恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

自分を「普通に」運営すること。

「今日も得る物なしZ」さんの記事を読んで思い出したことがあるんだけど*1、他人が誰かのことを「わけわからん」とか「使えない」とか言う時って、だいたい「コミュニケーション不足」なんだよね。

僕も昔は「自分の意志を言えなかった」し、いろいろ言われて「どないせーっちゅうねん!」みたいになったこともあったけど、いろんな短期バイトやら弟子入りなど繰り返して、何事も「即座に反応することが大事」なのだとだんだん気づいていった。
つまり判らないなら「わからん!どういう意味か、もっかい言ってくれ!」と素直に言う。最初のうちはそれも怖いが「別にそう言ったところで何も起こらない」し「怒られない」と気づいてくると、それも怖くなくなってくる。

これに気づいたのは僕がホテルで後輩と話してたとき。彼もコミュ症ぽくて同僚からは「使えない」と持て余されてた*2。そんな彼は、僕とは気安かったのか「懐いて」くれてて、いろいろ話したんだな。ああなるほど「こういう立ち振舞だと受け入れられるのは難しいかもしれない」と思った。

その後、彼に関しておもしろいことがありまして。

ホテル辞めたあともその彼との交流は続いたのですが、月日が経つごとに「だんだん親しみやすくなってきた」んですよ。なんでかなあ?と思いつつ観察していると理由がわかった。

彼は以前より 喜怒哀楽をハッキリ「口に出す」ようになっていたのだ。

例えば、その時ハンバーガー食べてたんだけど、食べながら、なんか渋い顔してるわけ。昔の彼なら、その渋い顔のまま不気味に食べ終わるだけなんだが、その時の彼はそういう顔をしながら「なんかこれ、味変じゃないすか?」と言ったのだ!
すごい!これは進歩だ!と思ったわけ。!これだ!と。つまり僕が想像するに、昔の彼は「自分の気持や意思をあまりはっきり言えなかった」のだ。言えないまま行動のみが不審だから怪しがられたり、上司からもわけわからんと言われたりする。なるほどなあと思った*3

僕の普段の言動やらキャスを見てると「よくベラベラ喋るなあ」と思われると思う。これは実は「独りの時もやってます」の。
つまり、何かにつけて「ずっと独り言」を言ってます。自分の行動について「セルフつっこみ」したり「説明」したり、仕事の手順も、電車の運転士のように「指さし確認&口で復唱」しながらやってる。
そういう習慣をつけて「他人との対応でも即座に自分の意志を表示して」当意即妙に対応できるよう訓練したんやな。

これは「音楽のセッション」でも、ものすごく訓練させられた。「即座に対応できないと乗れません」から。こういう訓練を何年も繰り返して「暗黒の20代から30代への突破を開いた」のだな。

まあこんな自分の経験談が誰にでも当てはまるわけじゃないけど、ちょっと自分語りしつつ考察してみた。


fujipon.hatenablog.comというわけでこれについて書きたいのですが。

と言いつつ、上記でもうほとんど色々書いてしまったのですがw

僕と親しい方ならよくご存知と思いますが、僕はある時期以降、常々「普通になりたい」と願い続けて生きてきました。それは日頃から、両親や周りから「お前はおかしい」「もっとちゃんとしろ」と言われ続けてたからというのもありますし、実際、自分自身も「なんでこんなことが自分はできないのだろう??」と自覚できることも多かったからです。

で、僕が「こういうポリシーで生きてきたんだ」と言うと、いろんな人から「普通になる」とは具体的にどういうことなのか?と、よく尋ねられるのです。そのたび僕は「そうですねー。。」と言いながら、いろいろ説明を試みるのですが、なかなか上手いこと行きません。

で、上記のエントリーを読みまして、僕は「おおお!」と思ったのです。つまり、これが「僕が考えていた普通」だと。

そういうことなんですな。「根本的に自分が変われるとか思ってない」のです。それに「そんな根本の自分のおかげ」で「今こうやって、普通の人には出来ないような創作などが出来てる」わけだからね。

でも、同時に僕は「一般的な社会人として普通に扱われ愛されたい」とも願っているのですよ。

少なくとも「10代〜20代の頃みたいに」おかしいやつ扱いされてオミソにされたりしたくはない。

だからこそ、自分を客観的に見続けて、チューニングしていって、なんとか普通に見える程度の部分まで「表面上」矯正していったわけです。その「矯正」についての具体的な内容が、上記の記事に全て書いてある、ということなのでした。

別に「治らんでもいい」のですよ。でも「そのままではやっぱり生きづらいところ」も「今の社会では多々ある」。

社会の方に「変われ!」と言ってもそれはすぐには難しいです。だから、とりあえず「自分の方を社会の側にチューニングして」そこから次へ繋げていきたい、と。そういうことなんやなと「自分の生きる目的を設定した」のですよ。

