恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」をまとめて記事にしています。

無理をする日本。

父のDVのことをよく書くけども、彼の場合、リアル暴力もさることながら「言葉のDV」もものすごくてですね、それがまた「ハイブリッド罵倒」というんですかね、ともかく「あらゆる言い回しジャンルの罵詈雑言を駆使して」毎日僕を攻撃しまくってたわけです。
それがまた毎日一緒ではありません。どこかで新しい罵倒語彙を仕入れてくるんでしょうね。ツキイチくらいのペースで「アップデートしてくる」んですね。僕は罵倒されながら「あ、また新しい言葉が登場したぞ、しばらくはこれだな」などと思ったりしてたわけです*1

さて、こんな子供の頃の日常を過ごし、自分も父の影響で「すっかり他人を罵倒するようなヒトになった」わけですけど、幸いなことに、周りがそれを放っておくわけがありません。僕は心ある友人知人から「そういう習慣を矯正され」なんとか暮らせるようになりました。

しかし!幼少時から親に叩き込まれた罵倒芸が、そう簡単に身体から消えるはずはありませんね。そうするとどうなったでしょうか。僕は「自分自身を罵倒」するようになったのです。
自分が何かを失敗したり、間違えたり、トロかったりしたとき「ほんとにオマエはダメだな」と声を出して「自分自身に」言ってしまうのです*2

最近、脳の研究とかあるでしょ?
これ、たとえ「自分が自分自身に言ってる」んだとしても「脳に対しては他人から言われたのと同じようにダメージがある」ような説。だから自分でいつも、自分を叱りつけながら「ああこれ脳に悪いかもだなあ…」と思ってるわけです。でも辞められないのね。


ちょうど今日「石原慎太郎の弱音」みたいな記事を読んだのです*3

彼も差別主義者で日頃何かと文句言ってるけども、プライベートでは案外「自分自身のトロさ」とかに自分でイライラして「そんな自分に文句言ってる」んじゃないかしら。

つまり日頃「自分自身をも差別してる」ってことです。

「だらしない自分は嫌い」「漢字が覚えられなくなった老化した自分が嫌い」
だから「どうしたんだオレは、バカなのか?」などと自分を叱ってしまう。
それが悪のループになってるのじゃないかしら。そんなことを思ったな。

石原氏に限らず、東国原氏にしろ長谷川某にしろ、ある種の「優生思想的なもの」が「ある種の男子に蔓延してる」のは何か理由がありそう、とか思って*4

かくいう私も、確かに「役に立たない人間は存在価値がない」という考えが、根底にあった人です。これは誰か他人のことを言ってるのではない。「自分自身のことを言ってる」のです。「自分が役に立たない人間になったら存在価値がないから、そうならないよう頑張るしかない」みたいに思ってるわけ。

上に挙げた人物、みんな権力志向があり、出世欲というか名誉欲というか、そういうのも強い人々と見受けられます。ということは、彼らも自分自身が「存在価値のない人間になりたくない」と思ってるであろうことは想像がつくね。

さて、じゃあなんで彼らにしろ、僕にしろ、そういうこと思うようになってるんだろう。

それは完全に「教育」です。うちは「両親から常にそう言われて」育ってきたし、学校とかでも、ハッキリは言われてないけど「お荷物になったらやばい」みたいな風潮はあるからね。だから自分が「何の役にも立たず存在理由もない」みたいな状態で生きていくことの 想像がつかない のよ。人は必ず「何かの役に立ったり意味のある存在であるのが普通」と教わってるわけです。そうでない人は社会のゴミ。

僕自身のこと振り返って「ああ確かに、僕もそういう考えがあるわ…」と思ったとき、ちょっと恐ろしいと思ったけど、こういう考えは僕だけじゃなく「僕ら同世代男子に少なからず共通する考え方」だと思ったので、じゃあその元凶はどこにあるんだろう?と考えてみたということですね。

これって今、例えばゆとりだのサトリだの団塊ジュニアだの、いろんな世代があるけど、どの世代でもあるもんなんだろうか。社会の役に立てない者はお荷物だ、という考えは「どのへんの世代まで」あるんだろうか。というか、ひょっとしたら「今現在でも日本全体としてそうなんだろうか」。興味深いです。

僕個人としては、この考えの根底にあるのは「日本は狭く資源もない国なので 人間が 頑張る以外に欧米に敵う方法はない」という「高度成長期の教え=富国強兵時代の教え」なんだと思ってる。

散々ここで書いた「高校時代のブラック部活」のことといい、その後の「業界ミソジニー」といい、根底に流れてるのはそれで「日本人は超人だから」今のような国になれた、だから続く若い連中も「みんな超人になれるよう」必死に頑張らなければならない。みたいなことだ。

いつだったか忘れたけど、社会人になってから世界史や日本史を浚い直してた頃「なんで日本て こんなず~っと無理してるんだろう??」と思ったんだよな。

ともかく ずーっと「無理してる」わけ。

もうそれが「無理する」がデフォになりすぎて、そうでなければ役立たずとされる、ということなんだろうと思ったんだよな。

でも結局、僕も作曲をするようになって「無理する」ようになってしまった。そして「無理した結果得られた」ことの快感 を知ってしまったのだよね。

これこそが「脳内モルヒネ」ということか、とその時思った。
そしてもう、それがない世界には戻れないのかもしれない、と。

*1:とりわけ彼が好んだ語句が「低能」。さながら「元祖・低能先生」である(2018 補足)。

*2:これもある種の自傷行為と言えます

*3:www.magazine9.jp 

*4:★2018 補足「杉田水脈氏の生産性発言」に繋がる話でもある。