恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

むかしむかしの Twitter 話。


古参Twitter女子に聞く! 初期のTwitterって今とどう違ったの? - トゥギャッチ


これのことですが、ブクマでも書いたとおり、カツマー香味に発見されて、すべて終わってしまったという話だけど、実際に具体的には何が起こったかというと。
また長崎時代の愚痴になって嫌なんだけども、僕はリアルな知り合いとネットの交流というのはハッキリ分けてたんです。違うものである、という認識もあったし、混ぜることはしない、と決めていました。これは僕だけじゃなく、当時のネット民の常識じゃなかったかなあ。
逆はいいんですよ。ネットから広がって、オフで会ってリアルでも仲良くなる。これは何度も経験し、全部大切な出会いになりました。でもその逆はない、しない、と。
勝間香味事件で、ドバドバ一般人が参入して、長崎のリアルな知り合いが僕のアカウントを発見し、フォローしてきてしまったのです。
そ れくらいいいではないか。って思う?甘いよ。僕みたいな仕事してるヒトにとっては、例えれば、個人アカウントなのに、会社のヒトに見つかってフォローされ た、ということと等しいの。その頃は、オフィシャルな別アカウントを創る、という発想もなかったし。なにより、そんなこと考える間もなく、あのバブルが急 激だったので、対処が間に合わなかった。あっという間に、リアルな知り合い多数に見つかってしまい、何もいえなくなってしまった。四六時中、見張られてる ような感じになった。息苦しくて死にそうになった。それが発言に現われ荒んだTLになった、みんな「思ってたのとは違う」僕の本性に、引いて去っていっ た。リアルで最果ての土地で取り残された。という流れです。

僕はみんなと違って、飲み仲間も居なかったし、互いに愚痴を言い合って、わっはっはー などと盛り上がれるような相手もいなかった。また、そういうことをすることに興味がなかった。ネットの隠れた場所で、独り言として、こうして日々思うこと や愚痴を書き、自問自答し、それがやがて解決し、新しい発想を生み、作品に転化していく。それが僕のすることだ。クリエイターだから。と決めてたんです よ。そういう「思考の試行錯誤」の場が消えてしまったのね。鶴の機織。それが発見された。これは作家としての死を意味した。

その頃に、ハイク に出会ったのだね。ココに逃げてきたの。他にも、わっさーとかいろいろ「ツイッターもどき」みたいなのはあったんだけど、ハイクが一番よかった。使いやす いとか文字数制限ないとか、いろいろいいところあったけど、このなんというか、ぬるい繋がりがよかった。邪魔するヒトも居なくて、ゆっくり書きながら、考 えて、発展させていくことが出来た。だからずいぶん救われたなと思う。

でも、あのツイッター事件で失ったもの、場所や交流や信用とか。それは二度と戻らない。あの時点で僕はもう、長崎には居られない、と悟ったの。
鶴の機織を見られてしまったから、長崎のみなさん、私は飛び立ちます、ってことだったんだよ。

とまあ、郷愁で一方的に語ると、まあこんな感じになるけど、一方、このキャズム超えは、後の日本を救うことになる。言うまでもなく東日本大震災ですね。このとき、軒並み通信手段が絶たれ、マトモに動いていたのはツイッターだけだったのよ。
そう考えると、カツマー香味は日本を救ったとも言えるわけです。むしろその為に存在していた、とすら思えるのがすごい。結果的にいいことだったってことでもあるんだな。


そうそう、あと、もうひとつ、思ってることがあります。
この頃に FaceBook があったら、どんなによかっただろう。。ということです。

いえ、実際には FaceBook ありました。僕はアーリーアダプター的なネット活動をしてたので、FBに参加したのもずいぶん早く、いま調べたら2008年くらいなので、ツイッターのちょっとあとに始めてると思います。その頃は、誰もやってなくて、ネット上の限られた知り合いとフレンドになり、細々とやっていたのですね。
もしその頃に、今みたいに大きなつながりになってたら、僕は告知することが山ほど在り「リア充まっしぐら」みたいなことになってたと思います。
みんなが酸化してメジャーになったのは 2012年くらいかね。その頃は僕はもう既に、告知することもあまりなかったし、仲間も一掃されて、反応も全然なかった。同業のほかの人たちの盛り上がり振りを冷めてみてて、あー楽しそうですねー(棒)、などと思ってただけでした。

当時ネット民の間で出た結論は、結局リアルだろうがネットだろうが「元々の知名度があった人、リア充な活動をしてたヒトが全部持っていく、勝つ」ということでした。チマチマ活動して拡げていった地道な輪なんか、メジャーなヒト、充実した人たちに、あっという間に地引網みたいに根こそぎ持って行かれてしまうのです。
そういう人々からすると、ぼくなんか「ちっともネットやSNSを使いこなしてないヒト」ってことになります。実際そう言われたしね。でも、 活動すればするほど、差がつくばかりなんだよ、これ。そういう派手な活動をしたくてネットやSNSに参加してたわけいじゃないのにね、いきなり歌舞伎町の真ん中みたいなところに引っ張り出されて、全員、同じ条件で勝負やで!ってなる。別にそんなの要らない。でも、そうされてしまった、ということですね。

僕は、ほぼ同時期に、ツイッターとFBと、2箇所で居場所を失くしてしまったわけです。

そうそう、おもしろい話があってね、「近頃、フェイスブックという新しいSNSが登場し、始めるヒトが増え人気です」というニュースを見たときに、「フェ イスブック??そういう名前のサービス、もうあるじゃん、パクリかな?」と思ったのです。僕がやってたフェイスブックと、巷で流行りだしたフェイスブック が、まさか同一のものだとは思わなかったんだよ。で、調べたら、同じものじゃん!!ってなって、検索とかすると、知り合いとかが居るわけだ。ひえーって なったね。

それまではみんなミクシーやってたよね。ひとむかし前の出来事ですよ。ネット民の平均アラフォーになるわけだよね…。(悲哀)