恋する段差ダンサー

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開放された長崎時代と「ピンク・フロイド」

Delicate Sound of Thunder / Pink Floyd

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これ88年のライブなんだけどオフィシャルではDVDになってない。
数日前、例によって「ビデオテープ」アーカイブを整理してたら、おまけみたいにテープのケツの方に入ってて「おお!」と思って調べたらこれだったという。

WOWOWのオンエアを録画したもので、たぶん放送は15年くらい前!「当時の僕は」実はピンクフロイドにはあまり興味がなかったプログレ好きだったけど「フロイドだけは高校時代からどうもよくわからず」ずっと聴けなかった。
だが、当時の僕は BS や Wowow でオンエアする映画や音楽関係は「なるべく録っておくことにしており」。なのでこれも「そのうち見ることもあるかもしれない」という気持ちでとっておいたんだろう。

で、そのあと長崎時代に、クジラ女子の制作をしてたとき「ギターの音色のヒントにでもなるかな」と思ってフロイドを聴いてみたら、これがおもしろくてさ!笑。スッカリハマった。
もともとデイヴ・ギルモアは前から好きだったんで、そこから入りやすかったし、ギターの音の処理方法はずいぶん参考になった。クジラアルバムのギターの音は、けっこう使わせてもらいました。楽しかったね。

長崎渡航以前の私は、やっぱり商業的戦略上、完全なる J-POP-er(Jポッパー)だったわけだけど、長崎では「そこの箍」から(いい意味で)ずいぶん外れることが出来て、それこそが素晴らしいことだったと思ってるな。
よく言ってるけど、土地柄として、ともかく「メジャーどころが好きでミーハーであるという地方都市特有の性質」があった反面、しかし「流行りものには流されない(…というより疎いw)」というところがあって、「ガチガチのJポッパー」であった自分は「ずいぶんそれによって開放された」し、むかしの感覚に戻っていけたと思う。長崎に行ってなければピンクフロイドなんか聴くこともなかったし。

なので、(例えばセクハラ野郎とか小姑かりんとうみたいな)旧文化に属する音楽家の人々には辟易させられてた反面、「そういうことを意に返さない世代」との出会いは、「すべてをフラットに」扱っていいという感覚も蘇らせてくれた。

この「フラットに」という感覚は、実は「東京文化には(ありそうだが)ない」です。というのは東京にいると、そういう感覚すらも「サブカル」という形式の中に取り込まれてしまうからで、そうではない「個人の感覚としてフラットである」というのは長崎や博多で得た感覚 だと思うなあ。
全てから自由になる、という感覚は「長崎に行ったからこそ」で、その延長としてピンク・フロイドなどがあったということなんだと思う。


前にも釘を差したと思うけど、ココでも散々なこと書いてる長崎時代ですが、この事例のように いいことはたくさんあって、しかし「酷いことも少しあった」から「特筆すべき酷い出来事を書いてる」に過ぎないのですよ、ということは改めて言っておきたい。

というわけで「いつか見ることもあるかもしれないし…」と思って録ってあったビデオを15年後に発見し「すごいすごい!」と今見ているという、まあ狙ったとおりの人生を歩んでておもしろいなあw というお話。

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