恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしています。

バブル & スピリチュアル

ちょっとニクソン大統領(とジョンレノンの戦い)のことを調べてて思い出したことがあるのです。

私「バブル時だってどうだった?」とよく聴かれることがあるのですが、「まったく不安を感じなかったこと」と答えるのですが、その理由を「経済的に豊かだったから」と説明するのですが、そう説明しながら、はたしてそれだけで「不安感ない」まで思うもんかな?などと一抹の疑問も感じてたのですが、大変重要なことを思い出したのです。

それは「冷戦の終了」です。

これをリアルタイムでずっと見てたヒトは、あの時の興奮のことは判ってもらえると思います。ベルリンの壁の崩壊、東欧諸国で次々起こる政変、ゴルバチョフの言動やクーデター、そして「悪の帝国」ソ連の崩壊。

毎日毎日が本当に「めくるめくように」変わっていき、TVのニュース番組がハリウッド映画みたいになっていったのです。これって現実のニュースなんだよな???と何度も思ったくらい。

当時ライブ活動に復帰したばかりのポールマッカートニーが、インタビューで興奮して「ベルリンでデモをやってる連中の格好を見ろ!みんなデニムを履いてる!オレらの世代が勝ったってことなんだ!」と言ってたの思い出す。
世界は変る!!冷戦が終わって人類の平和が遂にやってくる!本当にそう思っていました。
やっと旧社会は終わるんだ、僕が生きにくいと思ってた社会も、これで変わるかもしれない!そう思った。それが僕の90年代の始まりだったんだな。

そうして実際に音楽も変わっていきましたし、価値観もどんどん変わりました。僕の居場所がやっと出来て、本当にホッとしたのを覚えてるし、それはそのまま僕の活動へと繋がりました。

政治的には細川内閣だよね。ずっと続いてた政治が終わったんだよ。これもすごかった。当時のニュースで今も覚えてるのは、アメリカのメディア(NYTだったかも)が「日本政府、倒れる」と報道した、というニュースだった。

「倒れる!」かあ。外国にとってはそういうことなのか!と思ったな。

一方で、冷戦終結で悪の帝国崩壊なのに、日本では長らく続いた安定政府が政権交代してしまったという、右なのか左なのかよくわからない状態になったんだよね。しかし、それは置いておいて、なにより「変わる!」ということの興奮 がやっぱりすごく大きかった。
世界は変わっていく、そして日本も変わっていく、きっとよくなっていく、未来はきっといいものになる。そういう気持ちが、僕の中で「まったく不安がなかった」という感情に繋がっていったんだろうと、そう思ったんだな。

で。実際の20年後の今ですね。よくわからんけど、今の古いおっさんたちは、20年前、つまり「倒れる」前の日本を取り戻そうとしてるんだろうね。これはある意味、彼らにとっての「失地回復」でもあるんだろうね。これからの20年はどうなっていくんやろなあ。


3月ころかな。
夜中たまたま目が覚めたらオウムの番組をやってた。

「バブル時代とはどういうものだったか」ということを考えながら見てて、宗教にハマってく彼女たちの感覚が「ああそうだった!確かにそんな感じ!」と思って懐かしかったな。
お金や物質はたくさんあるから、スピリチュアルに走るのよ。

でね、もうひとつ重要なのは、世の中がバブル過ぎて「どう間違っても野垂れ死にだけはしないだろう」という、なんというか絶対的な安心感があったの。だから、彼女たちも財産捨てて道場に行くんだし、僕らだって、全然お金とかに拘ってなかった。
それは「世の中に有り余るほどあるから」という前提があるんですよ。だからそういうことが平気でできるわけ。
今みたいに、一旦流れから外れると「もう戻れない、ホームレスとかになる」という恐怖感がないからね。

例えば、僕ら北海道人は、冬とかは危険で「死がすぐそこにある」みたいな感覚ですが、沖縄の人は「路上で寝てても大丈夫」みたいな感覚あるでしょ。それに近い。何するんでも「大丈夫、何かすれば最低でも生きては行ける」みたいに思えてたことが、一番「今と違う点」だろうと思ったのね。
それは、ドラマの中でも表現されてた。あれは「今の感覚だとわからないだろうなあ」とか思ったな。そういう風に「お気楽だったので」みんな参加してハマっていっちゃった。

