恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」をまとめて記事にしています。

歌詞を聴かないが歌詞にこだわる人。

先日、興味深い発言を見たのです。


これ面白いなー、自分も昔はこんな偏屈なこと考えてたなあーとか思って。

私、歌詞書くときは、ずいぶん前から直接的な言い方が殆どになってますね。ちょっと前に秋元の「説明が多い歌詞」は何だ?とかの批判があったけど、まさにあんな感じ。ホテル時代まではまだ「洒落た文」を書こうとか思ってたけど、実際に作家業始めてからは殆ど無い。なんでかって言うと、やっぱり「万人には通じない」から。

僕は基本「塩対応」なんで、だから逆に「作品でまで排除系にすると救われない」と思ってるわけです。だからわかりやすい歌詞を書こうと。それが一番ストレートに曲のよさも伝わるのよねえ、と気づいたんだな。確か当時、事務所の人にも褒められたはずです。そうそう、こういう歌詞がいいんだよ!って言われた。まさに目から鱗が落ちるような気持ちだった。

5年くらい前だったか、長崎でレーベルのライブやった時、見に来た演劇好きのアラフォー女子が歌詞に不満だったらしく、そのダメ出しをしつこくされて、すごい不本意だったことがある。そういうの求める人は、どうぞカリントウ*1でも見に行ってくださいな、と思う。

そうそう、前も書いたけど私「歌謡曲とかの歌詞が大嫌いだった」からねえ。だから歌詞を聞かなくなった。まともに聞いてると気持ち悪くて曲まで入ってこないから。歌詞を単なる音として聴くように習慣づけて、それで日本の曲も聴けるようになったんだよね。
もちろん今は、というか aikoと林檎以降は好きです。hitomiとかも好きだったよ。マイラバとかもそうだったのでは。ああいう「素人ぽい歌詞」の時代になったので聴けるようになった。その前で、歌詞も曲と同じレベルで好きだったのは ユーミンだけあの人の歌詞だけは違った よね。


謡曲の歌詞(あとフォークも)が好きじゃなかったのって、なんか今のツイッターとかに似てて「何か上手いこと言う選手権」みたいになってるところが苦手だったんだよね。

個人的な持論なんだけども、ああいう歌詞の世界観って「日本人の行動様式を作った」ようなところがあると思う。自分の行動に意味付けを見つけたい人とか、なにか悩んでる人に対して「スカッと意味づけしてくれる」でしょ。歌詞って。
まあ、小説とか講演会、セラピストなんかもそうだけど、そういうのの「一番効果的なのが音楽」なんだよ。

だから、例えば「耐える女」みたいなものとか、歌謡曲が流行らせたりしたところがあったと思う。もちろん個人的にそう思ってる人、例えば「作詞家先生がよく行く銀座のママ」さんとか、そういうこと言ってるかもしれない。それを曲にして世間で認知させることで、そのママさんの個人的信条が、国民に浸透していく、みたいなことです。昭和の風景とか人情は、そういうふうに一般的になっていったんだね。

今話題の江戸しぐさも、あんなやりかたじゃなく、10年くらいかけて歌謡曲か、ヒップホップでもいいけどw そういうのの歌詞にして浸透させたら、すっかり10年後にはそういう国民になってるかもだよ。音楽は怖いんですよ。


その後いろいろ思い出してたんだけど、僕が好きで聴いてた日本の音楽もあった。それはアニメとかドラマとかCMの音楽。そういうののテーマ音楽とか主題歌とかは、ほんとにいいのが多くて、そういうの私「全部テレビから録音して集めてました」の。
他にも、当時は海外のドラマをよくやってて、まあ今でもアルフとかSATCとかあるけど、そういうのをたくさん放送してて、それの音楽も全部録ってた。

うちにあった音楽のコレクションは、そういう「テレビから集めた音楽」と「セサミストリートから集めた音楽」。その2種類(シリーズ化されて何本もあった)のカセットだけだった。
あとは父が買い揃えた世界の音楽大全集セットね。ビートルズを聴く前は、そういうのばかり聴いてた。今思うと「全部それ渋谷系」だよっていう。そう考えると「ビートルズマニアにしては自作の曲がそうじゃない」っていう僕のスタイルになってる理由はよく分かる。