今でも「ちょっと気を抜いたりしたら大変」ですよ。「すぐに戻って」しまいます。だから「日々けっこう頑張って生きてる」んだよね。

なんでそんな頑張るん?と言われるかもですが、それは「それが自分の義務で仕事だ」と思ってるからです。芸術や創作というものは「社会や人間と切り離して行うことは出来ない」のですよ。
少なくとも僕はそう考えてやってる。なんつか「頭がクリアじゃなければマッドは描けない」みたいな感じかな。だから自分を常に「スルッとクリアで」居させることに、一番労力を割いてる。そうすればどんどん創作も自然にできるからな。


これおもしろいんやけどな。こういうふうに普段の自分の運営ができるようになるに従って「日頃の暮らしに余裕ができてくる」でしょ?そうすると「季節の移ろいや匂い、風景や色彩」といった、それまであまり鑑みることの出来なかったものを見ることが出来るようになってくる。

それから「他人の考えていることがわかるように」なってくる。それらによって「感情を自然や相手に投入しやすく」なり「共感も出来るよう」になってくる。

そういう細かいひとつひとつのことを出来るようになっていくことを、「普通」になる、と僕は呼んでいたのだな。

それまでの僕は、いま挙げたすべてのことについて「まったく感じていませんでした」から。なので、僕はそこで、初めて「人間になった」気分がしたのです。

ここまで書いてきて気づいたことがあるのだけど、別記事の父の話と併せて見るともっと判りやすいのだけど、自分がこういう「頑張って普通の人になった」というのは、あくまで「外での話」なんやな。
というか自室でもやってるけど、それも全部「外に繋がってる言動の場合」に限る、というわけで、一日24時間ぶっ通しで頑張ってたら、そらキツいですから、どこかで休まなければならないのです。だから必ず一日の中で、全くそういうのを気にしない従来の素の自分に戻る時間があります。

それがひょっとしたら「父にとって家庭」だったのはないだろうか、と思ったわけです。外では人当たりがよく、また実に几帳面な仕事をすると評判だった父の、家での様子は、僕らには一切気遣いもせず実にだらしなく、何かものを言う時は怒る時だけ、という態度を貫き通したのですよ。

以前僕は「自分も父の影響からかモラハラの傾向がある」と書いたけども、モラハラってのはつまり究極としては「言わんでもわかるやろ!」ということです。
家では何も意思表示もしたくない。こっちは電源OFFだし、快適に過ごしたいから、一瞬足りともこっちの不快になるような邪魔はするな、ということなのです。
でも、じゃあ「家族は邪魔なのか」と言われれば、そうではなく「独りだと寂しい」わけです。

「独りだと寂しい」というのは「実際に父がよく言ってた」のでね。「オレだけ仲間はずれか?」みたいな。そらあんた、そんな扱いづらくては、一緒に何かしたいと思いませんよ。と思うけど、父にとっては、それは嫌なんですな*4

もういっこ、そういうふうに「修行みたいにして自分の運営の仕方を習得していった」ということやけど、このことを、例えば今書いてるように、もしくは先日のブログの記事のように「上手いこと他人に説明するのは」すんごくシンドくて邪魔くさいのです。

そのことを「説明するだけで膨大な表現エネルギーを消費する」。

自分自身を動かすのに精一杯で「それを他人にまで説明できるようなリソースなど残っていない」のです。

だから「説明したいけどでけへんねん。頼むわかってくれ」ということになるんですよ。

外面は笑顔で余裕だから「平気なのだろう」と思われるけども、ホントに「毎日必死で余裕なんかない」のですね。

だからどうか「これ以上の負担は勘弁しておくれやす」というのが本心なんだなと思ったわけです。

★関連karamandarine.hatenadiary.jp

*1:リンクではなく画像で。
f:id:maicou:20180812141210p:plain

*2:なんと彼は華原朋美さんのイトコであった

*3:いわゆる「キョドる」とはそういうこと

*4:そういえば思い出したが、父は家に誰にせよ来客することをものすごく嫌がっていた。母の友達とかほぼ来れなかったし、僕の友人が来てる時も、友人が僕の部屋にいるあいだじゅう、「落ち着かない!いつになったら帰るのか」などとブツブツ言ってたらしい。母や僕は社交的な側の人だったから、家に人を呼べないのは本当に辛かったし、また来たとしても、終始、階下の父の様子を窺いつつなので、非常に気を使った。そこまで言うなら自分の部屋も作ればよかったのに、それもせず居間にドドーンと寝転がって、家中を支配してるんだよ。ほんと圧迫面接