恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

差別用語は元々「ポップ」で「キャッチー」なもの

僕らは、子供の頃から日常的に「差別なんかしてはいけません」と教わってきたから、まあ「ふいに」出ちゃうときもあったにせよ、概ね「そうならないよう気をつけて生きてきた」し、周りも当然そうだろう、これから時代が進むに連れ、そういうことは徐々になくなっていくものだ、と楽観的に思っていた。

前にも書いたが、東京下町在住の人々と付き合った際に、そういう発言を「故意にする連中が一部存在」してることがわかり、「えー未だにそんなこと言ってる人達がいるの?東京なのになんて前時代的な風習が残ってるんだろうか」と驚いたのですが、それでも、そんな風習は一部の「底辺的な人々の間のこと」であり、やっぱり世間はきっと変わっていくし、今こうしてDQNなこと言ってる連中も「10年後くらいには判っていくだろう」みたいに思ってたね。

ところがです。

2000年にネットを始めたところ、当時「便所の落書き」と言われてた某掲示板で、そういう発言を「大量に」見かけることになる。こっちとしては、そんな差別発言など「20年ぶりに聴いたわ!」みたいな定番スラングやら都市伝説が、次々に語られていく。
そういう差別的スラングはね、僕が知ってる限りでは、僕らの「爺さん世代とかが使ってたような言葉や伝説」でした。でもそれが、この掲示板では「現在進行で語られてる」わけ。それに本当に驚いたのね。

こういう差別的スラングというのは、言葉として元々「ポップ」なのよ。だから口馴染みがよく、語呂もいいし、すぐに浸透してしまう *1。だから、2000年に見始めてから 3年くらい経つ間に、あっという間に掲示板「全土」に、そういうカラーが浸透してしまったわ。最初のうち僕も「さすがタブーのない掲示板だ…違うわ」などと感心してたのもつかの間(感心すな!)、もう「あっという間」だったわね。

その頃友人と、すごく印象深い話をしたのを覚えてる。この掲示板のことについて話してるときに「あそこ見るようになると、ネトウヨロリコンになるよねw」とその人が言ったのだ(記憶が定かではないが女子だった気がする)。
そう、確かに年々「差別的スラング」と「ロリネタ」がどんどん増幅していったのは僕も気付いていた。そんなのごく一部の人が言ってるに過ぎない、とか思ってるうちに、あっという間に、あの掲示板のマジョリティは圧倒的に「レイシスト」と「ロリコン」になってしまった のね。

そう考えると、僕らが子供の頃「差別をしてはいけません」などと教わり、それを「忠実に守って生きてきていたような人々」は、一体どこに行ってしまったのだろうか??と思う。僕らの周りでは圧倒的に、そういうひと(差別しないという教えを守る)がマジョリティだった。

でも今のネットを見てると全然逆なのだ。そして、それに少しでも反対するような意見をいうと、揶揄的に「サヨ」だの「フェミ」だの言われるのだ。ねえ、みんなどこに行ってしまったんですか?


★まとめ。

それにしてもネット時代になってから、「完全に死語だと思ってた差別用語」が出るわ出るわで…。一体どこに「そんな言葉を日常で使う層が隠れていたんやろ…」と思うようなことばっかりだよな。で、もともとこれらの言葉は「シンプルでポップ」なので「瞬く間に浸透してしまう」というのは前述の通り*2

私最近、業界ミソジニのこといろいろ考えてるけど、これ「昭和懐古主義が主流になってるのと同じ動きなのではないか」という気がするんだよな。

僕は割とどこでも、若者とは楽しく過ごせる人だったけど、唯一、千葉時代にバイトした駅コンビニでのノリにはどうも馴染めなかったということがあって、のちのち連中ってどういう世代だったんだろう?と調べたら、これが「団塊ジュニアだった」ということがありまして、ああ団塊のジュニアなの…じゃあ団塊直系なのね、なるほどねえと腑に落ちたことがあって、今そういう人らが現場仕切ってる世代なので、ああ…って感じはしたな。

これが案外「時代が戻ってきてしまった」の正体かもしれないかなと思ったり*3

*1:子どもにとっての「うんこ」みたいなものです

*2:だからこそ「自粛が必要」だという話。
例えばナチの制服や思想なども「ポップでキャッチー」であるからこそ魅了される。ある意味「覚せい剤」などと近い。それを判ってるからこそ、常に自ら規制して自粛していくよう心がけていなかければならないということ。

*3:個人の偏見です