恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

すきまジョージハリスン

これはビートルズのメンバー全員に言えることなんだけれども、どうもグループ時代に比べてソロ時代の扱われ方のほうが軽い傾向があるように思う。まぁ影響力や音楽性のことを考えると当然なのだが、個人的にはそう簡単には認めがたいことでもあるのだ。なぜなら僕らの世代は、常に彼らのソロ活動とともに歩んできたからである。誰もが言うと思うが 70年代におけるビートルズというのは「過去」だった。これは今思うと、本当に「過去」だと思って葬り去ろうという動きもあっただろうが、実際は無理にでもそう思いこんで「ビートルズ」という巨大なものを乗り越えて行こうという、前向きな思いのほうが強かったような気がする。メンバー達自身も含めて。ソロ時代は他の様々なアーティスト達とともに歩み成長し影響し合ってきた、言わば「等身大時代」なのだ。そうして彼らも僕らもオトナになっていった、僕はそう思っている。


ジョージ・ハリスンと言えば、やはり「All Things Must Pass」か「Set On You」で、他の作品は殆ど取り上げられることがない。僕自身それ以外の作品はベスト盤収録曲しか知らなかった。近年そのスキマ部分の作品を聴き、意外な良さ(素晴らしさ、とは敢えて言わない)に驚かされた。ジョージ・ハリスンって、その存在も、その音楽性も、良い意味での「スキマ」っぽいような。彼の本当の良さが伝わりやすいのは、このスキマ時代じゃないかな。そんなことを思いつつ、このコーナーを立ち上げてみた。


ジョージが苦手な人へ
いろいろ読んでいただくと判ると思うが、僕自身、長年ジョージの音楽が不得意で、その良さを掴めるようになったのはごく最近のことである。とはいっても、今でもジョージのファンというわけではない。ファンではないが親しみのあるアーティスト、といった位置づけでとらえている。元ビートルズのメンバーでもジョージのファン層というのは独特で、なかなか入り込めないところもある。そういったことも関係あるのか、未だに、ジョージだけは苦手だ、と言っている人は多い。そういう人たちに特に読んでもらいたいと考えた。「ファンじゃない」僕が作った「ファン向けではない」ジョージのコーナー。なので、ファンの方が怒りそうな見解多数。でも、これが普通の人の捉え方だと思うし、等身大ジョージだと僕は思ってる。最高に誉めているつもりである。



すきまアルバム


Living In The Material World (1973)

前作「All Things Must Pass」を想像して聴くとシンプルで驚くかもしれない。アコースティック主体の穏やかなアルバム。始めは取っ付きにくいかもしれないが、良く聴くと楽曲レベルは前作以上だということに気付く。作曲家ジョージ・ハリスンは確実に進歩している。特にA面(Tr.2を除く)は名曲ぞろい。さすが全曲書下ろしのことだけはある。タイトル曲も Rock 系だが極めて秀逸な出来。
ちなみに僕は Tr.2 は聴かず毎回飛ばす。完成度の高い楽曲を通して聴きたいのだ。なので、この曲がこの位置にあるのが当アルバム唯一の不満。良い演奏だとは思うが。彼のこういうキャラは好みではない。彼は人が言うほど辛辣で皮肉屋ではないと思う。そういうイメージでみんなが彼を見たいだけだろう。似た理由で Tr.7 も普段は聴かない。1-3-4-5-6-8-9-10-11の 9曲だけ聴くと前作を超える名盤になる。お勧めだ。




Dark Horse (1974)

これはみんなと同じ意見だなぁ。ジョージパフォーマンスに限っていえば、よい部分を見つけるのはちょっと難しい、というのが正直な気持ち。とはいうものの「Ding Dong」「Far East Man」の 2曲は彼のキャリアでも絶対外せない珠玉の作品。当アルバムは、この2曲のシングルだと思って聴くのがベスト。もちろん他はボーナストラック。豪勢なオマケ付だと思えば良いのだ。バンド演奏はカッコイイので(関係ないけど Tr.1と 2を聴くと何故かいつも「俺たちの旅」を思い出す。中村雅俊氏とジョージは無縁というわけでもないし 1ミリ位の関連はあるかも)。