当時から、同じ映像作品でも、日本の映画とかはてんでダサくてダメだが、CMはかっこいいと言われてて、それは「音楽も同じ」だった。CMということになると「みんなお金出す」んだよね。「目的があるものにはみんなお金出す」から、いいものになる。当時のテレビ音楽はクォリティ高かったって、みんな言ってるよね。正しいと思う。
謡曲やフォークと違って、こういうのが好きだったのは、歌詞の内容に「何かを啓蒙しようとするような目的がない」こと。だから、こういう歌なら歌詞も込みで、よく歌ってました。そういう音感が自分に染み込んでるんやね。


そんな事を考えてたらタイムリーにこんな発言を見かけた。

 僕はもともと作詞家としての松本氏をあまり認めてないヒトです。という前提で*2

僕の修行時代に多大な影響を受けた友人がいた。僕の今の作風は、だいたいその彼の好みに基づいて作られている(W氏ではない)。
彼(R氏)はずいぶんと変わった生い立ちで、家庭もかなり変わっていたのだが、特に彼の母のエピソードが最強である。例えば、子供時代の彼が童話を読んでいたら「なんでそんなもの読んでいるの?どこかの誰かが作った架空の作り話でしょ?」と言ってのけ、取り上げたと言うw
他にもいろいろエピはあったけど、これはかなり印象強くて、そう言われれば確かにそうだ、と当時は思ったものだ(今はそうでもない)。

そういうことから、音楽においても「リアルでないこと」へのコダワリが多くなったよように思う。当時の僕は「ただのドラマー(ハモリ付き)」に過ぎなくて、創作活動をしていなかった。その後、実際に作曲活動を始めたとき「リアルでない」とはどういうことなのか、すごく意識した。

いや、架空の物語が嫌いではないんですよ。ただ、童話作家、純粋な作家さんに比較すると、音楽のついでに歌詞をつけるとか「明らかに片手間」じゃないですか。そうすると「専門家の作家には勝てない」でしょ。そうすると、それに勝るものと言ったら「自分のこと」語るしかないんだよ。

確かに、曲に創作的な歌詞がついてるのは面白いけど、だからって(図に乗って)じゃあ小説家になれば?って、そう簡単には行かないでしょ。そういうの出来るのは町田町蔵とかそういう限られたヒトじゃん*3。専門家じゃない「三文作家」が何を書けるっていうの?そうでないの、欧米人から「私小説(ぷ」とか言われようとも、それが個人の味でありキャラじゃん。だから、そうでない曲は今も僕は聴かない。つまらないもん。何でも本気で勝負せえ!ちゅうんじゃ。と。


これ書きながら思ったけど、まあW氏もそうだし、R氏もそうだけど、そういう優れた審美眼の「仮想リスナー」が身近に見つかったというのは、僕の人生の中ではかなりラッキーだったかもしれない、と思ってる。

僕はビートルズ歴に詳しくなってから「ヒトの成長というものには身近に強力なライヴァルが必要」ってことを意識するようになった*4

僕にとって彼ら 2名は未だにそういう存在で在り続けているわけで、そんな存在が、どこかの大御所とかじゃなくて「身近にいた」という事こそが、僕がこうなれたいちばんの理由だったと思うんだな(どっちもその後、プロになってますが)。

まあ、その縁を引き寄せるのも僕自身かもしれないけど。というか、僕の場合「ヒトに目ざとい」んだと思う。「こいつ、ちょっと違うな…」と思って興味がわいたら、すかさず近づいていく、ということなんだと思う。

これは今でもそうで、だからネットとかでも、僕はそういう風に人と触れ合ってる、と今でも思ってます。


★関連
karamandarine.hatenadiary.jp 

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*1:果里さん

*2:2018 補足。松本隆の歌詞をあまり好きではないと思っていたが「太田裕美 / 袋小路(曲は荒井由実)」は好きであることに気づき、他にも「呉田軽穂 / 松田聖子」作品は好きなので、実は歌詞の好みではなくて「いい曲が付いてない」から何も感じなかった、ということなのでは?と気付いて自分でびっくりしてる…。つまり、好みじゃなかったのは松本隆の歌詞ではなく「それにくっついてる曲のほう」だったのだ。だって松任谷由実さん曲なら、彼の歌詞でもこんなにいい曲になるではないか。曲がいいから、そこで初めて歌詞まで聴く、という私の性質がここでも現れてたのか…と。目から鱗

*3:ココで敢えて辻を出さない私w

*4:私の持論。「ビートルズとはジョンとポールのBLである」