楽の歴史としては別に新しくは無いんだけども、日本人の歌謡曲製作者がココで使い始めた、という瞬間が存在するってコト。 
使いこなせるようになった、でもいいのかもしれない。例えばネオアコのソウル含有率高めってどういうことなのか、っていうこととか。 
92年の、おばさんになっても、でオーッと思ったのは、それがおおぴらに使われてたからで。それ以降、日本のメジャーポップス(オリコン上位を目指すというような意味での)での制限がなくなったんだよ。 
それまでは、そういう進行を使うと、どうしてもユーミン小田和正ぽくなってしまうので避けていたんだろう。つまり応用が出来なかった、そういう実力のある人がなかなか出てこなかった、世間も求めてなかった、でいいと思います。 
スタカンは日本で人気があったので、もどきみたいな人たちもいたけど、みんな単なる劣化コピーに過ぎなかった印象があるし。やっぱり「出来なかった」んだよ。 
東京ラブストーリーが91年だね。あれで本人が自ら禁断を破ったんだな。一方の由実さんはミリオン時代で、昔ぽさが無くなり古いファンには不評だったが、ちゃんとアナリーゼすると、高度なコードw を相変わらずちゃんと駆使してる。 
その双璧をやっと他のヒトが超えられたのが92年頃であろう、と。そしてそれを進化させていき、双璧の二人を凌駕していく。って感じだと思う。 
まあでも今でも、和もの切ない系バラードとか聴くと、どれも「春よ来い」の変奏曲wに聴こえるけどね。悪くは無いけど、別に新しくはない。 
90年代以降は、言葉がコード進行を引っ張っていく、みたいな作り方ががすごく上手くなったよね。つまり自然に身体に入っている世代が主流になってきたということで、そこで時代が変わった、と。 
同じようなブラッシュアップは、aikoと林檎でも行われてて、だからこそ、あの二人は素晴らしいわけです。 
頑張って創りあげた世代 vs それを子どもの頃から聴いてて既に身体に入ってる世代、ってことかな。 
誰もが、コピーしてその元ネタを超えられるものを作れるわけじゃない。だから、彼女達は特別。ってことですね。 aikoと林檎に出会えたからこそ、今の僕がある。と。



-アイドル史(おまけ)-
自分のアイドル歴からハロプロ系がまったく抜け落ちてるって話は前にしたけど、もういっこ、広末もまったく抜けてます。興味なかったなあw
こないだ初めて、マジで恋するなんとかってやつを聞いたけど、なんかクドイ曲だなって思ったw
ASAYAN系がまったく抜けてるんだよな。鈴木あみも例の裁判事件になって初めて知ったw その後、曲聴いたらデビューアルバムはいいアルバムだった。
何が流行ってたんだろう、小室系?そういえば私、hitomiが好きだったんだけど、しばらく離れてて、99年のSomedayで久々に引っかかって、また聴き始めたんだよな。だから99年はhitomi聴いてた。
渡辺善太郎曲はよかった。96年から停滞してたけど、久々に新しい感じがあった。今思えば、そういうちょっとグランジな感じが、その翌年のaikoや林檎との出会いの前哨戦みたいなことだったなって思う。
96年まで聴いてた古内とかCharaとかはみんな居なくなってしまったのよね。低調になったり結婚したり。その合間を埋めるものがなくて、何も聴いてなかった。
92年にせっかく、新しい時代ダーと思ったけど、それも90年代末には停滞して、hitomiくらいしか聴いてなくて、世紀末だなあ、という感じがあった。
99年には自分もライブ活動してCD作ったりしたけど、みんなは「よいねよいね」と言ってくれて協力もしてくれたけど、自分の中では「夢の終わり」だなと思って冷めてたなあ。これでオレの活動も終わりかあ。。みたいに思ってた。
だから21世紀になってこんな展開するとは思っても居なかったので、その後はもうずっと、夢の中みたいな感じがする。

*1:「渋谷系」とは日本版アシッドジャズだった!? 若杉実の労作が提示する“DJ文化”という視点 - Real Sound|リアルサウンド

*2:寿司系でも言ってみたいなという気配があるような感じがするような気がする雰囲気があるかもしれない様子があるw など。