恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

ワナビーさんに雑魚扱いされた私。

ネット始めたばかりの頃、ちょっとデータを検索してた流れで「とある作詞家ワナビーさん」のサイトに出会ったのですね。今ではそんな自己顕示欲ワナビーさんも「ツイッター」や「はてな」にわんさか居りますけど、当時は珍しくてね、こんな露骨に「なりたーい!なりたーい!」アピールしてて、なんかみっともないけど、自分の淡泊姿勢と比べて「これくらい押しが強くないとやっぱりアカンかなあ…」と思ったりしてた(ちなみに彼女は大阪人だったw)。
データ上の間違いがあったのを指摘したキッカケから、少しやり取りしたんだけど、なんかもう「すごく言葉は丁寧なのに」端々からこっちのこと雑魚扱いしてる感じが伝わってきて、「いや〜な感じ」だったの覚えてる。
ちなみに数年後、なんかプロ作詞家さんの目に止まり、彼女は「本当に作詞家」するようになってしまいました*1

などということを今思い出してて、あれこれって「デジャブ」だなあと思って。その後にネットに出てきた「上昇志向の強い 久谷女子みたいな人たち」の「僕にとっての 原型はこの人」だったんだ!と気づいたのよ。
この「作詞家ワナビー女子さん」とのやりとりで、そういうネット人種の傾向や匂いみたいなものを経験し、そのあと、そういうことに自分が目ざとくなったんだろうと思った。だからすぐに気づくわけだ。「ああこの人はそういうひとだねえ…」って*2

はてブで私よく「デジャヴュ」というタグを使うけど、17年もネットやってると、本当に「いろんなことが同じことの繰り返し」で「だいたいのことが類型でまとめられてしまう」んやけど、まあそういう偏見もよくないんだけど、だからこそ、自分は今も「その類型にハマらないタイプの人が好き」なんだなあと思ったわけです。

僕が 2000年代に積極的に再活動を始めたのも、こういう「雑魚扱い」をたくさん受けたことによるものがけっこう大きくて、つまり自分としては「ココまでのキャリアだけで評価されるのは非常に不本意だった」ということなんやね*3

メジャーデビューで採用された曲も「あれ」やったし、お世話になってた事務所との関係で、自分の曲のストックも「後半が雑」になっていき、とてもじゃないが「自分が創作で生きていた証」とはなり得なかった
それらを「全て払拭させるだけのもの」が「追加で」生まれなければ、私は一生後悔するし、それより何より「こんな半端な作家に雑魚扱いされる」というようなことを繰り返すのはすごく嫌だったの。

ここで前に書いたことに戻っていくんだけど「自分の脳内は素晴らしい音が鳴ってる」し、「素晴らしいドラムをプレイ」していた。だけど「それを身体で表現できなかった」わけです。
それがキャバレーの時に表現可能になり、90年代には「音楽の方でもある程度叶った」んだけど、当時の音楽はどんどん進化していたから、90年代の僕のストックだけでは、どうしても「懐メロ扱い」されてしまうという作風 だったのよね。だから「雑魚扱いされた」んだわ。
そんな目に遭わないためにも 私はもう一度「ちゃんとした現役バリバリの最先端」として復活しなければならなかったの。

そうするためには、90年代ストックを認めてくれた「少し古い業界人」の方々と距離を置いて、また新たに「ゼロから歩き出す」必要があったし、その為に「たくさんの若い人」「若い音楽」と出会わなければならなかった。そうすることで「全てに対して復讐をする」という自分の中に確固たる目標が出来たのが、この 2000代の時期だったということなのね。

だから「作詞家ワナビーさん」にしろ、「他の失礼だった皆さん」にしろ、自分を奮い立たせてくれてありがとうと。そういう気持ちだよね。

…でも今も恨んでるけどねw

*1:井筒日美さん

*2:そういう流れから言うと、自分の中では「はあちゅう」という人は少し違ってて、あそこまでハッチャケてたら全然別世界の生き物みたいな感じなんだけど、そこを「自分の中でちゃんと区別する」のも「作詞女子の流れが過去にあったからだ」ということだったんやね。

*3:2000年まで