恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

アイドルにはなりたくなかった

ちょっと息抜きに、文フリでゲットしたアイドル関係の執筆集を読んでいたら「自分はアイドルが好きだけど、あこがれの世界はずっと在ってほしいから、自分自身はアイドルになりたいとは思わなかった*1」というヲタ女子の人の文があって、ああなるほど!とすごく思った。

何度も言うように僕は「僕自身がそういうものになりたかった人」です。だから憧れの世界とかそういう意識がない。「普通に自分もそこに居ることが出来る」という妙な確信があって、だから至って「等身大で普通にやってる」のよね。
もちろん気分の高揚はあるけど、それは内容や演奏そのものによるアドレナリン放出なだけで、その立場そのものに対するものではないな。

最近は特にそうだけど、リスペクトとか「憧れていました!」などと、他のアーティストに対して表明する人、つまり「同業者に対してファンであることを隠さない人が多い」のだけど、もしあれが社交辞令でないとしたら、なんかそれは共感できないなあと思う。別に私、そういう対象ないもん。

ただ圧倒的に「自分ができないことをしてる人」に対しては、ものすごく好きで憧れてます。たとえば「愛川こずえ」とかだけど、あんな踊ってみたとか、自分は決して出来ませんから、そういう人には憧れますけど、同業に対しては、ほぼないなあ。

まあそういうことなので「そういう価値観の人がヲタになるのかあ!」と目からウロコの事案だったから感動しました。


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その後いろいろ作業中にふと思ったのだけど、私アイドル関係で「その対象個人」という「人に」ハマるのではなくて、常に楽曲優先で「好きな作品のみ」をセレクトして聴いていたのは「一貫して彼女さんが居たからではないか」という仮説。

思い返してみると、東京で「アイドルもの」「JPOPもの」を聴き始めてから1年後くらいには彼女さんができて、その後だいたい13年間くらいスキマがない状態だったのよね。そんな中で誰か「特定のアイドル個人を追い続けるというモチベ」がまず沸かないし、私、執着心はあるほうだけど、そのエネルギーは全て「楽曲審美眼という特殊能力開発」に投じられたのよね。

私このことについて今まで考えたことはなかったのだけど、意外な盲点だったのではないかと気づいたのだった。

*1:「自分が好きな世界」は「自分が辛い時とかに逃げ込んだり支えになってくれる世界で在り続けてほしい」から、と。