恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」まとめ。まだまだ深く掘っていきマスク。

好きな対象を蔑むという「文化」~ろくでなし子先生はパンクだという話



通訳がマンコチンコ連呼!パンクだな、これは。

僕の意見としては、「猥褻かどうか」って言われたら「猥褻」という言葉は嫌だ、と応える。しかし普通に芸術としても見れるし性の対象としても見れる、両方兼ね備えたもの、というように応える。
僕ら(ら、というのは例えば友人の作曲家さんとか)は、茶化したり卑下したりせず、ごく普通のものとして、それらの行為や器官を捉える。じゅうぶんエロイし、それが何故悪いのかと思う。「猥褻」という単語には何かいやらしい響きがあるでしょ。取り扱い方の問題として蔑んでることがとても多い。それが嫌なのよ。普通に性の対象で好きだと言うことでいいじゃないの。大好きですよ、私。そういうの踏まえたうえで、もっと先に進めよ、って感じがするね。性は茶化すものじゃない、極めるものだ、と思ってるからね。

たまたまなのだけど、こないだ、その「友人の作曲家氏」と久々にゆっくり話す機会があったときに、まあちょうどASKAの話題もちょっとあったのだが、その流れで、いわゆる「業界の乱れ」についての話題になったのよね。
この話題は、その彼と出会ったばかりのころ、20年位前によーく話したことがあり、なので、今回は改めてじっくり、という感じだった。まあ結論から言うと、僕らは、そういうのが苦手で、プラス、苦手なだけではなく、そういうことを嬉々として勤しんでる人々がどうも尊敬できない、という話で終始した。別に奇麗事じゃない、僕は子どもの頃からそういうのが嫌だったし、なので彼がそう言うのも、僕と同じ感覚だろうから、僕と同じく、心の底からそう思ってるんだろうな、というのがわかる。
そんなことが苦手な彼にしろ、まあ僕もだけど、じゃあよく、そんな業界に関わってこういうことを続けてられますね、と思われるかもしれないけど、実は彼や僕は、業界と付き合い始めた年齢が遅く、なので「若造」時代がなかったので、そういうことを無理強いされることがあまりなかったから、それが救いで、なんとか付き合ってこれたのである。だから、たとえば20歳そこそこで業界入りした人などは、たっぷりそういう洗礼を受けただろうし、それが嫌じゃなければスッカリ染まってしまうだろう(逆にそうじゃない人は「付いていけなかった」ということで脱落する)。
それにしても芸事メディア関係の人種って、なんでこうも風俗好きで酒宴好きなんだろうか。いや別にね、その彼も僕もそうだけど、普通に女子好きですよ?でも周りのヒト、そのアプローチが、なぜか「下品」なんだよね、どうしてそうなるのか、未だに判らない。もっと正攻法で、恋愛していけばいいのに、そうならずに、とても即物的で下品で蔑んだような取り扱い方になるんだわ。そんでそれをまた、人前で嬉々として自慢したりするところが、ホントに困ります。業界全部が男子校なんだね、あれは。と思った。*1

まあそんな僕らですので、なし子先生の主張については、すごく共感できる部分があったのね。そもそも、好きで恩恵を受けてるくせに、その対象(まんことか女子とか)を邪険に扱う、というのは、僕はどうしても判らない感覚なのだ。好きなくせに、なんでそんなに虐げるのか、というような。そういうの、ネットでの女子ヘイトも同じですけど、好きなくせに、何を文句言ってるのか。いなくなったら困るくせに。ってずっと思ってるよ。そういうのが、女子や妻とかを全般的に邪険に扱うという風習に繋がってるんだろう。女子だけじゃない、仲がよい(と思ってる)相手を、わざと貶すとか、愚息です、みたいな卑下した言い方にもそういうの現われてて、ホントに嫌でした。
そういうのココ20年くらいで変わってきたと思うんだけどね、奥深く掘ってみたら、未だに古風な世の中なのか。。と愕然としますよね。日本てすごい国なんだなあ…。

そういえば、こういうことはホントよくあるのだけど、例えば、僕のファンだと言ってライブに来た人たちが、しかしここはこうしたほうがいい、こうするべきでは、などと意見や批判をしてくることがあるのね。やっぱりいい気分じゃないです。大きなお世話だ、ほっとけ!と、すごい憤りを感じることもある。相手の言い方や態度の問題でね。
だいたい、好きだと言いながら近寄ってきて、しかし文句言うんだよ、わけがわかんないんだよ、あの人たち。そんなに一家言あるなら、どうぞご自分で創作なさいな、と思うよね。こっちはオマエのために歌ってるんじゃねえよ、ってことです。

そう考えると、マンコはオマエのためにあるんじゃねえので、自由にさせろ、という主張も近いので、なるほどね、と思ったわけです。

最後に、こういう「表現」はアリなのか?ということですが、わたし、オノヨーコ氏好きなので、こういう「表現」に別に違和感ないのよね。たとえば、ただの林檎が掲示してあって「アートです」っていうのは、見たらただの食べ物の林檎なのだが、それを提示したと言うコンセプトが大事なのだ、という表現ね。マンコも一緒で、ただのマンコですが、それを意味合いを見つけて提示してる、ということが主張になる、ということです。何か描いたり作ったり、という風に生み出したものでなければ芸術ではない、というのは、ちょっと狭量かなあ。と、個人的には思うので、これも別に「あり」でしょ。と思う。なし子先生のことはまた書きます。

*1:そういえば余談ですけど、NGSKのサークルとかでも一緒だったもんね。あれは、日本の中央部の業界の矮小化された醜い例だっただけだろう。だから以前も 言ってたよね、悪いところを真似することはないのに、なんでこんな前時代的なミニ業界みたいなんだって。だからNGSKではすべてが「ごっこ」に見えた。 ピンキリの「キリ」のほうだけ集まった、みたいな感じ。
そういえば、暴露本元祖と言われる、ダン池田の有名な本があって、古本屋のバイト時代に詠 んだことがあるのだけど、日本の芸能界は、アメリカのショービジネスになりたかったがなりきれず悪いところだけ見習って最低である、みたいなことが書いて あったの。それがそのまま、中央→地方って置き換えられてるだけだなあ、と思ってました。しかも、これが正しい、これが業界ってもんだ、とか勘違いしてる ようなところも。なんか見てて可哀想になったなあ。沈んでいく船なのになあ。。とか思ってましたよ。