恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

肝心な時に居なかった私。

こないだ打ち合わせで飲んだ時、震災の話になり「あれですべてが変わったね…」としみじみ話した。その前も、友人と話してた時に、業界の変化の話から震災の話になり、「アレで全てが変わったね…」となった。

なぜそういう話になったかというと、その震災の時に僕は九州に住んでいたから「そういえばアンタ(私)は全く被災しなかったんだよねー。。」ということからそうなったのであるね。

僕は関西にも東京にもいたのに、たまたまその時に住んでいなかったということで、どっちも被災しなかったのですが、「だからこそ今すごく怖い」という気持ちもある。あんなにどっちも大災害だったにもかかわらず「自分に当事者感覚がない」ことが、すごく怖いわけです。


アレですっかり変わったね、というのは、例えば身近なところでは、いろんなネットサービスが軒並み終わってしまったりした。まあ、時期的にそろそろ役目も終わったかな、という時期のサービスでは在ったけど、それでも、災害がなければ、もう少しは続いてたかもしれないものもあった。でも、みんな「それどころじゃなくなった」からね。娯楽に関するものは一旦全部整理されてしまった。
だから、僕なんかも発表の場所や機会が、ほとんどなくなってしまった。業界的には「CD売れねえー」と言ってたが、僕らだって「発表する場がねえー」だったので、同じことなんである。売れる売れないじゃなくて、そんなもん、楽しんでる余裕もないってことですね。アレでみんなずいぶん荒んだなあと思う。

こういうこと言うと不謹慎だが、それでも、九州のような離れた場所でクソ大人たちの右往左往ぶりを眺めてるくらいだったら、いっそ「東京でちゃんと経験したかった」という気持ちは今もある。
もちろん、バカ言うな!みんな必死だったんだぞ、と怒られるのは覚悟のうえです。でも、あんな「西の端でただ眺めてることの理不尽さ」は、なんとも言えなかったよ。被災しなかったからラッキでした、とかいう話じゃないです。忘れられないですね。


そういえば私、阪神淡路では知り合いの親族さんなどが亡くなったりしてたのですが、311のほうでは、それがまったくありません。自分の故郷は北海道だから、東北は近いはずだが、縁がない(というか嫌いだったから避けてた)ので、そういうことがなかったんですなあ。。