声が良ければアルバムの印象は変わっただろうか、と思うことがある。シングル「Ding Dong」のカップリング「I Don't Care Anymore (アルバム未収録)」を聴いて感じたのだが、自分で歌を歌って作曲する人なら判ると思うが、声の調子というのはメロディラインに意外に影響を及ぼすものなのだ。頑張っても、絞り出すような声しか出ないんじゃ気が滅入ってしまうし、不本意と思っても歌いやすいようなメロディに変えてしまったりする。彼はそこまで作り上げられる状態ではなかったということだろう。




EXTRA TEXTURE (1975)

声も無事治って楽曲レベルもそこそこ復活している。過去のストックではあるがシングル曲 Tr.1 もヒット、アレンジや使用されている楽器の音色、ジャケットのおかげもあって、音だけ聴くと全体的に明るい印象がするアルバム。実際は歌詞の世界は暗いのだが、これも彼らしいもので許容範囲内だろう。僕が当アルバムで普段聴くのは Tr. 1-2-3-4-5-8-9。これが個人的には、聴いて良かったなぁ、と感じる適度な長さ。似たような曲が続くのが唯一の難点なので。こうするとスッキリして、なかなかの佳作アルバムになる。是非お試しを。




THRTY*THREE & 1/3 (1976)

自主レーベル移籍第1弾。力が入っています。逆にそこが仇となり、気楽に聴けない感じがあるのも正直な気持ち。難しいものだ。だが、楽曲レベルは本当に高く、シングル曲とそれ以外の曲の区別がつかないほど。捨て曲&捨てアレンジ共に、殆ど無いと言っても良いと思う。特にリアルタイムで聴いた人なら、当アルバムは忘れられないのではないだろうか。ご機嫌状態な時にお勧めのアルバム。エンディングも和む。


ボーナストラックとして Tears Of The World が収録されました(後述)。




George Harrison (1979)

大変言いづらいのだが…。僕はこのアルバムの良さが判らない。たぶんジョージ・ファンではないんだろうな。かつてないほど彼が力を入れて製作したというのは、音を聞けば十分伝わる。実に丁寧に演奏されているし、アレンジも良く練られた様子がある。今までにないほど彼自身の演奏部分が多く、歌も多く、ジョージ・ファンには堪らないだろう。僕はそこが苦手な部分なのだ。本人のプレイと歌のみが延々と繰り返されているだけで、演奏家ジョージと「人」との関わりが見えてこないのだ。まさにアルバム・タイトルどおり、彼の個人的な楽曲ばかり。そこが小さくまとまっているように聞こえてしまう理由なんだろうなぁ。いつものジョージ節も、僕にはちょっとクドく感じる。Dark Sweet Lady 1曲で充分な気がした。




Somewhere In England (1980 / 1981)

良く知られている事実だが、当アルバムには「オフィシャル発売版」、そして収録曲が異なる「発売中止となったオリジナル・バージョン」の2種類が存在する。一旦完成させたのにワーナー社から差し戻されたのだ。理由は「売れ線じゃない為」。直後にジョン射殺事件が起こり、アルバムのコンセプト自体、白紙となってしまった。その後 4曲を新録し差し換え収録、そのうちの1曲が、大ヒットしたジョン追悼曲 All Those Years Ago なのはご承知のとおり。僕はどちらも所有しているが、オリジナル版は前作よりは楽しんで聴けた。まぁ前作を好きではない僕が言っても、当てにならない感想だけどね。

「イギリスの何処か」と言っておきながら「香港ブルーズ」がオープニングというのも「やられたっ」って感じだし。このカバー2曲はオリジナル仕様じゃないと意図不明だろうな。オフィシャルで外された 4曲のうち 3曲は、なかなかの佳曲。残りの 1曲も外されるほどの理由があるとは思えず、録リ直した新曲もそれらを超えているとも言えない。創り直して欲しかったのなら、曲を差し換えるのじゃなく、プロデューサを変えて練り直すべきだった。「Teardrops(新録の1曲)」ばりに創り込めば、旧収録曲でも、じゅうぶん光ると思うのだが。
それでも正規版の方は「過ぎ去りし日々」のおかげで、なんとかヒットしたようだ。彼の楽曲レベルとしては並だけど、ポップなプロダクションで、シングルとしてはまあまあ良かったんじゃないだろうか。僕はオリジナル版から Tr.1-2-3-4-5-6-7-8-10を選択、最後に「過ぎ去りし」をボーナス・トラックとして付け足し、普段聴いている。