今だとどうだろう。そういう「何かしたい欲求」は、もっと活かす場があるんじゃないだろうか。介護とかそういうのやったり、いろいろある気がするけどね。


あと、バブル末期には、あちこちの会社や組織がどん詰まりになって、自己崩壊してったから、それはオウムに限らないよなとも思った。

つまり「景気がよくて人々の気持ちもアガってるとき」には「なんでも上手く思い通りにいく」のさ。それが「だんだん出来なくなってくる」のよ。

最初はそれが「ひとつから」なんだけど、それが 2つ 3つ…と重なってくると、企画や計画そのものが立ちゆかなくて、ポシャってくる。その数が増えてくるの。
これもだめ、あれもだ、あああっちもボツですかぁ…みたいになってくる。そうすると追い込まれていくのね。
拓銀や証券屋とかも同じだったんじゃないかなあ。その辺は共通している。だから追い詰められて結局「極論で強行突破」とか「早急な過激策」とかしないとならなくなるってこと。これ連合赤軍も同じだよね。

当時ね、前の年まで普通にやってたことが「だんだん実行されなくなってくる」というのがちょっとずつ増えたの。「あれ?今年はあの仕事来ないねえ」みたいな感じで。そういうのを思い出した。

他にもいろんな企画があって「よろしくお願いしまーす」とか言われてたのが「その後音沙汰ない」とかね。どんどん増えた。
こういうの、今だと普通だけど、当時もあったことはあったけど、少なかった気がする。まあ僕の立場も違うから、そう感じるだけかもしれないけどね。

みんなスピリチュアルに走った話は書いたけど、僕だってそういう「真理を探して見つける」ということはやってた。僕の場合それを「他人に頼らずやった」というだけで、信者の人たちと気持ちはさほど変わらないだろうね。

そうして「発見したこと」が本職である音楽だった、ということが「他の人と違った」んだろう。

これ、実は「僕はこだわってなかった」の。「別に音楽じゃなくてもいい」と思ってた。なにか別なことで目覚めて「違う道で行くのでも全然いい」と思ってたよ。それが真理なら。

でも結局、僕にとっての「神」は音楽だった というだけの話だろうね。
ラッキーだったんですよ。


そうそう、この年は関西淡路と地下鉄があったのね。僕が「ホテルを辞めて音楽に戻るきっかけの出来事」だった。みんな危機感もあったし「真面目」になった。

それなのに世紀末の 98年ころになると「もうみんな忘れてる」のね。それがショックだった。
特に音楽業界は「世間とは遅れて影響が出る」ので「世の中のバブルが終わってるのに」宇多田ミリオンとか、その頃にバブルが来るのよ。メディアも一緒な感じで。なんか浮かれてる感があったなあ。それが嫌だった。

97年~99年ころまで僕は一旦音楽をやめるのだけど「もうちょっと時代を待ちたい。まだ今じゃない」っていう感じがあったのね。

その「今」は来たのでしょうか。
はい、来ましたね。
林檎とaikoが出てきたから。

これ!!これを待ってた!!って思った。それが2000年。そこから布石への道が始まったのね。ついでに言うとZEPのサイト執筆もここから始まってますw

意外に忘れがちなんだけど、私、92年くらいから99年まで千葉県に住んでたのですよ。それまでは都内23区内。なので「都落ちした感」がすごく、ずいぶん気分にも影響したなあ。
それに負けまいと思ってホテルも音楽も頑張ったけど「途中で頭打ち」になったのね。それが世紀末の頃で。

なんだい千葉とか近いじゃん、って言うかもだけど、今考えても、たとえば自分の中の感覚で言うと「長崎に居るのと変わらない」です。居た期間もほぼ同じだし、僕の中では、千葉時代と長崎時代は「東京からの距離感は一緒」だったなあ*1

で、1999年に都内に戻るのです。
都内に戻った時期、ライブ始めた時期、そして林檎とaikoに出会った時、ネット始めた時、それらが全て同時期

だから僕は2000年代から全て変わったわけです。
環境も感覚も。21世紀型になった。

そこからが僕の人生です。

*1:最近よく、その距離感を説明するのに「千葉は長崎よりも遠い」と言います。