恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」まとめ。まだまだ深く掘っていきマスク。

ありきたりな女・ありきたりな男


椎名林檎 - 『ありきたりな女』コメンタリー映像 - YouTube

そういうことだよね。
自分はこれが出来なかったから憧れがあるんだろう*1

この動画を紹介してくれたのは鯨女子なんだけど、そういえば彼女は社長令嬢に生まれて、男社会である社内の軋轢に揉まれながらも、こういうことを主張してきた奴だったなと思い出す。まあ九州だし、首都圏の10倍は大変だったろうね。

でふと思ったが、女子が女子であること、という言い方があるのなら、男子が男子であること、ということを活かしていくという「言い方」はあるのだろうか。これは一般的には気付かれにくいが、「僕はあった」のだよ。なぜかと言うと、僕自身は男系社会が嫌で、男子というものが嫌で、乙女男子()になりたいようなヒトだったので、男性的なものを排除して一生懸命生きてきたでしょ。そうすると、あえて男性的な要素を用いることが「特別なこと」になる。

前にも書いた気がするんだけど、わたしね、九州に行って、その要素を持ち出すことで、周りの僕の扱いが変わる、という経験をしたのね。これは、女子が女子である特殊性を持ち出して戦う、という感覚と(僕にとっては)似ており、その有効性にも気付いたんだな。特に、人前に出るような商売をやってると、これで得することは本当に多く、僕は初めて、世の中に於いて、性的なものを売りにする有利性、ということに「はっきり」気付いたのだった。
東京に戻って、歌手を辞めたい、芸人の部分を捨てたい、と言ってたのは、こういうことでもある。男性的な部分で売ってた自分を、もっかい元に戻したい、ということでもあった、ということなのだな。(エセ)九州男児からの脱却、ということかな。

オノヨーコは、ヒトラーみたいな奴の考えを改めるには、一晩ベッドを共にすればいい、と発言した(その一晩のベッドですることはセックスだけじゃないとは思うが)。しかしレノン晩年に、「アレはちょっと大袈裟だった。なぜならジョンを変えるのすら10年かかってしまったから」と言ってる。
何かしらの行動を起こすときに「性的特殊性」ってのを利用するのも、ひとつの手だと思うのね。それを使えば、性的欲望の強い相手は、何某かの反応をしてくれるからさ。

これもここで何度も書いてたと思うが、私、かつてはゲイの方々に人気がありました。そのとき僕は、ちゃんと丁寧に「私はストレートですので」と断らなかったのです。何故なら、そうやって人気があることは嫌ではなかったからです。彼らの希望を受け入れることは出来なかった。でも、どんな方向性であれ「僕を見てくれて愛してくれること」は嬉しかった。だから、拒否も否定もせず、そのまま放置して好きにさせたのです。
そういう意味では、僕がもし女子だったら、サークラだったかもしれないし、やり満だったかもしれないし、八方美人だったんじゃないかと思う。
彼らのやり方が半ば強引で、ともすれば「セクハラ」寸前だったことで、僕は彼らに対して同情の気持ちはまったく起こらなかった。性的マイノリティだって??ケッふざけんな、と思ってます。きゃつらは、同性の気弱な男子なら、好き放題セクハラする連中です。それを、何を今さらセクマイとかざけんなと思いますね。だから、僕はそれを思う存分利用した。思わせぶりで引っ張ってね。
九州で、男子性を強調することで得をする、と気付いた時、躊躇なくそれをしたよ。もちろん本意じゃないけど、それで徳をするなら、敢えてそれに甘んじた。それが、自分のしたいことをする近道だったからさ。そういう意味では、今の業界女子も同じなんじゃないだろうか。それがいいとことだとは思わないけど、生きてくためにはしょうがないんじゃん、と思う。というか、共感できる。

最近むかしの歌謡曲よく調べてるけど、そうするとスタッフの中に懐かしい名前を発見したりする。この「ケメ」というヒトも憶えてた。70年代前半は、前述のような野蛮な時代であった反面、それに逆らったのか、それまでの日本男児像とは反対の「女々しい」男子が台頭して来た頃でもありました。僕は男色趣味は当時からもありませんでしたが、野蛮な世界に入れなかったので、こういう一連の、今でいう「乙女男子」なヒトたちにシンパシーを覚えてた記憶があります。当然バッシングもありましたが、実際、こういうキャラになれば自分のアイデンティティを維持できる、と考えてたんでしょうね。なので、今の僕のキャラもそうだし、もっと突き詰めれば、渋谷系と言うジャンルも、この辺をブラッシュアップしたものじゃないかな、と考えてます。
当時はね、たとえば拓郎みたいなものでさえ、「結婚しようよ、って何だよ。女々しい!」とバッシングされましたし、平和とか政治とか歌わないと、男じゃない、音楽じゃない、みたいな差別的なものがあったよね。そういう意味では、僕みたいな人たちも、ずっとマイノリティとして戦ってきたんだな、と思いますよね。

面白いのは、マッチョ系のヒトは「意外に」マジメだと言うことです。乙女男子を強調したサブカル渋谷系の男子のほうが、男女関係入り乱れて大変なんですね。文科系サークルも一緒だと思う。さっき書いた、乙女男子発祥みたいな73年のケメさんみたいな方々も、女子関係は華やかだったと聴きます。グループサウンズの王子様系も一緒ですよね。だから、そういう乙女男子も、大概は、外見がそうなってるだけで、内面は男性的な欲は強いほうの方々だと思う。
だから、九州で男子性を発揮して受け入れられた、というのは、そういう部分もたぶん合って、軽い奴じゃない、骨がある男子、ということで、サブカル系との違いを見てもらえた、ということじゃないかな。

ひょっとすると、九州やNGSKのサブカル男子さんって、伝統の九州男児であることを否定したくて、違うアイデンティティの確立としてやってるのかもしれないよね。もしそうだとすると、それは僕の子どもの頃の動機と一緒なので、気持ちはわかるんだが、ということは「こじらせて」いるので、そこがかつての自分を見るようで痛かったのかもしれない。

実際僕は、九州で男子性を発揮したと言ったけども、その裏には、九州のサブカル男子ちょっと嫌なので、一緒に見られないようキャラを変えたい、という気持ちもあったように思います。7年間で、サブカル系な考え方について、ずいぶん変わったもん。

こっちもどってきて1年ですけど、少しずつ慣れてきて楽になった気がする。極端に何度も振り切って、やがて中道に戻ってくる。それが自分の道。そうなっていくといいなと思う。

*1:こないだ書いた「ろくでなし子先生の話(表現とは肉体的反射である)」も「頭より先に体が出る」という部分で一致してます。