恋する段差ダンサー

ハイクの「下書き」をまとめて記事にしています。

天職というものはあるのかどうか。

こないだ実家でいろいろ話した中で、ひとつ重要なものがあったのです。それは部活のことだったのです。これ今までずっと避けてた話題だったが、今回初めて話したのだね。
まあそのきっかけは、ここで吹部について長々と語ったこと、もとを辿れば響けユーフォだったわけだけど、自分の中である程度まとまったので、やっと親とも話す気になったということでしょうね。

でまあ内容というのは、いま敢えて本心を言えば「黒歴史だった気がする」と。

ただ、僕が現役当時〜OB時代も含めて演奏会に出ていたときには、母もそれを誇りに思って喜んでいたようだし、部活の仲間や先輩についてもよく言っていたので、僕も「これでいいのだ」と思っていた。しかし今こうして離れてみて「果たしてあの時代は何を得たのだろう???」などと思ったとき、得たものもあったけど「なければなかったほうがよかったと思う部分」もたくさんあったなと。

今まで部活時代のことを否定できなかったのは、ひとつ大きな理由がある。

つまりそれは、部活でドラマーになっていなければ、僕自身の「その後の音楽キャリアが拓けていかなかった」ということがあるからで、だから「どんなに黒歴史でも」あれがあるからこその今なんだ、というのがあるから、否定してなかったんですね。

でその考えは「今も同じ」なのだけど、以前と違って今の僕が思ってるのは、そういう人生「以外の」生き方もあったのではないか、という、なんというか「別な人生もあり得た」ということも頭の中に想定するようになった、ということなんやね。

今までの僕は、この人生が必然で「他には選択肢がなかった」という思いで生きてきたけども、最近、いやそうではない、音楽をやってる人生は別に必然ではない、そうでない人生もあったはずだ、と思うようになったということ。

これはかなり大きな変化だと思う。というのは、たいがい芸術家や音楽家というものは「自分の道はこれしかないぜ!」的に思って「天職である」みたいに生きてるものだからである。

で、僕も今までそう思い込んでたけど「いやいや、ちょっ待てよ?」と。この人生、天職とかそういうものじゃねえよ?と。そう気付き始めたんやな。

そうすると、一体自分は「何を目的で音楽を続けているのだろう?」と考え始めたわけ。…これについてはまたあとでゆっくり書くとして、ともかく、今までは「これしかないぜ人生は」だったのが「いやそうでもない」と思えるようになったのは大きな変化だったな。

まあそんで話が長くなってしまったが、母と今回話したことは、主に勉学や成績のことだったのですけど、中学〜高校受験と、あんなに神童みたいな能力を発揮できたのに、なんでその後「急激に失速していったのだい?」ということでして、つまり逆に考えると、高校受験で能力を発揮できたのは「そういう勉強の仕方を習って実践してたから」という、ごく単純な理由が思い当たり、そうすると「じゃあ高校時代も引き続き、そういう訓練を続ければよかったのですね」ということになり、じゃああんなブラック部活なんかやらないで「ちゃんと勉強してればよかった」、そうしたら東京の良い大学に進めて、そこで初めて音楽なり何なり、改めて始めればよかったのだ、という話になったわけ。

そういう「もしかしたらあり得たかもしれない別な人生」について、母とじっくり話したのは、すごく有意義だったと思う。

これ、どうしてそういう話する気になったかというと、今までの母は、僕の今までの人生について「責めることしか」してこなかったの。どうしてオマエはあの時ああだったのか?どうしていつもこうなのか?などと、一方的に責めてきて、だからこっちも「そうは言ってもしょうがなかったんだよ!」みたいに反抗しかしてこなかったんだけど、今回はじっくり色々話したことで、母の方も「オマエが悪いだけじゃなくて、こっちも中学時代同様、高校でも勉学方法について協力すればよかったんだよね…。金はあったんだし何でも可能だったのにしなかったね…そこまで思いつかなかったねえ…」などと言ってきたのである。

まあだから今さら遅いけども、僕らの間には「話し合い」と、あとは「お互いをちゃんと認める」という姿勢が全く足りなかったんである。

本来そういうことを仲介したりするのは父の役割だったかもしれないが、うちでは全く機能していなかったので、母と僕だけでは、当時それを気づくのは無理だったなあと思う。

まあともかく、今まで一方的に「オマエがだらしないのが悪い」と責めてきた母が「自分の方にも責任の一端はあった」と言うようになったのは大きな進歩だったなあと今回思ったね。

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