[参考資料] オリジナル版曲目。赤文字は外された曲。
[A] Hong Kong Blues / Writing On The Wall / Flying Hour / Lay His Head / Unconscious Rules [B] Sat Singing / Life Itself / Tears Of The World / Baltimore Oriole / Save The World




Gone Troppo (1982)

まったく宣伝しなかったので売れなかった、というのが世間で言われていることだけれども、僕は街中や店舗内、FMなどでも良く聴いたよ?夢でも見てたんでしょうか?まぁ大本営発表は、いつの時代も鵜呑みにしてはいけない、という良い例ですな。こんな事例はほかにも多数あるのだろう。気を付けたい。
というわけで、シングル曲「愛に気付いて」は久々にグっときた曲だった。個人的には「二人はアイ・ラヴ・ユー」以来の感触。ヒットしそうな気がしたもんなぁ。少なくとも「過ぎ去りし」なんかよりはずっと良い。不発だったのは極めて残念だ。で、アルバム自体も APPLE 時代を思い起こされるような作風で、楽曲も、ここ数年では見られないようなレベルまで復活している。まぁ世間での評価がアレなんで判官贔屓な感もあるけど、少なくとも期待外れではまったくなかった。70年代中盤の彼が好きな人には是非聴いて欲しいアルバム。良いよ。




後記
以上が「すきまアルバム」。思いっきり主観を込めた解説となった。主観だからね。怒らないように。でも本当に、このすきま時代こそが彼のアイデンティティ確立時期だと思ってるので。是非聴いてもらいたい。いつまでも B4や「All Things」で止まってないでさ。頑張った彼の姿も是非見て欲しい。…って、彼の親みたいだが(笑)。



追記
クラウド・ナイン」というアルバムがある。有名な「正論言う」収録のアルバムであるが、これが僕はあんまり好きではない。なぜ今ひとつ好きになれないのか、ボックス購入を機に聞きながら考えてみたのだが、どうもBassがつまらないからのようだと気付いたのだ。このアルバムはジョージのアルバムの中で、唯一Bassプレイヤーが参加していないアルバムである。ジェフリンが全部やってしまったのだ。結果、とてもシンプルなBassラインになってしまったようだ。下手なわけではないので、ジェフリン自体がこういうのが好きなんだろうな。ジョージの曲に於けるBassというのは、初代はご存知ポールマッカートニーという、とてつもなく素晴らしい人が担当していたわけだし、2代目は、器用ではないがそれなりに当意即妙であった、旧友クラウスヴーマンの担当だった。3代目は達人ウィリーウィークスが担当した。結構重要ポジションだったのである。それが、このクラウドナインでは。そりゃーつまらなく感じるはずだよな。自分で弾いてみると判るのだが、Bassというのは実に微妙で、ただルートを弾いているだけでも、その音色やタイム感や乗りによって、曲の雰囲気がまったく変わってしまうのだ。それが、良い感じの時には特に気付かないので、どうってことないように思ってしまうけど、このクラウドナインのように、ぱっとしない時には、なんだか気分が優れなくて、なんとも言えない不快な感じになってしまうのである。80年代は、時代的な特徴としてBassがあまり重要視されてなかった。だが今、当時の音楽を、ラジカセやコンポのスーパーBASSなどで低音強調して聴いてみると、プレイや打ち込み自体はちゃんとしていることがわかる。目立たなかっただけなのだ。だが、クラウドナインは違った。Bassを強調して聴いてもつまらないのだ。つまりフレーズや乗り自体つまらないのだと言うことになる。いやー。なんだろね。これは。勉強になるねぇ。