恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしています。

音楽から離れることで音楽ができる

前も書いたが*1
私、自分にとって音楽だけが絶対的唯一の表現とは思わない、そこまで好きではないって話を、最近はよく人にします。これは今に始まった感情ではないの。昔からバンドマンや楽器演奏家はそんなに好きじゃない

こないだ故郷の知り合いのバーで話したとき、そこのマスターがお客の「女の子」を相手に持論をとくとく述べてて「オレたちは変態だろ?普通ならキャッキャ恋愛に燃えたりするようなところ、ひたすら楽器とか音楽にハマって、細かいことをあーだこうだ言ってるわけだから、女から見たら変態なんだよ」とか言っててね。
それ聴きながら「ああ普通の音楽屋さんってそうなんだよねー、でもオレはそんなのいやなんだよな、楽器や音楽より好きなものも大事なものもたくさんある」って改めて考えてたのよ。

だから「同業と合わない」ってのもそういうことなんだな。なんか「音楽や楽器の話ってつまらない」じゃん。その内容について語るなら楽しいけど。スペックに関しては(楽典含む)つまらない。

そうそう、それで思い出したんだけど、私いわゆる楽器男子系の人が「床にエフェクター置いたりハンダゴテや工具なんか持ってたりする」のが、なんかすごく昔から嫌だったのよ。そういう「オトコ臭いこと全般」がものすごく嫌いだった。だから私の仕事部屋にも「見えるところにそういうものは一切ない」。視界に入ることも嫌 なのね。

レコーディング用のエフェクターや機材って「全部ラックに入ってる」じゃん。ああいう風に「綺麗に陳列されてるのは大丈夫」なのね。ともかく綺麗にスマートに収まっていることが大事


「体育会系から排除されたオタクが集団を作るとさらに稚拙な体育会系を構築する」

ちょうど昨日も、こういうホッテントリあったけど。

わたし楽器演奏の人たちも結局「ネオ体育会系」というか「ホモソ」なんだと思ってて、だからこその上で書いたような「業界ミソジニー」が成り立ってて、そういう社会なのが僕に合わなかったということなんやなあと、そういう結論になる。

そうなると、こういう気質って「サブカルとかの方に親和性が高い」のですけど、あれはあれで、自分じゃあまり「産み出すタイプの人々ではない」ので、結局わたし「どこにも居場所はないんやなあ」みたいな 絶望感と気付きこそが 20年前の僕を作り上げたのだといえるだろうね。

そういうのがあってこその「コミケ」やら「文フリ系」のものに寄っていくという、それは「もともとの僕自身の基本」なのだと*2

まああれやな、この発言は「十分に謙遜も含んではいる」し、というよりは「半分イヤミ」みたいなもので、まわりのミュージシャンの方々の没頭ぶりを見るにつけ「私など到底あなた達には 好きのレベルで敵いませんし」みたいなことなのな。

…どうだろなあ、いつの時代を振り返っても寝食を惜しんで没頭したなどということは、記憶にあるだけで 2〜3回くらいしかなく、それ以外のときも一生懸命やってはいたけど、満足できないから納得行くまでやってただけで、さっさと済ませてビールでも飲みたいわ、しか考えてないしw

これも昔からよくいうのですけど「なんで自分で音楽を始めたのか?」っていう質問には「日本の音楽で 自分が満足できるものがないから自分で作るしかない と思った」と答えていて、つい最近も誰かに訊かれたんだけど「やっぱり同じ答えしか出てこなくて」ああそうなんやなあと、改めて自分で納得したな。

ただ、よく言ってるけど「2000年代以降は日本の音楽もとてもよくなった」ので、今はそこまで下には見てないです。

なので逆に勇気をもらってる部分がたくさんある。インディーズ女子でも「いくらでも素晴らしい音楽があり」そういうの聴くたび「負けれられないな」と思う。

その反面、おっさんがてんでダメなのでw ますます嫌な世界やわーと思ってたところなのだな。だから個人的には「未来のほうが圧倒的に明るい」と思ってる。

これからもどんどん「安心して聴ける音楽が生まれる」と思うから、たぶん最期には「僕は思い残すことはない」と思って「ちゃんと見届けられてシアワセだ」と思って、この世から消えられるんじゃないかなと思う。

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*1:karamandarine.hatenadiary.jp 

*2:そういう大学でしたし