恋する段差ダンサー

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マトモなオトナが存在しなかった話。

僕が「同世代以上の人」をまったく信用できず、いつも攻撃的なのは、今までの人生で「尊敬できるオトナに出会わなかった」という理由だろうな、と人生振り返って考えてた。
学校の先生や駄菓子屋のおばちゃん、街のレコード店の人から、部活の先輩まで、いいと思ったヒトに出会えたことがない。

だから僕の趣味や音楽関係の素養にしても、オトナが役に立ったことはほとんどない。全部一人で探して見つけて決めていったことばかり。そして得られた僕の素養も理解されたことも一度もない。

だから「まともな感覚のオトナ」の存在自体が想像できないのです。そんなヒトいるのかね??って常に思ってるから、ハナから攻撃的で疑ってかかってるってことだろうな、と思う。
以前、塩対応のこといろいろ書いたけど、拗らせ系ギター女子みたいな人も、そんな感じだったのかなあと思ってるな。

この感覚をどう説明したらいいかな、と考えてたんだけど、ちょうど昨日「練馬区の話*1」があったなと思い出して、例えばそこの責任者とか「ルミネのこと*2」とか、こないだの5キロ先の崖のこととか、ともかく最近、炎上系で話題になった事案の責任当事者を当たると、だいたい僕の言う「同世代以上のオトナ」の世代なのでは?と気づいたのですよ。

どうでしょう?こういう人たちばかりが周りの先輩やオトナだったら。僕が昔から苦労してた感覚は判りやすいのではないでしょうか。

いまそういう責任ある立場に就いてるのが、僕がまったく尊敬できなかった層の人々だということになると「若い人はマトモなのに、日本がちっともよくならない」その理由も自ずとわかってくるってもんです。ちなみに、こういう世代の人が「自治体名にヒラガナ」とか率先してやってた世代です。アホやなあw

まあそんなだから「先人に対するリスペクト」という感覚は、僕には難しいなあと思った、というお話でしたの。



例えば僕の好きだったレコード趣味にしても、やっぱり東京だとパイド・パイパー・ハウスとかペット・サウンズレコードとか、あと渋谷のシスコみたいのあったじゃん。
でも地方じゃ難しいもんなあ。こっちの提示したセンスに呼応して「じゃあこういうのも好きだろ」的に展開していくのは「夢のまた夢」だろうなあ。

そういえば、店主が倒れて閉店してしまったが、僕の故郷には「超有名ジャズ喫茶」があった。10年くらい前に存在を知り、まだ元気だったときのマスターと少しお話出来たが、そのヒトなんかはイイ人だったね。

でも、そのマスターにしろ「10代の頃の僕が行ったとして」どれだけ相手にしてもらえたかどうか…。

どっちにしろ 田舎では「センスの有る人は表通りにはいない」

親から「輝くメインルートだけ歩め」と教わってきた僕にとっては、それを見つけるのは難しかったし、たとえ発見できたとしても「そんなオトナとは付き合うな」と親に止められただろう。
「地方の反主流派」は本当に陰ものだからなあ。公務員のエリート一家にとっては、そんな「横道にそれた人々」のことなんか、河原乞食扱いだろうなあ。

そういえばこないだ、個人タクシーの運転手の件で父が大激怒した話を書いたけども*3、そういう家庭でした、うち。貴賎があるという教えです。
ともかく「こういう職業は底辺」「こういう連中は悪者」みたいに言い、僕をそこから遠ざけることに腐心してる親でした。
だから、将来なりたい職業にそれを書いた僕のことが許せなかったんだろう。プラス。世間体です。こんな恥ずかしいことを書いて「親まで恥ずかしい」ということですね。

まあさすがに最近は親も変わったけども。でもそれは、僕自身が必死に「芸事だが河原乞食でない、という有り様」を見せたからで、そでなければ、未だにケッて思ってるかもだね。


私が Zeppelin 隠密音源研究をやってるのはご存知のかたも多いでしょうけど、このようなジャンルも典型的な「裏道稼業」なわけですね。
西新宿業者のやってるのは「職業やなくて犯罪やろ」というのは、当時は「その発想はなかった」*4

当時、該当2ちゃんスレに業者本人が降臨して大バトルになったんやけど、ともかく相手は「貴賎なし」を言い続けて話にならないわけ。今思えば「おまえ泥棒じゃねえか」で済む話だったのだなあ。

そんなわけで、例の Zeppelin サイトが完成したときも、そっち方面に「大々的に告知してもいいかな」と少し思ったのだけど、やっぱりああいう業界の連中の様子を見てると、この件を筆頭に「真っ当ではない」感じが明らかに顕れているので「やっぱり関わるべきではない」という自分の最終選択は正しかったと思う。

そんな連中と関わらなくとも、結果的に、今もネット上では「僕のサイトに影響を受けたと思われるブログ」や「僕が発明した言い回し語彙」などが散見され、その影響力は、少なからずあるなあと思えてるので、それで十分かなと思った。


そんなわけで、うちの親がどうも「貴賎あり」みたいに考えてたフシがあり、親がそう決めて「排除した人々や環境」があったということだが、実は「そっちのほうにこそ」僕がおもしろいと感じた人たちや惹かれる文化があったのも事実なんである。

だがしかし、今思うと、自分自身がその中に入り込んで楽しく出来たか、と考えると、それも難しかったような気もする。

例えば、僕が「女子の思考が好きだから」といって「僕自身は女子になることが出来ない」ように、対象に興味が湧いても「その一員になることは別」なのだ。

「おまえはデモに混ざらないのか」と言われて「それは卑怯だ」と責められたとしても「僕の役割はそうではない気がする」と答えるしかない。というような*5

参加しない、出来ない自分も、それにコンプレックスがあったこともあったが、別に「参加すること」だけが、与するということではないだろう。応援でもなんでも出来ることはある。こうして駄文を書き連ねてることだって、きっと何かの路上の石的な存在意味はあるだろう。今はそのように感じてる。


あと、上の引用文に書かれてあった、サブカル男子のミソジニー気質、って、ちょうど5キロ先の壁問題で散々書いたことなので、おお、と思ったね。

そんなサブカル的ホモ・ソーシャルについては、また別な機会に書きたい。

*1:wezz-y.com

*2:

nlab.itmedia.co.jp

*3:小6の卒業文集で、将来の夢を書く欄に「個人タクシーの運転手になりたい」と書き、あらゆる知り合い友人から嘲笑された。ちなみにそう書いた理由は「自由に生きたいから」。今と同じw

*4:関連。それは「犯罪者」は職業ではないのでは?たとえば、私は性暴力を行う教師は許せ... - id:maicou - font-da - はてなハイク

*5:1968年。欧米で反戦の世論が高まり「反戦歌を歌うだけ」のロックミュージシャンに対して「デモに参加しないことを批判する」傾向があった。これを受けてミック・ジャガーは実際に参加し、批判を回避した。ジョン・レノンは当時は静観しつつ、ソロになってからNYCで積極的にデモその他、政治活動に参加するようになる。これについて「レノンは当時のミックにコンプレックスを感じたのではないか」という分析もあった。