恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

通り過ぎるのが「サブカル」である

なんつかね、僕にとってDPZみたいなものって「通り過ぎていく文化」って思ってて、そもそもサブカルって「定着しないから魅力」だと個人的に思ってるところがあって、流動的で明日にはコレが好かれてるかわからないけど「その刹那がいい」みたいな。

ところが昨今、ネット上でのDPZ的なものって「定着化を狙ってる」んじゃないかって思われるフシがあるのよ。新しい価値観として「マイノリティだったそれらをマジョリティ化」させるみたいな。

それは昨今ヲタクの皆さまの「萌えのメジャー化*1」計画とも連動してる気がして、いやいや、そういうの「アングラで楽しいから楽しめる」んで、そういうのメジャー化してどうするの?「ひながな自治体名」大流行、みたいにしたいの??って思うのよ。

そういうのって「内と外は分ける」みたいなことなんだと思ってて「ゲリラはゲリラだから楽しい」のであって、予め予定調和ならそれは「新しい団塊世代になるだけ」ですよ?っていう。
僕はそういうことをすごく危惧してるな。とりあえずそういう動きには、私は乗らんです。勝手にやって。っていう感じ。

サブカルと言えば「オシャレ」みたいな感じがあるけど。
私いつも思うのは「これは相対的なものなのか絶対的なものなのか」。

つまり「みんながオシャレ」になってしまったら「それはオシャレと呼べるのか」もしくは 全人間がオシャレになるということは可能なのか。比率は関係ないのか「誰かとの比較」でオシャレと呼ぶのか、それは関係ないのか。

突飛な人ばかり集まったら、それはもうその中では突飛であるとは言えないので「突飛人口を増やしても逆効果」ではないか、などと思うわけです*2