恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」をまとめて記事にしています。

デジタル人生アニバーサリー

いま、20thアニバーサリーつうことで「ある作業」をやってるだが、僕の音楽人生、一貫して「デジタル化」だったよなあと改めて思ってるところ。

まあ何度も言う通り、やっぱり私、潔癖症で無味無臭が好きな人なんですよね。

昭和の風景がいいとか、レコードが味があっていいとか、そういうアナログ&アナクロ感が「昔からすごく嫌い」で「CD化!やったー!どんどんそうなってください」みたいに喜んでた人です。

で、自分の録音システムも、早いうちから「デジタル化」にこだわってて、高価で素人が手を出せないような時代から、そういう連中が「あんまり考えつかない方法」で、自分の作品は全部デジタルマスターにしてた人です。
他の人はビデオのハイファイトラック*1とか、でかいオープンリールというテープにこだわってた時期ですよ。でも僕は、そんなアナログなんか「ノイズがするし音に色がつくし嫌だ」って言ってたの。

昔から私「依存型」という成り立ちが嫌なんですよ。たとえばレコードというメディアって「その環境を整えるのがすごくハードルが高く」て(今も昔も)、その本来の高品質を楽しむためには「すごい努力と投資」が必要なわけです。そういうのって「選民ぽい」のよね。
そうでなくて、大衆芸能っていうのは「いついかなるどんな時でも」全員が平均に良い品質で楽しめなきゃいけない、というのが僕の中ではあって、そういう時に、コダワリとか環境風景みたいなもろもろの付加要素は極力排除したい、というのがやりたいことだったの。

世の中がCDでデジタル化されてきた時、あれはそれまでのメディアと違って「軽くポンとボタン押しただけで」そこそこな品質のものが「全世界一律」で楽しめたわけでしょ。それが僕にとっての理想だった、ということなのよ。そういう「何にも依存せずに単体で楽しめる」ということが重要だったんだね。

今思うと、そこまで「デジタル化」にこだわったのは、周りの偏屈な大人どもが「総じてそれに否定的」だったからというのも大きかったと思うんだよね。
今と一緒ですよ。昭和の風景とかレコードの音がいいなどとほざく人は、たいがい「僕が嫌いな旧社会のオトナ」でした。そういう人々はみんな、打ち合わせたみたいに口を揃えて「デジタル化の味気なさ」を嘆いていた。いやいや「どう聴いたってクリアでいい音」でしょ?と言っても通じないんだな。

まあ確かに、音がいい悪い、という抽象的な表現でなくて、数値的な意味合いで言っても「アナログのほうが勝ってるところもある」んよ。そもそもデジタルは連続化した数値ではないし。でも、それでも僕は「雑音無しで無味無臭でクリアなデジタル」を好んだ。それが僕の望んだ世界だったのだ。

前に接客の話で、全国どこへ行ってもマクドナルドのマニュアルみたいに「ロボット応対してください」と書いたことがある*2
ヒトによって態度を変えたり「女子供だからって適当にあしらわれる」ということを小売店でさんざんされた僕は、人間の感情が入り込めないほどガチガチに決められた接客マニュアルこそが究極だと思ってきた。

そういえば今、障害年金とか生活保護とか受けるのに、窓口の係が横柄だのなんだの、問題があるという話があるけど、一緒ですのん。

昔は、そういう役所の窓口だけじゃなく、普通の小売店電気屋、八百屋みたいなところでも、さんざんそうやって「人を見て応対」されてたのよ。贔屓ばかりかわいがって「女子供はあっちいけ」みたいな態度は、そこらじゅうでされてた。
今だと考えられないよね。すぐ炎上するでしょうね。でも今だって「爆買い中国客を馬鹿にしてる」態度が問題になったりしてるんだから、結局変わらないんですよ。

そういうの散々見てたし、自分もされてたので「ホテルの接客とか極めよう」と思ったんやな。

無味無臭完璧一律応対、というのが究極だと思っていたし、そして「音楽もそうであるべき」みたいに徹底した。それがデジタル化へのコダワリだったんだろうなって思う。

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20thアニバーサリー作業でいろいろ思ったことなど。

当時の私、それまで長くやってたドラマーを辞めホテルマンになり、それもいきなりやめて「あたし!歌手になるわっ!」などと妄言を吐き、半年間引き篭もった、という。

当然周りは驚いてたし「歌手に?なる?ですって??笑」などと言われたな。

そして親ですわ。どうしようもなかった高校時代までから、なんとかドラマーでモノになってプロになる寸前まで行ったというのに、いきなり「歌手になる!だから仕事辞める!」と言われたら、そら大いに嘆きますわね。
結果的に何度も書いたように、銀行や証券会社が潰れるという時代になって、やっと親も理解したようだったけど。

で、僕自身、なんでそこまで吹っ切れたのか、というのは「実はよくわからない」んだよな。前に書いたけど、冷戦終了が未来への希望を抱かせた*3、みたいなことも思ったけど、そういうのも全部漠然としたもので、まあ結局わからない。
ただ、自分の作品力について、なんか「根拠の無い自信みたいなもの」がどんどん湧いてきた、というのはあったと思う。今回の作業で、そういう時系列の流れを確認しつつ「当時の作品を完成順にたどっていくこと」で、再び当時の気持ちを思い出したりしてたな。

で、自分が目論んだ通り「見事スカウト」されまして、これについては「そうでしょう そうでしょう。あれが不採用になるはずがない」と思いましたけど、その後は 本当に大変で。

この頃の状況をいろいろ考えてたんだけど「免許取ったばかりなのに、いきなりF1に出場させられて、持ち前の勘で素晴らしいテクニックで爆走はしたが、本人はその後どうすればいいのかわからなかった」という感じじゃないかなと思った。

そのとき僕は、既に年齢的には「新人といえない」ようなオトナだったのですが、しかし歌手としては「まるっきり新人」だったでしょ。なのに周りは年齢どおりのオトナ扱いするわけ。でも本人はまだホンのひよっこなので「走ることはできても減速の方法がわからない」。
周りは盛り上がってるけど本人は「これその後どうすればいいんすかーー??!?」みたいにパニクってるわけ。そんな状況だったなあ。
結局、どうしようもないから、車から飛び降りるしかない、ということになり、命からがら無理クリ脱出したわけやね。

この時の「怖さ」は今も思い出して冷や汗が出る。それこそ、このままどんどん作品を書き続けて「そのまま息絶える」のではないかと思ったね。そんで数年のブランク。

それでも当時遺した作品はどれも「クォリティ的にまったく問題がなく」、ミルクを始め、今でも現役作品として使用されてるのだから、「当時の僕のレベル」がどれほどだったか、という「指標」になるけども、でも僕としては「そんな破天荒なやりかたはアカン」「やっぱり安定走行を身につけなければ死ぬ」と心から思ったので、その習得のために休んだ数年だったと思ってる。

プロってのは「安定して自分をコントロールできなきゃならない」ということやね。ビギナーズラックも一発屋もいやだったから。

常に合格製品を安定供給すること
それが 21世紀の僕の課題だったんだ。

*1:今の人知らないと思うw DVDの音声部分だけを使用して音を録音するみたいな方法

*2:これ。Pebble - いらっしゃいませ、こんばんは。

*3:
karamandarine.hatenadiary.jp