恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

ネット無礼講オトナの誕生。

ちょうどさっきツイッターで見たのだが、男女混合で何かの議論の最中、熟年論客などが全く脈略なく、相手女性に対して「アナタの声がいい」などと言う「作戦」は、実は「80年代くらいによくあった手法」なのだ*1

ファッションもそうだけど「自分が若いころのセンス」が「そのまんま年を取っていく」ので、その彼も、当時「若者だったときの価値観」が「熟年専門家になっても変わらん」のやろね。僕もその話を聴いて、すごく「郷愁」を感じた。

実は「こういう感覚」は「その人が個人で発明するわけではない」の。

当時のメディアで「誰かが使った手法」を受け売り でやっただけです。

つまり、何かの作品、小説かマンガか、テレビのバラエティか、そういうもので、誰か「プロ」がやったものなんやね。

それを、当時の若い視聴者、つまり「今の熟年」が「そのまんまやってるだけ」ということです。他のどの習慣も同じやね。メジャーな メディアで誰かが先にやって、それを「処世術」として真似してだけなんやね。

なるほどなあ。そういうの忘れてたなあ。

そういえば当時の周りの連中は、殆どの場合テレビで流行ってる定型フレーズを言ってるだけだったよね。
ツイッターとかでも、おっさんのネタぽいつぶやきとか、何かの価値観表明*2って、たいていは「ああこれ、とんねるずの石橋が言ってたことじゃん」とか「ああ、宝島か何かで読んだわそれ」みたいなデジャブ感があるよ。彼らには「そういうこと言うと受ける」という安易なハックが刻み込まれてるだけ。それが「若いころに散々言ってた」ので、おっさんになっても「ついポロッと出てしまう」んや。

だから同年代で固まると怖いんだよ。
そういう感覚が永遠にアップデートされないからね。

気をつけたい。


★関連 

karamandarine.hatenadiary.jp

*1:これは「なかなか姑息な手段」でもある。例えば「髪が綺麗ですね」「目が綺麗ですね」くらいだと即刻セクハラ認定されるが「声がいい」というのは、なかなか微妙な指摘で、これくらいなら言ってもいいだろう、みたいな浅い考えが透けて見えるのである。

*2:私はこうじゃないそれは認めません(どうでもいい食べ物についてなど)」みたいな